逆襲
校内で居場所を失くす純に対し、岳は何も出来ずにいた。そして、ある生徒の言葉が岳を激しく失望させる。苛立ち、怒り、鬱屈。そして、田代の取っていた行動に純は…。
純、良和、岳の集まりに彼らの醸し出す否定の香りを感じながらも、田代は頑なに顔を出し続けた。
三人が下らない冗談で揃って笑い声を上げるすぐ横で、田代は良和の部屋にあるロッキンチェアに座りながら煙草を悠然と吹かしている。
ポケットウィスキーを片手に、うわごとの様に誰も耳を傾けようとしない「理想の男像」を語る田代を岳は「病的」だと捉えていた。
「男っつーのはよ、無頼じゃなきゃよ。誰かに頼るなんて情けねぇ真似、俺はしねーんだよ。男はこれだ!って一点に賭けたもんに全部放り出すのが美学ってもんよ」
「ならここにこないでさぁ、一人で居ればいいじゃん」
「がっちゃんよぉ……そんな寂しい事言うなよ」
「もう何が言いたいのか分からないよ……」
「男!一本に賭ける!これが男っ!」
酔った勢いで叫んだ田代の言葉に岳は乾いた笑いで反応し、良和も「よっ!男っ!」と反応したが、純は漫画本から目すら上げようとしない。一向に捲られないページに、岳は純が漫画を読む為に視線を落としているのではないと、すぐに気付いた。
そんな純を見ながら、近頃更に内向的になったな、と岳は感じていた。
その前日の昼休み。教室の横を通りかかった時に見た純の後姿は「孤独」そのものだった。
誰にも声を掛けられたくないのだろうか、イヤホンをしたまま指を組んで机を眺めていた。
そんな友人の姿に痛ましい気持ちを覚えながらも、岳は喫煙所に居るバンド仲間と昼休みの時間を過ごす事を自然と優先させていた。理屈ではなく、純の孤独をどうする事も出来なかったのだった。
ある日、喫煙所に普段は顔を出すことのない「車オタク」の吉崎が現れた。一同が何も言わずに眺めていると、ボサボサの天然パーマを掻き毟りながらオチョボ口で煙草に火を点けた。
その姿に岳達は大笑いする。「何だよ……」という吉崎に内山が突っかかった。
「何でオメーがいんだよ。煙草吸うようなキャラじゃねーだろ」
「いや……最近吸い始めたんだよ……むしゃくしゃしてさ……ムカつくよな……こういう日常って……」
その言葉に岳と3ピースバンドを組んでいる福山が座ったまま吐き捨てた。
「テメーみてーなんがここに居る方がよっぽどムカつくんだよ。クソが」
「なんだよ……ちょっとは俺の話聞いてくれたっていいだろ……」
サッカーボールで遊んでいた米田とバスケ部で純と同じクラスの高島が足を止めた。
米田が吉崎を指差して笑う。
「オメーの日常なんて大したもんねーだろ。車のエンジン音がどーのこーの、そんなのばっかだろ?」
「違うんだよ……違うんだ!新川君なんだよ!」
それまで無視を決め込んでいた岳がその言葉に立ち上がり、距離を詰めた。米田も内山も真顔になる。
「襟足ヤンキー」の嶋田が吉崎の足元に唾を吐く。
「おい。純君が何なんだよ?」
「いや……。その……暗いっていうかさ……」
「俺、昔からアイツと仲良いんだけどさ……文句あんなら聞くけど?」
「この前友達になろうって言ったら断られた……」
「それはおまえにセンスがねーんだよ。それだけ?」
「あのさぁ……俺が言ってた訳じゃないんだけど……なんていうか……皆、純君の事「シンショー」って呼んでるから」
吉崎が言い終わらないうちに、岳は誰かに押し退けられた。その腕が吉崎の襟元を締め上げる。
顔を真っ赤にした高島が吉崎を揺さぶる。
「テメー、今、純君の事なんつった?」
「お、お、俺じゃない!」
「テメーも一緒だろうが!一緒になって笑ってたんだろ!その下らねぇ連中とよ!クソみてーな連中とよ!おい!何て言った!?」
「そ、その……シンショー……身体障害者って意味だけど……」
「意味ぐれー知ってんだよ!ふざけんなよテメー!」
そう言うと激昂した高島は吉崎を片手で放り投げた。尻餅をついた吉崎は逃げ出すようにしてその場を去っていった。
岳は吉崎に対する怒りよりも、得体の知れない失望感に包まれていた。
不安な気持ちになり、指先が震えた。
自分が友人だと想っていた純が自分の知らない場所で「シンショー」と呼ばれていたのだ。
そう呼ばれるようになるまで、岳は何も気付かなかったのだ。
急激に覚えた失望感は自分に対するものだった。
米田と内山が心配そうな顔で岳を覗き込んだが、岳は何も反応しなかった。
それから数日後、岳は昼休みに純の居る教室を訪れた。
相変わらずイヤホンをして机を眺めている純の側へ行くと、岳は純の机の横を軽く蹴った。
岳に気付いた純が力のない笑顔で岳を見上げた。
「やぁ。珍しいじゃない」
「ったく、校内引きこもりかよ。引きこもりなら家でやれよ」
「いや、なんかさ。こうしてると落ち着くっていうか……」
「たまにはさ、喫煙所行かない?」
「え?何で?」
「いや、外の空気でも吸いにさ」
「まぁ……うん……」
そう答えながらも、椅子から立ち上がろうとしない純を見ながら岳は気持ちが萎んでいくのを感じていた。そして、居場所を失くした言葉は見当違いの場所へ辿り着いた。
「なんつーか……いつも何も出来なくてすまんね」
「何が?俺はいつも通りよ」
「いつも通り?そうじゃねーだろ……」
「あのさ……俺、頼んだかな……?助けてくれよってさ。がっちゃんにいつ頼んだんさ?」
「あ……?」
岳は頭に血が昇るのを感じた。何も答えずに殴りつけてやろうか、と思った矢先、純が二人の間の言葉を繋いだ。
「ごめん……。俺、疲れてんかさ……。がっちゃん、すまない」
「いや……いいよ。行こうぜ」
「あぁ」
純が立ち上がると、岳は急かすように珍しく純の背中を叩いた。滅多にしない岳からのスキンシップに純が屈託なく笑う。
喫煙所と化したテニスコートに現れた純を彼らは大らかに受け入れた。
校内の片隅で、純にとって小さな居場所が生まれた。
最初からそうしなかった小さなプライドのような物を、岳は投げ捨てた。
それから数日してから、純は学校を早退する事が多くなった。最初は癖ついたものかと思っていたがどうやら事情が違っていた。
目の隈が日に日に増え、顔から精気が消え失せて行くのがはっきりと分かった。
学校帰り、純が岳に「相談がある」と話を持ち掛けた。
駅の待合室で座りながら岳は純の話に耳を傾けた。
「あのさ……怖くてずっと言えなかったんだけど。いいかな?」
「まぁ……何でも言ってくれよ」
「あぁ……。田代君がさ、毎朝来るんさ」
「は?」
状況が飲み込めない岳が間の抜けた顔をする横で純は頭を抱えた。
「ど……ういう事?」
「俺んちさ……祖父ちゃんの習慣で玄関の鍵開けっ放しなんだけどさ」
「うん」
「田代君がさ……朝方勝手に入ってくるんさ」
「不法侵入じゃん」
「そうなんだけど……。俺の部屋に入って来てさ……。布団の中に潜り込んで来るんさ」
「え……ちょっと……それは……」
「俺……怖くてさ……。何も言わないでしばらくは帰るの待ってたんだけど……。この前、耐え切れなくて逃げようとしたんさ……」
「うん……」
「そしたらさ……。「好きだ」って言って……強く抱き締められてさ……」
「え……それって……ゲイって事……?」
「分からん……。女も好きだし男も好きってやつかな……。うちの親も薄々感付いてて……朝おまえら何してるんだとか言われてさ……」
「純君の夢ってオチはないよね……?」
「何回もそう思ったけど……頬っぺたもつねったし、それでも田代は横で寝てるし……マジだったんさ……」
「それ……ただごとじゃないぜ……。一回良和ん家行ってさ……ちょっと皆で相談しよう……」
「あぁ……。そうしてくれるかな……。一人じゃもうどうにも……」
項垂れる純に寄り添うように二人が良和のアパートへ足を運ぶ。玄関を開けると良和以外の靴が並んでいるのを見て純は息を呑む。
しかし、それは田代のものではなかった。
佑太とは違い良和から多少の許しを得た小木の姿がそこにはあった。髪が見事なまでに派手な金髪に染められている。
「よ、よぉ!久しぶりじゃん!」
「おう」
「じゅ……純君死にそうな顔してんじゃん!ぎゃはは!呪われてんじゃね!?」
「まぁ……そんなようなもんだよな……話していいかな……?」
岳の言葉に純は小さく頷く。田代の余りの行動を聞かされ、良和は「それは……」と口を塞いだ。
小木は興味津々、といった様子で聞いた後、握り拳を作ると勢い良くそれを手のひらに打ち付けた。
「よっしゃ!田代ボコすべー!み、皆よ、高三だからって大人しくなっちまってよ、安心して、ぼ、ボコれる奴探してたんだよ!おっしゃー!やる気出てきたぜ!おっし!田代ぶっ飛ばし祭り開催すべー!」
暴力的嗜好丸出しの小木の提案に、いつもならば岳がやめるように軽く諭し、良和がおどけて反応し、純がやれやれ、と力なく笑う場面だった。
しかし、この日は様子が違った。
岳は煙草を吸いながら何か思案している様子だった。そして、良和は顎に手を置きながら小木の提案を否定せずにいた。
そして、純は弱々しい声で呟いた。
「それ……お願い出来るかな……?」
小木は力瘤を作って笑顔で答えた。
「任せろよ!ぶっ殺してやっからよ!」
そして、その計画は練られ始めた。




