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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
35/183

最後の大会

日頃部活に出ていなかった純であったが、ついに中学最後の大会を迎える事となる。試合に負ける事は分かっていたが、純をあるプレッシャーが襲う。

 七月上旬。文化活動部の開け放たれた窓からは、風代わりの蝉の声が次々へ部室へ入り込んで来ていた。顧問の引田はいつになく畏まった表情で部員達の前に立つ。シャツで眼鏡を拭うと咳払いをひとつし、こう告げた。


「実はな、夏休み中に大きな囲碁の大会がある。埼玉中から中学生が集まる大会だ。という訳で、そういう「ちゃんとした」大会があるので、皆は参加するように。集合場所はまた伝えるから」

「先生、知らなかったんだけど」

「うん。俺が言わなかったからな」

「じゃあ、知らないよなぁ?」

「あぁ。知らない」


 不満げな表情の岳と田代は顔を見合わせた。岳が周りを見渡す。


「他の奴らどうなん?行く気あんの?ってかおまえ部員なの?」

「え?あ、あぁ。そ、そう」

「へぇ」


 今日は引田から話があるという事で普段集まらない部員も顔を出していた。その殆どが学年では目立つことのない生徒達であり、数人居たはずの後輩達は高梨や岳が碁石を投げる為の的にされ続けた為に、既に部活に顔を出さなくなっていた。


 運動部の三年生達は最後の大会に向けラストスパートを始めていた。文化部にとってもそれは同様に、夏休み前になると本来は無法地帯であった文化活動部でも「異様な光景」が繰り広げられていた。

 所狭しと囲碁盤を並べ、部員達が真剣に碁を打っていたのだった。

 岳は良和を対戦相手に数度打ち、その奥深さに魅かれ始めていた。しかし、すぐに飽きてしまい大会へ挑むどころか翌日の放課後には部室のすぐ隣の3年5組へとせっせと足を運んでいた。


 純と岳は机に座りながら高校について話をしていた。


「がっちゃん、高校どこ受けるんだい?」

「ぜーんぜん。決めてない。どうしよっかなぁとは思ってるけど」

「俺もこの辺の高校事情とかまだあんまり分からんしさ……悩むね」

「まぁ行ける所に行くしかないんだけどさ。どこに行けるもんだか……」

「深谷とか熊谷とかちょっとは都会だし、遊んで帰れるかな?」

「でも父鉄使うと遠回りにならない?」

「だったら東上線?」

「東上線沿いかぁ。小川にしたって、滑川にしたって、そもそもこの辺何もねぇからなぁ……」


 どの高校にしようか、決めなくてはならない時期に彼らは志望校のひとつすら満足に決められないままに季節は過ぎて行った。


 幼少期から剣道に打ち込んでいた茜や長瀬が率いる剣道部は、華々しい成績を上げ無事に最後の大会を終えてみせた。

 表彰される茜を見ながら岳は「この人が好きだったのか」と、感慨深い気持ちになっていた。

 片や純は情けない気持ちでその光景を遥か遠いもののように眺めて居た。


 最後の試合当日。団体戦には選抜されなかった純であったが、個人戦が控えていた。

 日頃練習していなかった純は見学者のような気持ちで次々行われる試合を眺めていた。すると、別の中学の年下と思しき男子生徒から突然声を掛けられた。


「自分、花中の前田って言います!実は昔から、新川さんの力強い剣道にずっと憧れて来ました。今日は新川さんにとって中学最後の試合にはなりますが、しっかり勉強させて頂きます!」


 見覚えの無い男子生徒の言葉と気迫に、純は一瞬何の事だか分からず、戸惑いを隠せなかった。しかし、すぐにある答えへと辿り着いた。


「えっと……前田君だっけ。それ、俺じゃなくてもう一人の新川君じゃない?」

「え……?」


 純の向けた視線の先には、試合を前に神経を集中させている剣道部副主将の「新川 善雄」が居た。前田は純の視線に気付き「失礼しましたぁ!」と頭を下げ、颯爽とその場から離れていった。

 苦笑いを浮かべなから、純は歯の隙間から溜息を漏らした。

 同じ苗字の副主将と間違えられる事には慣れていたが、剣道を始めて間もない頃は毎度それがプレッシャーとなっていた。

 技の「長瀬」体躯の「新川」精神力の「吉井」

 男子剣道部を引っ張るのその三人は正に「心技体」そのものであった。

 それ故、幼少期から剣道で実績を上げていた善雄と、中学二年から剣道を始めた純では天と地程の実力の差があった。


「最後の大会か」


 そう思って試合を眺めているうちに、純は再びプレッシャーに襲われた。隣に居た体格の良い戸宮が心配そうに純の顔を覗き込む。


「純君。どうしたん?顔……真っ青じゃん」

「いやぁ、うん……。ちょっと……。ごめん、トイレ行って来る」

「もうすぐ出番だぜ?早く行って来なよ。試合中漏らしたらダサいぜ」

「うん。悪い」


 純は足早に会場を抜け出すと体育館の裏手に回り、腰を下ろした。

 最後の試合で良い結果が出せない事は分かっていたが、それが「善雄」の最後の試合として他の中学の者の目に映ってしまう事を純は恐れた。

「あれは俺じゃないんだよ」後にそう弁明しなければならない善雄を想像すると手が震え、呼吸が荒くなる。目を瞑り荒い呼吸を鎮めようとするが、試合の時間が迫ってきている事を考えるとその呼吸は無情にも加速していった。

 視界の隅が徐々に切り取られて行き、次第に狭くなる。その瞬間、誰かが純の襟首を掴んだ。


「何でこんな所にいるの!?早く!試合始まっちゃうよ!」


 その声に弱々しく振り返ると、そこにあったのは茜の姿だった。純は項垂れた。


「森下。ごめん。……何か。もういいんさ。どうせ最後だしさ……」

「最後だからでしょ!しっかり立って。純君……この先も剣道続けるの?」

「いや……」

「だったら今、立って!しっかり立って」

「だってさ……俺、負けるの分かってるしさ……」


 項垂れる純の襟首を茜が揺さぶり、純の頭は力なく揺れた。茜が純の顔を覗き込む。


「そんなの皆分かってるよ!純君が負けるなんて分かってるよ!」

「だったらさぁ……もう……」

「試合に出なかったら本当に負けちゃうじゃん!そんなの嫌だよ!」

「俺はさ……」

「純君の考えなんかどうでもいい!本当どうでもいい!私が嫌なの!そんな風に自分に負ける純君見たくないだけ」

「無茶苦茶だな……」


 そう言うと純は小さく笑った。


「本当サボってばっかだったけど、それでも来れば真面目に練習してたじゃん。最後の最後で台無しにしていいの?」

「…………」


 中学二年の放課後、岳達と教室で下らない話をしていると、いつも茜と矢所が部活に行かない純を迎えに来ていた。

 時にはやかましいと思う時もあったが、純は怒る茜の姿に微かな喜びを感じていたりもした。

 剣道部に入った理由を探し、サボる理由を探し、そして茜への想いから逃げ続けた。

 周りの目に触れられぬよう、偽りという砂を掛け、隠し続けた。

 最後の最後に、茜がこうしてまた純を探しにやって来た。その茜の眼には悲しみよりも怒りに近い光が込められている。

 純は茜から顔を離すと、自らの力で立ち上がって見せた。


 場内では選手の呼び出しが既に行われていた。相手側の中学生達が「棄権だ!」とはしゃいでいる。戸宮が善雄の側へ駆け寄る。


「おいおい。やばくねーか?最後の試合で棄権ってさ」


 善雄も不安げな表情を浮かべている。


「いや……来るとは思うけど。最後の最後だし……。どっか具合でも悪いのかな……」


 吉井が二人に近付き、力強い眼差しを向けた。


「純君は来る。森下が探しに行ったよ。純君と森下を信じようぜ。絶対来るよ。大丈夫」

「これで来なかったら、俺は男としてアイツを見捨てる。少なくとも、俺に捨てられるだけの価値はある」


 腕組をしながら長瀬がそう静かに呟いた瞬間、小走りで純と茜が会場に現れた。戸宮が駆け寄る。

 先程まで顔色が真っ青だった純だったが、今はもう平然として見えた。


「早くしろよ!何やってたんだよ!」

「いや、腹壊しちゃって」

「おいー!漏らすなよ?ダサいぜ?」

「いや、最後の試合に出ない方がダサいっしょ」

「わお。言うねぇ」


 強気な純の発言に戸宮は目を丸くした。

 面を被り、彼等から離れると場内が一気に静まり返った。茜は真剣に純の背中を見詰めている。長瀬は腕を組んだままだった。


 相手選手を見据えると、純よりも身長が低く、体格も「小柄」と呼んでも良い程の選手だった。

 試合場の中に入り、互いに一礼する。

 三歩前へ出る間、心臓が波を打つのが身体中に伝わった。しかし、不思議と呼吸は荒くはならない。

 蹲踞の姿勢に移り、相手と剣先を交える。小柄の体格の割りに、面から見えた相手選手の目つきは中学生らしからぬ鋭いものだった。しかし、純は怯むことなく挑む。

 審判が「始め!」と合図する。全身の血が足元へ集まるのを感じながら、純は勢い良く立ち上がった。


「見てやがれ。俺が男衾中の新川「純」だ」


 素早く竹刀を振り上げた瞬間、相手選手の目が純の胴を捉えた。


 試合は日頃の成果が浮き彫りとなり、純はあっという間に負けてしまった。

 しかし、誰も純を責める事は無かった。

「面目ない」とはにかみながら、こうして純の中学校生活最後の試合は幕を閉じた。

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