流れる
日常に生まれる当たり前の感覚に、純はプレッシャーを感じ始める。徐々に進んでいく周りの生徒達。取り残されていると感じる純。そして、微かな出会いが純の胸を打つ。
西暦2000年。春休み。
散った桜が汚れ始めた夕暮れ時の農道で、米田と純はスケボーの練習に明け暮れていた。
二人が練習に明け暮れているのはボードの上に立ち、その状態からボードを回転させて再びボードの上に乗る「キックフリップ」という技だ。
米田は何度も失敗し続けているうちに嫌気が差し、その場に座り込んでしまった。
純は持ち前の運動神経ですぐにコツを掴んだようで、再度ボードに乗る手前の段階まであっという間に漕ぎ付けた。
米田がサイダーを飲みながら純の動きを眺めている。
「おまえさぁ、もったいねぇよ。何で運動部入らなかったん?」
純はボードには乗らず、身体だけでイメージトレーニングをしながら答える。
「いや?中一までバスケ部だったし、それから高校までは剣道部だったよ」
「それは知ってるけど…ちげーよ。高校入ってからだよ」
「あぁ…。別に。部活入らなくても体は動かせるっしょ。それに、ラグビー部以外まともに活動してる部活とか、あんま見ないし」
し、という語尾と共に大きく跳ね上がる。純は思い通りのジャンプが出来たようで小さく頷く。
「おい。陸上部の俺にそれ言うなよ。悲しくなるぜ」
「ははは。そうだったわ」
米田の問い掛けに純は若干の戸惑いを感じていた。
「何で?」
そう言われて初めて「そうだったのか」と気付かされる事が高校に入ると多々あった。
運動能力のテストで垂直飛び校内一位の記録を出した時も、純は同じ事を他の誰かに言われたのだが特に気には留めなかった。
彼女がいない事もそうだった。周りから「何で?」と聞かれる度に自分に彼女を作る価値があるのだと認識は出来たが、同時に周りからそう見られる事自体が純にとって負担となっていた。
それはいつしか徐々に皆がやりたい事を形にし始めている中で「自分が何をしたいのか」考えなければならない事そのものが純にとっての大きなプレッシャーとなっていた。
「その時楽しければ、それが正解なんじゃないの?」
純の問い掛けに、岳を除いた中学のメンバー達は大いに賛同していた。時に神経質な程に立ち止り、物事の成り行きを考え続ける岳を時折純は病的だとも思ったりもした。
だが、高校に入ると皆が立ち止るようになった。彼らを振り返っているうちに、皆が先へ進み始めた。
気付けば誰かの背中を見詰める事しか出来ない自分がいる、と感じるようになっている。
人の成長を促す春に吹く風は、純にとっては決して穏やかで優しいものではなかった。
米田と別れ、ツタヤでCDを借りて帰ろうとすると店舗の裏手で特攻服のような格好をした男達が、純と同じ年程の少年を取り囲んでいるのが見えた。
バイクのミラーを見るとその男達が純を見ているのが分かったが、それを無視して家路を急いだ。
数日ぶりに会った岳は髪の毛が赤く染まっていた。寄居町という田舎ではその頭は酷く目立っている。
「がっちゃん、頭凄いね!」
「あぁ、HIDEをリスペクトしたんよ。誰かに「ロック貫こうぜ」って言われたし」
「ははは!そうだね、貫かなきゃね」
ギターバッグを背負い、赤い髪で煙草を吹かす岳の姿は「不良少年」以外の何者でもなかった。
しかし、「何者」かになった岳の姿に僅かばかりの寂しさのようなものを、純は無意識に感じていた。
数日前に岳の家に良和と共に泊まった。バンドを組もうと三人で盛り上がり、良和がベースを抱えて遊びに来たのだ。
三人で試行錯誤して出来た曲は良和が弦を親指で抑えながら弾いた「はい、でポン」という曲だった。
ベースを弾きながら
「だから、はい!で、ポン!だから、分かんないかなぁ…。はい!で、ポン!」
と延々説明する良和に、純と岳はギターを持ったままひたすら首を傾げていた。
中学の頃と何ら変わらない楽しさがそこにはあった。
それから僅か数日で、岳は見事なまでの不良少年へとその風貌を大きく変化させていたのだった。
先輩の事はすっかり諦めたようで、近々メル友になった女の子と会う予定なのだという。
岳と音楽の話で盛り上がっていると、髪を逆立て固めた佑太がやって来た。
携帯のアンテナがネオン管のように光っている。
「これ凄くね!?めっちゃ光るんですけどー!」
テンションの高い佑太の言葉に純は「へぇ」と反応した。岳に至っては鼻で笑うだけだった。
「がっちゃん!もっとリアクションしてくれよー!つまんねーなぁ!」
「まぁ…光ってるよね」
「そうだよ!アンテナが光るんだよ!もっと何かないの!?」
「山で遭難した時とか、すぐに上空から見つけてもらえるんじゃん?」
岳の冷たい反応に純は思わず噴出したが、佑太は「街中で目立つのがいいんじゃん」と肩を落としている。
佑太は高校を辞めて小木と共にホストクラブで働こうか考えている、と話していた。
岳は笑いながらその話を受け止めていた。同時にそのリスクについても佑太に問い掛けていたが、佑太の意志は固かった。
ホストになりたい、と言う佑太を止める理由など純には無かったので黙って聞いていると、岳の左腕に切り傷のような跡がある事に気付いた。
それについても問い詰める理由が思い浮かばず、純は黙ったまま気付かないふりをする事にした。
三人が岳の部屋で漫画を読みながら過ごしていると小木がやって来た。それも突然だ。
「ゆ、佑太いるか!?おい!喧嘩だぜ喧嘩!深谷から来たとかっつー奴らがよ、調子こいてるからボコしに行くべ!」
「えー!また喧嘩かよー!」
「がっちゃんと純も行くだろ!?純、がっちゃんケツ乗せてついて来いよ。人数多い方がいいからよ。何か武器ある?」
「行くわけねーだろ。こっちは漫画読んだりギター弾いたりで忙しいんだよ」
「おいおい!たまには喧嘩で汗流そうぜ?」
「やだ」
「分かったよ!しゃーねー、佑太!行くぞ!」
「だりーなぁ…じゃあ行くかぁ!」
「うっし!じゃあまたな!」
「純、がっちゃん!またな!」
「あいよ」
二人が慌しく出て行くと、再び静寂が訪れた。半開きになったままのドアを岳が閉じる。
寝転んだ岳が漫画を袂に置き、窓の外を眺め始め、ひとりごとのように呟いた。
「暑くも寒くもない晴れた日にさ、こうやってずっと空の雲が通り過ぎていくの眺めてるんが好きなんよ。空を見て静かだなぁって感じる時って、雲のない青空じゃダメなんだよ。空に何もないと逆になんか、落ち着かないんだよなぁ…」
岳の言葉を聞いて、純は言葉を返さずに寝転んだまま岳と同じように窓から空を見上げる。雲がゆっくりと、動いている。大きな塊の雲でさえ、視界の中で徐々に形を変化させていくのが分かる。
あまりに静かなこの時間を、岳は何を想い過ごしているのだろうか。腕に出来た傷の跡。突然染めた赤い髪。肝心な事はいつも誰にも言わないのは自分と同じだと、純は感じてはいた。
だからこそ時折分からなくなるこの友人に対し、分からないからと言って苛立ちを感じる事はない。
実は自分と同じように、今の事だけを考えて生きているのかもしれない。
そんな事をぼんやりと考えていると静寂の隅からやがて眠気が訪れ、純はいつの間にか眠りに落ちてしまった。
夕方、岳に起こされると純はそのまま岳の家で夕飯を食べる事になった。煮物と唐揚を食べる横で、岳は嬉しそうな顔で缶ビールを飲んでいた。
ビールは誰かが飲んでいると美味そうに見えるのに、実際飲んでみるとただの苦い汁としか思えず、純は苦手だった。
それを知っているからなのか、岳は決して純に酒を勧める事はしなかった。
夕飯の礼を言って岳の家を出ると純はコンビニへ立ち寄った。夜の空に迷い人の知らせを告げる防災無線が響き渡っている。
放送を聞く事なく店内に入り、立ち読みしようと雑誌コーナーに目を向けた瞬間、純は息を呑んだ。
黒髪のストレートヘアに高い鼻。名も知らぬ整った顔立ちの少女に、純は思わず目を奪われた。
恐らく年下だろうか、純は女性誌を立ち読みする少女の脇を静かに通り過ぎる。
ジャンプを手にするが少女の事が気に掛かり、読みたい漫画のページを中々開けずにいる。
漫画を読む振りをし、横目で少女を盗み見る。女性誌に視線を落とすその横顔に、純は「美しい」と感じ、次第に自分の顔が赤くなっていくのが分かった。
母親らしき女性が店を出ると少女は急いで雑誌を棚に戻し、長い髪を揺らしながら店を出て行った。
跡を追いたくなる気持ちを抑え、母親と共に軽自動車に乗り込み駐車場を出て行くのを確認すると、いつの間にか動悸が早まっている事に気が付いた。
先輩に対し一目惚れをした岳の気持ちを、この時初めて純は理解した。




