夏が再び
岳がパンクに対しての思いを訴える傍ら、純はいつもと違った様子で窓辺を眺めていた。
早退を決めた岳は純を連れて学校を飛び出す。
「最近のカッコいい曲って言えばさ、やっぱ「東京少年」じゃね?あれが「パンク」なんだろ?」
「えぇ?ゴイステは違うんだよなぁ。あれはパンクってか、フォークの延長にあるんだと思うんだよ」
「そうなん?俺には違いなんて分かんねーぜ。音がうるさければ皆「パンク」なんじゃねーの?」
「違うよ!そもそも「青春パンク」ってのがおかしいんだよ。パンクには青春なんてねぇんだよ」
「岳の言う事は全く分かんねーよ!なぁ、純」
昼休みの音楽室では岳がムキになり、米田の考えるパンクへの価値観を改めようと躍起になっている。その横で、純は窓の外をぼんやりと眺めている。
遠くに見えるのは赤城山と浅間山。それら視界の壁に至る途中のどこかに、かつて住んでいた藤岡の街はあるはずだった。しかし、たかだか三階からの眺めでは当然ながら見えるはずも無かった。
純は米田の問い掛けに興味なさそうに返事をする。
「あぁ、そうね」
純のそっけない答え方に、岳はさらにムキになる。
「純君まで分からないってどういう事だよ!あれだけ「ゴイステはちょっとなぁ」とか言ってたじゃん!」
岳の言葉に純はハッと息を呑む。話を全く聞いていなかったのだ。純の様子がおかしい事に岳はすぐに気付き、追い討ちを掛けようとしていた言葉を止める。
米田が心配そうな顔で純を見る。
「ごめん。全然聞いてなかったんさ」
「おい。どうしたんだよ?」
「うん。なんかさ、気分悪くて。すまんね」
米田と岳は顔を見合わせる。体調の問題では無いのだろう、と暗黙の了解ですぐに理解した。
岳は音楽の教材を鞄に仕舞うと立ち上がった。
「純君具合悪いみたいだし、帰るか。俺も母ちゃんの見舞い行かなきゃだし」
「おい、岳。マジで帰んの?」
「うん。帰るよ。純君、行こうぜ」
夏前に岳の母は甲状腺の腫瘍摘出手術を受け、入院をしていた。その為、学校を休みがちになったり早退する事を学校側に事前に知らせてあったのだった。
岳に催促されると純も鞄を肩に下げ、立ち上がる。米田が眉間に皺を寄せる。
「おい!おまえらズルいぜ!」
「米田君ち、母ちゃん元気なんだろ?」
「うち?まぁ、元気だけど……」
「残念……元気じゃなかったら一緒に帰れたんだけどな。お母さんを大切に。では」
「おい!」
米田の制止を無視し、岳は純を連れ出して学校を早退した。校門を出ると、背中で午後の授業開始を告げるチャイムが鳴る。
岳は純の様子がおかしな事に気付いてはいたが、それについて問う事はしなかった。
「純君、今日は桜沢から電車?」
「いや、せっかくだし……天気良いし、歩いて帰ろうかな」
「そうか。じゃあ一緒に帰るか」
「あぁ」
岳は自転車を押しながら、純は下を向きながら快晴の景色の中を歩く。どちらとも口を開く事も無く、無言で歩き続ける。
しかし、それが決して居心地の悪い空間ではない事を二人は知っていた。
夏を感じさせる速い風が、畑の砂埃を舞い上げる。
その風が止んだ瞬間に、純は前置きなしで岳に呟いた。
「あのさ……俺さ、フラれたんさ。この前」
そう言うと、純は照れ臭そうに笑みを浮かべた。フラれた、と言う言葉と表情がチグハグだったが岳はそれが純の持つ純らしさだと知っていた。
「へぇ……。もしかしてこの前俺が言ってたのは当たってたん?」
「あぁ……。だけど、ダメだったんさ」
「どんな子?」
「男衾の後輩。髪長くて、綺麗な人」
「へぇ。純君は面食いだかんな。理想が高過ぎたんかな」
「それは……否定しないでおく」
「とりあえずの間はさ、小さくて可愛い松久さんでも見て癒されときなよ」
「流行の癒し系かい?慰めてくれるかさ?」
岳が純のお気に入りのクラスメイトの名前を出すと、純は笑った。岳は一瞬顔を上げ、松久の顔を思い浮かべる。どこか小動物のような印象の顔が浮かんで、消える。
「でも、あの子は確かに可愛いよな」
「あぁいう松久さんみたいな子でもさ、やっぱエロい事考えたりするんかさ?」
「そりゃするよ!男より女の方が絶対エロいんだから」
「ははは!あのソニックの鞄の中さ、そういうオモチャとか入ってたりして」
「そのうち隠さないで机の上に並べ始めちゃったりしてな。今日は何色にしようかな?とかな」
「ピンクは飽きて意外と紫とかさ!ははは!ったく、しょうもねぇなぁ」
二人は馬鹿話に華を咲かせながら、帰り道を急ぐ事無くゆっくりと帰った。
純は自分と岳の居る場所が少しずつ、しかし確実にズレて行く日常を感じていた。中学の頃のように常に斜に構え、時に苛立ちを行動に移し、絵に不満をぶつける岳はもういない。
今純の目の前に居る岳は物分りが良く、冗談めいた事を口にするのが好きな社交的な少年だった。
彼女とバンド活動に明け暮れ、地元の集まりに顔を出す機会も減っている。
校内ではバンド活動をする連中と行動を共にする姿を眺める機会が増えた。
こうして二人きりで岳と話す事自体が久しぶりだった。しかし、二人で話す時は中学の時と何ら変わらない岳が目の前にいる。
だからこそ、周りの環境が変化しても岳と疎遠になる事はないだろうと純は信じられた。
赤く戻した髪を弄りながら、岳が呟く。
「HIDEって本当に死んだんかなぁ……。TOSHIはセーター着てアコギ持って歌ってるらしいね。あの世からそんな姿見たらさ、HIDEはどう思うんかな」
「やっぱ怒るんじゃない?「出っ張った顎が割れるまで本気で歌えよ!」ってさ」
「言えてるわ。戻って来いよ!バケモノアゴ男!」
そう叫んで畑に煙草を投げ捨てる岳を見て、純は小さな安心の為に笑った。
家に帰れば再び瀧川の事が頭を過ぎり、気分が塞ぐ事はあったものの純は徐々にいつもの穏やかな様子を取り戻していった。
学校帰りは岳のバンド練習を覗いた後に米田とスケボーの練習をする。天気の良い日の夕暮れにはバイクのマフラーを磨く。磨いたバイクでツタヤへ出向き、レンタルCDやビデオを借りて鑑賞し、暇があれば良和のアパートへ遊びに行く。
岳のように刺激的な趣味や日常がある訳では無かったが、純はそんな日常に満足していた。
音楽に関し、自分の実力の無さに苛立つ岳を横目で見ながら、そういった苛立ちを覚える事もない平和な日々を純はただ静かに、受け入れていた。
半袖で過ごしやすい季節になると、友利と会わない週末に岳は兄とドライブに出掛ける機会が増えた。
鉢形にある良和のアパートに兄が越して来た影響だった。
車の中では流れる音楽は、当時「ロッキングオンジャパン」などで取り上げられるアーティストがほとんどだった。
その中でも特に岳に衝撃を与えたのは、兄が勧めてきたNUMBER GIRLの「透明少女」という曲だった。
速いビートに乗る歪んだギター。砂埃をあげながら地を這うような重たいベース。そして手数が異常に多いドラム。ボーカル「向井 秀徳」のデスボイスというより、声を吐き出すように絶叫させる独特のボーカル。
そして岳が何よりも心を打たれたのは、騒がしい音が表現する「夏」を連想させる世界観だった。
兄からCDを借りると岳は狂ったように一晩中「透明少女」を聴き続けた。
岳は興奮気味にすぐさま良和と純に「透明少女」を聴かせた。純の反応はいまいちだったが、良和は気に入ったようだった。
アパートの一室のオーディオからは騒がしい爆音が放たれ、空気に散る。
良和が岳の目は見ずに尋ねる。
「いいねぇ。これ、なんてバンドなん?」
「ナンバーガール」
「ナンバーガール?聞いたことねぇや」
「ちなみにこれ、ボーカル」
「うわ、こりゃ何かやっちまう人だわ」
岳が手渡したロッキングオンのページを見て良和は驚嘆の表情になる。どう見ても冴えないサラリーマンにしか見えない風貌の男が作り出すロックに、岳も良和もある種の「ヤバさ」を感じていた。
NUMBER GIRLに触発された岳は、自分の楽曲にも夏の色を特に強く意識するようになった。
新しい夏の始まりが、すぐそこまでやって来ていたのだった。




