No.01 残滓の夢
さああ……っ、と雨が降っている。
鉛色の雲が厚く立ち込めた空から落ちてくる、無数の雨粒。
見渡す限りの廃墟。瓦礫の山。
生命の匂いがしない灰色の街を、わたしはひとり歩く。
パチャパチャと水溜まりを踏む度に水しぶきが跳ね、靴が濡れていく。それ以前の話、傘もささずに雨の中を歩いているため全身濡れネズミと化しているが、もう気にもならない。
□□□に頼まれて『□□□』を探すため。
何日もかけてここまで辿り着いたはいいが、この灰色の街――かつてはそれなりに大きく栄えた街は、ひとりで『□□□』を探すには広すぎた。これは失敗したと後悔しかけるが、今更どうにもなるはずがない。
そもそも、□□□がここに『□□□』が居るとは言っていたものの、その確証はどこにもない。本人は「ま……勘かな?」なんてふんわりと告げてきたが、
「はあ……このだだっ広い街中から、どうやって『□□□』を探せばいいっつーのよ……!」
思わず、愚痴がポロッと出た。
さすがにこの灰色の街では、聞いている人間どころか動物すらいないし、万が一いたとしても雨音で掻き消えてしまうだろう。ま、心の平静を保つための必要経費だとでも思って欲しい。
と、その時。
かつては馬車が行き交っていたであろう大きな道の真ん中を歩いていた私の視線の先で、何かが動いた。ふらふらと左右に揺れながら道を横切って行ったのは――紛れもない、人影。
「……ッ、ま、待って!」
今、この街に人は居ない――確実に。
まだ終わったばかりの《□□□□□》の影響で、ここに人が戻ってくるのは少なくとも半年後になるはずだ。ならば、わたしが探している『□□□』の可能性は極めて高いと断言してもいいだろう。
そう判断したわたしは、降る雨を掻き分けるようにさっき人影が通り過ぎた場所へ全速力で駆け出した。ものの数秒で着いた場所で人影が消えていった方向へ目を向ければ、今まさに、路地の角を曲がっていく後ろ姿。
「ちょっと――止まって――!」
その後ろ姿へ声を張り上げるが、その人影は振り向きもせずに角へ消えた。仕方なく、わたしはまたしても鬼ごっこの鬼役の気分で駆け出す。
すると、またしても角を曲がる後ろ姿。別段走るわけでもなく、早くもない足取りなのに、何故か追いつけない。もしかしたら――私自身、今の『□□□』とは顔を合わせたくないと無意識に思っているのかもしれない。
そして、その考えを否定するだけの材料はなかった。
わたしと『□□□』の間にあったことを思えば、それも無理ないかと言う気もしないでもない――むしろ、向こうもこちらに会いたくないのではないかとさえ。
だが、これは□□□の頼み事だ。わたしの私情を挟む余地はない――いや、その頼み事とわたしは1枚噛むどころか時計の歯車のようにガッチリ噛み合っているので余地がないとは言いきれないが、少なくとも挟むべき場面ではないだろう。
「ええい、こうなったら意地でも捕まえてやるっ!」
こうなればヤケクソ、体のギアを全開にして地面を蹴る。気分的には短距離走のスタミナ消費率でフルマラソン走るようなものだったが、幸いにも街中の路地を42.195キロも走ることは無かった。
そういえば昔は長距離走苦手だったっけね、と思わぬところで日頃の努力の成果を確認しながら、わたしは路地を曲がって曲がって曲がって――そして、追いついた。
いや、追いついたというのは正しいのだが、当初の目的通り捕まえたのかと問われれば答えはNOだ。その人影の主は、まるでわたしを待っていたように立ち尽くしていたのだから。
「――ッ、あ、えっと……」
その後ろ姿へ、わたしはコミュ障かとツッコまれそうな言葉を投げた。よく考えたら、見つけて捕まえることだけ考えていて、あったら何を話すかなんてこれっぽっちも頭の片隅にすら無かった。
さてどうしたものかと思案に暮れていたわたしは、そこで見た。ゆっくりと、ゆったりとした動作で、目の前の人影の主は振り返ったのだ。
――それは。
少年だった。
茶髪だった。
茶色の瞳だった。
目下にクマが出来ていた。
仮面をつけたような無表情だった。
そして――その瞳の奥には、奈落のごとき闇が蠢いているのが、わかった。変わらずに、晴れない闇が蠢いていた。
「―――『□□□』」
わたしはそっと、名を呼ぶ。
その言葉が効果を及ぼしたのか、はてまた偶然なのか。人影の主――もとい少年の体がぐらりと前へ揺れ。それを受け止めるように、わたしは全力で手を伸ばす――――
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スパーン!という小気味よい音と、不意に後頭部へ走った痛みに、少女の意識は迅速かつ正確に覚醒した。
「いっ……たぁーぃ!?」
ガタガタン!と立ち上がった少女は、その勢いで座っていた椅子を蹴り倒してしまっていた。そして、いきなり悲鳴をあげて立ち上がった少女へと、周囲の視線が集中する。
その驚きの視線の集中砲火の影響で、夢を見ていたせいでぼんやりした頭が次第に状況を思い出す。そう、今自分が居るのが高校の教室で、夏休み真っ盛りにもかかわらず補習を受ける赤点組のひとりなのだと――
とりあえず「す、すみません……」と頭を掻きつつ謝って倒れた椅子を元へ戻す。そして、それに座り直そうとして――スパーン!と、もう1発後頭部へ衝撃。
それと共に、背後から怒りを多分に含んだ声が少女の鼓膜へと響いてきた。
「おい、四之宮鈴音。私の補習で居眠りとはいい度胸じゃないか?」
「げっ、菜緒ちゃんせんせ……じゃなくて、加賀井先生……!」
少女――鈴音は、つう……っと頬を嫌な汗が伝うのを感じた。くるくると物理の教科書を丸めてメガホンのような形状の武器にした加賀井先生の、冷たい視線が突き刺さる。
黒髪をおだんごヘアーにした御歳38歳の物理教師は、ドスの効いた声で鈴音へと詰め寄る。
「いいか四之宮、お前もう2年生なんだぞ?しかも我が桜ヶ軌工業高校の。進路、もう考える時期だろう?」
「ええ〜?まだ夏休みじゃないですか」
「夏休みだから、だ!自由に時間を使える今だからこそ、自分の未来について考えてみろよ。言っとくが、3年になったらあっという間だぞ?」
「と、言われましても。わたし、就職希望ってもう決まってるんでノープロです!」
ぐっ!と笑顔でサムズアップすると、三度スパーン!という衝撃。その直後に、加賀井先生から直々に「お前、後で職員室来やがれ」とお呼び出しの予告を受ける。
それで一応は気が晴れたのか――それにしてはやけに諦めが多分に含まれたため息をついていた気がするが、とにかく教卓へ戻っていく後ろ姿を見て鈴音は自分の席へと腰を下ろす。
と同時に、横の席から伸びてきた手が私のスカートの裾をくいくいと引っ張った。
「……ちょっと、引っ張るならブラウスの袖にしてよ。スカート捲れたら一大事じゃない」
ぺしん、とその無礼な手を軽くはたいて文句を言うと、その手の主にして我が電子工作科2年に四十名中ふたりしか居ない女子生徒の片割れである少女、幡川美菜実はイタズラっ子のように笑った。
馬のしっぽみたいな短いポニーテールがそれに合わせて揺れ、それに鈴音の視線は釘付けになる。猫じゃらしで弄ばれる猫の気分だ。案外悪くは無い。
あの触り心地良さそうなポニテに触ってみたい、と心の中で悪い鈴音が素直な欲望を囁きかけてくるが、鋼の精神でこれを耐える。流石に煩悩が多すぎる、噂に聞く”除夜の鐘”とやらも検討してみるべきかと半ば真剣に考えてしまう。
「あっはっは、ごめんごめん。でも、鈴音のスカートの中身なんてだーれも気にしてないよ?」
「そんなことありませーん!仮にもJKのスカートだもん、需要ありありのまくりまくりですー!」
「ありありのまくりまくりって……なんか馬鹿みたいだね」
言ってから鈴音もそう思ったが、まさかストレートに言われるとは思わかなった。グッサリと鋭利な言葉がわりと豊かな胸へと突き刺さる。言葉は刃物、これ真実です。
と、そこで教卓の方から「オホン、ゴホゴホン!」と演技臭い咳払いが聞こえてきて、鈴音達は慌てて机の上に広げっぱなしの教科書類へ向き合う。
ちなみに、そのふたりへ教壇上の加賀井先生から凍てつくような視線が向けられていたのは、言うまでもない。
まさに、どこにでもあるような光景。
窓を締め切り、クーラーの効いたまさに現代の教室の中で、延々と続くような授業を聞いている鈴音は、ふと思った。
(そういえばさっきの夢、やけにリアリティーに富んでた気がしたけど、一体なんだったんだろう?)
拡げたノートに半自動的に、または機械的に黒板の文字を写し取りながら首を傾げる鈴音。そうしているうちにも、その夢はまるで一時の幻想のように薄れていく――
と、感慨深げなことを胸中でこっそりと呟きながら隣の親友の席を見てみれば、早くも机に突っ伏して睡眠状態だった。
「むにゃ。ノラえも〜ん……」
「って、青タヌキに助けられてる少年並みに寝るの早い!というか青タヌキ野生に帰ってるし!?」