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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
高校編
87/183

工場長

新しい道を選んだ友利。そして、それを支える岳。純は形だけでも、と就職面接を受けるが…。

 純と岳は一度学校へ向かう途中にある「松ノ木食堂」という大衆食堂に行ってみる事にした。

 荒川に掛かる玉淀大橋の手前の、古びた佇まいの昔ながらの食堂だ。

 注文してから提供されるまでの時間が異常に長いという事前情報通り、客が少ないのにも関わらず料理が出てくる気配が無い為に純と岳は談笑に集中した。

 純が食事前だというのに店内販売のアイスクリームを手に取り、食べ始めた。


「飯食う前によくアイス食えるな」

「いやー、当分出て来なさそうだし問題ないっしょ。だって注文係りがヨボヨボの婆さんだったじゃん」

「注文忘れてまた聞きに来る可能性あるよな」

「がっちゃんこそ制服のまんまで煙草吸ってて大丈夫なの?」

「ヨボヨボの婆さんだったから問題ないでしょ」

「ははは。それ違くないかい?」

「まぁ……多分大丈夫だよ。そーいや、あれから田代どーしてんのかな?」

「この前254で自転車漕いでるの見たんさ。なんか自転車漕いでる顔が必死でさ、笑ったよ」


 純の話によると、先日田代が鉢形から男衾へかけての坂道を真っ赤な顔で立ち漕ぎしていたのだという。

 それ形相を想像し、岳は噴き出す。


「男!男!男!男!って心ん中で叫びながら漕いでたんかもな」

「帰ったらチンカスブラックライトで当てて喜んでたりして。うへー、汚ねっ」

「おい!マジで吐くからやめろよ。純君、進路決めた?」

「いや……どうしたもんだか。全然」

「全然?働くか学校行くかも?」

「あぁ、全然」

「そっか。俺もどうすっかなぁ……」

「就職じゃないんかい?」

「まぁ、そうなんだけどさ。都内に出て友利と一緒に暮らそうかなぁとか、色々考えてる」

「へぇ……そういえば彼女、高校どうしたんさ?」

「あー、この前辞めたよ。今仕事探してる」

「もう働くとか偉いなぁ。でもさ、最後の夏に辞めるって勇気あるよね」

「勇気っていうか、ギリギリまで耐えてたっていうかね」

「ギリギリまでか……。なんか俺と似てる性質タチなんかさ?まぁ、実際分からんけどさ」

「それさ、たまに思う事あるよ。二人共心臓弱いし。その「ギリギリまで言わない」所とか」

「ははは!バレてるか」

「それくらい知ってるわ。しかし、もうすっかり夏だねぇ」

「そうね。がっちゃんはもう夏休み「暇死」しないっしょ?」

「時間足りないくらいだよ。純君も彼女作れば?」

「いやぁ……俺は。いいや」


 純はふと、茜の顔を思い浮かべたが何故思い浮かべたのか分からない事にして、欠伸で茜の顔を掻き消した。前年の夏に会ったきり、生活の中で純と茜が接点を持つことはほとんど無かった。

 会えない距離に住んでいる訳では無かった上、連絡を取ろうと思えばいつでも連絡は出来たはずだった。

 しかし、将来に向かって宙ぶらりのままの自分を思うと、純は茜を想う事自体を無意識に避ける事しか出来ずにいた。

 いつか向き合えるように、そう思っていたはずだった。

 しかし、現実は「またがっちゃんが森下を集まりに呼んでくれないかな」と、そう思ってしまう他力本願な自分を、純は心の中で笑う事しか出来ずにいた。

 誰の耳にも触れることのない、乾いた笑い声を。


「求人誌は嘘ばかりだ」と文句を言っていた友利であったが、結局は千葉市内の通い慣れたスポーツショップの店員として朝から夕方までアルバイトを始める事となった。

 その週末の土曜日。夕方から友利と会う約束をしていて、それまでの時間


「バイトしてるから見たいなら見にくれば?」


 と友利がメールを残していたので、岳は友利が働いている姿を見に行くことは告げず、早めの電車で向かう事にした。

 多くの人が賑わう駅前の商店街を抜けた先のショッピングモールの二階。

 エスカレーターを降りた先に友利の勤めるスポーツショップがあった。

 店の隅のベンチに岳は腰を下ろすと、白いポロシャツを着て商品を陳列している友利を見つけた。


 声を掛けたくなる衝動を抑え、しばらく眺めていると、良く知っているはずの自分の彼女が一人前に働く女性として目に映ることに新鮮味を感じた。

 何故かくすぐったくなるような気持ちで友利を眺めていると、かなり足取りの遅い年配の女性が友利に向かって声を掛けた。

 商品を陳列していた友利は機敏に立ち上がると、女性の背中に手を沿え、その口元に耳を寄せた。そして笑顔で頷き、女性の求める商品の場所まで女性と同じ足取りでエスコートし始めた。

 表情が豊かな友利に面白みを感じて、岳は思わず噴出しそうになる。

 女性は会計を済ますと、友利に礼を言って店を出た。友利は笑顔で頭を下げて女性を見送っている。


 岳はそれまで「働く」という事にどこか強制されてやるものだという抵抗感を抱いていた。

 アルバイト先のケーキ工場はベルトコンベアに合わせて身体を動かし、機械のタイミングで出荷作業を行なっていた。

 機械が不調となれば高校生にも関わらず夜11時過ぎまで働かされる時もあった。

 ケーキひとつ作るにしても、高速で流れていく原料や製品に追いつくのが精一杯で工程など気にする暇も余裕も興味も湧かなかった。

 しかし、ここで働く友利を見ているうちに「働く」という事が実は誇らしいことなのかもしれない、という気持ちに自然と変わっていく自分がいるのを感じていた。ありがとう、と友利は客に言われていたのだ。

 それが岳にとっては衝撃的だった。

 客がいない隙に、岳が友利にそっと近付き声を掛ける。友利は特に驚く様子もなく、振り返った。


「よぉ。来たよ」

「知ってたよ。あんた、ベンチに座ってニヤニヤし過ぎ。ストーカーなの?」

「いいじゃん、好きなんだから別に……。あのさぁ」

「うん?」

「友利が働いてる姿見てたらさ、何か、働くのっていいなぁって思った」

「えぇ……何それ?あんた、そんな前向きな事言うんだね」

「そう?……友利、すっかりここの店員さんだよな。見てて感心した」

「本当!?そう見えるかな?」


 顔を赤らめて嬉しそうに聞く友利に、岳は思わず微笑む。


「うん。ちゃんとした店員さんだよ」

「ふふん……やったね」


 友利は余程嬉しかったのか、小さなガッツポーズを作った。


「あとさ、歩いてる時のケツのラインが凄く綺麗なんよ」

「ケツって言うな!あんた邪魔!どっかで時間潰して来て。しっし」

「何だよ!ほら、あんまり離れて友利を見ることないからさ」

「嘘だよ。あと少しで終わるからさ、ストーカーみたいに待ってて」

「はいよ」


 軽い足取りで店内に戻った友利は「彼氏が来ている」と店長に告げると、気を利かせた店長が定時よりも早めに帰してくれる事になり夕方前に二人は店を出た。

 駅に向かって続く商店街はどの店も古い割りに活気付いていた。

 魚屋も、肉屋も、団子屋も、軒先は人で溢れている。

 歩いている最中、友利は各スポーツメーカーの違いやシューズの選び方のコツなどを熱心に岳に話して聞かせていた。

 その口ぶりから文句めいた感情は一切感じられず、友利が楽しく働けていることに岳は思わず喜びを感じる。


 ぶつかりそうになる人の群れを避けながら、二人は夕暮れ前の商店街を駅に向かって寄り添って歩く。

 熱心に話し続ける友利の右手を軽く握ると、それと同じ力で左手が握られるのを感じる。

 心と、言葉と、身体と、それぞれ忙しく求め合う光景に、二人は笑い合った。


 夏が過ぎて行き、最後の夏休みに入ると岳は就職活動とバンド活動に追われることとなった。

 純は教師から選択を迫られた末、就職を希望することにした。しかし、本気ではなかった。

 岳が新宿にある貿易関係の会社に面接に出向いた翌日、純は熊谷にある金属加工場の面接に出向いていた。


 加工場のあるトタン造りの工場内を覗くと、10名程の作業員が全身に汗を掻きながら作業しているのが見えた。

 手先が器用とは言えない純は、作業風景を見ながら若干の不安を抱いたまま事務所に案内された。

 首に黄色いタオルを巻いた禿げ上がった強面の工場長が純に座るよう促す。


「今日は暑いねぇ。こういう場所は初めて?バイトも経験ない?」

「まぁ、はい」

「そうかい。まぁ、うちもこんな若い子取ろうってのは久しぶりでね。あの、加工とかに興味はあるのかな?」

「えーっと……少し」

「少し……かぁ。じゃあさ、加工出来る金属って、何種類あるか分かるかい?」


 工場長は悪戯気な笑みを浮かべ純に訊ねたが、悪い印象では無かった。


「昔からあるのは知ってます。あの、何種類かってのは、ちょっと……」

「勉強不足か?ははは。意地悪な質問してごめんよ。まぁ、これから先覚えていってくれたら良いんだけどね。君は、学校は休まず行く方かな?」


 純は「はい」と咄嗟に答えそうになったが、どうせ内申書でバレるだろうと思いありのままを答えた。


「休みは……します」

「します?」

「休む時は……あります。あと、早退です……」

「そうか……。技術ってのはさ、一日休んだら三日腕が訛るっていうんだけど……」

「はい……」


 腕組をし始めた工場長の顔は途端に曇り出し、笑みが消えた。

 純は一刻も早くこの場を逃げ出したい思いに駆られる。遅刻早退欠席、授業態度等、仮にここに受かったとしても職場にはその全てが遅かれ早かれ通達されてしまうのだ。

 出席日数ギリギリの学校生活を送る純にとって、面接とは生き恥を掻かされに行くようなものだった。

 無言の空気が流れる中、休憩時間になったのか事務所に涼みに来た作業員達の声が純の耳に否が応にも届く。


「こんな暑い日にやってられねーやなぁ。休み休みやんねーと死んじまうで」

「ったく、まいっちゃうよ。今日、このままだと終わんねーで。この前はボーナスまでカットされてよ。ったく!ふざけんなってんだ!」

「やめろいな。聞こえるで」

「俺は聞こえるように言ってんだよ!知るか!こんな所、いつか辞めてやらぁ。切れるもんなら切ってみろってんだよ。すぐに回らなくなるで」

「リョーちゃん……もう、よすんべーよ」

「こんな工場、潔く潰しゃいいんだよ。無茶な仕事ばっか受けてロスばっかでよ。結局、赤なんだんべ。上が無能だかんよ」

「リョーちゃん、一服!一服行くべ!な?」

「……このまんま帰っちまうか。馬鹿くせぇ」


 作業員達が出て行く際、力強くドアは締められた。その音に、純は思わず肩を震わせる。

 工場長は腕組をしたままテーブルをじっと眺めている。純は目のやり場がなくなり、同じように黒テーブルを眺める。

 大きなクリスタルの灰皿の中には灰ひとつ無く、この工場長は喫煙家ではないのか?と、純は無関係な事を考え始める。

 エアコンの噴き出し口が唸りを上げ始めると、工場長がぴしゃりと膝を打った。


「合否は後ほど連絡させて頂きます。本日はご足労頂き、ありがとうございました」


 工場長は他人行儀にそう言うと、純に退席するように促した。

「どうも」と小さく頭を下げ、純は工場を出てバス停へ向かった。背後から誰かが痰を吐く音がしたが、もうここに来る事は二度とないだろうな、と思うと全てがどうでも良く思えた。


 照り返しがきつく、帰るのすら億劫になりそうになる道のりを純は歩いていた。

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