青過ぎる
9.11により均衡が崩れた世界情勢。それとは無関係に流れる日本の日常に純は疑問を抱く。
空を見上げれば夏を過ぎた爽やかな秋晴れが広がり、遥か上空を飛ぶ飛行機は堕ちる様子など無かった。
当然ミサイルなど飛んでくるはずも無く、テレビ画面から離れ一歩外へ出れば、日本の日常はテロとは何ら無関係に悲しいほど平和に流れていた。
アメリカ国内で起きた一連のテロ事件、それは後に「アメリカ同時多発テロ」と呼ばれる事件となった。
日本の報道番組でも連日にわたり、テロ関連のニュースは報道され続けていた。
高校生活最後の文化祭。岳の提案でクラスの出し物は「ライブハウス」に決まり、岳のクラスメイト達は柵の搬入や照明の準備に、岳と他数名のクラスメイトは本番へ向けた練習に追われていた。
手隙の間、教室に柵を搬入するのを手伝っていた岳は廊下で石垣に声を掛けられた。
「おい!猪名川!ちょっと来い」
「何すか?」
岳を手招きした石垣が岳の耳に顔を近付ける。その表情はあまり浮かない顔をしていた。
「おめぇ、この前アメリカでテロあったろ?」
「アメリカの?……まぁ、ありましたね」
「それと関係あんだけどな」
「はぁ……何でしょう?」
岳は石垣の話したい事の真意が分からず、眉を潜める。すると、石垣が岳の肩に手を置き、静かに告げた。
「あれでな、おまえが面接受けた会社がかなり影響受けて潰れる事になったらしいんだ」
岳は突然の知らせに膝の力が抜けて行くのを感じた。就職決定を前提にトレーディングや証券に対して興味を持ち始め、図書館に通い始めた矢先の知らせだった。
「マジっすか?もうダメなんですか?」
「さっきな、正式に連絡あった。ごめんなさいだとよ。これから先、あんま時間もねぇからな。次、急いで探してくれよ」
「あの……はい……分かりました」
「おい。しっかりな」
面接を受けた会社のパンフレットに描かれていたワールドトレードセンター。通称「ツインタワー」は世界中の人間が見ている画面の中で、見るも無残に姿を消した。
具体的にどの程度関与があったかは不明だったが、今回のテロの事で潰れてしまうような企業なら大した規模でもなく、遅かれ早かれいつか潰れていたのかもしれない。
そう思う事で岳は自分自身を納得させる事しか出来なかった。先の事など考える力はないままに。
純は学校帰りに良和の家へ行く途中、コンビニに立ち寄ってテロ関連の記事を読み漁っていた。
ワールドトレードセンター崩落後、現地で撮られた幾多の写真は思わず目を背けたくなる凄惨なものばかりだった。
腕時計を嵌めたまま千切れた腕。
その一枚を純が食い入るように見詰めていると、良和が嬉しそうに声を掛けた。
「こういうの、興奮するんねぇ。ビルが崩れてさ、ここでバンバン人が死んだん!たまんないんねぇ」
その言葉に純が首を傾げる。
「いや、興奮っていうかさ……。これ本当なんかな?このテロってさ」
「何言ってるん?本物に決まってんじゃん!燃え上がるビルから耐えられなくなった人が「ぴゅー」って飛び降り自殺する映像あったじゃん!あれ、下にいた消防士が飛び降りた人の音、聞いてたんね。「パーン!パーン!」ってさ、ははは」
「あぁ……そうね。それはまぁ、いいんだけどさ……。これってこれから先戦争になるんかな?」
「やるでしょ、アメリカは」
「アメリカの都合でかい?何だかな……。確かに本当に起こった事なんかもしれないけどさ……」
「国がヤラれたんだからアメリカはやり返すでしょ。戦争始まったらもっと人が死ぬ映像が観れるん!」
「そんな人が死ぬ映像観たいかい?いっそ戦場でも行って来たら?」
「いや、それはいいや。所詮は対岸の火事だからこそさ、人の死は良いんだよ」
「平和ボケ日本人かい?平和でボケまくって、皆平和に死んで行くんかさ。なんだかな」
「そんな事言えるん平和だからだで。だから、俺は平和を楽しむん」
目を見開いて誌面を舐めるように眺める良和の横顔に、純は思わず眉間に皺を寄せた。
純がテロ事件に関して感じていたのは、悲しみや性的な興奮よりも大きな怒りだった。
それは明確にどこにぶつけていいのか分からない、青過ぎた怒りだった。
放課後にドラムスティックを新調した帰り、岳は偶然男衾駅で純と出会った。その姿はダボダボのシャツにキャップ帽。日に日に純がヒップホップにのめり込んで行くのが手に取るように分かり、岳は思わず微笑む。これから佑太とカラオケに行くのだという。
「がっちゃん、練習帰り?」
「うん。スティック買いに行っててさ、これから家練。文化祭まで時間ないからさ」
「今回はドラムで出るんだっけ?」
「あぁ。友利が来るかもしれないからさ、カッコつけないと」
「良いなぁ。俺には手足バラバラに動かすとか考えられないな」
「そうかな?慣れだよ。これからどっか行くん?」
「佑太とカラオケ行くんさ。今からだから……多分夜中までかなぁ」
「だろうね」
そう言うと岳は笑った。
「佑太相変わらず元気してんの?」
「あぁ、全然変わんないね。もうすぐ来るんじゃないかな」
「なら、待ってるかな。佑太に会うの久しぶりだわ」
駅の改札前の椅子に腰を下ろし、二人は他愛もない話をし始めた。ただ、いつもと違うのは純の言葉の熱量だった。
「がっちゃんさ、あのテロどう思う?」
「テロ?どう思うも何もムカつくわ。おかげで俺の職場潰れたし」
「あぁ……それで会社ダメになったんかい?」
「そうだよ。飛んだとばっちりだよ」
「そっか……俺さ、何かおかしいなぁって思うんだよね。アメリカは確かに犠牲になったけどさ」
「そりゃまた、どういう事?」
岳はふいに立ち上がると、冊子の置かれているラックから何気なく東武線の観光案内のパンフレットを手に取った。興味なさげにパラパラと捲ると、すぐにラックに戻した。
「何だか違和感あってさ。アメリカのブッシュは何だか他人事みたいにテロの事を話してる気がするのとさ、あんまりにも日本が平和な事にさ……イライラするっていうかさ」
「まぁ……日本は本日も無事に営業中だけど」
「日本なんてさ、危機感ないしテロとかの認識自体緩い国じゃない?テロリストがその気になればバンバン人が死ぬと思うんさ」
「昔のオウムみたいな?基本的に皆どこかで「関係ない」って無意識に感じてるからかな」
「今回のテロの犠牲者に日本人だっていたじゃない?アメリカ人がテロに対して日頃どう考えてるかなんて俺には分からんけどさ、少なくとも「今日死ぬかも」って思いながら生きてる日本人ってさ、ほとんどいないと思うんだよ。でも、実際死んだ訳でさ……」
「規模違うけど……事故みたいなもんなんかな?事故を常日頃から意識してるかしてないかって事?」
「簡単に言えばそんな感じかな。いつ事故るかなんて誰にも分からないけど、意識してれば色々変わるだろうしさ……アメリカの軍とかこんな大きなテロだったら絶対事前に分かってたと思うんだけどなぁ……」
「事故とかで当て嵌めたら……うーん……軍ってプロドライバーか。事故を予想出来ない訳もないか」
「ニュースで出ないような真実ってかさ……何かが隠されてる気がするのとさ、日本人ってバカになるように仕組まれて教育されて来たんじゃないかなぁとか考えてたら腹立ってさ」
「ミサイル落とされても日本人は変わらないんじゃないかな?ほら、バカになった人が来たで」
駅の入り口から外を眺めるとやや癖のある髪をハードスプレーで束ね、逆立てた佑太が姿を現した。赤地に雷のような黒い筋がペイントされたパーカーを着ている。岳が近付いて来る佑太に声を掛ける。
「佑太ぁ!久しぶり!」
「おぉ!岳先輩!おはようざーっす!」
「マジで久しぶりだなぁ。カラオケ行くんだって?」
「おうよ!がっちゃんも行くべーよ!」
「いや、俺は練習あるから行けないんよ。まぁ、楽しんできてよ」
「何だぁ、久しぶりだったんになぁ。そういやさ、仕事変えたんだよ」
「そうなん?ホストはどうしたん?」
「あそこは……俺の居場所じゃなかった」
苦笑いしながらかぶりを振る佑太に岳は掛ける言葉が見当たらず、曖昧に「そうか」と笑う。良和の事を思えばそれは全てが振り出しに戻ったというより、結果的に全てが壊れたと思うしかなかった。
「佑太は今何やってんの?」
「おう!免許取ったからさ、代行ドライバーの手伝いやってんだよ」
「もう免許取ったんだ。早いなぁ。まぁ、頑張ってよ」
「ったりめーじゃん!今じゃ運転のプロだぜ!」
岳は「女は転がし切れなかったな」という皮肉を押し込め、ただ頷いた。
純は二人の会話をどこかうわのそらで聞いている。耳を傾け、きちんと会話を聞いてしまったらすぐ目の前にある平和に苛立ちを感じてしまいそうだった。




