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〈聴き手〉と払い師

作者: ginsui
掲載日:2019/06/22


 ザダをはじめに見つけたのは、村の小さな子供たちだった。

 よく晴れた秋の日の昼下がり。仲間と鬼ごっこに興じていたおさげ髪の少女が、勢いよく街道に走り出て、あやうくザダにぶつかりそうになった。

 少女は、驚いたようにザダを見上げた。大きな旅嚢を背負い、茶色い外套の頭巾を目深にかむった長身の男を。

 そして、さらに目を見開いた。

 他の子供たちも、ざわめきながらザダに近づいた。近くの豆畑にいた小太りの男がこの様子に気づき、急ぎ足で側に寄って来た。

「あんた」

 ザダをまじまじと見つめて、男はいった。

「精霊払いだね」

「ご名答」

 ザダは顔を上げ、にっと笑ってみせた。顔立ち整った、二十歳そこそこの青年だ。

 まぶしそうに細められた目は、薄い灰色。そして、頭巾からはみだした長い髪は、絹糸のようにまっ白である。白髪と薄色の瞳は、誰が見ても一目でわかる精霊祓いの特徴だ。

「ありがたい。誰かを街まで遣るつもりだったんだ。こんな田舎じゃ、いつ払い師がやって来るかわからんし」

「仕事かい」

「ああ」

 男は、大きくうなずいた。

「来て話を聞いてくれないか。みな頭を抱えているんだよ」

「いいだろう」

 街場や大きな村に定住しているのは、盲目となり、旅ができなくなった精霊払いだ。たいていの若い払い師は、視力が衰えるまで、ザダのように仕事を求めて諸国を巡る。断る理由はなかった。

 男は、ロムと名乗った。そうしている間にも、子供らは自分たちのわずかな知識をささやきあっていた。精霊払いの目は、太陽に当たりすぎると溶けて無くなってしまうだの、食べるのは精霊草だけで、精霊草を切らした精霊払いは七転八倒して死んでしまうだの、でたらめな噂話を次々と。みな精霊払いを目にしたのは初めてなのだ。

「これこれ」

 ロムはたしなめ、一番年長らしい少年に言った。

「ノイ、村長の所に行って祓い師が来たと伝えてくれ。〈聴き手〉の家で待っていると」

「わかった!」

 少年はぴょんと飛び上がって、一目散に駆け出した。他の子供たちも、わっとばかりに後に続く。

「〈聴き手〉のところに行くのか」

「ああ、そうだ。精霊払いが必要かもしれないと言ったのは、あの方なんでな」

「へえ」

 ザダはちょっと意外に思った。〈聴き手〉が率先して精霊払いを求めるなんて、自分たちの無力さを認めているようなものだから。

 〈聴き手〉は、それぞれの集落に一人づつ住んでいる。薬師であり、人々の相談役であり、死を看取る者だ。中でも、死に逝く者の心をなだめるのが一番の仕事。後悔や懺悔、恨み言、どんな話でも黙って聴き、心残りのないように送り出してやる。さもなければやっかいな精霊が生まれ、時に人々を悩ますことになる。

 まあもっとも、不慮の事故や突然死で〈聴き手〉をすり抜けて生まれてしまう精霊も少なからずいて、そういう連中に限ってたちが悪い。だからこそ、精霊払いの飯の種は尽きないわけだが。

 村はなだらかな丘陵ぞいに横たわっていた。日当たりのいい斜面に作られた果樹園、さまざまな葉野菜や根菜の畑。その間に板葺きの屋根を好みの色で塗った、可愛らしい家々が二十件ほどちらばっている。

 通りすがりの家の玄関脇や道端の木の下に、人の形めいたものがちらちらと漂って見えることがあった。水面から反射した光の彩のような影。これは、どこにでもいる無害な精霊。〈聴き手〉の働きあってか、穏やかな死を迎えた人間の思いの残り滓だ。放っておいても、時がたてば消滅する。

 ロムは小川にかかった木橋を渡り、ザダを一軒の家に導いた。この家の屋根だけ色が塗られておらず、大きさのわりには庭が広い。庭には大小の草木が所狭しと植え込まれていた。みな香草や薬草だ。刈り取ったものは、種類ごとに束にして、軒下にずらりと干してある。〈聴き手〉の住まいであることは一目瞭然。

「ゼラフィさん」

 ロムは戸を叩いた。

「いい案配に精霊払いが通りかかった。連れてきたよ」

「ありがとうございます」

 戸口に現れたのは、まだ少年と言っても通りそうな小柄な若い男だった。藍色の長衣をまとい、飾り気のない革ベルトをしめている。肩のあたりできっちりと切りそろえた黒い髪、けして表情を変えない取り澄ましたような顔つきは、これまでに何度か見てきた〈聴き手〉と同じものだが・・。

「あんたが〈聴き手〉?」

 ザダは思わず尋ねてしまった。

「はい」

「ずいぶんと若いな」

「ゼラフィさんは優秀なんだ」

 ロムが自慢げに口をはさんだ。

「二年前には修養課程を全部終えて、この村に赴任した。若くてもりっぱな〈聴き手〉だよ」

「ほう」

 王立の養成所に入り、多くの修行と試験を経た後、許されたものだけが〈聴き手〉の認可を受ける。この歳で村ひとつ任されるとは立派なものだ。

 通された家の中は、苦いような甘いような、なんとも言えない薬草の匂いがしみついていた。石組みの暖炉の火の上には鍋がかけられ、今も何かの葉が煎じられている。薬の調合台と食卓をかねているらしい古びた木のテーブルに椅子二つ。出窓の下にも長椅子があって、青っぽいキルトのカバーがかけられていた。炊事場の入り口の脇に立てかけられた梯子は、屋根裏部屋に上るためのものだろう。そこが〈聴き手〉の寝室になっているらしい。

 ザダは勧められるまま長椅子に腰を下ろした。

「ちょっと失礼させてもらうよ」

 頭陀袋の中から煙管を取り出し、もみほぐした精霊草を詰めて暖炉の火をかりる。深々と煙管を吸い、青白い煙を吐き出した。

「噂は本当なのかね」

 ロムが興味深げに尋ねた。

「その精霊草を吸えなくなると、あんたたちは死んでしまうというのは」

「たぶんな」

 ザダは鼻を鳴らした。

「試してみる気はないが」

 はじめに精霊草の効用を見つけた人物は、たいしたものだとザダは思う。精霊草は乾燥した土地に群生する、白茶けた雑草のような植物だ。その細長い葉を口に入れれば、たいていの人間は死んでしまう。しかし、よく乾かして煙草にすれば、ある種の人間に力をもたらす。普通の人間の目には見えない精霊が見えるようなるのだ。修行次第では、精霊に対抗する〈力〉も持てる。

 ただし、やっかいなのは副作用だ。精霊草は吸う者の髪を白くし、瞳の色を薄くする。やがて精霊祓いは視力を失い、見えるのは精霊の姿だけということになる。禁断症状も深刻で、まず一日吸わなければ命にかかわると言われている。精霊払いになった者は、死ぬまで精霊払いでいなければならないわけだ。

 戸口で声がして、村長らしい大柄な老人が入ってきた。白髪混じりの、痩せた初老の男をひとり連れている。

 村長はゼラフィと挨拶を交わし、ザダの前に進み出た。

「ようこそお出で下さった、精霊払いどの。わしはこのオオヴ村の長でカクスと申します」

「ザダだ。お困りごとを聞かせてもらおうか」

「はあ」

 ゼラフィが椅子を持ってきて、村長と男を座らせた。男はがっくりと肩を落とし、そのまま両手で顔をおおった。

 村長は、力づけるように彼の肩を叩いた。

「この者は、ハン。祖父の代から大工をしています。妻のイーリは、隣のマーロ村から嫁いで来ましてな、三日前、所用があって実家に出かけました。森一つ抜ければマーロで、女の足で半時も歩けば着く距離です。翌日には帰るからと言い残したそうですが、その日も次の日も帰ってこなかった」

「いままで、なかったことだ」

 ハンは疲れ果てたように首を振り、話を続けた。

「何かあったにちがいない。わしは心配になって、今朝方、せがれを迎えに出しました。倅は血相変えて戻って来た。マーロの様子がおかしいと。わしも倅について行ってみましたさ。そしたら・・」

 ゼラフィがお茶を入れ、みなに配ってくれた。薄緑色の香草茶だ。さわやかな香りがする。

 ハンは気を落ち着けるようにごくりとお茶を飲み、大きなため息をついた。

「どうしたってマーロ村に入ることができなかった。近くまで行くと、それ以上先に進めない。何かに押し返されてしまうんだよ。どこの道をとってもおなじだった。まるで、マーロ村全体が、見えない壁に取り囲まれているようだった。こんなことってあるかい? おれは、大きな声で呼びかけた。村のすぐ入り口に顔見知りの鍛冶屋の家があるからな。だが、返事は無い。向こう側は、おかしなほどしんとしている。地面に落ちた葉っぱすら動いていないんだ」

「おれたちも行ってみたさ」

暖炉の前に腰を下ろしていたロムが言った。

「村の何人かの男とゼラフィさんと。ハンの言った通りだった。驚いたな。石を投げても空中ではね返されてしまうんだよ。マーロで尋常ならざることがおこっている。これは普通の人間の手には負えないことだとゼラフィさんが言った。で、あんたが来た」

 ザダは煙管をくわえたまま、ゼラフィを見やった。ゼラフィは、つつましくテーブルの脇に立っていた。

「精霊の仕業かどうか、何ともいえないな」

 ザダは頭をぽりぽり掻き、正直なところを口にした。

「はじめて聞く話なんだ。精霊はたいてい人に憑いたり、ひとつの物事に執着したりする。話のように、まるまる村ひとつ抱え込むというのは、よっぽどの念が残ったか、新種の何かなのか・・。心当たりはあるのかい?」

 ゼラフィ以外の者たちは、そろって首を振った。

「マーロでまっとうでない死に方をした者がいれば、必ず耳に入ってくるはずですからな」

 村長がいった。

「どこからか流れてきたとか・・」

「ふうん、ありえないことではないが。古くて力ある精霊の中には、ただただ人間に悪さをするためにだけさ迷っているものもいるらしいよ」

 ザダは懐からなめした革の小袋を取り出して、煙管の灰を丁寧に落とした。

「ともあれ、そこに連れて行ってもらおうか」

 ついと立ち上がり、

「この目で見ないことには、はじまらないからな」


                      *


 ザダはゼラフィと並んで落ち葉の積もる小道を辿った。村長とロムと、仕事の手があいている村人数人がハンを取り囲むようにして前を歩いている。

 森の木々はいい具合に色づき木漏れ日を撒き散らしていた。散策にはもってこいの気候だ。行く先に待ち構えているものがなかったら。

「マーロにも〈聴き手〉はいるんだろ?」

 ザダはゼラフィに尋ねた。

「いました」

 ゼラフィは答えた。

「いた?」

「亡くなったのです。一月前に。急な熱病でした。新しい〈聴き手〉が来るまで、わたしが兼任しています」

 ザダは眉を上げた。

「誰が看取ったんだ」

「わたしです」

 表情を変えることなくゼラフィは言った。

「呼ばれた時には手の施しようがありませんでした。ずっとお一人で、無理なさっていたのでしょう」

「〈薬〉は使ったんだろ?」

 ゼラフィは一呼吸おき、首を振った。

「バグドさんは、いらないと。わたしが生まれる前からマーロで〈聴き手〉をなさっていた方なのですよ。ここに来た当初、何度も相談にのって頂きました。尊敬していました。あの方の死には、〈薬〉も〈聴き手〉も必要ないと、ただ看取っていればいいと、わたしは思ったのです」

「で?」

 いささか皮肉っぽい口調でザダは尋ねた。

「どうだったんだ」

「最後にバグドさんは目を見開いて、何か言いたげに見えました。でも、一瞬のことです。もう次には、息をひきとっておられました」

「あんたが真っ先に精霊かもしれないと思ったのは、そのバグドの死がひっかかっていたからなんだな」

「わかりません」

 ゼラフィは目を伏せた。

「もし、わたしの〈聴き手〉の力がいたらず、バグドさんが精霊になったとして、マーロ村に災いをもたらすことなどあるでしょうか。バグドさんは、本当に自分の村を愛しておられました」

「死んだ人間と精霊は別個のものだ。死者がそのまま精霊になるわけじゃない」

 ザダは説明してやった。

「精霊に理性を求めても無駄なことさ。やつらを生み出すのは、死ぬ間際の強い思いや心残りだ。それが増幅して、時々手のつけられないものになる。だからあんたたちは〈薬〉を使うのだろう」

「はい」

 この世界のあらゆるところに精霊の〈もと〉は漂っている。それ自体は無色透明、人畜無害。この世界に人間が現れなければ(大昔、人間は星船に乗ってこの世界に降り立ったという)、〈素〉は永遠に空気のような存在のままだったろう。しかし、人間が住み始めたとき、あることが起こった。〈素〉は、死に際の人間の思いや記憶を吸い上げて、精霊と化すのだ。恨みをのんだ死だったり、生への執着が強いほど精霊の力はまがまがしいものになる。

 この世界に住みつづけるために、人間はなんとか精霊と折合いをつける方法を見つけ出そうとした。

 〈聴き手〉、そして精霊払い。

 人に害なす精霊を追い払うのがザダたちの仕事なら、精霊が生まれないように努めるのが〈聴き手〉の仕事だ。〈聴き手〉に求められるのは冷静な判断力、何事にも動じない心と許容性。死を迎える人間が心残りの無いように黙って話しを聴き、すべてを受け入れてやる。それでもだめな時は〈薬〉を使って安楽な死に向かわせる。

 死を迎えるときは〈聴き手〉とて例外ではないはずなのに、バグドは〈薬〉を望まず、ゼラフィは彼に従った。もしマーロの精霊がバグドのものなら、バグドは自分をかいかぶりすぎていたのだ。世の中、そんなに達観した人間がいるわけがない。

「あのあたりですよ」

 ロムが立ち止まり、森から続いている小道の先方を指差した。

 それ以上進もうとしない村人たちを尻目に、ザダはどんどん近づいて行った。目をこらすと、確かに精霊の痕跡があった。

 精霊払いの目には、精霊やそれに付随するものが特有の輝きを帯びて見える。精霊はそれぞれ微妙に違った色を持っていて、力のある精霊ほど鮮やかに輝いている。

 他の人間には見えない壁のように感じられるそれは、鈍いオレンジ色の光を放って立ちはだかっていた。手を触れると硬質の感触。来るものを拒んでいる。あるいは、中のものを逃さないでいる?

 ザダは煙管の灰を入れた袋を取り出して、中身を両手のひらに擦りつけた。

「あんたたちは、ここにいてくれ」

 ゼルフィに言う。

「やっぱり精霊らしい。入ってみる」

「わたしも行きます」

 ゼラフィは言った。

「自分で確かめたいのです」

「あんたに精霊は見えない」

 ザダはぴしゃりと言った。

「無駄なことはやめてくれ」

 何か言いかけたゼラフィを無視して、ザダは両手をオレンジ色の壁に伸ばした。〈力〉を両手のひらに集中すると、固い壁がたわんできたような感触があった。ザダはかまわず押し続けた。突然抵抗が失せ、勢いあまったザダは転がり込むようにマーロ村に足を踏み入れていた。


                     *


 ザダは後ろを振りかえった。壁は、破れ目もなく村を閉ざしている。ゼラフィや他の者たちが、息を呑むようにしてこちらを眺めている。ザダは、彼らを安心させようと軽く手を振ってみせた。

 それにしても、なんて静かなんだ。

 一切の物音が聞こえない。そして、あたりは息苦しくなるほどの異様な〈力〉に満たされていた。夕暮れにも似たにじむような光は、ザダをからめとり、押し戻そうとしていた。妙にねっとりとした質量感のある光だった。ともすれば思考も身体の動きも怠慢になり、そのまま押しつぶされてしまいそうになる。

 ザダは大きく息を吸い込んで、自分の〈力〉を集中した。精霊の〈力〉を跳ね除けて、前へ進んだ。

 すぐ近くに家があった。ハンが言っていた鍛冶屋の家だろう。

 ザダは近づき、ぎくりとした。

 家の扉を空けて、今しも一人の男が外に出てこようとしていた。そう、確かに家を出るつもりだったのだ。しかし、上半身と右足は戸口の外に、左足は空に浮かしたまま、ぴくりとも動いていなかった。

 ザダは男にそっと触れてみた。身体はどうやら温かい。家の中をのぞき込むと、彼の妻らしい婦人が食卓を片付けようと皿に手を伸ばしていた。彼女もまた、石化したように動かない。

 家畜小屋の牛や鶏も同じことだった。鍛冶屋の家ばかりではなく、行く先々すべてが動きを止めていた。井戸端では、くみ上げた水が水差しに入ることなく空に留まっていた。もちろん、水桶を手にした若い女も、その足元にからみつくようにしている小さな子供も。畑に出かける途中らしく、鍬を担いで道を行く男、庭先に洗濯物を干そうとしている女、日常のなにげない一瞬が、そのまま切り取られたかのように。

 時間が止まっているのだ。

 ザダは確信した。

 精霊の仕業か?

 しかし、何のために。

 ザダは心を伸ばし、精霊の〈力〉の源を辿っていった。強い〈力〉の塊が感じられた。ゆっくりと、そちらの方に歩いていく。

 あんのじょう、と言ったらいいか、村のはずれにゼラフィのものとよく似た様子の家があった。庭の広い〈聴き手〉の住まいだ。

 玄関の前に、ほっそりとした少女が立っていた。驚いたように目を見開き、両手を口に持っていく、その瞬間のまま動かずに。

 金色の髪を一本のお下げに結い上げた美しい少女だ。彼女の足元には、一人の男が跪いていた。

 男は長い衣をまとい、髪の毛を肩の上で切りそろえていた。身体全体が、濃いオレンジ色の輝きを帯びている。まぎれもなく、バグドの精霊。

 精霊は、きっと顔を上げてザダをにらんだ。少女と同じ年のころの、若い男の顔をしていた。精霊はたいてい死んだ時の姿をしているが、一番強く思いが残っている時代の姿をとることもありえないことではない。

 では、この少女は? 

考えている暇は無かった。精霊を包んでいる光は、まぶしいほど輝きを増した。侵入者に激怒していることは明らかだ。

 立ちあがった精霊は、ザダに向かって大きく両手をひろげた。精霊の身体は見上げるほどに伸び上がり、めくるめく投網となってザダに覆い被さった。

 光の束にぐるぐると巻きつかれているようだった。きつく締め付けられ、身動きひとつできないありさまになる。

 精霊の冷笑が感じられた。このまま押しつぶしてしまうつもりなのだろう。

 精霊が勝ち誇っている間に、ザダは自分の持てる〈力〉を集中した。ほんの僅かな油断をついて、一気に〈力〉を解き放った。

 一瞬、身体の自由がきく余裕が生まれ、ザダは懐の精霊草の灰を振りまいた。精霊はこれが苦手なのだ。

 バグドの精霊は、身をかわすように縮まった。今度はザダが〈力〉で精霊を押さえつけた。精霊には実体がない。彼らと戦う精霊払いは、精霊草で高められた精神力で〈力〉を生み出し、それを精霊にぶつけるしかないのだ。

 精霊は、ますます縮まった。ザダは〈力〉をゆるめず、それにそろそろと近づいていった。

 と、空気の感じが変わった。風が頬に触れ、空に浮いていた落ち葉が地面に舞い落ちた。まわりが、たちまちまぶしいほどの明るさになる。太陽が高々と空にかかっていた。

 時が戻ったのだ。精霊はザダに抵抗することに必死になり、マーロの時間を止めていることができなくなったのだろう。

 少女が悲鳴を上げた。

 ザダは思わず彼女を見やった。彼女は、みるみる変化していった。金色の髪は色あせ、体形は崩れて肉を増した。両手の指は節くれ立ち、甲にくっきりと筋が現れた。顔にはいくつかの染みが浮かび、目じりや口元に刻まれつつある皺・・。老いの入り口にさしかかった、ひとりの婦人がそこにいた。

 彼女は、その場にどさりと倒れ込んだ。

 ザダが彼女に気を取られた瞬間、精霊はかき消えた。

 ザダは舌打ちした。とり逃がしてしまったか。

 婦人を抱え起こし、気を失っているだけだとわかり安心する。しかし、精霊はどこに逃げたのか。

 ザダは立ちあがってあたりを見まわした。村を覆っていた精霊の気配はなくなっている。村人たちは、何が起こっていたのか気づくこともなく、いつもの日常をはじめているはずだ。

 こちらに駈けて来る人影が見えた。ゼラフィだ。村を閉ざしていたものがなくなり、追いかけてきたのだろう。

 ザダは眉を上げた。ゼラフィの姿がやけにはっきりと見える。ザダの視力は年々衰えていて、遠目はあまりきかないはずなのだが。

 ゼラフィが近づき、ザダは顔をしかめた。彼の姿は、見慣れたオレンジの輝きを帯びていた。精霊憑きの証拠だ。バグドの精霊は、ザダのもとを逃れてゼラフィに入り込んだらしい。

 ゼラフィは表情も変えず、無言でザダに殴りかかった。ザダは身をかわしたが、不覚にも足がもつれて転んでしまった。

 肉体的な戦いは、もともと得意な方ではない。ゼラフィの鋭い足蹴りを背中に受けて、思わずうめいた。ゼラフィは執拗に蹴りを加えた。そのつど息ができなくなるような激痛が襲った。

 それもそのはず、ザダはちらりと考えた。〈聴き手〉は医学を学んでいる。どこが人間の急所かは、先刻ご存知だろう。しかも精霊憑きになると、普段の数倍もの力を出すことができるのだ。

 ゼラフィに憑いた精霊は、もはやザダに対する憎しみしかないようだった。ぐったりしたザダの横腹を蹴り上げて仰向かせると、馬乗りになって両手を首にかけてきた。

 ぐいぐい首を締め上げるゼラフィの手は、まるで鋼のようだった。ザダは必死でその手を振り払おうとした。遠ざかりそうな意識を奮い立たせ、思いきりゼラフィの手に噛みついた。

 ゼラフィは一声叫び、左手首を押さえて退いた。人間に取りついた精霊の、一番の弱点は痛みだった。精霊の〈素〉は、痛みという感覚を知らない。精霊となって人間に取りついて初めて味わうそれは、連中にとって凄まじい衝撃になる。

 精霊を人間から引き離し、力を失わせるには出血を伴うもっと鋭い痛みが有効だ。ゼラフィが気の毒ではあったが、この際しかたがない。ザダはぜいぜい咳き込みながら、腰帯に吊るした小刀に手を伸ばした。怒りにまかせて飛び掛ってくるゼラフィの左の二の腕あたりに突き刺した。

 泣き声とも罵り声ともつかない声がゼラフィからもれ、彼は倒れるようにうずくまった。

ゼラフィの身体から、精霊の痕跡がかき消えた。

 かわりに、横たわる婦人の前に立ち尽くすバグドの精霊が見えた。

 精霊の輝きは、明らかに鈍くなっていた。その姿も、しだいに薄くなっていく。もう悪さをする力は残っていないだろう。他の無害な精霊と同じように、風に漂い、やがて静かに消え去るだけだ。

 ゼラフィが小さくうめいて顔を上げた。自分の腕の傷を、まじまじと眺めている。

「すまないな」

 ザダはその場に座り込み、身体中の痛みに顔をしかめながら懐をまさぐった。

「あんたの手当てをしてやる余裕はないんだ」

 煙管と火打ちを取り出し、やっとのことで火をつける。深々と煙を吐き出すと、ようやくこちらにやって来るロムたちの姿が見えた。


                     *

 

 かつての金色のおさげ髪の少女は、ハンの妻のイーリだった。

 おそらくバグドは若い時代に彼女に恋をし、彼女が嫁いでもずっと思い続け、死の時ですら忘れられなかったのだろう。

 たまたま彼女がマーロを訪れた時、バグドの精霊は彼女を見つけ、とっぴょうしもないことをやってのけた。自分たちの時間をひきもどしたのだ。

 その力は、まわりにも影響を及ぼした。マーロの時の流れは止まってしまった。バグドがもっと長く力を及ぼしていれば、マーロの時間もまた、逆行していたかもしれない。

 しかしバグドの精霊は力つき、イーリは妙な衝撃を受けた他は何も覚えておらず、マーロもオオヴも平穏に戻った。

 オオヴ村の家に戻ると、ゼラフィは片手でザダの怪我と自分の傷を手当てした。村の女たちがかわるがわるやってきては、汚れた服の洗濯や、夕食作りの世話をやいた。

 二三日ここで休養すればいいと村長は言ってくれ、ザダもありがたく従うことにした。 村人たちがみな帰った夜、ザダは長椅子に座って精霊草をふかしていた。ゼラフィが、ザダに黒っぽいお茶をもってきた。

「痛み止めが入っています。寝る前に貼り薬も取り替えますから」

「ただの打撲だ、放っておいても治る」

 ザダは、ゼラフィのだらんと垂れたままの左手を眺めた。

「あんたこそ無理するなよ。悪かったな、深く傷つけてしまって」

「お詫びするのは私の方です」

「精霊がやったことだ。気にすることはないさ」

 ゼラフィは軽く首を振った。

「意識はあったのです。ただ、どうすることもできませんでした。わたしの中のバグドさんを止めることはできなかった。あの方の妄念は凄まじいものでした」

「精霊には理性がない。バグド本人とは違うだろう」

「ですが、生み出したのはバグドさんで、そうさせたのは私です」

 ゼラフィは、言った。

「わたしは、バグドさんのことを、何もわかってはいませんでした。あの方に思い残すことはないなんて、考えるべきではなかった」

「バグドだって、わからなかったろうさ」

 ザダはお茶を一口飲んで、苦さに顔をしかめた。

「自分のことを。よき〈聴き手〉の中にずっとおしこめてきた。死の直前になってはじめて、いろんな後悔がおしよせたんだ」

「わたしは、〈聴く〉努力すらしませんでした。バグドさんの思いを」

 ゼラフィは、ザダに背を向けた。

「あんたには、話したくなかったと思うよ」

 ザダは煙管に草を詰め替えた。

「バグドは〈聴き手〉の手本でありかったんだ、たぶん。あんたにとっての」

「そう、かもしれませんね」

「だが、うまくいかなかった。すべての〈聴き手〉の死に際には〈薬〉を使えというのがおれの持論だな」

 こちらを向いたゼラフィの少年じみた顔からは、あいかわらずどんな表情も読み取れなかった。

〈聴き手〉というのも難儀な生きものだ、とザダは思った。〈聴き手〉の多くは、ほんの五六歳のころから養成所に入れられる。みどころがある賢そうな子供が、国中から集められるのだ。それから十数年は、修行と試験の毎日だ。一般教養と医学はもちろんのこと、人間の心の動きの機微、これから受けるけるであろう相談や悩み事への対処方、人の臨終にあたっての心構えなどなど。何より重要なのは、どんなことにも動じない自己統制力を身につけること。

 そして認可を得た〈聴き手〉は、はじめて世の中に足を踏み出す。いかに頭で学んでいても、実際に経験しながら世俗で生きていくことには何かしらの葛藤があるはずだ。バグドのようにそつ無く〈聴き手〉の仕事をこなしてきた者でさえ、死の間際の妄念から逃れられなかったではないか。

「あんたは」

 ザダは、すこしばかり意地悪な気持ちで尋ねてみた。

「〈聴き手〉になって、後悔したことはないのかい」

「後悔?」

「他の生き方をしてみたいと思ったことは?」

「わたしは、〈聴き手〉になるために育てられました」

 食卓の椅子に腰を下ろしたゼラフィは、静かに自分のお茶に口をつけた。

「こうなることしか知りません。後悔しようがないでしょう」

「オオヴ村の〈聴き手〉として一生を終えるわけか」

「わたしはこの村が好きですよ」

 ゼラフィは言った。

「気候は穏やかで四季折々の景色が美しい。暮らす人たちもみな優しくていい方ばかりです。オオヴに赴任してよかったと思っています」

 ゼラフィは両手で茶碗を持ったまま、ザダに向き直った。

「あなたはどうなのです?」

「おれ?」

「どうして精霊払いに?」

 ザダは眉を上げ、苦笑した。

「〈聴き手〉を頼んだ覚えはないんだが」

 ゼラフィが、ほんの少し微笑んだようにザダには見えた。秋の夜長だ、自分の生い立ちを語るのも悪くはないかもしれない、とザダは思った。こんな商売では、枕辺に〈聴き手〉を迎えて一生を終えるとは限らないし。

「おれも、なるべくして精霊払いになったようなものさ」

 ザダは言った。 

「ものごころついた時には孤児だった。村の精霊払いが、引き取ってくれた。ほとんど目が見えなかったので、身の回りの世話をする者が必要だったんだ。いっしょに暮らしているうちに、彼はおれにも精霊払いに向いた力があるんじゃないかと思うようになった。おれが十五になった年、精霊払いはおれに精霊草を差し出した。これを吸うか吸わないかは、じっくり考えておまえが決めろ。吸ってしまえば、後戻りはできないから・・。で、ここにこうしているわけだ」

 ザダは手の中で煙管をもてあそんだ。使い古されて地色がわからないほど黒ずんだそれは、師である精霊払いの形見だった。

 ザダに煙管を渡して二年ほど後、病に伏せた精霊払いは死期を悟って〈聴き手〉を呼んだ。〈薬〉を飲み、あっけなく逝ってしまった。

 幸福な最後だったと思う。精霊払いに失敗して非業の死をとげた連中が、反対に精霊になってしまうのはよく聞く話だから。

 自分がどうなるかは、あまり想像したくなかった。ただはっきりしているのは、自分の視力が年毎に衰えてきていること。あと数年もすれば、闇と精霊だけが見える世界が待っているということ。

 あの時、精霊草を返していたら、別の生き方が待っていたろうに。そう思わないではなかった。しかし、もし精霊祓いにならなかったら、今ごろは自分の平凡な生活に愛想をつかしているかもしれない。どっちが後悔したかなんて、最後の最後にならなければわからないだろう。あるいは、その時になっても答えは出せないかも。

 ザダは、ひとり苦笑した。お茶を飲み干そうとして、ふと、耳をすました。

 遠くの方から、風の唸りが聞こえてくる。今まで静かだったのに。

 波音のような木々のどよめきは、こちらに押し寄せて来るようだった。窓や戸口ががたがた鳴った。立ち上がったゼラフィが窓辺に歩み寄る間もなく、凄まじい突風が家を襲った。

 柱という柱が軋みをあげ、ゆがんだ窓枠からガラスが砕け散った。カーテンは千切れ、部屋中のものがひっくりかえった。

 頭をかばってしゃがみ込んだザダは、暖炉の炎が生き物のように身を縮め、丸くなるのを見た。次の瞬間、炎は花火さながらに四方へ弾け飛んだ。室内はたちまち火と煙に包まれた。

「ここはだめです」

 ゼラフィが言った。

「逃げましょう」

 ゼラフィと共に、ザダが頭陀袋ひとつ持って戸口から飛び出した時には、家中の窓から炎が吹き出していた。

 庭に立って、ザダはあたりを見まわした。あの風が尋常のものだったはずはない。

 熱気をはらんだ大気の中に、ザダは精霊の気配を嗅ぎ取った。

 バグドが復讐に?

 いや、彼にはそんな力は残っていないはずだ。他の精霊が狙いすましたようになぜここに。

 ゼラフィの家は、火花を撒き散らし、勢い良く燃え上がっていた。ゼラフィは、あっけにとられたように、それを見上げていた。

「ザダさん」

 ゼラフィはザダに向き直った。

「何が起きたのです?」

 それには答えず、ザダは目を凝らした。立ち昇る炎の上に、青白い輝きを帯びた人影があった。それは、嬉しくてたまらないといったような笑い声をたてていた。

「聞こえないか?」

 ザダはささやいた。

「笑っている」

「精霊、ですか?」

「ああ、たぶん」

「たぶん?」

「なぜだろう。あいつの顔は、あんたそっくりなんだ」


                     *


ゼラフィは、ザダの視線を辿り見た。もちろん、その瞳には燃え盛る炎しか移らなかったろうが。

 精霊は炎の高みで胡座をかいていた。ザダを見下ろし、さらに不敵な高笑いを上げた。まぎれもなくゼラフィの顔だ。表情を剥き出しにしている分だけ、むしろゼラフィより人間くさく見える。  

「あんたには、そっくりな兄弟とかいなかったかい?」

「いえ」

 ゼラフィは首を振った。

「なぜ、わたしの顔の精霊が?」

「こっちが知りたい」

 めぐるましく考えながら、昔聞いた話を思い出した。ごくまれにだが、生きている人間の思いを吸いとって生まれる精霊もいるという。そこにたまたま漂っていた〈素〉が、普通のものより反応しやすい感性を持ち、その人間の思いがことさらに強い時に。

つまりは生霊だ。

 バグドの一件は、ゼラフィの心の奥のどこかをこじ開けてしまったのかもしれない。〈聴き手〉というやつは、表に感情を出さない分だけ、中に鬱積した思いを抱えているのかも。

 火事に気づいた村人たちが、てんでに水桶を持ってこちらに駈けて来るのが見えた。精霊は、高々と上げた両手を振り下ろした。炎からいくつもの火の玉が飛び出し、家々の屋根や木々に降り注いだ。村のいたるところ火の手が上がった。

 人々は、近くの火を消し止めるのにおおわらわとなった。精霊は、それを見ながら身をよじってきゃっきゃと笑っていた。

「おれが悪かったんだ」

 ザダはつぶやいた。

「あんたに、〈聴き手〉になって後悔していないかなんて訊いてしまった」

 あの時、ゼラフィは軽く受け流した。しかし、自問し続けていたのだろう。もし自分が〈聴き手〉でなかったら。何にも囚われない自由の身であったなら。

「そこにいる精霊は、わたしと関係あるものだと?」

「生霊だ。たぶん、あんたの」

 ゼラフィは、まじまじとザダを見つめた。

「あいつは、この村を消してしまいたいんだ」

「バグドさんのようになったらどうしようと、不安を覚えたことは確かです。〈聴き手〉として、最後までやっていけるかと」

 ゼラフィが言った。

「ですが、なぜわたしがオオヴ村を・・」

「言っただろ、精霊に理性はない。短絡的な連中なんだ。この村さえなくなれば、すべてのしがらみから開放されると思っている」

「止めなくては」

「ああ」

 火の玉は、二人の頭上を超えてさらに投げつけられていた。村人たちは叫び交わしながら必死で火を消そうとしている。

 ザダは頭陀袋の中から精霊草の塊を取り出して、炎の中に放り込んだ。精霊草はぱちぱちと弾け、紫色の火花を上げた。          

 燃え上がる精霊草に精神を集中する。それは勢いよく上昇し、精霊の足元にぶつかった。

 精霊はぎゃっと叫んで飛び退った。体制を立て直す間を与えず、ザダは〈力〉を放って精霊を押さえ込んだ。

 ぎりぎりと締め上げ、こちらの方に引き寄せる。

 かたわらで、ゼラフィが胸を押さえてうずくまった。ザダは思い出した。生霊は、他の精霊よりもあつかいにくい。どこかで本体の人間と結びついていて、生霊を払おうとすれば、その人間も何かしらの痛手を受けるらしいのだ。

 ザダの〈力〉が弱まるや、精霊は怒りのまなざしを向けて手を振り回した。火の玉がつぶてのように襲いかかってくる。ザダは両手で火の玉を払った。しかし、そのうちの一つはザダの頭陀袋にぶつかって燃え上がらせた。

 精霊草がみな燃えてしまう。ザダは急いで火をもみ消そうとした。精霊は高らかに笑い、さらに火の玉の攻撃を続けた。幾つかがザダの衣や髪に燃え移り、ザダは転げまわりながら側の小川に飛び込んだ。執拗に追いかけてくる火の玉が、水面にぶつかってじゅうじゅうと音をたてた。

「ゼラフィ!」

 ぶるっと頭を振ってザダは叫んだ。      

「大丈夫か?」

 ゼラフィはふらふらと立ちあがり、精霊の姿を追い求めるように目をこらしていた。その視線が、精霊の所に留まった。もともと彼が生み出したものだ。何かしらの気配は感じ取れるのか。

 しかし精霊は、ゼラフィに攻撃を加えていない。ゼラフィが受けた傷は、そのまま自分に返ってくることを本能的に知っている。

 ザダは考えめぐらした。生霊に〈力〉を振るうのと、本人にもう一度痛い思いをしてもらうのと、ゼラフィにとって、どちらが致命的ではないだろう。

 とはいえ自分の〈力〉も、そんなに多くは残っていないようだった。水の中とはいえ、足元がぐらついている。一日に二度も精霊と対峙してしまったのだ。おまけに、精霊草も燃え尽きたときている。

 精霊の力を弱めるには、やはりゼラフィを何とかするしかないようだ。

 ザダは、濡れた身体を引きずって川岸に上がった。

 気がつけば火の玉はいつのまにか止み、精霊は空に浮かんだまま不敵にザダを見下ろしていた。

 精霊の青白い輝きが増していた。彼が力を凝縮させているのが分った。

 精霊の高笑いが耳にひびいた。

 精霊は渦巻く銀青色の塊となって、まっしぐらにザダに飛びかかった。

 ザダは罵り声を上げ、ありあわせの〈力〉で自分を防御しようとした。

 その時、ゼラフィがザダを庇うように立ちはだかった。

 精霊は、ゼラフィにぶつかった。ゼラフィは、両手を広げて受け止めた。

 よろめいて倒れるかと思った。しかしゼラフィは足をふんばって持ちこたえた。ゼラフィと精霊の姿がぴったりと重なり合って見えた。

「ゼラフィ!」

 ザダは叫んだ。

 精霊は、ゼラフィの内にするりと溶け込んだ。

 ゼラフィの身体は、青みを帯びて輝いていた。また精霊憑きになってしまったのだ。こんどは彼自身の生霊が戻って来たことになるのだろうが。

 ゼラフィは肩で大きく息をして、ザダに首をめぐらした。静かなその目は、憑かれたようではなかった。〈聴き手〉のゼラフィそのものの目だ。

「ゼラフィ・・」

「一番いい方法がわかりました」

 ゼラフィはささやいた。

「これはわたしです。こうして押さえ込んでいるうちに、わたしが消滅するしかない」

「何を・・」 

問い掛ける間もなく、ゼラフィは身をひるがえした。息を呑んだまま、ザダは彼が燃えさかる家に飛び込んで行くのを見た。

 炎がゼラフィを押しつつんだ。ゼラフィは叫び声ひとつ上げなかった。両腕で自分の肩を抱き、胎児のように丸くなった。剥き出しになった四方の柱がゆっくりと傾いた。

 轟音とともに、〈聴き手〉の家は主の上に崩れ落ちた。

ザダはがくりと両膝をついた。身体中の力が抜けていた。その場に仰向けに横たわり、踊り狂う炎を眺めた。

 可哀想なゼラフィ。

 誰が彼を責められるだろう。生霊を生み出したのは彼だが、彼は自分自身で決着をつけた。

 そもそも、〈聴き手〉の存在そのものが間違いなのかもしれない。いかに訓練を受けても、悟り澄ました気でいても、人間であることに変わりはないのだ。ずっと押し殺していた思いは、むしろ普通の人間よりも大きくて、何かのはずみに欲望を剥き出しにした精霊を生み出してしまう。バグドの精霊やゼラフィの生霊のような連中は、思っている以上に多く、世界を乱しているかもしれない。

 そして、自分はどうなるのだろう。

 ぼんやりとザダは考えた。

 精霊草も〈薬〉も、頭陀袋とともに燃えてしまった。もうどんな力も残っていない。このまま死んでしまえば、新たな精霊を生み出すことになるのだろうか。

 目がかすみ、炎の輪郭もつかめなくなっていた。身体の感覚がなくなってくる。遠ざかりそうな意識の中で、ザダはようやく目を見開いた。青白い人影が、炎の中からこちらに近づいてくる。

 それは、ザダの脇で身をかがめた。

 ザダは彼の名を言おうとしたが、言葉にならなかった。

 ゼラフィ・・。

 ゼラフィは、たった今死んだはずだ。だから、ザダの目にはっきりと映っているのは、精霊にまぎれもない。

 それにしても、さっきの精霊とはまるで感じが変わっていた。狂喜や破壊欲のかけらもない。ザダが知っているゼラフィと同じ、慎ましやかな物腰。表情は落ち着き払い、以前よりも自信があふれているような・・。

「自分を保っているだけでやっとでした」

 ゼラフィは言った。

「わたしは、自分の生霊を押さえ込んでいました。逃げられないように。気がつくと、こうなっていました。不思議ですね。とても自由になった気分です。わたしはもう、〈聴き手〉ではありません。人間でもないのでしょうが」

 そのようだ。

 普通の精霊とも違う。ゼラフィとしての存在は、自分の生霊を押さえ込みながら、その中に同化していったのだろう。ゼラフィと精霊、両方の特質を持ったしろものだ。精霊にはない知性と、ゼラフィにはなかった自由奔放さを得て。

 ゼラフィの精霊は、満足げに微笑んでいた。おそらく人間であったころ、ゼラフィが心の奥底で一番憧れていた状態がこれなのではないだろうか。なにものにも囚われず、自由気ままに生きていくこと。彼はもう生きているとは言えないけれど、充分に幸せそうだ。

「もう、限界ではないですか? ザダさん」

 ゼラフィは、さらに顔を近づけてきてささやいた。その声は楽しげな響きを帯びていた。

「あなたに、わたしが乗り移ってみましょうか。精霊草のあるところへ連れて行きますよ。あなたを助けるには、そうするしかありません」

 ザダには、意思表示する力も残ってはいなかった。答えを待つことも無く、ゼラフィは微笑みながらザダの上に覆いかぶさった。

 嘘つきめ。

 ザダは思った。精霊草を嫌う精霊が、それに近づくわけがない。〈聴き手〉から解き放たれたゼラフィは、自由にできる肉体をも手に入れるつもりなのだ。

 ザダは、自分の内にじわじわと入り込むゼラフィの存在を感じた。

 ご心配なく。

 意識が完全にとぎれる瞬間、ゼラフィの軽やかな言葉がザダの唇を動かした。

「あなたは生きていけます。わたしの一部として」

 

                    *


 翌朝、オオヴの村人たちは、焼け落ちた〈聴き手〉の家の中から、ゼラフィのものらしい小柄な焼死体を見つけた。

 払い師の姿は、どこにもなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 凄く面白かったです。そこそこ長いのに、ストーリー展開が上手でだれない。意外性もありました。二人はこの後どうなるのか、続編が読みたい気がします。
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