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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
高校編
69/183

ズレた眼鏡

友利の突然の愛情表現に戸惑う岳。

予想外の出来事の連続の中、岳は偶然茜と出会う。

 その週末、池袋で待ち合わせた友利の右肘には包帯が巻かれていた。

 岳が心配になって尋ねると、アトピーが悪化したのだと言う。腕が痒くて堪らずに寝ている間に掻き毟り、化膿してしまったのだった。グリーンのワンピース姿が、包帯の巻かれた右腕の痛々しさを際立たせていた。

 手を繋いで歩いていれば、擦れ違う人の群れが友利の右腕に当たらなくて済む事に岳は安堵した。

 ふと、友利の顔を覗き込むと白い肌がやや乾燥している。体調が良く無さそうだったのですぐに電車に乗り込み、男衾へ向かう。

 始発駅から終点間近まで、岳と友利は他愛も無い話をし続けていたが、景色が田畑に変わった頃になると友利は口を利かなくなった。


 機嫌を損ねるような会話は一切無かったので、具合が悪くなったかと思い岳が友利に尋ねると真正面を向いたまま、友利は無言でかぶりを振った。

 小川駅に着くと二人は慣れた動きで四両編成のワンマン電車に乗り換える。


 電車が動き出し、しばらく二人で田んぼの続く車窓を眺めていると、友利が突然岳にしな垂れかかった。

 巷で良く出くわすカップルのように分かりやすく恋人に甘える行為など友利は岳にした事がなかったので、岳は突然の友利の行動に戸惑いを覚える。

 具合が悪くなり凭れ掛かったのだろうかと思い、友利の顔を覗き込むと先程まで真っ白だったはずの頬が微かに紅潮していた。

 クーラーが効いた車内にも関わらず、その首筋には汗が浮かんでいる。

 岳は友利の行動に違和感を覚え、すぐに尋ねた。


「友利……どうしたん……?」

「いいから……」


 岳の問い掛けを押し退ける言葉を、友利は聞こえるか聞こえないかという程の小さな声で岳の耳元に呟いた。そして、その首に腕を回し始める。岳は回された腕に包帯が巻かれている事に、思わず愛しさを覚えた。

 向いの席に座る男子高生二人と老婆が、口を開けたまま目を丸くしている。

 友利は一瞬、向かいの席に目を向けたが意に介していないようだった。長閑な風景と呼応するように、非常に緩慢な動きで友利は自分の鼻先を岳の鼻先に擦り付けた。その目は甘えているというよりは、必死に何かを耐えているようにも見えた。

 されるがまま、といった状態だった岳は友利の行動の意図を探る事を止め、それ以上言葉を出す事も止めた。


 目の前にいる相手が本当にその相手なのか、細かな皮膚の質感や、その匂いを確かめるように二人は互いの顔中を鼻先で探り合う。

 唇が触れそうになると友利はそれを避け、熱を帯びた額を岳の額に押し当てた。

 目は瞑られていたが、僅かに口角が上がっていた。

 恥らったのか、それとも今のは悪戯なのか。

 岳がそう思った矢先、電車はひと気のない男衾駅に辿り着いた。

 ホームに降りるとすぐ、岳は友利を抱き締めたい衝動を必死に抑えて尋ねた。


「珍しい事するじゃん。どうしたん?」


 聞こえているはずの言葉に反応する事なく、友利は胸元から風を入れながら真っ青な空を見上げた。

 岳と向き合うと、何事も無かったかのように輪郭のはっきりした声で


「埼玉、暑いね」


 と言った。

 そして力強く、岳の左手を握った。


 その次の週末、岳が兄とドライブをした帰り道だった。煙草が切れた岳は兄にセブンイレブンへ寄るように頼んだ。

 煙草を買い、兄の会計が済むのを店内で待っていたその時、懐かしい姿に岳は思わず声を荒げた。


「おい!森下じゃんか!」

「がっちゃん!」


 茜はTシャツにハーフパンツというラフな格好だった。人懐こそうな愛嬌のある目尻は、中学の時と何ら変わらなかった。

 髪が伸び、ほんの僅かに茶色く染められていた。

 狭い店内で、二人は周りの迷惑も考えずに中学以来の再会を大きな声で喜び合った。

 茜は岳の剃り込まれた眉毛を指差し、声を立てて笑った。


「がっちゃん眉毛どうしたん!?」

「中学に置いて来たんだよ!」

「それ細過ぎっから!ヤンキーになったの!?」

「違うよ!バンドやってんだよ!」

「バンドぉ!?コミックバンドでしょ?それかどうせ、くっらーいフォークとかなんじゃないの?」

「パンクスだよ!パンク!」

「あぁー、パンクねぇ。がっちゃん人の言う事聞かないもんねぇ。納得だわ」

「それより森下何で男衾いんだよ?引越したって聞いたで」

「ううん、色々あってさ。まぁしばらくこっちに居る訳よ。ねぇ、番号交換しようよ。皆元気してんの?」

「おう。純君も良和も佑太も相変わらずだよ。全然変わんねーよ」

「あんたが変わり過ぎ!特に眉毛!あぁ!おっかしい!」

「今度さ、皆で会おうぜ」

「いいねぇ!矢所さん連れてこっかな」

「出た!ヤドピー!生きてんの?」

「生きてる生きてる!バリバリ」


 二人は中学三年になってから余り会話をしていなかった事なども忘れ、話に華を咲かせた。

 早速次の休みに会う約束を取り決め、二人は店を出てすぐに別れた。

 岳の兄がずれた眼鏡を掛け直しながら、茜の後姿をじっと眺めている。


「岳、あの子誰なん?」

「誰って、同級生だけど」

「えぇー。可愛いじゃん!可愛いじゃんよー!」

「そうだね。昔好きだったんだけどね」

「うっそー!岳、まさか付き合ってないよね?」

「ないよ。何もないよ。告白もしてねーよ」

「そうなんだ。番号教えてよ」

「嫌だよ!」

「あ、番号知ってんじゃん。友利ちゃんに言っちゃおうかな」

「そういうんじゃないって」

「ならさぁ、いいじゃんかよぉ」

「いくつ離れてると思ってんだよ」

「まぁ……そうだけどさ」


 岳と兄は年が10個も離れていた為に、この言葉に兄は黙り込んだ。不貞腐れて隣で眼鏡を拭う兄に話した事で、岳は過去に茜に想いを寄せていた事を急に思い出した。

 それが岳をとてもくすぐったくて堪らないような、思わず可笑しくなるような気分にさせた。

 友利という恋人を持った今、茜に対して改めて思うのは同じ中学時代を過ごしたという仲間意識だった。想いを馳せる相手というより、完全に兄弟に近い感覚だった。


 開け放った窓辺から入った蚊の羽音に純が苛立ち、音の元凶を殺そうと耳を澄ましていると低いバイブ音が部屋に鳴り響いた。岳からの着信だった。すぐに電話に出る。


「おぉ、純君。何してるん?」

「いや、蚊が煩くてさ。殺そうとしてたんだけど、見つからなくてイライラしてた」

「そうか。暇なら俺ん家来ない?」

「あぁ、蚊が煩いから行くわ」


 純はポケットの中に鍵を仕舞うとすぐに部屋を飛び出した。最近はすっかり目を付けられる事もなくなった愛車にキーを挿し込むと、颯爽と岳の家へ向かった。

 インターフォンを押すと出迎えたのは岳では無く、岳の兄だった。何度か会った事がある為、すっかり純とは馴染みになっていた。


「おぉ、純君。入りなよ」

「はい。お邪魔します」


 兄と共に部屋に入ると、岳は誰かと電話をしていた。相手は友利だろうな、と思ったがそれにしては声のテンションが高かった。


「分かった。じゃあこっち決まったらまた連絡するわ。じゃあね」


 岳は電話を切るとすぐに煙草に火を点けた。


「おう、純君。いらっしゃい」

「あぁ。蚊が煩くてまいったよ。あー、最近は夜もあっちぃね」

「何ジジイみてぇな事言ってんだよ。あのさ、さっき森下に会ったんだよ」

「え?」


「森下」という単語に、純の動悸は思わず早くなる。

 男衾にはもう居ないはずの茜という存在の突然の出現に、純は興奮気味になる。

「またね」

 と言ってからもう1年半近くの時が過ぎていた。


「あいつ全然変わって無かったなぁ。元気してたよ。それでさ、今度皆で会おうってなってさ」

「え!?あ、あぁ。いいね、いいんじゃないかな。いいね」


 茜に会ったというのにも関わらず、平然とした態度で話す岳に純は何故か焦りのようなものを感じた。

 しかし、考えてみれば岳には友利という恋人が居て、好意を寄せていたのは過去の話であった。

 純の焦りの原因は「あの」茜に会ったのに?という自分の想いから来るものであった。

 岳が何か口を開こうとしたが、それより先に岳の兄が言葉を発した。


「あの子、森下さんって言うん?」

「そうだよ」

「純君も知ってるんだろ?可愛くね?可愛いよなぁ?」

「あぁ……まぁ、はい。そうですね」


 にやけながら話す岳の兄に純は若干の苛立ちを感じながらも、大人から見ても茜が魅力的に見える事に少しの誇らしさのようなものを感じた。

 岳は煙草の煙を兄に向かって盛大に吐いた。


「だから、どうにもなんないんだからやめろって」

「可愛いって思うくらいいいじゃん!だって可愛いだろ?」

「俺は友利がいるし。友利はすげー良い女だよ」

「友利ちゃんはさぁ……なんか怖いじゃん……綺麗だけどさ。でも話すと声、可愛いんだよな……」

「自分よりデカイ女がダメなだけなんじゃないの?」

「ち、ちげーよ。岳さぁ、友利ちゃんに騙されてんじゃねーの?あんな綺麗な子さぁ……」

「はいはい。騙してたらこんな田舎までわざわざ来ないから」

「そうかなぁ?純君もそう思わねぇ?」


 兄の問い掛けに純は先程までの苛立ちをすっかり忘れ去り、満面の笑みで兄に答えた。


「はい。俺は美人局かなぁって思うんすよね」

「だよなぁ!?絶対そうだよな」

「年も多分26くらいだと思うんすよ。あんな大人っぽい子いないし」

「だろ?ほら!やっぱ岳は騙されてんだよ!森下さんだっけ?あの子はそういうの……しなさそうじゃん」

「二人で勝手に意気投合すんなよ!てか別に騙されてねぇし!純君もいい加減「美人局」だと思うの諦めろよ!」

「いやー、こればっかりは分からんでしょ」

「あー!もう!話になんね!」


 三人が互い違いの意見を繰り返しぶつけ合う横で、夏の夜は勝手に過ぎて行く。

 懐かしさに変わった感情と、そうではない緊張を背負いながら、茜と純は再会する事になる。

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