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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
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黄昏

何もしない日々に嫌気がさし始めた純はクリーニング工場でバイトを始める。暗闇の中から微かに昇り始める太陽。その光は純に届くのだろうか。

「どれくらいのペースで出られるかな?」

「週五日……フルで入れます」

「残業は?出来るかい?」

「まぁ……あまり極端に遅くなったりしなければ」

「うん。まだ若いし……なにより家も近いしね。来週からよろしく頼むよ」

「はい……ありがとうございます」

「とりあえずさ、楽な気持ちでまずはやってみてよ」


 痩せ型の初老の工場長は山羊のような髭を触りながら純に笑顔を向けた。高校卒業以降何もしていなかった純だったが、求人誌で見つけた花園橋の近くにあるクリーニング専門の工場でアルバイトを始める事となった。

 その一週間前、純は岳が施設警備員として働いている博物館へ遊びへ行っていた。

 川原の傍の大型駐車場で誘導業務をしている岳に駐車場を誘導され、旧型のゴルフから降りると制服姿の岳が近付いてくる。


「いらっっしゃい。今日は暇だよ」

「おー、中々サマになってんじゃない?」

「どちらかっつーと捕まる側だけど」

「実際ここの人に怒られてんだもんね」

「まぁね。日誌に書いてあったわ」


 高校三年だった岳は当時、良和と田代と共に酔った勢いでこの施設にある噴水で服を着たまま泳ぎ警備員にこっぴどく怒られた事があった。

 その警備員こそが岳の今の上司でもあった。


「面接ん時にすげー言われてさ。「君、俺に怒られた事あるよな?」ってニコニコしながら聞いてくんだもん。今でもおっかねーよ」

「でも何だか楽そうだし、いいじゃない」

「この時期は暇なんだよ」

「へぇ……休憩とかあんのかい?何か飲まん?」

「いいね。もう交代来るから上行こうか。しっかし……ずいぶん右に曲がってんな」

「え?ヤバ……全然見てなかった」


 岳が顎で指したゴルフは白線を20cmほどはみ出していた。純は慌てて運転席に乗り込もうとしたが、岳が警棒を顔の前で真横に振りながら「どうせ混まないよ」と純を制止した。

 自販機で珈琲を買い、二人がテラスで談笑していると併設されているレストランから背の高い青年が姿を現した。

 短髪と健康的に日に焼けた肌。白い半袖のVネック。愛嬌のある目を向けながら、青年が近付いてくる。すると、白い歯を輝かせて片手を上げた。


「純君?うわー、久しぶりじゃね?」

「え……?えっと」


 純はその青年に見覚えがなく戸惑いを覚える。今の身の回りにはこんな爽やかな人種はいないはずであった。

 白い歯を見ているうち中学の同級生の名前がとっさに浮かぶ。


「あ!榎本君?」

「えー!分かんなかった?嘘だろ?」


 その青年は中学の同級生の榎本だった。野球部ではエースとして知られ、純は榎本に対し「知的なスポーツマン」といった印象を持っていた。

 学生アルバイトとして働いている今の榎本は「知的なスポーツマン」というより、少しナンパだが女には困る事の無さそうなスポーツマンといった印象だった。

 純も身長は170cm半ばだったが、筋肉質の榎本は更に頭一つ分背が高いように感じた。


「いやぁ、背高くなり過ぎじゃない?」

「そうかな?でも純君も背伸びたね。今は何してんの?」

「今かい?」


 そう言うと純は岳と目を合わせ「ははは」と笑った。榎本が岳の隣に腰を下ろし、煙草に火を点ける。

 その姿に純は「埼玉にいながら海が似合いそうだ」と思う。


「今はさ……何もしてないんさ」

「えぇ!?マジかよ。もったいねぇなぁ。がっちゃん、警備誘ってやんなよ」

「警備は夏まで暇だよ。えー君とこで使ってやれよ」

「うちだって同じだよ。仕事は探さないの?」

「うーん……今はどうだろな。ていうかさ、皆どうやってバイトとか探すんだい?」


 榎本が煙草を吸う手を止め、愛嬌のある丸い目を更に丸くする。


「どうやってって……え?バイトした事ないの?」

「それがさ……ないんさ」

「うわぁ!おぼっちゃんですか。いいなぁ、俺もそうなりてぇよ」


 榎本は本心で純が羨ましかったようで、目を瞑りながら大げさにそう言った。


「いやいや……高校ん時は必要がなかったってだけなんさ。今はほら、何かしなきゃなって思ってて」

「そうだな……とりあえず何でも良いんだったら求人誌見て電話するのが一番早いんじゃん?俺もそうだったし。がっちゃんもそうでしょ?」

「俺?ここはスカウトだよ」

「嘘!?すっげー!」

「嘘だよ。電話したんだよ」

「何だよ!驚いて損した」


 純は見慣れた岳のポーカーフェイスに反応する事なく「電話かぁ……」とひとりごちた。真横では岳と榎本が館長の愚痴を零し始め、夕焼けが荒川の水面を滑り始めていた。


 警棒のライトを点灯し、岳が退館する車を誘導している。純はテラスからそれをぼんやりと眺めているうちに働く意欲が少しずつ湧き上がってくるのを感じ始める。

 何処にも属していない焦りもあった。部屋の中で一日の大半を過ごし、たまに図書館に行ったりツタヤでCDやビデオを借りる時以外には外出する機会すら減っていた。

 外で過ごす岳や良和が自分の知らない世界の話で盛り上がるのをただ黙って聞いて頷くだけ。そんな自分に嫌気が差し始めていた。


 純はアルバイトを始めた。


 工場では医療用のカーテンやシーツのクリーニングするのが主な仕事だった。最初のうちは触るのも躊躇われた血のついたものや糞便のついた跡のようなものも、作業を繰り返していくうちに日に日に抵抗も無くなっていった。

 夕方出勤して夜10時は家に帰ってくる短時間勤務だった為に、肉体的な疲労感は殆どなかった。

 仕事を初めて数週間後に純は自分の車として中古のミラを買った。

 休みの日には濃紺のミラを磨き上げ、好きなヒップホップをカセットテープに吹き込んでドライブへ出掛けた。

 自分で働いたお金で何かを買ったり行動することで純は、大人としての自分を初めて実感出来るようになっていった。

 初めての給与を手にした純は夜中に岳を呼び出し、ガストへ向かった。メニューを広げた純は機嫌良さげに岳にビールやつまみを勧める。

 テロをお題目に世界中を踏み荒らそうとしているアメリカに純は日頃から憤りを感じており、岳に対しては会う度に熱弁を奮っていた。

 岳は純が話に乗らせようと自分を饒舌にさせようとしていると考え、純の勧めを素直に受けてビールでほうれん草の炒め物を流し込んでいく。

 しかし、その日はいつもの「アメリカ談義」はなりを潜めていた。

 純はホットココアを飲みながら「あぁ」と低い溜息をつきながら言った。


「職場でさ、すげーロッカー汚いオッサンがいてさ。いっつも荷物が爆発してるんさ」

「片付けられない性格なんかね?」

「多分そうなんだけどさ、爆発してる荷物のほとんどが汚ねぇ服なんさ。うちクリーニングの会社なのに」

「ははは!すげー皮肉だな!」


 岳は純の皮肉交じりな職場の出来事の話を気に入り、引き笑いの笑い声を立てた。純は椅子に背中を預け、気を緩めながら話を続けた。


「こういうの働いてみないと分からんよね。なんかさ、すげー実感するわ。オッサンでもダメな奴はダメだなぁって」

「うちにもいるぜ?この前も副所長から「孫にプレゼント買いたいから給料貸せ」って言われたし」

「えー?マジかい?副所長なんてやってんだから金あんじゃないの?」

「なんかチンコにデキモノ出来てさ、それ取るのに金掛かったらしいよ」

「病気がもらえる変な店に金でも使ってんかね?去勢しちまえ、そんなジジイ」

「本当だよな。でもさ、純君がバイトし始めるとはねぇ。ずっと暗い部屋にいたもんな」

「そうだね。真っ暗だったなぁ……」

「この前までは真っ暗だったけど、今はどれ位よ?」

「そうだなぁ……」


 純は腕を組んでこれから先の自分を想像してみた。まずバイトから正社員になる自分を想像する。毎日毎日薄暗いクリーニング工場の片隅で騒音を聞きながらシーツを行き先別に振り分ける自分を想像する。

 すると、何故か虚しい笑いが込み上げた。

 純は舌打ちをし、首を傾げながら岳の問いに答えを出した。


「そうだな……黄昏って感じかな」

「何それ。全然カッコ良くねぇわ」


 そう言って互いに笑い合った。

 帰り際に岳が伝票を持ち出し会計を済ませるとトイレに立っていた純がレジの前で「あれ?」と言う。


「今日は俺が奢るよ」

「何だよ……参ったな」

「どうしたん?」


 純はキャップを被り直すと居心地が悪そうに苦笑いを浮かべながら「いやぁ……」と口ごもった。そして、レジ前に置かれている幼児向けの動物の人形を指で弾くと、岳とは目を合わさず口早に言った。


「いやぁさ……実は今日生まれて初めての給料日だったからさ。俺が奢ろうと思ったんさ」

「マジかよ!そういうの先に言えよ!」


 岳は純の心遣いを嬉しく思うと同時に、僅かな怒りも感じていた。生まれて初めての給料で奢られたかったが、それを最初に言い出せなかった純を思い僅かな怒りは冗談の中に溶け込ませた。


「今日浮いた分でK DUB SHINEのCDの一枚でも買ってくれよ。後でクソみてーなJ-POPのCDとすり替えておくからさ」

「ははは!そいつは最低だね。それだけは勘弁して欲しいから次は絶対奢らせてくれよ」

「オッケー、約束な。破ったらマジでやるかんな」

「俺の車で浜崎あゆみとか流れ始めたらそのおかげでセルアウトしたと思ってよ。じゃあ帰りますか」

「うい。帰ろうか」


 ミラは甲高いエンジン音を鳴らしながら朝方の国道140号を走る。国道254に切り替わり、岳は荒川を見下ろす。

 オレンジ色の空が青白く変わって行く。岳は呟く。


「明けない夜はないんだよなぁ」


 すると純はシフトノブを操作しながら呟く。


「沈まぬ昼もないってね」


 その言葉に二人は笑い合う。夜に向かって歩いていたが、きっと今は朝に向かって生きているのだろう。

 分かってはいるが、照れ臭さでその光を掻き消す事だけに必死になる。

 必死になれる。空の青さ故、気付かぬままに。

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