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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
高校編
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開花予報

ついに高校卒業を迎えた岳と純。まっさらな道のまま、純は何処を見詰めるのか。

 2月から卒業式までの間、岳達三年生は企業研修や進学準備の為の休み期間に入った。

 岳はその間はフルタイムでアルバイトに入り、同じ構内でバイトを増やした良和と偶然会う機会もあった。

 全身を包む白い衛生服、マスク、帽子と完全に目元しか見えない作業姿ではあったものの、見慣れた互いの姿は遠くからでも認識出来た。

 ラインから出てくるケーキを冷蔵庫へ運ぶ途中、良和が岳に向かって手を上げる。

 岳も手を振り返し、衛生服に包まれた互いの姿をどこか苦々しい気持ちで眺めていた。


 冷蔵庫に入り、ケーキを運ぶ台車を整えていると主任が岳を呼び止めた。

「悪いんだけど、ちょっとあっち手伝ってくんねぇかな?」

「はい。どうしました?」

「ちょっとこれ持ってって」


 岳と良和が手渡されたのは賞味期限ラベルを貼る為のラベルガンだった。


「この日付をさ、冷凍してある箱にどんどん貼ってって欲しいんだわ。ラベルは剥がしてあっから、バンバン貼っちゃって」

「え?いいんすか……?やばくないですか?」

「冷凍してあっから大丈夫だよ。出荷日がズレただけって思えばさ。そんな感じでよろしく!」

「まぁ……分かりました」


 岳は腑に落ちない気持ちを抱えながらも全てのラベルを貼り終えた。作業が終了し、長靴を消毒する為の液体の上に立つと、岳は突然抗いようのない虚しさに包まれた。

 明くる日、岳は予定よりも早くアルバイトを辞める旨を班長に伝えた。


「あんなトコで働いてたら頭おかしくなるで!ラインで延々同じ事やってる横でババアが「早くイチゴ乗せてー!イチゴー!ぎゃああ!ライン止めてー!ケーキ落ちてるー!」とか騒いでてさ。バナナ切れって言われたら一日中バナナ切ってるだけ。もうまいったわ……」


 良和の言葉に岳が大きく頷く。


「本当。消毒液の中にバシゃバシャ長靴漬けてさ、コロコロやってさ。変な体操やってそれからずっと同じ作業繰り返しやらされてさ。せめてゼリーが良かったな。ケーキは寒過ぎるしババアがキツイ」

「あそこ変なババアしかいないんねぇ。他で働けねぇんだろな」

「食品工場はもういいかなぁ……。純君は何か決まったん?」


 漫画を読みながら寝込んでいた純が突然笑い出す。


「ははは!なーんも決めてねぇ。成るようにもならなそうだよ」

「そりゃあ……何もしなかったら当然何もねぇわな」


 良和が純の傍らに読んでいるコミックスの続きの巻を放り投げて言う。


「純君さ、俺んち住めば?掃除とか洗濯してくれてりゃいいよ」

「いや、それは辞めておくわ」

「何でー!だって働かないんでしょ?」

「いや、そのうち決めるからさ」

「「そのうちそのうち」って言ってるうちにあっという間にジジイになるで?」

「いやー、まだ大丈夫っしょ」

「どうだかなぁ……」


 季節は次第に暖かい日が続くようになり、ついに卒業式を迎えた。

 前日に岳はバンドメンバーらと深酒をし、石垣からの電話で目を覚ました。


「おめー何やってんだ!あれだけ遅刻すんじゃねーって言っただろうが!今すぐ来い!」

「すいません……やっちまいました……」


 岳は通い慣れた通りを最後に眺める余裕もなく、必死に自転車を漕いだ。

 平年よりも暖かな日が続き、観測史上最速での桜の開花予報がニュースでは流れていた。しかし、風はまだ冷たく、純は自分の息で手を温めると教室を眺め回した。

 最後の挨拶をして、涙を流す生徒。集団になっていつものように笑う生徒。少人数で卒業後の話に華を咲かせる生徒。純はそのどこにも属していなかった。

 結局、最後の最後までクラスに馴染む事はなく卒業式を迎えてしまったのだ。純にとっての卒業は馴染めなかったクラスからの解放でもあった。


 クラスが違う事もあってか、日常の中でも会う機会が多い為か、純と岳の卒業式当日のやり取りは驚くほど呆気ないものだった。

 胸に薔薇飾りをつけた二人は廊下ですれ違うと「おう」と挨拶し合う。

 髪を黒く戻した純が岳に訊ねる。


「春休みヨッシーん家行く?」

「あぁ。多分行くよ」

「今夜は皆でどっか行くんでしょ?」

「うん、そのつもり」

「じゃあまたヨッシーん家で」

「おう。またね」

「あぁ、また」


 これだけだった。もう会えないという事もなく、家も近所の為に何の感傷も生まれなかった。

 明日も、明後日も、一年後でさえも、会いたい時にまた会えるだろうと互いに当然のように感じていた。


 卒業式になる前に石垣が生徒達に向け、最後のホームルームを行う。今日が最後だというのに、その目は生徒を温かく見送るという類のものではなく、裸のまま極寒の荒波に放り投げるような厳しさを感じさせた。


「今日で最後だけどな、いいか?俺達教師の言った事なんかな、全部忘れろ!全部だ!俺達はな、偉そうに何言ってもな、一度だって社会に出た事のねぇ人間の集まりなんだ。今までの考えなんか全部捨てろ。それじゃねぇとな、社会じゃ通用しねぇ。社会ってのはな、学校みてぇに正解だの間違いだの何てもんはねぇ。それは自分で見つけるしかねぇんだ。答えを他人に頼るな。自分で見つけろ!以上!」


 石垣の厳しい言葉の奥底には、目には映り難い優しさが閉じ込められていた。生徒の中には泣き出す者や涙を滲ませる者も居た。岳も例外では無かった。

 岳の元の父親がとある同級生の今の父親であると知った時、トラブルになる事を恐れた教師達の中で三年間面倒を見続ける、と手を上げたのは石垣だった。

 後年になってから岳が知った事の内、授業中に校内に侵入し岳に会いに来た元の父親を石垣が全力を尽くして追い払ったという事があった。

 万が一、岳と会っていたなら感情に任せて岳は取り返しのつかない事を元の父親にしていたかもしれない。


 言葉だけではなく、行動で全てを示す教師だった。

 石垣なりの答えの出し方を、そして感謝を、岳は決して忘れまいと誓った。


 ホームルームが終わると岳は石垣から手招きされた。


「色々あったけど、これから先しっかりやれよ」

「本当、ありがとうございました」

「おう。卒業したらもう俺に迷惑掛けんじゃねーぞ!?」

「ははは!それは大丈夫ですよ、多分……」

「ったくオメーは身体も弱ぇし、他人に心配ばっか掛ける奴だかんなぁ。もう一人の奴は大丈夫かよ」

「誰っすか?」

「馬鹿野郎!新川だよ。まぁ、奴はもう俺のクラスじゃねーけどよ……」

「そのうち何とかなるかなぁっては俺も本人も思ってはいるんですけど……」

「もう大人だから自分の事は自分でしなきゃなんねーが……おまえ、新川のこと頼んだぞ。しっかり見ててやれよ!あいつ暗いからな、勤めたってどうせすぐに友達なんか出来ねぇだろうからよ」

「ははは!そうっすね」

「おう。たまには二人で遊び来いよ。よし、行くか」

「はい」


 自分の受け持つ生徒かどうかは関係なしに、今後の純を心配する石垣の大きな背中を岳は「やはり勝てないな」と思いながら見詰めていた。


 体育館へ向かう途中、内山がテンションを上げながら純の肩に腕を回す。


「純くーん!今日で最後かよぉ……!全く嫌になっちゃうぜ!高校生活よ永遠にー!もっともっと続いてくれたらいいのにさぁ」

「いや?ずっと続いたらそれはそれで嫌になるんじゃん?」

「冷たい事言うなよー!俺達の友情はさ……永遠だよな?な?そうだよな?」

「そうなんじゃない?まぁバッタリ会ったら無視はしないようにするよ」

「やったー!純君から無視されないって約束されましたー!サイコー!」

「うっちーはずっと幸せそうでいいなぁ」

「そうでもないぜー?母親死んだし!あいたたたー!」

「自分で言うかい、それ」

「言えるようになったんだよ!なーんて、俺はまだまだ子供でいたーい!」


 そう言いながら内山は前を歩く男子生徒の背中を叩く。男子生徒は驚き、振り返ると内山の頭を容赦無く叩いた。その光景に笑いながら、純は自分の過去に思いを馳せた。


 三年前、同じ季節に別れた茜を思い描く。


「純君、またね」

「あぁ。元気で」


 中学の卒業式当日。

 引っ越す事を最後に打ち明けた茜は最後まで微笑みを絶やさなかった。

 茜の持つ強さに、純は自分が酷く小さく思えた。


「またね」


 その言葉通り、卒業式から二年後の夏に再び茜と巡り合えた。

 最後に会った帰り際、純は茜に「頑張れ」と伝えた。

 何も言えなかった中学とは違う自分に、純自身も驚きを隠せなかった。


 これから先、きっとまた何処かで会う事もあるかもしれない。

 その期待は大げさなものではなく、ほんの少しだけでも胸の中に持ち続けていてもいいのかもしれない。

 明日から道のないまっさらな日常を送ることになる。その先の何処かに、茜が居るかもしれない。

 そこへ辿り着ける事が出来るよう、少しずつ未来を考えるのも悪くはないんじゃないだろうか。


「明日から、何しよう」


 心の中でそう呟き、前を向く。体育館へ入ると盛大な拍手で迎えられる。

 涙を流す後輩の姿が目に映る。

 きっと泣く程、別れが惜しい人がいるのだろう。

 純は涙で濡れた後輩の顔を眺めながら、あまりに低次元な自身の悩みの為に静かに笑った。

 しかし、その笑いは決して卑屈なものではなかった。


 三年生が入場すると、入学式の通例同様、紙テープの代わりにトイレットペーパーが宙を舞い始める。

 卒業「おめでとう」という事らしい。

 卒業式は無事粛々と進み、DragonAshの曲が爆音で流れ、三年生が退場する。


 三年前同様、純は卒業式後に見知らぬ後輩の女生徒から呼び出しされ、告白されていた。


「この一年間、ずっと見てました。私、新川先輩が好きです」

「いやー……ごめん。きっとさ、もっと良い相手見つかるよ。頑張って」

「先輩……ダメですか?考えてもくれませんか?だって……彼女いないんですよね?」

「いないけど、そういうの苦手だし。考えたくもないんさ」

「そんな……」

「俺さ、本当……誰かに好きになられるような人間じゃないからさ。もっとイイ奴見つけてよ」

「分かりました……」

「ごめんね」

「はい……」


 純は涙ぐむ後輩の女子を渡り廊下に置いてけぼりにし、踵を返すと角を曲がった途端に自分の頭を掻き毟った。

 そして、1分も経たないうちに告白してきた相手の名前を忘れてしまう自分を心の底から恥じた。


 純は春を感じさせる陽気の中、欠伸をしながら校門を出た。

 とうとう見通しの立つことのなかった「将来」に明日から突入してしまう事に、結局はいつまでも他人を見るような思いでいる事しか出来ずにいた。


 岳がバンド仲間達と車に乗り込み、盛大なクラクションと共に純の横を通り過ぎて行く。朝まで酒を呑むと言っていた。

 冷たかった風はいつの間にか春らしい穏やかなものとなり、純の頬を撫でた。

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