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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
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畏怖

 理科担当の上川は教卓の前に立つと、その視線を目の前の席に落とした。わざとらしく溜息をつき、呆れたように間延びした声で言った。


「おまえらなぁ、もう少し机、離せ。お喋りは休み時間しろー。いいかー、今は授業中だからなぁ」


 茜と岳は机を離す。上川が黒板へ向かうと茜が小さい声で「上川、口角に泡溜まってる」と岳に囁いた。岳が堪え切れず噴出すが、上川はそれ以上何も言わなかった。

 休み時間になると良和が教室へ入って来た。猿渡がその姿を確かめ、駆け寄る。そして純と岳の居る席へと駆け寄ってきた。良和が興奮気味に話す。


「がっちゃん!がっちゃん!すげぇの見つけたん!空き家!誰も住んでねぇん!」

 猿渡がそれに続く。

「す、すげーんだよ!え、え、エロ本が山みてーにいっぱいある!ははは!」


「エロ本」という響きに教室内に居た数名が振り返る。猿渡の声の大きさに恥ずかしさを感じた岳は、空いていた千代と玲奈の席に二人を座るよう促した。岳はやや声の調子を落とし、二人に問い掛けた。


「空き家って、何処?」

「え、駅前のマンションのすぐ近く。じゅ、塾の隣」


 猿渡の言葉に良和が大きく頷き、自宅が駅から近い純は腕組みしながら宙を仰ぎ「そんな家あったかな」とひとりごちた。

 良和が「漫画もいっぱいあるん!」と言うと、それにつられた岳と純は放課後空き家へ皆で行く事を決めた。

 岳が話の最中に視線を外すと、視線は茜を探して彷徨った。そして、教室の隅で矢所と話をしている茜を見つけた。他の女子数名も混じってはいるが、普段あまり目立たないメンバー達だった。あいつ、誰とでも仲良くなれるんだな。と岳は感心しながら、気が付けば茜を探してしまう自分に戸惑いのような感情を覚えた。


 親の離婚、兄弟の構成などの家庭環境や趣味や趣向が似ていた為、茜に対して岳はしばらくの間兄妹のような感情を抱いていた。楽しそうに誰かと話す茜を見ると、岳も自然と楽しい気分になるような、そんな些細な愛しさを茜に覚えていたが、それは恋とはまた違った種類のものであった。

 それが近頃、茜に対して胸が疼くような想いを伴うようになっていた。


 そして今も茜を見ながら「また笑ってるな」と岳は思っていたが、それは愛しさの為に顔を緩ませるものとは違っていた。


 空き家に放置されているエロ本と漫画のタイトルを良和が思い出しながら口にしていると、千代と玲奈が揃って教室へ戻って来た。

 猿渡が自分の席に座っているのを見ると千代はすぐさま駆け寄った。


「ちょっと!何でサルが私の机に座ってるの!」

「だ、だ、だってがっちゃんが座れって」

「座れって言われても座らないで!もう最低!」

「わ、わりぃ」


 そこへ悠然と玲奈が歩いて来た。良和と軽く挨拶すると、自然と席を入れ替わる。玲奈は立ちながらうろたえる猿渡を一瞥すると「しっしっ」と手で払うポーズをした。

 放課後の約束を取り決めた彼等は解散し、午後の授業を知らせるチャイムが校内に鳴り響く。

「休み時間短い」と独り言を言いながら茜が席へ戻ると、すぐに岳が声を掛けた。


「森下さぁ」

「何?」


 茜は笑顔で答えた。


「森下は誰とでも仲良く出来るんな。凄いな」

「そうじゃないよ。私、全然凄くないもん」

「いや、凄いよ。だってさ……」


 そう言うと岳は言葉を詰まらせた。

 森下が岳を覗き込む。茶色がかった瞳が岳の目に映る。


「え?だってって、何……?」


 茜が笑顔のまま不安げな様子を見せた。

 岳は茜と目を合わすと、茜に同情するような口調で呟いた。


「森下さ。たまに、無理して笑ってるだろ」


 茜の耳にその言葉が入った瞬間、英語担当の大河原が教室へ入って来た。緊張の為に一瞬にして教室内は静まり返る。半自動で行われる大河原の授業には教師の話を聞く、という時間が無かった。

 その間、茜は誰にも悟られたくなかった自分の秘めた部分を岳に指摘された事を考えていた。


 茜の持つ愛嬌とは「武器」ではなく、自分を守る為にある「防御」だったのだ。

 両親の離婚の経験や、それを騒ぎ立てる周りの大人達、そしてクラスメイト達から自分を守る為、そして少しでも自分を苛む原因を減らす為に生み出した処世術でもあった。

 一人きりでいる時に感じる後ろめたい感情と目を合わせた瞬間に、心がそこへ飲み込まれるという事を、そして、その恐怖を茜は知っていた。

 人に好かれる事で自分の身を守る事が出来たなら、自分の事を心配する建前で責める人間を減らす事が出来るはずだ。

 そう思いながら実践し続け、それは上手くいっているはずであった。

 鏡を見ては自分が他人から笑って見えているかどうか、確認する事もあった。


 大河原が黒板にテキストを書き写している間、茜は声を押し殺して岳に尋ねた。ペンを持つ手が若干、震えている。


「がっちゃん……なんで……?」


 岳は視線をノートに落としたまま答えた。


「何が?」

「だから……。何で……そう思ったの?」


 大河原は突然チョークを置くと、教卓の前へ立ち茜を見下ろした。いつもなら笑って誤魔化せているはずがこの時はただ、怒られるかもしれないという恐怖に口を固く結ぶ事しか出来ずにいた。

 一瞬間を置いた大河原は茜から目を逸らすと「37ページと言いましたが41ページです」と言い、再び黒板へ向き直った。


 茜は自分が酷く緊張している事を情けなく思うと、答えのないままの岳のノートを盗み見た。

 テキストをノートに写してはおらず、斜線ばかり描いた落書きが目に入った。

 片隅の余白が斜線で黒く塗りつぶされていた。

 やはり、この人は分からないかもしれない。茜がそう思うと同時に、岳が茜の耳元にしか届かない声で答えた。


「同じだったからだよ」


 茜はその意味が上手く汲み取れず、答えに詰まった。


 岳は茜の振る舞いに過去の自分を見ているような錯覚を覚えていた。両親が離婚する直前、家庭に居場所が無かった岳は学校に居場所を求めた。

 人気者になろうと必死になり愛想を振りまき、そして人の笑顔を見ると喜びよりも先に安堵と少しの疲労を感じていた。

 全て、自分の居場所を確保する為の行動だった。

 そんな過去の自分を茜の中に見出し、岳は少しの苦しさを感じ、そしてその弱さに愛しさを感じていた。

 しかし、自分が茜にとっての居場所になれるとは微塵も思わなかった。

 その思いに反し、茜に惹かれて行く心に岳は一早く終止符を打ちたかった。


 茜はやっと見つけられた安心して腰を下ろせるような、そんな小さな自分の居場所を追い出されたような気持ちになっていた。

 岳に対して寄せていた信頼よりも、隠し続けていた心の裸を見抜いてしまう岳に信頼より大きな畏怖を茜は感じ始めていた。


 放課後になり、岳と純は揃って教室を飛び出した。

 普段は純が剣道部の部活をサボると追いかけてくる茜が、その日は追い掛けてくる様子も無かった。

 矢所が茜の肩を叩く。


「ねぇ!あの子達、脱走したんだけど!純君、捕まえようよ!」


 茜は矢所に力のない笑顔を向け、素っ気無く答えた。


「いいんじゃない?別に」


 唖然とする矢所を他所に、茜は教室を出て行った。


 廊下で擦れ違う様々な生徒達。笑い声はあちこちから響いてくるが、耳で泣き声を探しても心以外の何処からも聞こえてはこなかった。夏の気配を感じさせる放課後だった。

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