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怖くて悲しいお話たち  作者: 天野秀作
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人助け――ナナちゃん奇譚⑱

  人助け――ナナちゃん奇譚⑱ 


「ねえねえ聞いてよ」

 ナナちゃんはいつもの口調で話す。

「昨日めっちゃ朝遅刻してしもたんよ」

「なんで?」

「電車遅れて」

「そんなん不可抗力やろ?」

「ううん、そうでもないんよ」


 それはナナちゃんが毎朝乗る阪急でのお話し。

 ナナちゃんは自宅の最寄り駅、阪急高槻市駅から毎朝勤務先のデパートのある梅田まで通勤している。

 昨日の朝のこと。

 通常ならば、高槻市から大阪梅田まで、特急で4駅、わずか20分の距離だった。

 ところが、ナナちゃんの乗っていた車両のすぐ隣の扉前でそれは起こった。そんなに高齢ではない、おそらく60代ぐらいの白髪交じりの男性が急に胸を押さえてしゃがみ込んだのだ。

 車内は朝の通勤時でけっこうな混雑。とは言え、コロナ禍で時差通勤や自粛中の人も多く、平常時ほどの混雑ではないが、それでも席が空いていることはなかった。

 電車は茨木市を出たばかりで次の淡路駅まで少しの間があった。突然のことで、その男性を取り囲むように人垣ができている。

 皆が心配そうに見守る中、救命救急に素人なナナちゃんが一見しただけで、これは一刻を争うのだとすぐにわかった。なぜなら、騒然と見守るその人の中に、ナナちゃんは見つけてしまったからだ。

 そのうずくまる男性と同じ男性が、人垣に交じって自分を見ていたことを。


「やばいやばいやばいやばい……」

 ナナちゃんは心の中で呟く。茨木から淡路までのわずか8分。その8分が永遠にも思えた。早く早く!

 連結のドアが開き、車掌が走って来た。

「どなたか、医者か看護師さん! どなたかいませんか!」

 車掌は大声で叫んでいる。ナナちゃんにはもちろんそのような心得はない。ないが、その人垣につかつかと近付くと、周りの人がさっと道を開けた。

 看護師か、女医か、皆の期待がナナちゃんに向けられた。

 ところがナナちゃんが向かったのは蒼白な顔で腰をくの字に折って横たえる男の下ではない。

 車掌も、周りの人もポカンとしている中、ナナちゃんは、ぼんやり眺めるその男性に大声で言った。

「ちょっと、あんた、こんなとこで何、ぼんやり見てるんや! 早よ戻り!」

 男には聞こえていないのか、ただ黙って横たわる自分を見ている。人々の視線が一斉にナナちゃんに注がれた。皆、怖い表情だった。

 期待がみごとに裏切られた人々から「こんな時にこいつ何をわけのわからんことを」と、ナナちゃんをなじる声が聞こえるようだった。


 結局何もできずに電車は淡路駅に到着した。扉の向こうにはすでに担架を抱えた救護員が待機している。扉が開く。すぐに救護員が男性を担架に載せて連れて行こうとしていた。

 

『急病のお客様の救護活動を行っております。もうしばらく車内にてお待ちください』


 アナウンスが響く。幸い停車時間にはそれほど影響がないぐらいだったそうだが、ナナちゃんの問題はここから。担架を見送った後、何気なく車内を見ると、なんと、男がまだ残っている。

「あたしもうびっくりや」ナナちゃんがボヤく。

 すぐにその男に向かって大声で叫んだ。

 

 ――あんた! ボケっと何してんねん、いっしょに行けよ!! ついて行けやぁ! 


 きれいなお姉さんが、とんでもなく口汚く大声で怒鳴ったものだから、そのあまりのギャップに乗客がみんな恐怖に怯んでしまった。しかし、男はようやくナナちゃんの方を見た。


『お待たせいたしました。まもなく発車いたします』

 発車を知らせる歯切れの良いメロディが聞える。圧搾音が聞こえる。もう扉が閉まる。間に合わない! ナナちゃんは男の腕をつかんでいっしょにホームへと飛び降りた。ホームのだいぶ先に、救護隊員の後ろ姿が見えていた。

 ナナちゃんは、男がいっしょに降りたことを確認して、担架を追って走った。

 若い女性が、“たった一人”ホームをだーっと全力で走るものだから、皆がナナちゃんをあっけに取られて見ていた。

 担架を抱えたレスキューがエレベーターに乗り込もうとしていた。ナナちゃんの後をついて来た男は、ようやく事態が飲み込めたのか、慌ててエレベーターに乗り込んだ。

 その様子を見届けたナナちゃんは、一安心して周りを見た。ホーム中の人間、老若男女、子供までが、まるで危険物を見るようにナナちゃんを見ていた。

 「お客さん」

 振り向くと、駅員が怖い顔をして立っていた。


 「なあ、それであたしは駅長室行きや。どない思う? 人助けや言うてるのに誰も信じてくれへんし、そのせいでえらい遅刻するし、もう踏んだり蹴ったりやわ」

 

 もう、気の毒としか言いようがない。でもその男性、助かったかな。そうなら良いけれど。

 ナナちゃんの話では、男性はしっかり戻ろうとしていたようなので、たぶん大丈夫だったのだろう。ナナちゃん、人助け、お疲れ様でした。

                     了


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