おばあちゃんのツリー
怪談話ではありません。宗教観のお話です。
私が尊敬する遠藤周作先生の小説では「神」を題材に書かれているものが非常に多いです。しかし、一般的に存在するキリスト教に出て来る神様と遠藤周作先生の神様は少し違っています。神様の存在は否定していませんが、その姿を見た者はいませんし、また、「沈黙」に代表されるように、師の描かれる神様は、奇跡も起こしませんし、直接、人を助けることもありません。ただただ無力なのです。
では神とは? もとい、宗教とは?
信じる心だと私は思っております。
おばあちゃんのツリー
ある家のおばあちゃんが、ある年の12月にお亡くなりになって、その一周忌法要が行われようとしていました。
その家は先祖代々からの仏教徒でした。宗派は伏せておきますが、まあけっこう厳格な宗派でありました。
親族一同、お仏壇の前にずらりと鎮座して、僧侶がお越しになり、さて読経が始まる準備をしていた時のこと。お仏壇のお供え物の端に、不思議な物が載っている。
それは、高さ10センチほどの緑色の折り紙で折られた、どう見ても「ツリー」でした。
驚いたのはお母さん。「すみません!」と血相変えてツリーを持ち去ろうとした時のこと。そのお坊さんが言いました。
「これは?」
「子供が勝手に置いたみたいです。すみません」
5才になる男の子、つまり、おばあちゃんのお孫さんの仕業でした。
お坊さんがその子供の方を向く。
その男の子は、叱られると思ったのか、少し怯えながら小さく言いました。
「おばあちゃんに、あげたいねん」
聞けば、その昔、宗教的な理由から、家にツリーがなかったことを悲しんだ男の子のために、おばあちゃんが折り紙でツリーを折ってあげたのだそうです。そしておばあちゃんが亡くなった後、、男の子は一人でツリーを折って、そっとお供えしていたと言うことでした。
そのお坊さんは、頷かれて、ツリーをそっと元の位置に戻された。
「このボクちゃんの、亡くなられたおばあちゃんに対する、やさしい、温かい心の中に、御仏がお住まいなのですよ」
お坊さんは笑みを浮かべながら、やんわりとおっしゃられました。
お母さんの頬に涙が光っていました。
私はこの話を聞いた時、本来、宗教とはきっとこういうものなのだろうと思いました。
了




