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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
高校編
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霧の中

田代が去ったアパートには平穏が訪れた。しかし、次の不安はすぐにまた浮かび上がり、顔を覗かせる。岳の元の父、そして、何か覚悟を決めたような友利の声。

 田代が小木の制裁を受けてから数日後。アパートで良和が純に事の顛末を興奮気味に話している。


「小木がさ!田代にナイフ突きつけて「指詰めろよ!」って脅したらさ、オカマみてーに「いやぁあああ」って指抑えながら座っちゃったん!本当、あれウケた!がっちゃん!再現して!」

「いやぁぁぁー!」


 岳が田代の声色を真似し、見た通りの動きでその場で崩れ落ちると純は腹を抱えて笑い出した。

 声を忘れるほどに笑う純に、岳がにやけながら話し出す。


「いつもの「俺はよぉ、何々でよぉ」とか強気で抜かしてたのが嘘みてぇに泣いてたよ。あまりの人間の豹変ぶりに狂気を感じたわ。あいつサイコオカマだよ」

「はっはー!あー!面白れぇ!あー……見たかったなぁ……「いやぁぁぁぁぁ」って、マジでオカマじゃん!」

「全く、何が「無頼」だよ。一体なんだったん、あいつ」

「暗い部屋でさ、ブラックライトでチンカス光らせて喜んでるだけの「チンカス野郎」かな」

「ははは!マジでそうだわ」


 田代は人前で下半身を意図的に露出する事が多々あった。純と岳が辟易とした顔を浮かべると嬉しそうに田代はそれを見せつけていたのだった。

 小木の凄まじい暴力性に戸惑いを感じながらも、これから先は田代に寝込みを襲われる心配が無い事を純は確信した。

 田代の強気な態度が一変し、女々しく泣き叫ぶ姿を想像すると無条件に笑いが込み上げて来る。


「皆、本当ありがとう。あのチンカス野郎……マジでザマァみろだわ」

「今回はマジで小木に感謝だよ。一生笑えるネタもらったわ」

「今度さ、田代見かけたら「いやぁぁぁぁあ!」って叫ぼうかな。ははは!」

「とどめは純君が刺してやりゃいいよ」

「ははは!そうね」

「社会的に殺しちまえ。そういやさ、ヨッシーは佑太ともう会ってないの?」


 岳の言葉に取り込んだ洗濯物を雑に放り投げた良和が「あぁ」と答える。佑太がアパートへ顔を出さない間、岳が佑太と会う機会も少なくなっていた。

 純だけは日曜日になると佑太からボウリングやカラオケに呼び出され、時折顔を合わせていた。

 ポップコーンを食べた指を拭く為に、ティッシュボックスを探しながら純が呟く。


「そういやこの前遊んだんさ。あー、しかしこの部屋きったねぇな!ヨッシー、ティッシュないんかい?」

「新しいの、あるよ。使っていいよ」

「サンクス。そういやさ、佑太がホスト辞めるかもしれないって。なんか成績とかで悩んでるらしいんさ。ホストってやっぱ売れるまで辛いんかい?」


 純がティッシュボックスを開けながら訊ねると、良和は洗濯物の中からバスタオルを取り出しながら苦笑いを浮かべた。ここには居ない小木は既にホストに見切りをつけ、建築関係の仕事に就いていた。


「そりゃ、まぁねぇ。辛い事ばっかだよ。客はババアばっかでさ、飲みたくない酒飲んで身体壊すし。上下関係厳しいし。佑太がホスト辞める事に関しては……まぁ……ノーコメントで」

「そのせいで生活とか無茶苦茶にされたんにかい?」

「あぁ……過ぎた事だし。もういいよ。どうでも」

「そうか。まぁ、会ったらよろしく言っておくよ」

「それは、言わんでいい。ノータッチでいてくれ」

「そうかい……分かった」


 良和の言葉に純と岳は目を合わせた。それは「仕方ないよな」と言うことだった。


 アパートの集まりから姿を消した佑太や田代と入れ替わるように、それからすぐ良和の通い始めた定時制高校の同級生達が姿を現し始めた。

 桐生の時とは違い、良和に気の合う友人が出来た事を純と岳は素直に喜んだ。

 その中の一人に友川ともかわという線の細い女生徒が居て、良和のアパートから家が近いという事もあり、掃除や洗濯を良和の代わりにする機会が増えた。

 友川が来た日は大概床が綺麗に掃除されている為、純は友川を見るたびに「床で寝転べる」と喜んだ。


 岳がアパートへ泊まったある日。何かが動く気配に朝方目を覚ますと、音を立てないよう静かに部屋を掃除する友川の姿があった。

 その姿が朝日に照らされ、真剣な表情で床に雑巾を掛けているのが分かった。

 寝ぼけ眼で岳が声を掛ける。


「友川……来てたん……?偉いな」

「うん……。好きでやってるだけだから。こいつ、放っとくとすぐに部屋汚くするし」


 友川の下ろした視線が横向きで寝ている良和で止まる。その目は働き者の母親のような、世話を焼きたがる恋人のような、暖かで悪意のない眼差しだった。


「そっか。なぁ……友川はヨッシーの事好きなん?」


 岳が何気なく聞いた質問に友川は手の動きを止め、宙を眺めた。口を半開きにしたまましばらく考え込んでいる。

 そしてゆっくりと雑巾掛けに戻ると「どうだろ……?」と、はにかんだ。

 少し照れたようにも見える友川の表情に幼さを感じ、岳は小さく笑うと再び眠りについた。


 季節は梅雨本番を迎え、岳と純は本格的に進路を選ばなければならない時期になった。

 音楽の専門学校に行こうか、と岳は資料を取り寄せたりしたものの家庭の経済事情がそれを許さなかった。大工職人の父が支える岳の家は、当時の不況の真っ只中にあったのだった。

 就職しか選ぶ道がないと岳は落ち込んだが、選択肢が無いことが岳の進路を無条件に決定付けた。

 純は専門学校へ行こうとも考えが特にやりたい事も思い浮かばず、専門学校を諦めたふりだけした。


 高校三年の夏を前に、進路を決めなければならない岐路に立たされる。

 しかし、何処に向かって進めばいいのかも、何をしたらいいのかも、分からずにいた。


 純は再び学校を早退しがちになり、岳は遅刻するのが当たり前になった。

 昼になると純は学校から姿を消し、昼になると岳は姿を現すのが恒例となった。


 岳が桜沢駅の前の坂道を登っていると、坂の上から純が歩いて来るのが見えた。

 その姿に、互いに笑い合う。


「がっちゃん!これから?」

「おう、これから!純君は帰りかい?」

「今日はもう終わりにしたんさ。帰って寝るわ」

「お疲れ!」

「ありがと!頑張って!」


 この頃、二人は将来に対して匙を投げても構わないと自暴自棄になっていた。

 この先がどうなるのかは全く分からない。とにかく、最低限「卒業」だけ出来ればいいのだろう、と考え始めていた。


 岳が校門へ向かって自転車を押していると、サングラスを掛けたパンチパーマの中年男性が立っているのが見えた。

 しばらく姿を見せていなかった小嶋組のチンピラが再びやって来たのだろうか?と頭を過ぎると、男は岳に向かって片手を上げた。


「岳君。久しぶり」


 パンチパーマの男は柔和に微笑み、猫撫で声で岳に声を掛けた。サングラス越しに目が笑っているのが確認出来た。

 過去、勢い余って小嶋組のチンピラに自身のフルネームを伝えていた事を思い出し、岳は戦慄を覚えた。


「あの……どちらさんですか……?」

「忘れてないよね?お父さんだよ」


 岳は自転車を押すのを止め、急激に湧いた怒りに任せるまま、その場で自転車を投げ倒した。


「何だよ……今更」

「お父さんの事さ……許して欲しいんだよ。ね?仲良くしようよ」

「ふざけんなよ……こっちがどんだけの思いして来たのか分かってんのかよ!」

「そんな怒らないでさ……水に流そうよ。お小遣いあげるから」

「もう来んな」


 突然現れた岳の元の父親。パンチパーマにゴルフシャツ、胸元の金チェーンにサングラス。掠れた声。

 その全てが岳を苛立たせた。

 岳の母親と離婚後すぐ、岳の同級生の母親と再婚し、新しい家庭を築いているはずだった。

 それが何故、今更。

 怒りの為に震える指で自転車を押しながら、岳は駐輪場へ向かう。

 呼吸が乱れる。背後から「また来るからね」と声を掛けられ、岳は何も言い返す事無く歩き続けた。

 校門横のクリーム色のセダン。恐らくクラウンだろう。エンジンを噴かす音を聞くと岳の苛立ちはたちまち爆発し、自転車置き場に並んだ自転車を端から構わず蹴り飛ばした。


「また来るからね」


 その言葉を反芻しながら、岳は鈍い雨で濡れた部屋の窓を眺めていた。幼少期に壊された家庭。その元凶。

 誰も並ばない食卓。冷え切った食事。無音の室内。理由も無く父に突然、殴られた背中。ゴルフクラブと居間に飾られた水牛の角。盗まれたはずの真新しい自転車を乗る岳の同級生。一枚も撮られていない家族写真。

 それらを思い出しながら唇の端から息を漏らすように呼吸をすると、テーブルの上の携帯電話が鳴った。

 友利からの電話だった。二回目の呼び出し音で通話ボタンを押す。岳にとっては友利が唯一、安心して心を預けられる人であり、場所だった。


「もしもし?」

「もしもし。あのさ……長くなるかもしれないけど、大丈夫?」


 普段は静かに喋り出す友利。その言葉の輪郭がはっきりとしている事に、岳は友利の覚悟めいたものを感じ取った。


「どうしたん?」

「岳に迷惑掛けたく無かったから言えなかったんだけどさ……高校、辞めるかもしれない」

「辞める?」


 高校三年生。雨で蒸した夏の夜。

 それぞれの選択は、霧の中から浮き彫りになり始めていた。

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