記録番号000:哲学者から。
_やアやア、諸君。
先ず始めに、この文書に目を向けてくれたことに感謝しよう。
僕からは君らの顔すら見えないが、この文章を確かに読んでいることには変わりないのだから。
前置きは手短に済ませておきたいのだが。
そうだな、最低限の自己紹介でもしようかね。
私はニーシェ。
ニーシェ・ウェルダノンという。
職業は…見ての通り、哲学者だ。(優秀な諸君には私の姿が見えることを信じている)
なァに、哲学なんてそう難しいことじゃあないさ。
君たちだって哲学を日常的にしているのだよ。
さて、此処からが本題だぞい。
哲学とは何か?
包括的に言えば、物事の心理や本質を考える学問さ。
しかし君、実は哲学の明確な定義は決められていないのだよ。
それ故、哲学を哲学すること以上に優れた哲学の題材はないともいわれておる。
つまり、多少の哲学的論点のズレは許されることになる。
全体的に哲学が主題となっていればよいのだ。
もしかしたら私の考える哲学というものは諸君の認識とはすれ違っているかもしれない。
その時はこの点を是非とも思い出してほしいものであるぞ。
少し自分語りでもさせてくれたまえ。
私の考える哲学とはどんなものだろうか、気になっている諸君も居るのではないだろうか。
単刀直入に言えば、身の回りの物から世界を考えることなのさ。
私はあらゆるものが世界の縮小版ともいえると思っている。
より機能の多い物ほど例えやすいと言えるな。
例えば、栓の閉まった小瓶なんかはどうかな?
外の世界がどうであれ、小瓶の中は安全地帯になる。
しかし小瓶の中で騒動を起こしたりしたのならば、小瓶はたちまち内側からの圧力に耐えきれなくなって割れてしまうだろうねェ。
そして反対に、小瓶の外で小瓶を脅かすような異変があったのでも割れてしまうだろうよ。
この空想からいえることは、外の世界と内の世界の調和が要になるということだ。
ではここで、だ。
小瓶の中の世界を人間界、小瓶の外の世界を自然界、小瓶の膜を地球としたのなら?
人間界と自然界の共存が地球の保全に大切になると言えるだろう。
人間が権威を振るえば環境破壊に、自然が支配を広げれば人間の危機になる。
最も身近なところで言うと、地球温暖化の問題はこの哲学的説明で理に適うだろうね。
実はもう少し哲学を語りたかったのだが…これ以上は君たちも見飽きてしまうだろうから。
…あァ、そうそう。
最初の方に、哲学は無意識にやっているものだと言っただろう?
実を言うと、私は諸君の日常の哲学に興味があるのだよ。
そこで今まさに記録、及び執筆中なのがそんな主人公たちの日常哲学さ。
本当は記録番号001番から始めようと思っていたのだが、どうも作者として顔を出さずにはいられなかった。
日常哲学の記録は、些細な出来事で主人公たちが考えに浸ったり哲学をしたりする、といった内容だぞい。
もし興味のある人は宜しく頼むぞ。
ではでは、ここいらでお開きにするかね。
諸君とは良縁があることを願う。
Niecé Welldunon.