一万円
駅前でチンピラに絡まれた事で岳に起こった事を純は悟る。悪者に探されている岳は学校へ来るという。そして、純はある方法で岳を助ける。
岳がメル友と東京で週末泊まりで会うと言っていた水曜日。
純は前日の帰りに瀧川に会えなかった事を若干悔やみながら登校すると、桜沢駅の階段を下りた所で丸坊主のサングラスを掛けた男に呼び止められた。
背は高くないが、かなり体格の良い男だった。
「おい。おめぇ見た事あんな」
「は、はい?何すか?」
「何すかじゃねぇよ。口の利き方ナメてるとボコしちゃうよ?」
純は恐怖よりも真っ先に苛立ちと怒りを覚えた。相手が一人なら……と考え始めたが嶋田の頭に巻かれた包帯を思い出し、冷静になる。
「あの、用件は?」
「おめーさ、男衾だろ?な?」
「はい」
「水木に言ったんだけどな。もうあのバイク乗ってねぇの?」
純は一瞬にして肝を冷やした。顔を覚えられていたのだ。バイクの件で呼び止められたのだと思い、瞬時に身構える。逃げるか、それとも。
「バイクはもう、乗ってないです。シート被せてます」
「ふぅん。利口だねぇ。ま、地元の奴には手は出したくねぇんだけどよ、ちょっといいかな?」
「はい?」
「おめーよ、男衾の「猪名川 岳」って知ってる?」
男の用件は自分の事ではなかったが、純は岳が狙われている事に対し戦慄を覚えた。
血管が萎縮する感覚を覚えたが、純は何とかその場を凌ごうとする。
「猪名川……?いや、うちの生徒っすか?」
「ったりめーだろ。何で男衾のテメーが知らねーんだよ。ばっくれてんだったらこっちも考えるぞ」
「あぁ、そういえばそんな奴いたっけ……。あの、自分、そいつと特に仲良くないんで。何聞かれても……」
「そうかいそうかい。ま、別にいいや。なぁ、新川君。バイク売るなら声掛けてくれよな?」
「あぁ、考えておきます……」
「じゃあ勉学に励んでください。おい、おまえ」
男は再び別の生徒に声を掛け始めた。そして、純は自分の名前を名乗っていないのに名前で呼ばれた事に気付き初めて恐怖を覚えた。そして、すぐに岳に電話を掛ける。
コール四回で岳は出た。
「がっちゃん!今どこ!?」
「あぁ、家。まだ出てないよ」
「ヤクザががっちゃん探してるんさ。学校来ない方がいい」
「マジ?」
「マジだよ。がっちゃん、何かしたんかい?」
「いや。あの……」
岳は前日の夜、内山と共にバイト終わりにすき屋で牛丼を食べた後、彼らに絡まれたのだという。
食事を終えて店内で内山と談笑をしていると、店の外から店内を覗き見ているサングラスを掛けた連中にふと気が付いた。
岳は徹底的に無視し、諦めるまで時間を稼ごうと考えていると、彼らは店内に入って来た。
「兄ちゃん、クールウォータープリーズ」
そう言いながら三人組は岳の真横のテーブルに腰掛けた。
注文する様子はないが、もしかしたらただ牛丼を食べに来ただけかもしれない。そう思いながら席を立ち、素早く会計を済ませて外へ出ると同時に、彼らも立ち上がった。
嫌な予感は的中した。外は冷たい春の小雨が降っていた。
傘を振り回しながら、サングラスを掛けた坊主頭が岳の肩を叩く。
「雨だねぇ。ちょっと、裏行こうか」
店舗の裏で内山と岳は三人組に取り囲まれた。パー券を手持ちの有り金で買えと迫られた。
内山と岳はすぐに金を出したが、岳はメル友との約束を思い出した。
金を受け取り、微笑みながら「気を付けて帰るんだよ」と諭すような口調で言う坊主頭に対し、岳が発した言葉が状況を不味い方向へと向かわせた。
「今やった金なんですけど、携帯払わなきゃいけないんで。一万五千円のうち一万円返してもらえませんか?五千円はあげるんで」
「何だテメェ!ナメてんのかこらぁ!!」
細身で歯のない男が叫ぶ。内山は泣きそうな顔のまま無言で首を横に振り、岳の袖を掴んでいる。
坊主頭が岳ににじり寄る。
「パー券売ったんだよ。意味わかんない?」
「わからないです。別に行かないし、いらないし。それより金返して下さい。俺がバイトして貯めた金なんで。警察行きますよ」
「そりゃ、ずいぶんだねぇ。君、どこ?」
「男衾です」
「じゃあ、五千円だけは返してやる。地元でよかったな」
そう言うと坊主頭は岳の手に五千円札を握らせた。しかし、岳は引き下がらない。
「俺が言ったの一万円です」
「分からないかなぁ?そのパー券、売ればいいんだよ」
「面倒なんでいいです」
「あのさぁ、地元のよしみで見逃してやろうって言ってんだよ。その髪の毛だってそうだよ?よそもんだったらうちはソッコーでボコボコにしちゃうからねぇ。君の高校にもいたろ?頭、割られたの。なんなら……うちのステッカーもあげるよ?自転車にくっ付けて走りなよ。誰にも絡まれない御守りよ?」
「だから、いらないっす」
「テメー!名前言えや!」
それまで静かな口調だった坊主頭が急に吠えた。内山は萎縮し切っている。
岳は一万円惜しさにブレザーの裏側を捲り、坊主頭に見せつけた。
「俺は寄居高校の猪名川 岳です。何かあれば来て下さいよ」
「猪名川ね。覚えたからな」
そう言いながら踵を返す三人組に岳はなお、食いついた。内山が後ろから「バカ!」と小さく叫ぶ。
「ちょっと。帰らないで下さいよ。金、返して下さい」
「テメー頭おかしいんじゃねーか!?それ以上言ったら事務所連れてくぞコラァ!」
内山に襟首を掴まれ、岳は泣く泣く一万円を諦めた。悔しさと腹立たしさの余り、内山と共に泣いた。受け取ったパー券にはその頃流行り始めていたモノマネタレントの名前が書かれていた。小雨の降る中、濡れたパー券を花園橋から荒川へ投げ捨てた。
東京で会うはずだったメル友は、その話を聞くと千葉から寄居まで行くと言った。
岳はその経緯を全て純に話した。純は絶句していた。
「がっちゃん……それはマズイ」
「でも、小嶋組の奴らの事皆に話したいし、うっちーが気になるし……」
電話の様子ではいつも通りの岳だったが、それでも純は岳の事が気に掛かった。
そして、ある方法を思いつく。
「がっちゃん、頭目立ち過ぎるから帽子被って来なよ。時間もわざと遅刻してさ。あいつら居なくなると思うし。そんで自転車は学校の裏側に停めてさ、そのままフェンス上って入って来なよ。俺、見張るからさ」
「あぁ、それなら大丈夫か」
「うん。学校着く辺りになったら俺にメールで連絡くれよ」
「分かった。また連絡するわ」
「あぁ。本当、気を付けて」
純は電話を切ると隣のクラスにいるはずの内山を探した。教室を覗くと憔悴し切ったような様子でぼんやりと外を眺めている内山が目に入る。純は事の経緯を内山に話すと、内山は頭を抱えた。
「だから馬鹿だって言ったんだよ……。本当アイツ有り得ないから。友達やめようか迷ったよ……」
「うっちーは狙われたりとかさ、大丈夫なんかい?」
「俺は別に……。ただ金取られただけだけど。猪名川君、やっちまったな……」
「学校来るって言ってんだけど……」
「えぇ!?」
内山は細い目を見開き、オーバーリアクションで驚いた。さすが芸人を目指しているだけある、と純は感心する。
純を探しに来た米田にも事の経緯を話すと、米田は溜息をついた。
「あいつ本当どうかしてるよ。あぁいう連中には楯突いちゃいけないんだって。もう終わったな、あいつ。俺は関係ないからな」
「でもさ、学校来るらしいんさ」
「岳は死にたいんか……」
ホームルームが始まる時間になり、純と米田が教室へ戻る。そのまま一限目を受けていると岳からメールが入った。
「もうすぐ学校」
そのメールを確認すると純は「トイレ行って来ます」と伝え教室を抜け出した。
誰も居ない廊下を走り抜け、下駄箱で靴を履き替えて校門に向かう。
なるべく足音を立てないよう、目立たないように行動する事には自信があった。
緊張しながらも木陰や石の陰に身を隠し、校門近辺の様子を伺うと人っ子ひとり居なかった。
次に校舎の裏手へ回り、テニスコートへ向かう。思っていたよりも距離があり、息が上がる。
裏手付近にもひと気がない事を確認すると、純は岳に電話を掛けた。
「がっちゃん?今、誰もいない」
「オッケー。今行くわ」
するとフェンスをよじ登る岳の姿が確認出来た。純は安堵し、走って迎えに行く。
指示通りニット帽を被っている。
「サンキュー純君。助かる」
「いや、いいんさ。それより便所行くって言って抜けてきたからもう戻らんと」
「一緒に戻る?またホモって言われるぜ」
「今日は仕方ないさ。もう行こう」
純の手助けにより岳は無事、学校へと辿り着いた。岳の話を聞くと米田を始め、周りの生徒達は口々に「馬鹿」「命知らず」と罵った。しかし、余りに無謀な行動だった為に笑いも起きた。
岳は次の日、ロックを貫くことなく髪を黒く戻した。校門前に溜まっていた連中はその後駅のロータリーへと活動の場を移したが、警察の巡回が増えた為にいつの間にか姿を見せなくなっていった。
しかし、街の中から彼らへの不安が消えた訳ではなかった。
通学する分には不安が無くなった純は、再び瀧川に出会える事を楽しみに電車に乗り込んだ。




