年越し
年越しを前に岳はバンド活動が多忙になりアパートへ余り顔を出さなくなる。そんな中、年越しに佑太と小木、そして良和に会うのだが、友利はとある事が心配になる。
ユミカの一件から数週間。良和は佑太の後輩ホストとして日々働いていた。
アパートで佑太と良和が笑いながら話をしている。
「ヨッシーさぁ。この前ヘルプ付いた時のババア口臭くなかった?俺マジで無理なんだけど」
「あー。あれは確かに臭かった。しかもあんまり金持って無さそうだし」
「最近金の無いババアばっかでマジやる気失せるわぁ」
「ケチばっかなんねぇ。佑太、悪いけどバキ取ってくれ」
「あぁ、はいよ」
「ありがと」
漫画を手渡された佑太の眼つきが突然、鋭くなる。
「おい。ございます、だろ」
「あぁ……ありがとうございます」
「しっかりしろよ」
「はい……」
そのやり取りに転寝していた岳が不快感を覚え、口にする。
「そういうのここでやんなよ。店でやれよ」
岳の言葉に佑太がかぶりを振る。
「ちげー。こいつマジでなってねーから。筋通す所はちゃんと筋通してもらわねーと。俺がナメられっから」
「横でそんなんされたらゆっくり出来ねーよ」
「悪いけど教育だからさ、目瞑ってくれよ。な?」
「ヨッシーはそれでいいんかよ?」
壁に凭れかかったまま良和は頷いた。
「俺が悪いん。だから仕方ねぇんさ……」
「そう。まぁ……どうでもいいけどさ。……そろそろ練習あるから行くわ」
「あぁ。頑張って」
「うん。また」
この頃の岳は願書提出時に出会った大きなピアスを開けた少年からバンドの勧誘を受け、他校の生徒も含めた新しいバンドを結成していた。
ドラマーではなくギターボーカルとしての誘いに岳は大いに喜んだ。ピアスの少年こと「鳥山」の提案により他校の生徒達に取り囲まれながらのボーカルテストを受けさせられたものの、岳は晴れて「合格」のお墨付きをもらっていた。
初めてのオリジナル曲のみでのバンド活動に熱を入れていた為、アパートへ顔を出す機会も徐々に減っていた。
それがある出来事に気付く機会を遅らせた。
大晦日の夜。年越しを迎えた岳と友利は部屋でホラー映画を鑑賞していた。
その最中、突然鳴り出した電話に岳は驚き、跳ね上がる。それを見た友利が笑う。
「だっさ。岳、意外とビビリだよね」
「怖いもんは怖いんだよ。誰だろ?佑太か」
「佑太君……?」
通話ボタンを押すと甲高い声がスピーカーから聞こえてきた。
「ハッピーニューイヤー!呑んでますかー!?」
佑太がアントニオ猪木の声掛けを真似する後ろで、それを囃し立てるような騒ぐ声がする。それが小木と良和のものだとすぐに気付く。
岳は声のトーンを落として答える。
「明けましておめでとう。呑んだけど……後はもう友利とゆっくりして寝るだけだよ」
「それを知ってて掛けましたぁ!今さぁ、外出て来れない?近くにいっからさぁ。何だったら行くからさ!」
その言葉に岳の表情が険しくなる。
「絶対ダメ。来るな」
来るな、という言葉に友利が反応する。一瞬岳に目を向けると、すぐに画面に目を戻した。
そして、触れていた肩を離した。
佑太は相当酔っているようで何か喚いていたが、半分も聞き取れない。
「何で何で何でぇー!?皆で新年祝おうぜー!美人の彼女さんに会いたいっす!」
「俺らは別に会いたくねぇよ」
「寂しい事言わないでぇー!じゃあ今から突撃しやーっす!」
「ふざけんなよ。てか、何処にいんの?」
「上郷神社。すぐ目の前でーっす!」
「分かったよ。一回友利と相談すっから」
「よろぴくでーっす!待ってまーす!」
その声の後ろで小木と良和が「待ってるよー!」と叫ぶ。二人共酔っているのだろう。
岳が電話を切ると友利は立ち上がり、白いロングコートを羽織った。岳は座ったまま友利を見上げる。
「え?行くの?」
友利は真顔で答える。
「来られるのとどっちがマシ?」
「行く方だけど……ありがとう……」
「さっさと帰って来よ。行こ」
「おう」
寒空の下、真夜中だというのにあちこちの窓辺の灯りが点いている事に岳は年越しを感じる。
上郷神社までは歩いて三分も掛からない為、すぐに鳥居が見えた。地元住民が集まり、焚き火をしながら甘酒を配っている。狭い境内は年越しの為に珍しく人で溢れていた。
マフラーを口元まで巻いて寒さに耐えていた友利が何かに気付き、岳の指を強く握る。
前を向くとフラフラと歩く三人組が目についた。
黒いコート姿の佑太が叫ぶ。
「ほらー!小木!この子ががっちゃんの彼女だよ!可愛くねぇ!?こんばんわー!」
佑太の言葉に岳は「あけおめ」と素っ気無く答え、友利は「どうも」と小さく会釈した。
青いスカジャン姿の真っ赤な顔をした小木が興奮気味に近寄ってくる。
「お、お、おー!か、可愛い!ヤベー!あれっしょ!「あゆ」に似てるって言われんべ!?なぁ!?」
友利は眉間に皺を寄せながら首を傾げる。小木の後ろからダッフルコート姿の良和が現れる。
「あけおめー!うへぇー……酔っ払った」
良和の姿を見ると、友利は表情を緩めた。
「どうも。久しぶり」
岳が良和に声を掛ける。
「相当呑んだんか?大丈夫かよ」
「でぇじょうぶでぇじょうぶ!てぇーっ!」
そう叫ぶと良和は路上に寝転んだ。その上に佑太と小木が雄叫びを上げながら覆い被さる。
友利は何も言葉を出さずに、笑いながらその様子を眺めていた。
しかし、笑いながらも岳を促すように身体を捻る。それに気付くと岳は彼らに声を掛けた。
「じゃあ行くわ。おやすみ」
転がったまま佑太が声を上げる。
「何でぇー!早いよぉー!あれですか!二人でお楽しみですかー!?いいなぁー!チキショー!」
小木が「はい!はい!俺も!」と叫ぶ。そして寝転がったままの良和の頭を笑いながら叩いた。
岳と友利は彼らの言葉を無視して踵を返す。背中の嬌声を受けながら友利が言う。
「あのさ……良和君は好きだけどあの二人は無理」
「変なのに会わせてごめん」
「付き合いだから仕方ないけどさ。あんまり遊んで欲しく無いな」
「うん……普段はあんまり遊んでないよ。友利に無駄な心配させたくないし」
「あんたしょっ中「頭が痛い」とか「胃が痛い」とか言ってるじゃん。本当心配させるのは身体の事だけにして……。ていうかさ、良和君は大丈夫なの?」
「何が?」
「何っていうか……佑太君と同じホストで働いてるんでしょ?あの二人にいいようにされてないの?一人暮らしだし、大丈夫なの?」
「そう思う?」
「なんかね……。嫌だな、あぁいう人達」
友利の危惧している事が実際の所どうなのか、それは普段から岳と純が気にしている所でもあった。
岳はそこについて踏み込むべきかどうか足踏みをしたまま、何も問えずにいた。何度も忘れていたフリをしている自覚はあったのだ。
それから数週間後のある日。バンド練習が無くなった為、岳と純は久しぶりに揃って良和のアパートへ遊びへ行った。
扉を開くと同時にアルコール混じりの異臭が鼻を突き、思わず顔をしかめる。
玄関を上がるとワンルームの部屋はいつも以上に酷く散らかっていた。
乱れた布団、引っくり返った灰皿。食べ残しや酒瓶、空き缶や漫画本が所構わず散乱している。
散らかっている、というよりはまるで荒らされた後のような印象を受ける。
窓際に座る良和の顔からは完全に精気が消えていた。
岳と純を見ながら、憔悴し切った表情で片手を上げる。
純が顎に手を添えながら訊ねる。
「これ……どうしたんさ?自分でやったんじゃないっしょ?」
良和は何も答えずに力なく笑った。純と岳は何も言わず良和の傍に腰を下ろす。
ふと目を落としたゴミ箱の中にコンドームが捨てられているのが見えた瞬間に、岳の中で怒りが込み上げてくる。
「ヨッシー。これって……おまえが散らかしたんじゃないだろ」
「いや……?最近掃除してねぇんさ。それだけだよ……」
「おまえさ、彼女いたっけ?」
「えぇ?居ないよ。ホストやっててもダメだからモテねぇんよ……」
「じゃあ何でゴムが捨てられてんだよ」
「あぁ……ちょっとさ、佑太と小木にたまに部屋貸してるんよ」
純が片膝をついた姿勢で良和を覗き込む。
「それ……本当かい?まぁ本当だとしてもさ……ヤリ部屋にされてるって事じゃないの?」
「俺に何か言う権利ねぇんよ。後輩だし……」
「プライベートは関係ないんじゃないの?だってここヨッシーの部屋じゃん」
「まぁ……そうだけど……大丈夫だよ……」
「大丈夫って……俺にはそうは見えないけどな……」
その時、バルカンの爆音が遠くから聞こえた。誰もが彰だとすぐに気付く。
バイクを停めるとやはり「いつも通り」窓から部屋へ土足のまま上がり込む。
意気揚々と楽しい事を探しに来た彰だったが、部屋を一望するとその表情は真剣なものとなった。
「何コレ?」
その声のトーンはユミカの写真を拾った時とは違う、誰かを責めるような声だった。




