入学
高校入学式。不安げな岳とは対照的に純はどこか楽しげな様子だった。新しい生活が始まると共に、岳の過去が明かされる。
高校一年。入学式。
地元の高校の普通科に入学した岳と純は、互いのブレザー姿を見るや否や、見慣れない格好に笑い合った。
入学式当日は散り始めた桜の木々達を、季節はずれの雪の風が揺らすという特異な気候だった。
秩父鉄道桜沢駅を降りてすぐに短い急坂を上がり、右手へ曲がる。
幅の狭い歩道を歩くとすぐに校門が見えて来る。
初々しいブレザーの群れの中で緊張で身を硬くする岳が呟く。
「ついに高校生だなぁ。上手くやっていけっかな」
そんな岳とは対照的に、純が欠伸を噛み殺しながら答える。
「まぁ大丈夫っしょ。上手くやれたらそれに越したこたぁないけど」
「えー……そんな感じ?」
純は不安よりも新しい生活の始まりに刺激を覚え、そして希望も抱いていた。「なるようにしかならない状況」は純に不安よりも安堵を与えていた。
進む前に先々の事を考え、思い悩むのが岳。
進む所まで進み、悩みにぶつかりと立ち止まるのが純だった。
クラス分けの掲示板を確認すると岳と純は奇遇にも「1年4組」と同じクラスに分けられていた。
これには岳も純も胸を撫で下ろし、互いに「またよろしく」と握手をした。
1組2組は普通科。それ以外の8組までが普通科。
クラスは男子12~3名に対し、女子が20余名と圧倒的に女子の多い高校だった。
黒髪の女子が大半だったが、いつ焼いたのだろう?と思うような入学早々「ガングロ」でキメて来ている女子もいれば、夜の仕事が終わってそのまま学校へ来たようなケバい化粧の女子もいる。
教室へ入ると名前の順で着席するように支持があり、猪名川 岳は新川 純のすぐ後ろの席に着いた。
何故か中学二年の時の蛍光灯事件を思い起こす。
担任が来るまでの間、入学の手引きを読んでいると後ろの席の男子が話し掛けて来た。
細身だが活発な印象を受ける。
「二人はどこ中?俺花園の「内山」!ウッチーって俺の事だからさ!全国の「ウッチー」代表!よろしく!」
内山の明るさにつられ、岳と純は笑う。岳が答える。
「俺ら男衾。俺が猪名川。こっちは」
「俺、新川 純っていうんさ。よろしく」
「男衾」という言葉に内山は一瞬固まり、別の生徒を呼び寄せた。眼つきが悪いが人懐こそうな笑みを浮かべ駆け寄って来る。
「米田!オブチューだって!」
米田という男子が「あれだろ!マンゲハロー!」と腹を抱えながら近寄ってくる。
岳はその言葉に思わず目を丸くした。
「何で知ってんの!?」
「花園で知らない奴いねぇよ!」
「マンゲハロー」とは小学校の頃、他校との親善運動会で良和がひたすら叫んでいた言葉だった。
米田は興奮気味に尋ねる。
「ずっと気になってたんだよ!マンゲハローってどういう意味!?」
岳は首を傾げる。
「いや、アイツの言葉に意味は無いよ」
その答えに内山と米田は腹を抱えて笑った。おまえのおかげで話せそうな奴が出来て良かった。と密かに良和に感謝していると見覚えのある生徒が岳の肩を叩いた。
目が細く、何処か悠然とした印象だ。
「久しぶり」
「福田君じゃん」
福田はパックの珈琲牛乳のストローを噛みながらにやり、と笑う。
岳は男衾へ転校する前、寄居町内の寄居小学校で4年間過ごした。その頃の懐かしい面々が高校生となり、再会する事となった。
「がっちゃん急に転校したから皆心配してたんだよ。その後は須山の親父になった奴が実はがっちゃんの親父だったとか、訳分からなかった。須山はがっちゃんの苗字に変わったし。今、苗字は?」
「猪名川」
「そっか。まぁよろしく。サッカーは?」
「とっくに辞めた」
「ちっ。やっぱヘタレじゃん。あ、須山もいるよ。5組だけど」
そう告げると福田は席を離れた。
純が不思議そうな顔で岳を見つめる。
「どういうこと?」
「…………ここ、面倒かもしんない」
「転校前の友達いるって心強いじゃない」
「そうも行かない」
純の口癖が出る。
「何故ゆえ?」
「あんま詳しく話さなかったけどさ。親が離婚した話はしたじゃん?」
「あぁ。聞いてるね」
「その別れた親父は俺の同級生の母ちゃんと結婚したんだよ」
「別れた……同級生の……えっと……あ、ダメだ。紙に書いてくれん?」
いまいち岳の家庭環境の整理がつかない純の為に、岳はここまでの家庭の経緯を紙に書いて説明し始めた。
小学校4年の時に岳の両親は離婚した。突然だった。原因は当初不明だったが、父が岳の同級生の母と不倫関係にあったのだった。
証拠はあった。
造園業を営んでいた父は、ゴルフや女遊びの為に家を留守にする事が多かった。父が数ヶ月ぶりに帰ってきたある日、満面の笑みで
「自転車を買いに行こう」と言った。
パンチパーマにサングラス。サングラスにゴルフウェア。キツいコロンの香り。
自動車電話のついたクラウンでホームセンターのある隣町まで行った。
好きなものを選べ、と言われ最新式のマウンテンバイクを選んだ。
それを見ながら
「最近の子供はこういうのが好きなんか?」と聞いて来た。
岳は「あったりまえじゃん」と答え、突如手にしたマウンテンバイクを前に天にも昇る気持ちだった。
荒川の河川敷で一時間ほど練習すると父は「帰るぞ」と言った。
帰ってからはすぐに友人達に自慢した。誰もが羨んでいた。
翌朝。家の駐輪場からはマウンテンバイクが消えていた。パニックになった岳は父に「盗まれた」と訴えたが「管理出来ないおまえが悪い」と一蹴された。
友人達が必死に捜索してくれた数時間後、マウンテンバイクが見つかったと連絡があった。
「須山が乗っている!」
その言葉を聞きつけ、皆で須山の住む公団住宅へ向かった。部屋の扉の横に真新しいマウンテンバイクが停められていた。
ベルを鳴らし出て来た須山を問い詰めると
「知らないおじさんからもらったんだ」
と半べそをかきながら訴えていた。
岳はマウンテンバイクを取り返し、家に帰ると今度は父が家から消えていた。
それからすぐに、離婚が決まった。
最後に好きなものを買ってやる。というので下の妹二人と父と共に「キッズイン」というおもちゃ屋へ出向いた。
皮肉な事に「閉店セール」ののぼりが立てられていた。
父は空元気といった声色で岳に声を掛けた。
「次はクリスマスだからな!」
岳は5割引と書かれたポップを見つめながら小さく呟いた。
「次なんかねぇよ」
その経緯を聞いた純は、口を手で塞いだまま岳を見つめていた。
「そんなドキュメンタリーみたいな人がずっと目の前に居たんか……」
「そういうリアクションになるから……あまり話したくなかったんだよ」
不貞腐れる岳を他所に、純は笑い出した。ショックを隠そうとしているのではなく、笑いを堪えていたのだった。岳は呆気にとられる。
「ごめっ!はははは!いやー!すまんね!ははは!」
「まぁ、笑ってくれよ」
「だって!ははは!自転車盗んだの、絶対がっちゃんの親父じゃん!ははは!」
「まぁ……そうね」
「なんでそいつに直で買ってやんなかったんかな!バレるじゃん!がっちゃんへのワンクッションいらねぇ!ははは!!」
「確かに、ははは」
「あっはははは!」
「ははは、ははっ!馬鹿だよなぁ!ははは!」
不安が生まれたと思った。しかし、その不安はいつも側に居る友人の笑いが収まらなくなるほどに、実は滑稽なものなのだと岳は知った。
純の笑い声により、岳の入学早々の不安は早々に解決した。
教室のドアが思い切り開かれる。
一気に教室のざわめきが止む。
「オラァ!テメーら座れ!」
巨体が吼える。その迫力に誰もが無意識に動き出す。
そして、背筋が伸びる。
「俺がテメーらの担任の石垣だぁ!文句あるか!?ねぇな!?よし」
やはりとんでもない学校へ来てしまった。
岳は再び不安に包まれた。




