【第1話】
「わあ、凄い!!」
目の前に飾られた巨大なモミの木に、アズマ・ショウはその夕焼け空のような赤い瞳を輝かせた。
色とりどりの煉瓦によって構成された可愛らしい意匠の建物が並ぶ街並みの中心に生えた巨大モミの木は、綺麗に飾り付けまで施されていた。星形の装飾品や艶めいた球体の飾りなどは元より、硝子の球体に小さな炎が閉じ込められている見たことのない装飾まで多岐に渡る。
大小様々な蝋燭の炎がモミの木を飾っているので、キラキラと輝いており目を惹く。道を行き交う通行人も飾り付けられた巨大モミの木に目を奪われて、思わず立ち止まってしまっているほどだ。
「ユフィーリア、とても綺麗だぞ」
「おう、そうだな」
遅れてやってきたユフィーリアは、白く染まる息を吐きながらモミの木を見上げる。
今日の彼女はいつもの肩だけが剥き出しとなった特殊な形状の黒装束ではなく、薄青のニットと真っ黒な外套というお洒落と温かさを重視した服装だった。石畳を踏みつけるブーツは寒さ対策の為か頑丈に設計されており、手袋も通常より分厚めで革製のものを装着している。
ユフィーリアはショウの手を取ると、絶妙な力加減で握りしめてきた。
「はぐれないように、な。人が多いから」
「ああ」
ショウもはぐれないようにとユフィーリアの指先に自分のものを絡め合わせて、ギュッと優しく握り返した。手袋越しに伝わる彼女のひんやりとした手の温度と柔らかさに、ちょっと心臓が高鳴った。
☆
ユフィーリアからデートのお誘いを受けたのは3日前の出来事である。
「ショウ坊の誕生日、アタシとデートしようか。ちょうどノクトルヴィアって国でクリスマスマーケットが開かれるんだ」
そんな最愛の旦那様の誘い文句に乗せられて、ショウは二つ返事で了承した。ユフィーリアからのデートのお誘いを断る手段など、彼女を心の底から愛するショウに持ち合わせていなかった。
最愛の旦那様とのデートに臨むにあたり、ショウはお洒落番長のアイゼルネに頼って今日の為に最高の衣服を取り揃えた。「今日こそはユフィーリアをメロメロにしてやるんだ」という気合の入り方も十分である。
それが雪のように真っ白なニットワンピースと真紅のダッフルコート、モコモコとした素材で作られた可愛らしいブーツである。白いニットワンピースには黒いリボンが随所にあしらわれた清楚と可愛らしさが同居した冬に最適のお洒落な衣装で、ショウも非常に気に入っている1着である。
誕生日に愛する旦那様とデートに行けるとは、最高の誕生日プレゼントである。ユフィーリアにエスコートされるのが至上の幸福だ。
「ショウ坊は何か見たいものとかあるか?」
「ユフィーリアがいればそれだけで十分だ」
「せっかくお前の誕生日なんだから、もう少しぐらい我儘になってもいいんだぞ?」
クリスマスを題材にした雑貨が並べられた屋台を見回りながら、ショウはユフィーリアに手を引かれて歩く。
ユフィーリアの話では、このノクトルヴィアという国のクリスマスマーケットはエリシアで最も有名な市場らしい。全国から観光客が集まるので大変人気があるのだが、今日という12月7日は平日なのでそこまで人が混んでいないように思えた。
逆に言えば休日だったら間違いなく人混みでごった返していたことだろう。そうなればショウは押し潰されてしまっていたかもしれない。自分の誕生日が平日でよかった。
「お、可愛い人形」
「本当だ」
ユフィーリアが立ち止まった店には、サンタクロースの帽子を被った熊の人形が並べられた人形屋である。ふかふかの手触りが温かくて、ショウは熊の人形の手を意味もなくニギニギと握ってしまった。
大きさもちょうどいいので抱き心地がよく、茶色い毛皮とボタンで出来たつぶらな双眸が愛くるしさを演出している。とても可愛らしい熊の人形だ。
ユフィーリアはショウがニギニギと握手をする熊の人形をヒョイと抱き上げ、
「店員さん、この熊の人形はいくら?」
「はいよ、7,840ルイゼさ」
意外と高額だった。手触りがいいだけある。
「ゆ、ユフィーリア。さすがに高額だから」
「買う」
「あうあう」
財布から1万ルイゼ紙幣を取り出して、ユフィーリアは豪快にも「釣り銭は取っとけ」と言ってしまう。そしてサンタクロースの帽子を被った熊の人形を、ショウに押し付けてきた。
一抱えほどもある熊の人形はふかふかで柔らかく、表面の毛皮も手触りがよくて抱き心地がいい。加えてユフィーリアから贈られたというだけで大切さ具合が一気に増す。
両手で熊の人形を抱きしめるショウは、
「ありがとう、ユフィーリア」
「その人形、アタシだと思って大切にしてくれよな」
「じゃあユフィーリアとお揃いの衣装を着せなければならないな」
「お? 仕立てるか?」
熊の人形に着せる衣装を提案してくれるユフィーリアだが、ショウは首を横に振って辞退した。
「自分でやりたい」
「そっか、じゃあその時はアタシが裁縫の仕方を教えてやろう」
「頼りにしてるぞ、先生」
熊の人形を抱きかかえたままふにゃりと笑うショウに、ユフィーリアの口から「んぐぅ」という変な声が漏れた。よく彼女は心臓が捩じ切れるとか大袈裟な表現をしているが、今回もそんな事象に該当するのだろう。生きているのが不思議だ、魔女だと心臓が捩じ切れても生きているのか。
クリスマスマーケットには他にも多くの雑貨が売られていた。可愛らしい形の蝋燭から毛糸で編まれたマフラーに靴下、繊細な意匠のオルゴールにコロンとした見た目が特徴のスノードームまで多岐に渡る。
売られている雑貨は大半がクリスマスを題材にした意匠が多く、サンタクロースやトナカイなどの絵柄が目立った。魔法で動かしているのか、やけにリアルな作りのサンタクロース人形が「ホッホッホ!!」と笑って集客する店なんかもある。ちょっと驚いてしまう。
ショウはユフィーリアの手を引き、
「ユフィーリア、ココアが売ってる」
「お、スモアココアか」
ショウが目をつけたのは、鉄製の鍋でココアをグツグツと煮込んでいる店だった。クリスマスツリーが描かれた紙製の容器にココアを注ぎ入れ、そこにマシュマロを乗せて販売している。
ノクトルヴィアという国は北側に位置する国なので、ちょっと肌寒いのだ。この状況で冷たいものを食べるとすればさすがに季節感のない馬鹿になってしまうので勘弁したい。
鉄製の鍋の前でココアをグツグツと煮込む真っ白な髭が特徴の店員は、店の前までやってきたユフィーリアとショウの姿を認めて薄青の瞳を瞬かせた。
「おお、こりゃ別嬪揃いで。お友達同士かい?」
「デート中だよ、見て分かんねえのか」
ヒョイとユフィーリアがショウと指を絡め合わせて握る手を掲げるので、ショウはちょっと恥ずかしくなった。
「そいつは失礼したな。何か飲むかい?」
「ココアとホットワイン」
「あいよ」
注文を聞いた店員はまずココアを紙製の容器に注ぎ入れ、それから大きめのマシュマロを茶色の泉に漂わせて「はい、ココア」とユフィーリアに渡してくる。ココアを渡されたユフィーリアは流れるようにショウへ手渡してきた。
今まで鉄製の鍋で熱されていたからか、紙製の容器越しに感じるココアはとても温かい。温かいを通り越して熱いと思えるほどだ。甘い香りの漂う茶色の泉にふわふわのマシュマロが漂っており、とても美味しそうである。
次いでユフィーリアにも注文したホットワインが手渡され、店員に「デート楽しめよ」と見送られた。なかなか友好的な店員である。
「熱いから気をつけて飲めよ」
「ん」
ショウは湯気の漂うココアを丁寧に冷ましてから、ゆっくりと口に含む。
甘い味が口の中に広がり、少しだけ溶けてきたマシュマロの甘さも感じる。元の世界でココアを飲む機会などなかったので、この世界で美味しいココアを堪能できて幸せである。心も身体も温まる甘さだ。
大人なユフィーリアは、熱された葡萄酒をチビチビと傾けていた。紙製の容器に注がれた葡萄酒には乾燥した輪切りのオレンジが乗せられている。葡萄酒を飲む姿など滅多に見ないのだが、酒が強いだけあって酔っ払うような素振りはない。
「それは美味しいのか?」
「ショウ坊が大人になったらな」
ユフィーリアはショウの頬を指先で撫でると、
「次はどこに行きたい?」
「そうだな……」
ショウは賑やかなクリスマスマーケットを見渡して、次に行きたい場所を探す。
「ノクトルヴィアのツリー前で告白をすると永遠に結ばれるって知ってる?」
「恋人の憧れよねぇ」
「いいなぁ、あたしも彼氏ほしい!!」
「そう言って『今年こそ作る』って意気込む割には出来ないのよね」
ちょうど友人同士で通りがかった2人組の女性が楽しそうに話していたが、興味のある話題である。
ノクトルヴィアのツリー、ということは街の中心に据えられた巨大なモミの木のことだろう。確かにあのツリーの前で告白されれば記憶に残るものになる。
ショウはじっとユフィーリアを見つめるが、彼女は静かに首を横に振った。
「ダメ」
「え、何で……」
「あのツリーは曰く付きだからな」
ユフィーリアは真剣な表情で、
「あのお嬢ちゃんたちは、あのツリーの噂を履き違えてる。あのツリーには呪いに呪いが重ねがけされてるから、ツリーの前で告白をしようものなら絶対に別れるぞ。喧嘩の絶えない恋人同士になる」
「『永遠に結ばれる』なんて嘘なのか?」
「昔は嘘っぱちじゃなかったんだけど、ツリーの前で告白すると結ばれるなんて噂が有名になったらモテない魔女や魔法使いがこぞって破局の呪いをかけにかけてるからな。現在進行形で」
遠い目で綺麗に飾り付けられたモミの木を見上げるユフィーリアは、
「あのツリーの噂に騙されるのは恋人のいない夢見がちな女の子だけだ。魔法をちゃんと学んでるとな、あのツリーがとんでもねえクソ呪物だってのが嫌でも分かる」
「ああ、だからハルさんに出かける際に『ツリーには注意しろ』って言われたのか」
「アイツ、魔法を使えないくせに神がかり的な第六感で呪いは回避するからな」
そういえば、ノクトルヴィアにデートしに行くと頼りになる用務員の先輩に伝えたところ、迫真の表情で「ツリーには注意してね」と言っていたのを思い出す。破局の呪いがかけられているとは誰も想像しないだろう。
しかも現在進行形である。今もなお、あのモミの木は綺麗な見た目とは対照的に呪いを受け続けているのだ。末恐ろしいことだ。
ユフィーリアは「そんな訳で」と話を変え、
「アタシはショウ坊と喧嘩の絶えない夫婦仲になりたくないので、別の場所をお勧めします」
「じゃあ、まだ分かんないから色々と見て回りたい」
「なら、しっかりエスコートしてやらねえとな」
差し出されたユフィーリアの手を握り、ショウは格好いい旦那様にエスコートされてクリスマスマーケットを巡るのだった。
《登場人物》
【ショウ】人生初のクリスマスマーケットでデートを堪能する異世界出身の少年。最愛の旦那様にエスコートされるデートは幸せだぁ。
【ユフィーリア】この世で最も愛する嫁の最高に可愛い姿を間近で見ることが出来て内心今にも死にそうだが、まだ死ぬ訳にはいかない。頑張って生きる。