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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
39/183

笑い声、ひとつ。

中学三年の夏休み。急遽転校する事になった良和、そして残された岳達は……。

 受話器の向こうの良和の話を聞き、岳は驚愕した。


「はぁ!?」


 驚きと怒りの入り混じったような声を上げ、冷静でいようと岳は大きく息を吐いた。


「でも、何で?いくらなんでも……急過ぎるだろ」

「何でっていうか、前からこうなるんじゃないかってのはあったんよ」

「父ちゃん母ちゃん、あんまり上手くいってなかったん?」

「それもあるけど……色々だよ」

「そっか……。じゃあもう、ヨッシーは男衾に戻って来ないの?」

「そうなる」

「マジかよ」

「悪いけど皆にも知らせてくれ。親のおかげで残りの夏休みがパァになった」

「まぁ……そうだね。しっかし、急だしこれから大変だな」

「本当大変だよ。あーぁ、これからどうすっかなぁ……」

「まさか、群馬で高校受験する事になるとはな……」

「うん。群馬は……正直何も分からん」


 中学三年の夏休み。良和は両親の離婚が原因で、母親の実家のある群馬の桐生へと引っ越す事になった。余りに突然の出来事に岳から話を聞かされた佑太と純、そして猿渡はベイシアのフードコードで静まり返り、落胆した表情を浮かべていた。

 岳はテーブルの隅についた茶色の染みを眺めている。

 何か考え事をしていた様子の純が無言のままかぶりを振り、口を開いた。


「俺が群馬から来たのにさ、ヨッシーが群馬に行くとはなぁ……。中三の夏ってさぁ……どうにかならなかったんかさ?」


 岳は視線を落としたまま答えた。


「中三っても、やっぱ俺らは子供だもん。家庭がぶっ壊れたら親の決めた事に従うしか出来ないよ」

「まぁ、そうなんだろうけどさ……。がっちゃん、家の場所とか聞いてるんかい?」

「群馬の?」

「そう」

「桐生って事しか分からない」

「桐生か……。遠いけど会いに行けない距離じゃないか……」


 猿渡が「チャ、チャリで行けねぇの?」と言うと、純は「はは」と乾いた笑い声を漏らすのみだった。

 夏の真昼。フードコートには彼らの他に若者の姿は他に無かった。暇そうに宙を眺める女性店員の顔と、アイスコーヒーを一人で飲む老婆がいるだけであった。

 その分、純の乾いた笑い声がよく響いた。

 腕組みをしたまま、黙り込んでいた佑太が顔を上げた。


「なぁ。ヨッシーさ、いつか帰って来るかもしれないじゃん?」


 岳は咄嗟に出そうになった「いや」という否定の言葉を飲み込み、佑太に視線を向けた。


「それがいつになるか……わかんねぇけどさ。大人になってからかも知んねぇけどさ……。その時までさ、俺ら、ヨッシー含めて仲間でいようぜ。そんでさ、ヨッシー帰って来たらまた迎え入れてやろうぜ」


 佑太の言葉と優しさに全員が黙って頷いた。中学最後の夏に突如として群馬で生活を送る良和の事を想うと、彼らは痛ましい気持ちになったのだった。そして、どうしていいのか分からない状況が煮詰まるのをただ、眺めることしか出来ずにいた。

 良和と同じく親の離婚に振り回された経験のある岳は、佑太へ向けようとしていた否定の言葉を心の奥底に丸めて放り投げた。

 すると佑太が「だってよー!」とフードコートを飛び越え、店内にまで響く大きな声を上げた。その声に驚いた猿渡が「な、何だよ」と驚きを隠せない様子でうろたえている。佑太は猿渡に構わず続ける。


「群馬だぜ!?すぐ戻って来るって!あんなつまんねぇ所、しかもエロ本すらも満足に買えない所、ヨッシーがずっと居られる訳ねぇじゃん!!」


 純が一瞬、佑太を睨む。何か言おうとしている佑太を手で制する。


「おいおい!埼玉県民に群馬が何も無いと言われるのは、ちょっと聞き捨てならんね」

「純はもういいだろ!いい加減、埼玉県民の誇り持てよ!」

「埼玉ねぇ……。まぁ、今は埼玉だけどさぁ……」

「それと、さぁさぁ言ってねーで早く訛り直せよ!」

「いや、これは訛りじゃないんさ。エッセンスみたいなもんなんさ」


 純の言葉に彼らの間に一瞬沈黙が訪れた。そして、その言葉に岳が鼻で笑った。


「どんなエッセンスだよ」

「俺はさ、群馬の匂いを毎日埼玉に届けてるんさ」


 佑太と岳は「いらねぇ!」と声を揃える。「じゃあ、おしまい」と純はやや不服そうな表情で座ったままポケットに手を突っ込んだ。そして、間延びした声で呟いた。


「あのエロ本の数……凄かったなぁ……」


 純の呟きに呼応するように、彼らは良和の部屋に隠されたエロ本、小説、そしてエロビデオや漫画の数々を無意識に思い浮かべた。岳は笑いながら呟く。


「しかもさ、健康的なエロじゃねーんだよな。中学生の趣味じゃ無かったな。あんなドキツイの、中々見れないぜ……」

「あの家。もう、誰も居ないんかさ?」

「確か……親父さんが一人で居るんじゃないかな」

「マーチとパグも居ないんかな?」

「マーチは行けば分かるし、行ってみっか!」


 佑太の提案に彼らは大きく頷き、マーチという名の大型犬を確認する為に早速良和の住んでいた家へと足を運んだ。蝉の声が降り注ぐ住宅街。自転車を停めて眺める青い屋根の一軒家。その小さな門の奥に、近づくといつも人懐こく尻尾を振っていたマーチの姿は無かった。

 家には「良和の父親だけが居る」という事に彼らは無意識に緊張したのか、声を潜めて「マーチ居ないね」と囁き合う。「ヨッシーさ、ここで……女の内臓食いたいって言ってたっけな」純の囁きに彼らは声にならない声で笑い合った。


 そして静かにその場を去り、すぐ近くにある見晴らしの良い小さな高台へと移動した。

 畑の間にある小道を抜け、草を掻き分けて進むと突然行き止りになり、小園という地域の昔ながらの家屋と田んぼが広がる長閑な風景が突如として眼前に広がる。

 一歩足を踏み外せば真下の線路へ転落してしまいそうな程、狭い足場に彼らは横一列に腰を掛けた。

 猿渡と純がここへ花火を持ち込み、窓を開けたまま走る電車の車内にロケット花火を打ち込もうとした事があった。


「あ、あれまたやるか!ははは!」

「あれさ、タイミングが難しいんだよね。でもさ、もし上手くいったら乗ってる奴らめっちゃビックリするんだろうな!」

「線路に、け、煙玉投げた時が、一番ヤバかったな!」

「ははは!やばかった!電車が来る前からでっかいブレーキ音がしててさ、あん時はさすがに逃げたんさ」


 そう笑いながら話す猿渡と純に佑太が「おまえらテロリストかよ」と冷ややかな視線を送る。

 ひとしきり笑うと横一列に並んだまま、彼らはただ静かに風景を眺めていた。

 遠くで自転車を漕ぐ老人に、無表情のまま岳が手を振る。

 夏の中で、静かな風を受ける。蝉の声が後方から聴こえる。佑太が蚊を叩き、呟いた。


「笑い声、ひとつ減ったな」


 岳が頷き、純は「そうね」と声を漏らす。猿渡は「さ、寂しいもんだ」と言葉を吐いた。

 夏の空はどこまでも青く続き、その向こうにいるはずの良和を彼らは思い描いた。

 そして、誰もが口には出さずに「頑張れ」とエールを送り続けた。


 受験も落ち着いた頃に桐生へ遊びに行こう。と彼らは話し合った。自分達では環境を変える事が出来ず、そしてすぐに実行出来る手段の少なさに歯痒さも覚えた。

 急に欠けてしまった良和の存在が、そして状況が、彼らにはとても大きかった。

 大き過ぎた。

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