叱咤。激励なし
修学旅行二日目の夜。岳は部屋を抜け出し缶珈琲を買いに行くところだった。
すると、他のクラスの連中が廊下でキャッチボールをやっているのが目に入った。
「面白そうじゃん」
「おー!がっちゃん!硬球持って来たんよ!がっちゃんもやろうぜ!」
「いいね!」
岳は硬球を手渡されると余りの硬さに驚いた。そして、野球選手になったつもりでキャッチャー役の男子生徒目掛けて全力投球した。
しかし、ボールの軌道は遥か上方へ向かい、非常口誘導灯を目掛けて飛んで行った。
次の瞬間、轟音とも言える程の音を立てて非常口誘導灯は粉々になり、フレームごと落下して来た。
「サッカーボールの次は野球ボールかよ」
岳がそう思い、逃げ出そうとした瞬間には教師達が彼等を取り囲んでいた。その後、深夜0時を過ぎるまで彼等は各担任達から何も抵抗出来ないまま、怒られ続けた。
気のせいか、伊達の襟がいつもより更に激しく立っているように感じられた。
「この旅館はうちの学校が特別に贔屓にしてもらってる旅館なんだぞ。お前ら、学校着いたら親も呼び出すからな。夜でも来て貰うから。覚悟しとけよ」
伊達は後ろ髪を掻き毟りながら部屋へ戻った。岳はその日、寝付けなかった。
最終日は心にずっと靄が掛かったまま過ごし、京都で土産を買うのも帰りのバスから富士山を眺めるのもずっとうわのそらだった。土産を詰め込んだ鞄を開けると、何故か同じ舞妓の人形をふたつも買っていた事に気が付いた。
暗い夜道を進むバスが学校へ辿り着き、伊達が「お決まりの台詞」をここぞとばかりに嬉しそうに吐いた。
「いいですか!?家に帰るまでが修学旅行ですから!玄関を開けるまで、気を抜かないように!」
失笑交じりにあちこちから「はーい」と返事が聞こえてくる。バスを降りると生徒達は一斉にあちらこちらに散らばった。クラスメイトの皆が楽しそうな顔を浮かべながら集団で帰ったり、親が迎えに来てた者などははしゃぎながら車に乗り込んだりしている。
岳達「親呼び出し組」はまるで警察に連行される犯人のように連なって皆とは逆方向の「学校」へ向かって歩き始めた。
職員室周り以外は真っ暗な、闇に包まれた通路を後ろ暗い気持ちのまま進んで行く。
親達は既に応接室で待っていたようで、岳はいきなり母から頭を殴られた。岳達はこの騒動の事できっと教師や親からこっぴどく怒られるだろうと覚悟していたが、事態は想像以上に深刻だったようで、校長室へ呼ばれるとすぐに学校と親の間で被害弁済や折半方法についての話し合いが行われていた。
いつもは穏やかなスペイン校長さえも、額に汗を浮かべている。
「今回の事ですが……払えば済む、謝れば済む……と言った問題ではなくてですね……。旅館さんの方がですね、二度とうちとは取引したくないと……そう申してまして……。ただ、話すなら直接生徒達とやり取りがしたいと。まずは誠意をこちらから見せる必要がありまして……。その……親御さんではなくてね、生徒達の方から、まずは謝罪の手紙を送って欲しいのです……」
怒られて終わり、というセオリー通りではない展開に岳は驚愕を覚えた。スペイン校長は、さらに岳を追い詰めるかのように続けた。
「特に……猪名川君。君が投げたボールが、誘導灯に当たってしまったんだよね?」
「はい……そうです……」
「……。なら、君の責任は大きい。キチンと、約束を果たしてくれるかな……?」
「はい……。分かりました……。多分、大丈夫です」
伊達がスペインに向かって宣言する。
「大丈夫も何も、私が果たさせます。校長。信じて下さい。な?猪名川」
「は、はい……」
「うん……。分かった。じゃあ、よろしく頼みますよ」
その後、親子共々教頭からも小言を言われ解散した。周りの大人たちの対応は悪ふざけを叱る、というより「犯人」への対応と通じるものすら感じられた。
校長室を出ると伊達が岳の母と軽く談笑し、岳に向き直った。心なしか、顔もいつもの襟も疲れてくたびれて見えた。
「猪名川。俺がこういうのも良くないけどな、あまり考え込むなよ?やっちまった事は仕方ないさ。人を殺した訳じゃないんだし。俺にあれだけ怒られたんだから、もう反省は十分だろ」
当日の夜、岳は伊達に人格を否定される程に怒られていた。
「手紙は簡単で良いから。旅館は本人達からのごめんなさいってのが聞きたいだけなんだよ。な?だからあんまりくよくよすんな!」
「そうだけど……。やっぱ落ち込みますよ。金の事も含めて、あんなやり取り見させられたら……」
「それも教育の一環なんだよ。もう終わり!はい!じゃあ……そうだな……旅館の住所は週明けにでも教える。な?今日は俺も疲れたよ。やっぱり家が一番だー!って、そう言う為に気を付けて帰れ。な?」
「分かりました」
岳には家に帰ったところで気難しい義父が何と言うのか分からず、一番だと言い張れる自信が湧かなかった。
案の定、家に帰っても岳は徹底的に義父から無視され続けた。
重たい足を何とか前へ出し、校門を出ると佑太が校門の陰から飛び出して来た。
岳は親子共々悲鳴を上げた。
「あっははー!母ちゃんまでびっくりしてんの!おもしれぇー!」
「佑太!何やってんだよ!」
「やぁ」
その後ろには純も立っていた。
「おまえら、何で?」
「がっちゃん!一緒に帰ろうぜ!」
「がっちゃん怒られ終わるまで、ずっと待ってたんさ」
「マジかよ……。ありがとう。お母さん、先帰ってていいよ。二人と帰るわ」
岳の母が車で送ると言っていたが三人は頑なに断った。岳は佑太と純に頭を下げた。
「こんな遅くまで、本当ありがとう」
「いいんさ、どうせ帰ってもやる事なんてないしさ」
「じゅーん!本当はがっちゃんにラルクのシャツ見せたくてウズウズしてたんだろ!?がっちゃん!見てよ、コレ!GLAYのシャツ!」
「これさ、ラルクのシャツなんさ!」
二人が競うようにしてシャツを岳に見せた。だが、岳はあまり良いリアクションではなかった。
「わりぃ……。ラルクもGLAYもあんまり聴かねーんだわ……。HIDEの方が嬉しかったかな……」
「なんだよそれ!やっぱがっちゃん薄情だ!」
そう言うと三人は笑い合った。岳が「写ルンです」の残り枚数を確認するとまだ三枚残っていた。
「なぁ。写真、まだ撮れるから三人で撮らない?」
「おー!いいね!ほら!純!顔くっつけて!」
「えー!佑太ベタベタしてない?」
「男ならそんなん気にすんなよ!」
「悪い。俺も気になる」
「がっちゃんもかよ!とにかくがっちゃん真ん中!呼び出し記念!」
「とんでもねぇ記念だな!」
「はい笑ってー!って、純は何でいつも真顔なんだよ!」
「笑って撮ると魂抜かれるんさ」
「昔の人間かよ!」
岳と佑太が微笑み、闇夜の隅でフラッシュが明滅した。
それは遠くから見たならば、闇の束の間に見る希望のように、儚く、とても小さなものだったに違いない。
失くさないように、いつまでも見た事を忘れたくないと思える程の、小さく確かな光だったであろう。




