ロッカー
職場の変わり者に絡まれた純は岳と友利の元へと向かう。部屋で女性と二人きりになった経験がない純だったが……。
薄暗いロッカールームで着替えをしていると初老の作業員がズボンを脱いだ姿勢のまま、純に血走った目を向けた。
日頃から気難しい性格で知られるその男に対し、純は苦手意識を持っていた。
「おまえ、おい。聞いてるか?新人野郎。おい」
純は男の問い掛けを無視し、着替えを続けながら岳からのメールをチェックする。今日の夜から友利が泊まりに来ていて、明日の朝に水上へ向けて出発するのだという。
岳に返信をしようと携帯のメール画面に文字を打っていると、男の気配が迫ってくるのが分かった。
「おまえ!何、無視してんだ!新人野郎の癖に!」
「いえ、別に。お疲れ様っす」
「俺は疲れてない!舐めるなよ!おまえのシーツ投入が遅いせいで、俺はなぁ、毎日イライラしてるんだ!」
「そうですか……。お先に、すいません」
「待てこの野郎!俺の財布が無い!俺の財布が!おまえ、俺をまだ困らせる気で居るんだろう!?だから隠した!そうだろ!?言えよ!」
「何言ってんすか……」
純はその言葉に心底嫌気が差し、男に構う事無くロッカールームを出る。すると男が大声で喚き出した。
「あの新人野郎が俺の財布取った!分かってんだ!分かってんだぞ!泥棒!」
「ちょっと!長野さん!」
「新川さん!行っていいよ!」
他に着替えをしていた作業員達に男は取り囲まれたが、それでも喚き散らしていた。ゴミまみれのロッカールームの持ち主。喚き散らす男の下着の白は酷く、くたびれて見えた。
蛍光灯が照らす廊下を渡り、外へ出ようとすると足音が後ろから聞こえてくる。
騒ぎを聞きつけた若い現場主任が純に駆け寄る。
「荒川君、ごめんね!怪我とか何も無かった?」
「いや、手は出されてないんで……」
「あいつ、ちょっと精神的に問題があってさ……ごめん。次から部署変えるからさ。ごめんね」
「俺のですか?」
「え?」
「あの……部署変えるって……俺のですか?」
「あ、うん。その方がいいでしょ?」
「まぁ……はい……お願いします。お疲れ様です」
「これに懲りずにまた頼むね。お疲れ!」
現場主任は純の方を軽く叩くと足早に現場へと消えていった。
「何で……俺の方なんだよ……」
純は苛立ちながら車を発進させ、家の側まで来たが何故かそのまま帰る気分にはなれず近くのセブンイレブンの駐車場に車を停めると岳にメールを打った。
「幸せとか」
怖いものの対象をそう言った岳を、純は何気なく確かめたくなったのだった。
風呂を上がって部屋に戻って来た友利はカエルがプリントされたシャツにショートパンツというラフな格好で布団に寝そべった。
「この部屋あっつい!ってか、やっぱ埼玉暑い!」
「お風呂入ったからじゃないの?」
「千葉こんなに暑くないもん。夜は風吹くし」
「埼玉のこの辺は南関東の人達のおかげで熱が篭りやすいんだそうだよ」
「私に死んで欲しい?」
「いいや。永遠に生きて欲しい」
「じゃあ千葉に帰ったら昼も夜もガンガンエアコン使わせて」
「分かったよ……そういやさっき純君からメールあってさ、今から来るって」
「今から?ねぇ、化粧しなくてもいいかな?」
「別に良いんじゃない?でも珍しいよな、友利と俺が一緒に居るの知ってて来るの」
「確かにね……。初めてじゃない?あ、もしかしてもう来た?」
「嘘?マジで?」
岳が耳を部屋の外へ向けると階下で母親と純の話声が聞こえてきた。階段をゆっくり上がる音がして、純が静かにドアをノックした。
「早ぇな。いいよ」
「おじゃまー」
純が入って来ると友利は夏用の毛布を掛け、上半身だけで起き上がると小さく眉間に皺を寄せた。
「純君、何か大きくなった?」
「そうかな?高校以来身長なんて測ってないからなぁ」
「こんなに大きかったかなぁ?部屋が狭いのかな……」
「高三以来だよね?多分そんな変わってないよ」
「岳が小さいからか。なんであんた身長伸びないの?」
友利の言葉に岳は顔をしかめて言う。
「身長は中三で諦めたの。向いてないんだよ」
「何それ。部活じゃないんだから。っていうか早くお風呂行って来なよ。ダラダラしてるとまた入らないで寝ちゃうでしょ」
「今から行くんだよ。まぁ……珍しいだろうけどゆっくり話しでもしてて」
岳がそう言うと純は鼻の下を掻きながら「ごゆっくり」と岳を促した。涅槃増のような格好で横たわった友利が岳を追い出すように手を、しっしっと振る。
舌打ちしながら岳が出て行くと部屋には束の間の静寂が訪れた。友利が先に口を開く。
「この部屋何もないんだよね。テレビはあっても、映らないし」
「あぁ、ビデオ観る専用でしょ?がっちゃん、テレビはあんまり観ないもんね」
「やっぱそうなんだ?一緒に居てもビデオもあんま観ないけど」
「友利ちゃんと話してたいんじゃない?」
「だろうね」
そう答える友利に純は自信めいたものを感じた。岳と友利の距離感の近さを想像し、純は顔を赤らめた。
次に繋ぐ言葉が見当たらず、純は天井を眺めたり本棚に手を伸ばしてみたりしたものの、友利は気に留める様子もなく目を閉じたまま扇風機の風を心地良さそうに浴びている。
純にはそれまで部屋で女性と二人きりになる機会など無かった為、どうしたらいいのか分からずに「ごゆっくり」と岳を風呂へと促した事を後悔し始めていた。
すると、目を瞑ったままの友利が口を開いた。
「あのさぁ……ほら、あの子何だっけ?色が黒くて……声が高くて……」
「あぁ……佑太かな?」
「そう!佑太君」
純は友利の口から自分が知っている名前が出た事に微笑んだ。
「あの子だったら今日来るの断らせてたわ」
「え?嫌いなんかい?」
「嫌いっていうか……何か嫌だ。イライラしそう」
「ははは!まぁ確かに……なんか分かるな」
純は心の中で佑太に謝りながらも「イライラする」感覚は分かっているつもりだった。
日曜に佑太に暇な時間が出来れば真っ先に呼び出しを受け、時に辟易としながらも引っ張り回されるのはいつも純だったのだ。
「純君……まだ彼女いないの?」
「いないね。予定も無いよ」
「ふーん……まぁそのうち出来るだろうね。あんまり作るのも問題だしね」
「そうかな?経験はしてみたいなぁって思うけど。がっちゃんてさ……」
「……うん」
純は「幸せかな」と言った岳を思い浮かべながら友利に質問をする。
「がっちゃんて、普段どんな彼氏なんだい?」
「えー?どんなって……普段からあんなんだけど……うーん」
友利は笑いながらも純の質問に困惑した表情を浮かべる。純は質問を畳み掛ける。
「幸せだぁとか、愛してるーとか、言うの?」
「それ……聞くかなぁ?」
「ははは。ちょっと気になってさ。言わなそうっていうかさ」
「え?……言うよ?そういうのは昔から外人みたいにバンバン言ってくれるよ」
「がっちゃんが!?へぇ!面白ぇ!」
「面白いかぁ?まぁ人前だといつも冷めてそうだもんね」
「冷めてるし皮肉ばっか言うからね」
「それは私の前でも変わらないよ」
純は岳が当たり前のように幸せを教授し、そして友利に愛情を伝えている姿を想像する。すると、妙な可笑しさがこみ上げて噴出しそうになる。
僅かばかり饒舌になった純は友利に自分の事を交えながら次の質問をする。
「友利ちゃんさ、確か心臓悪いんだっけ?」
「うん。弁膜がおかしいの。だから遊園地行けないんだよね」
「実は俺もなんさ」
「え?そうなの?知らなかった」
友利が驚いた顔で純を眺めると階段を駆け上がる音がした。勢い良くドアが開かれ、岳が濡れた髪のまま「上がった」と言う。相当急いでいたのだろうか、息を切らしている。
純が後ろを振り向き「早いな」と言う。
「いやぁ……気まずいかなって思ってさ……」
その言葉に純と友利が噴き出す。友利が「変な事考えて急いだんじゃないの?」と茶化すと、岳は否定せずに顔をしかめた。純の横に腰を下ろすと二人の顔を交互に眺め、煙草に火を点けた。
「何の話してたん?」
「今さ、心臓の話してたんさ」
「心臓?そっか、二人共悪いもんな」
「私知らなかったよ。純君は心臓の何処が悪いの?」
「友利ちゃんと一緒。弁膜がおかしいらしいんさ。たまに息が変になるんよ」
「それ分かる。酸素が薄くなるっていうのかな……やっぱ健康が一番だよねぇ……。ていうか……やっぱり暑いわ」
友利が「あつー」と言いながら毛布を剥ぐとショートパンツの下の細い脚が露になる。純は咄嗟に目線を宙に漂わせたが自然と脚に目がいってしまい、赤面する。
太腿から膝裏に掛けて汗を掻いていたらしく、友利が汗ふきシートで脚を拭い出すと純の目はそこに釘付けになった。
岳が何となしに友利の頭を撫でるが、友利が「暑いから後にして」と言う。「後」とはいつなのか、という事を考え始めると純はにやけそうになるのが止められなくなり無理に良和の話で誤魔化そうとする。
「そういやこの前またヨッシーが変なドキュメンタリー観てたんさ」
「へぇ。前はホストの奴だったっけな。今回はどんなんだった?」
「なんだったっけな……ほら……あの。中年のやつなんだけどさ……」
「うん。中年の?」
「中年のさ……。中年のね、あれだよ。何だっけな」
「中年の何よ」と友利が笑いながら汗を拭う横で、純の目線は無意識にショートパンツの裾に伸びる。
岳が純の視線に気付くと眉間に皺を寄せる。
「どうしたん?思い出せない程つまんなかったん?」
純は息を呑んで岳と目を合わせる。その顔がやや怒っているようにも見え、焦りを覚えた。
「あ!いやさ、あのさ。あの、今何時?」
「は?」
「今何時かな?」
「22時前だけど……」
「ツタヤにCD返しに行かなきゃなんだった!失礼するわ!お邪魔しました!」
「え?もう帰るの?」
「ああ。じゃあね!友利ちゃん、どうも」
岳が急いで部屋を出る純の背中に「ヤスキ居たらよろしくね!」と言ったが返事は無く、勢い良く玄関を閉める音が部屋まで響いて来る。
友利が「何だったの?」と聞く。岳には若干思い当たる節があったが「さぁ」と答えを濁す。
するとすぐに純からメール着信が入った。画面を開くと
「辛抱たまらん!」
の文字があり、岳は純の目線を心の中で笑って許すことにした。
純は耐え切れそうに無い衝動を抑えながら家路を急いだ。友利と岳。その二人は純の目には誰よりも幸福そうに見えた。
しかし、それでも岳は幸せが怖いのだろうか。
幼少期の家庭環境がそうさせるのだろうか。純は真剣に考えてみようとしたが自然と顔がにやけてしまい、すぐに考える事を止めた。




