No.2 喚び出し音
時刻は午後3時半。
あの補習の後、職員室に呼び出されて『奈緒ちゃんせんせい』からこってりとお説教を喰らった鈴音は、真夏の気だるさに自転車のペダルを漕ぐ気にもなれずに押しながら帰路についていた。
ジリジリと日焼け止めの上からでも焼かれそうな程の太陽に照らされ、鈴音は思わず手で額を拭う仕草をしながらボヤく。
「うう、あっつうい……。太陽が、太陽が乙女の肌を殺しに来てるぅ……」
よくテレビに出てくる「暑いぞ熊○市」で有名なあそこほどではないが、鈴音の暮らす市も例に及ばず熱い。そう言えば朝のニュースで最高37度とか言ってたっけな……とぼんやりする頭で思い出しながら、両手で自転車を押す。
そのままアスファルトで熱せられた空気の中を体感にして1時間以上――実際は左手に付けた腕時計の針は20分ちょっとしか進んでいないが、ともかく自転車と共に住宅街の中を歩いた鈴音はとある一軒家の前で足を止めた。
表札に「四ノ宮」と刻まれたその一軒家は、何を隠そう鈴音のマイホームだ。
自転車をガレージの隅に止めて、几帳面にもしっかりとダイヤル式のチェーンロックを掛けた鈴音は、パタパタと手のひらでうちわのように顔を扇ぎつつ、
「……あれ?そういえば車がないけど、みんな揃ってどっか出かけてるのかな?」
普段ならガレージを占拠するように駐車されている黒のセダンの姿がないことに首を傾げた。出掛けたなら連絡のひとつくらい寄越してよ……と少しムッとしつつスカートのポケットから携帯端末を取り出した鈴音は、そこで端末の電源をオフにしていたのを思い出す。
「あ、そっか、補習の前に切ってそのままだったんだ」
万が一補習中に携帯が鳴ろうものなら、あの融通の聞かない『奈緒ちゃんせんせい』によって情け容赦なく没収の憂き目にあうので切っていたのだ。
とりあえずいつまでも炎天下の屋外にいる訳にもいかず、玄関まで移動しつつ携帯の電源を入れると、メッセージアプリに母親からのメッセージが届いていた。
『なんかお隣さんに2名様までのプール無料券を貰ったからお父さんとふたりっきり(ここ重要)で行ってくるね!補習乙☆ざまぁwwww』
「……うわ、なにコレ、おもくそ煽られてるんだけど。っていうか2名様までってことは、どのみちわたしは行けないじゃん」
暑さでだいぶイライラが溜まっている鈴音は、大人気ない母親からのメッセージに思わず舌打ちした。
というか、万が一鈴音に補習の予定が無く家にいたとしても、おそらく行けない可能性が高い。
なぜなら四ノ宮家で唯一運転免許を取得している父は行くの確定だし、暑いのが歯医者とナスの次に嫌いな母も行くと言って譲らないだろう。最終的に考えられるのは母娘の仁義なきジャンケン戦争だろうが、今のところ戦績は異常に強い母が全勝である。
”どのみち行けない”という有り得すぎる可能性をさりげなくならまだしも前面に押し出して伝えてくるあたり、あの母親は悪意満点だ。
そのメッセージへ適当に『バ○ス!』とどこかの天空の城を崩壊させた滅びの言葉を返して携帯をポケットに押し込み、鈴音は持っていた鍵で玄関のドアを開けた。
「ただいまー!」
しぃん、と一瞬静まり返った家の中に思わずため息をつきつつ、鈴音は適当にローファーを脱ぎ散らかしたまま2階への階段を上がっていく。
そして、自室のドアへもたれ掛かるようにして開け放つと、制服も脱がないうちにベッドへと力なく倒れ込んだ。ぼすっと柔らかいシーツに体が沈み、スプリングが音を立てる。
「だあぅ……暑い……。もうなーんにもやる気しないわ……」
ぐだぐだ、と効果音が出そうなほどにだらける鈴音。とはいえ、さすがに窓を締め切った真夏の部屋の中でクーラーも付けずにベッドに転がるのは自殺行為だ。
クーラーのリモコンどこだっけ、と鈴音はベッドから起き上がりもせず、カメのように首だけを動かして部屋を見回していく。
床に散乱したラノベや漫画、机の上には作りかけのプラモデル、棚にディスプレイされたアニメのフィギュア、極めつけに壁にかかった縦1メートル以上ある水着の少女が描かれたポスター。
「あー、なんていうか、乙女の部屋ってカンジじゃないよね……」
どっちかって言ったらオタク部屋かな、とそう思わなくはないが、今更このレイアウトも趣味も変えるつもりは毛頭ない。
(ま、仕方ないよね。好きなんだからさ!)
どこか言い訳じみた思考を頭の中で漏らしつつ、鈴音は床に落ちていた白いクーラーのリモコンを足で引き寄せる。フローリングの上を滑ってきたリモコンを手で拾い上げ、そのスイッチを入れる。
途端に動き出したクーラーが冷たい空気を吐き出す――なんてことは無く、こういうのはしばらく待たないと動き始めない。仕方ないので、鈴音はその場しのぎとして落ちていた用途不明のプリントで扇ぎ始める。なにやらプリントにでっかく『物理・補習課題』という記載がなかったでもないが、気のせいだろうと鈴音は流す。
「はぁ……暇だな。たとえるなら、ゲームのイベントを思った以上に早くクリアしちゃって次のイベントまでレベリングみたいな単純繰り返し作業しかやること無い時くらい暇だ……」
ようやく冷たい風を送り出してきたクーラーの恩恵を全身で享受しながら『勉強』という概念を脳内から削除した鈴音はそうぼやいた。
その時、ポケットの中へ入れたままにしていた携帯端末から電車に乗って時を駆ける某特撮ヒーローのオープニング曲が流れ、着信を告げる。
「ん、着信……?誰からだろう」
もしかしたら、私の携帯番号を知っている奈緒ちゃんせんせいが携帯越しにお説教第2ラウンドを開始するかもしれないと最悪の想像をしつつ携帯を操作した鈴音は――思わず眉をひそめた。
なぜなら、着信画面に表示されていたのは、”非通知”の3文字だったのだから。
「非通知って……高校からじゃないよね?もしかしてオレオレ詐欺的なやつだったりして……!」
仮に予想通りオレオレ詐欺的なやつだったとしても、学生の身分を持つ人間にかけてくるのはかなり馬鹿としか言い様がないのだが、暇なところに降って湧いた多少興味をそそられる出来事に鈴音は電話に出て――
『ザ、ザザジッ……!ジジ、ザザ……ザザザッ!……ガガ、ジジザザザッ……!』
「の、ノイズ……デジタル化の波が到来しているこのご時世に!?なにこれ、呪いの電話か何か!?」
――早くも後悔した。
とっさにテレビの中からきっと来る白い服で髪を垂らした女の霊が脳裏をよぎるが、あれはフィクションだと自分に言い聞かせる。というか、そもそもの話あれは呪いのビデオだ。
「そ、そう、きっと相手側の電波が届きにくいんだ!そうだね、そうに決まってる!あっはっは、呪いなんてオカルトだよ、非科学的!時代遅れもいいところ――」
『――ザザ、ザザザッ――おジジッま――えザザザ――を――のジジザッろう――!』
「――――はうっ」
冗談抜きに驚きのあまり気絶しかけた。
聞き間違いだろうかと何度脳内でリピートしてみても、『おまえをのろう』と言っていた。
(いいいいいや待って、もしかしたら「お前を乗ろう」かもしれないじゃんってそれはそれで怖いし!のろう、のろう……そう、載ろう!って何に!?)
ひとりでボケとツッコミをこなす器用さを発揮する鈴音だが、つぎの瞬間、そのパニックを凌駕する衝撃が襲った。なぜなら、電話口の向こう側にいるであろう相手がこう続けたからだ。
『――聞こえて――ろうか――。もうオレ――この召喚――止められな――。――にかく、説明は――するから――来て――!』
相変わらずぶつ切りだがノイズは消えた通話を、鈴音は呆気にとられて聴いていた。だって、そのセリフは、鈴音のような人種が日々夢見るあの展開へのテンプレ導入に酷似していたから。
「――異世界、転移?」
呆然と、そう呟いた直後。
ずぐん、と強烈な眠気にも似た感覚が鈴音の脳を揺さぶった。睡眠薬でも飲んだような強制的睡魔に、抗っていた鈴音の意識は支配されていく。
きっと、場所がベッドの上というのも悪かった。
必死の抵抗も虚しく。程なくして鈴音のまぶたは閉じられ、その意識は別の世界目指して力強く飛翔していった