ゲームセンター
バンドを解散した岳は自分の至らなさを痛感しながらも新たな活動を始める準備に取り掛かる。そして、純は若さ故の衝動を隠さずにいた。
岳が二十歳を迎える目前の出来事だった。ボーカルの脱退を機に岳のバンドは解散する事となった。岳がギターボーカルとして役割を変えれば存続は可能なはずだった。
しかし、表現したい音楽と実際に出している音の違和感を拭う事も、伝え切る事も出来ずに苛立ちを感じ始めていた岳はボーカルと共にバンドを去る事を伝えた。
共に本気で音楽をやろうと決意し、高校二年から共に過ごした日々を振り返り、鳥山は怒りを滲ませながら岳に言った。
「絶対……おまえにバンドやってたなんて言わせねぇからな!言わせてたまるかよ!」
岳は痛い程、その怒りと悔しさが分かった。それ故、何も言い返す事が出来なかった。
解散ライブに向け、最後の最後で新曲を披露しようという事になり岳と福山が主導のバンドアンサンブルの中で新曲が生まれた。
歪み始めたバンドメンバー間の関係も元の関係に戻った。
初めて曲が「形になった」感覚を覚えた岳はバンドを続けたくなったが、それが如何に彼らに対し無礼な行動かという事を考え、心の中に留め置くことにした。
解散ライブの打ち上げで岳はひたすら笑って過ごしていた。他のメンバー達が先輩バンド達に囲まれ、泣いているのを見て岳は指を差して大笑いしていた。
泣いている鳥山に岳が声を掛けた。泣くなよ、とからかうつもりだった。
「何泣いてんだよ!湿っぽくなんじゃん!」
「がっちゃんさぁ……だってさぁ……俺、ずっと一緒に音楽やってて……がっちゃんが曲書いてさ……」
「おう。そうだよ。俺の曲は凄いんだよ」
「言いたい事は違うんだよ!がっちゃん……昔から家の事とかあってすげー他人に遠慮する性格だって知ってるし……だから本当はやりたい音楽違うんだろうなぁってさ……だから皆でがっちゃんが出したい音って何なんだろうって話し合っていっつもやっててさ……」
「馬鹿……そんな……そうか……そうなんか」
「マジで……気遣わせててごめん。でも……ありがとう。マジ……ありがとう……」
「いや……本当……何も言えなくてさ。本当……俺は……」
岳は歯を食いしばって泣くのを堪えた。狭い車に乗り、メンバー全員で馴染みのスタジオや様々なライブハウスに移動した日々を思い出す。
練習や作曲に関しては大真面目に取り組んでいた。しかし、皆が出したいと思う音を優先するあまり、自分の本来の音や意見を押し込めては冗談を言って本音を誤魔化すことばかりを考えていた。
幼少期を過ごした家庭では自分の意見を聞く大人は周りに居なかった。一人の兄は常に部屋に引きこもりがちで、もう一人の兄は父同様、常に家に居なかった。
物心がついた頃には一人遊びが得意になっていた。
自分の本音や欲望を言ったらきっと周りに迷惑を掛けてしまう、という気持ちに岳は負けていた。
しかし、そんな気持ちをメンバー達は悟っていたのだった。
互いに気を遣い合っていたのだ。
ベースの福山が言う。
「がっちゃんさ、チューニングうるせぇよ。いい加減テメーの耳で覚えろよ」
ドラムの鳥山が言う。
「ギタリストだろ?小指使わないなら切っちまえ」
ボーカルの亀井が言う。
「もっと音固められないの?音のライン取り難いんだけど」
普段は技術面で岳に厳しい事を言っていたメンバー達だった。しかし、曲や詩に関しては文句一つ言わずに岳に従ってプレイしていた。彼らは岳の本音を考えながら、音を作っていたのだ。彼らの持つ馬鹿馬鹿しい程の優しさに、岳は唇を噛み締めながら泣き明かした。
先輩バンドの意見もあり、岳は解散後バンドは組まずにシンガーソングライターとして活動する事に決めていた。
今まで他のメンバーに担当させていた楽器も、これからは自分でやっていかなければならない。
他バンドのサポートドラマーとしてスタジオに入ったりする事はあったが、それは息抜きに過ぎなかった。
本気で音楽に取り組む難しさを知っているからこそ、一人で音楽を続けるには相当な覚悟が必要だった。
レスポールタイプのギターを解散後はジャガーに切り換え、諸々の機材の準備に取り掛かった。
ベースを新たに始めなければならない事になり、岳は佑太と純と三人で楽器屋へと足を運んでいた。
様々なギターやベースの中、純が「これがいいんじゃない?」と指差したのはヘヴィメタルバンドなどでよく見られる変形ベースだった。
「いや、絶対俺こんなん弾かないわ」
「意外といいかもしんないよ?」
「いや、ない。弾きやすいのがいい」
「……そうかなぁ」
佑太が飽き飽きした表情を浮かべ「それでいいじゃーん!」と軽く言う。純が岳の横で無言でかぶりを振る。
「ダメらしいんさ。こんなんすぐ飽きるだろうから、がっちゃんが飽きたら貰う作戦だったんだけどさ」
「ふざけんなよ!欲しいならさっさと働けよ」
「いやいや、冗談だよ」
「これ欲しいの?」
「カッコいいと思わん?」
「えぇ?いや……?」
「え?ダメかい!?あれ、おかしいな。あれぇ……?良いと思うんだけどな」
そのベースはロングスケールでボディがかなり鋭角的に尖ったベースだった。ヘッドはまるで悪魔の耳を連想させるようなデザインで、よりによって色が真緑だったのだ。
岳は純のセンスの基準がどこにあるのか疑問に思ったまま、結局レスポールタイプのベースを買う事にした。
佑太がやっと帰れる、と言う表情を浮かべながら岳に言う。
「今度さ、それで弾き語ってくれよ。頼むぜ」
「これベースだよ?「はなわ」じゃねーんだから」
「えぇ!?ギターじゃないの!?へぇ……」
会計を済ませるといつの間にか純が先程のベースを試奏しているのが見えた。機嫌良さそうに店員の言う事に相槌を打っている。
変形ベースが余程気に入った純の様子に岳は笑ったが、佑太の顔は「いい加減にしろ」とでも言いたげなものに変わっていた。
その帰りにゲームセンターで遊んで帰ろうという事になり、三人は熊谷警察署近くのゲームセンターへ入った。
UFOキャッチャーのケースの中身を佑太が真剣に眺め始め、岳はセガの格闘ゲームの筐体を探し回っていた。
純が古めのアクションゲームを探そうと奥へ進んだ矢先、ある三人組が目に付いた。純と同じような「B系」ファッションに身を包んだ三人組が純を遠くから眺めていた。まるで挑発するように薄ら笑いを浮かべながら、純を指差している。
その行動にヒップホップへの愛情とプライドが逆撫でられ、純は構わず三人組に向かって歩き出した。
大き目のサングラスで髭を蓄えた男に純が詰め寄る。男は先程まで純を指差して薄ら笑いを浮かべていたが、純が近づいて来るのが分かると急に真顔になった。
ヒップホップを好きになるたび、ファッション感覚で簡単にB-BOYと自称する若者を見ては純は腹立たしい気持ちを抱えるようになっていた。
その想いに従うまま、純は行動した。
三人組は真顔になったが、代わりに純が薄ら笑いを浮かべている。
怯む様子もなく、寧ろ楽しげな足取りで三人組の前に立つと、純が言った。
「さっきさ、俺の事見てたよね?」
サングラスの男は顔を背け、床を眺めながら言う。
「いや……見てないです」
「何で笑ってたの?ねぇ?」
「いや……ですから……見てないです」
「見てたっしょ。だってさ、目合ってたじゃん」
左側に立つ色が白く、線の細い男が代わりに答えた。
「俺ら見てたの……時計です」
「俺さ、君には聞いてないから。時計なら携帯あんじゃん。ねぇ、何で見てたん?」
早々にゲームオーバーになった岳が佑太の操るUFOキャッチャーを眺めている。
「あとちょっと……あー!ちきしょー!」
アームは見事にピカチュウの首の根元を捉え吊り上がったものの、独特の丸みのせいでアームが滑りピカチュウはその場にストン、と落下した。
「幾ら使ったん?」
「今?800円!何とか1000円以内で取ってみてぇんだよ」
「えぇ?買った方が安くね?」
「そういう問題じゃねぇ!がっちゃんは分かってねぇなぁ」
佑太が再びケース内を眺め回し始め、岳が何気なく店内の様子を眺めていると見覚えのある後姿に気付く。
B系のファッションに身を包んだ三人組に純が取り囲まれているように見えた。
「佑太!純君絡まれてる!」
「はぁ!?」
「ほら!あれ!」
「お!?マジじゃん!行こうぜ」
「おう」
岳と佑太は純を助けに行った、はずだった。
苛々した表情を浮かべ、純は同じ事を何度も訊ねる。両手はポケットに突っ込まれている。
「だからさ、何で見てたか聞いてんだけど?日本語分かる?」
「あの……俺らもう時間がないんで……」
「あのさぁ……別に脅そうとしてる訳じゃないんだよ。何で見てたか聞いてんだよ」
純に近付くとどうやら様子がおかしい事に気付く。純が両手をポケットに入れたまま何か訊ね、前の三人組は全員申し訳なさそうに俯いている。
近付くにつれ、騒音の中から純の声が見に届くようになる。
「何のつもりでそんな格好してんのかさ、教えてもらっていいかなぁ!?ねぇ?」
駆けつける佑太と岳は丸くした目を互いに合わせる。
「おい!絡まれてんじゃなくて絡んでるぞ!」
「止めよう!」
佑太が純の肩を掴んで引き戻そうとしたが、純がその腕を振り払う。佑太と岳が二人掛かりで純の肩を掴み、引き戻す。引き戻されながらも純が吠える。
「何でそんな格好してんだい!?やるならしっかりやれよ!なぁ!」
「純!止めろよ!もう行くぞ!」
「君達、ごめんね!もう行っていいよ!早く!」
三人組は小さく頭を下げると足早にその場から立ち去っていった。純は興奮した為か、肩で息をしている。
佑太と岳が純に詰め寄る。
「純!何やってんだよ!」
「本当だよ……ビックリしたぜ」
すると純は吐き捨てるように店を出る三人組を顎で差しながら言った。
「あぁいうハンパなの、嫌いなんさ」
佑太と岳は苦笑いを浮かべながら純を何とか宥めたが、その怒りの基準がどこにあるのかが分からなかった。
少なくとも、暇過ぎるからという理由でピザポテトの袋をミリ単位で裁断する男には見えなかった。




