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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
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きみのねむるまち

四十九日を終え、彼らは大人になって行く

それでも変わらないものは、純が遺していったものだった

いつかのヤンキース帽が揺れる

ツバメが空を飛んで行く

そして、夏がまたやって来る

 四十九日当日。友利は岳と純の家へと歩いて向かっていた。八月の陽射しはあっという間にワイシャツに汗を滲ませた。背後から迫るワゴン車に振り返ると、クラクションが鳴らされた。

 四十九日に向かう鳥山だった。


「おう!がっちゃん。乗ってく?」

「すぐそこだからいいよ」

「なら先行ってるぜ!」

「オッケー。事故んなよ!」

「ロックンロー!!ったりめーだろ!」


 照り返しに汗を滲ませながら、岳と友利は笑いながら手を繋ぎ、純の家を目指した。家に入ると親族や関係者達で溢れ返っていた。

 その隙間を縫うようにして翔が現れる。


「おう、佑太見なかった?」

「佑太?いや?」

「バックレかよ。まぁ……いいか」

「しょうがねぇな……ったく」


 四十九日の二週間程前から彼らは佑太と連絡が取れなくなっていた。寂しい、という事を口実にあちこちの女に声を掛けているという情報だけが漏れ伝わっていたため、その生存だけは確認できていた。

 佑太の彼女のミチですらも連絡が取れず、精神的に落ち込んでいる事で佑太に怒りをぶつけるつもりだったが、それすら伝えられそうになかった。

 茜が岳を見つけるとその袖を掴んだ。隣の友利が一瞬、目を見開いた。


「ねぇ、佑太は?」

「来てないって」

「ふーん……しょうがないなぁ。何したんだろ……」

「もういいだろ」


 友利が小さく頭を下げたが、茜は気付いていない様子だった。


「ねぇ、あんた……ちゃんとごめんって伝えてくれたの?」

「あ、忘れてた……」

「何なのよもう……あ、始まるみたい」


 僧侶が現れると、法要はすぐに始まった。慣れない正座に彼らは何度も顔を歪ませた。四十九日を迎えるまで、彼らの日常は仕事や学校と、いつものように忙しなく続いていた。しかし、純が居ないという違和感は決して埋まることがなかった。

 いつか純がこっそりと現れて「やぁ」と微笑んでくれる気がしてならなかった。

 しかし、幾ら待ってみてもその声や姿が現れる事はなかった。


 駅からさほど離れていない寺の墓に純は納められた。純はここで、永遠に眠る事になる。

 しかし、それはあくまでも形であって彼らはここで純が眠っているとは到底信じられなかった。

 それならば末野アパートのダイニングの隅、ベイシアのゲームコーナー、中間平の散歩道でならよっぽど純を感じられるだろうと誰もが強く想った。


 季節が過ぎ、駐車場に停められていたままだった純のミラは姿を消した。秋になった頃には良和は学校により近い場所にアパートを移す事に決めた。

 純の死後、彼らは何度かアパートで集まったものの、純が亡くなり佑太が行方をくらましてからは時折諦めのような笑いの塊が起きる以外、以前のような嬌声が響く事はなかった。

 良和がメールで茜にアパートを出る事を伝えると、返信はすぐに来た。


「良和が引っ越しても、純が好きだった場所はいつまでも」


 茜の純を想う気持ちを感じ取り、良和は静かに微笑んだ。プランターの野菜達はとうに土に返り、乾いた土だけが残されていた。もう空き缶が転がる事の無くなった部屋を縦横無尽に作業員達が忙しなく移動する。

 作業員が冷蔵庫を退けると、裏から一枚の写真が出て来た。


「赤井さん、この写真どうします?」


 作業員から手渡された写真にはサングラスを掛け、ピースマークを作って笑う純と安田の姿があった。


「これは、持っておきます。あ、他にも写真出てきたら渡して下さい」

「分かりました!」


 作業員は笑顔でそう答えると、素早い動きで作業に戻った。

 良和は引越し業者と共に部屋に残された物がない事を確認し、受領書にサインをした。がらんどうの2DKがやけに広く感じ、最後に部屋を軽く見回してみる。

 トイレに引きこもった純を引き出すためにドアに開けられた大穴は結局直されないまま、後に修繕費を払う羽目になりそうだった。

 山積みになっていた漫画。読み終わってから事細かにあらすじを説明する翔と、読み終わってからも内容を理解出来ていなさそうな佑太のやり取りが浮かぶ。


「だから何で結果だけ残るん!?」

「それが能力なんだって!」

「結果まで飛んじゃったらどうするん!?」

「それは作者に聞けよ!」


 二年に満たない生活だったのに、真っ白だった壁紙は既に黄ばみ始めていた。

 岳と彰が煙草を片手に話す様子が目に浮かぶ。


「ブスって嫌なんなぁ!友利ちゃんめっちゃ可愛いから好きぃ」

「だろ?ブスだったら付き合ってねぇもん」

「だよなぁ!?なんかさ、ブスって病気になりそうじゃね?」

「分かる!一緒にいるだけで風邪引きそうだわ」


「ちょっとぉ!何の話ししてんの!?」と叫ぶ千代の一際大きな声。

「やだぁ!女を顔で選ぶとかダッサ!レベル低いよ」


 と笑う茜の白く、柔らかな笑顔。佑太が「俺は何でも食いまーす!」とはしゃぎ、翔が「テメェは悪食が過ぎんだよ!排水溝にでも突っ込んどけよ」と詰る。そして、その隅で笑っているのはいつも純だった。

 浮かんでは消えるのは、いつもの声、いつもの夜。

 もう、ここへ帰ってくる事はない。

 そして、誰かが訪れる事も。

 表札の名の横にお気に入りのAV女優の名を書き、良和は密かな同棲気分を味わっていた。

 純と岳が表札を指差し、腹を抱えて笑っていた姿を思い出す。

 その表札を取り外し、ゆっくりと玄関を閉じる。

 ふと、週末の恒例だった彼らの騒ぎ声が聞こえてきそうな気がして、良和は急いで鍵を締めた。


 急に現れた佑太は自分よりもふた回りは大きな身体の能面のような顔の女性を突然連れて来て


「結婚しやーす!」


 と純の家で、皆の前で宣言した。純の父母も、茜も、岳も、怒りを通り越し、理解がまるで出来ずに顔を顰めた。翔に至っては嫁になる相手にお姉系ではなく「お面系」と渾名を付けた。

 結婚式に呼ばれ、出席に丸をつけた岳、良和、翔の三人は当然のように式場には向かわなかった。

 唯一出席した茜と矢所は口を揃えて

「悲惨だったよ」

 と彼らに伝えた。


 その後、彼らは純の事を忘れる事は無く日々を過ごした。

 13年後の6月。

 彼らの声が男衾駅近くの小さな寺の墓地内に鳴り響く。


「見て!純君に見せてやるん!」


 良和はバッグの中からミニ四駆を取り出し、地面に置いた。


「ミニ四駆?」

「そう!いけぇ!」


 そう言って良和は墓地でミニ四駆を走らせた。誰の者か分からない墓の石段にぶつかり、ミニ四駆は呆気なく止まった。

 良和は数年前、結婚をして一家の主となった。子供こそ居ないものの、妻と悠々自適な生活を楽しんでいる。

 翔が水を飲みながら言う。


「最近太っちまってさぁ。ジョギング始めたよ」

「そんな太ったか?」

「見た目には出にくいんだけど、ほら」


 そう言って腹を出して微笑んだ。茜が「うわっ」と短く呟き、続ける。


「子供もう何ヶ月になった?」

「もうすぐ1歳ちょっとになるねぇ。これがさぁ、また可愛くって可愛くってねぇ」


 にやける翔が写真を見せると「おぉ」と声が上がる。翔と良く似て目鼻立ちがはっきりしていて、その容姿はどこか外国人の子供を思わせる。年の離れた気の優しい男性と結婚をした茜が岳に言う。


「がっちゃんは結婚しないでしょ?」

「俺ぇ?まさか。したら人類が滅亡するわ」


 岳と友利は純の死後から数年後、自然消滅のような形で別れた。31歳を迎えた頃、再会した二人は「私達は一生独身だろうね」と笑い合った。

 互いを越えられる存在はついに見つからず、過ぎた時間を取り戻すには全てが遅すぎた。


 墓には純の好きだった駄菓子やビール、煙草が並ぶ。

「純君と一緒に吸うんだよ」

 と言って堂々と吸殻を捨てる岳は毎年、彼らに怒られている。


 さらに幾つかの季節が進んだ頃に、茜は母になった。その小さな手足は今日も、生きる強さを母に伝え続けている。

 小さくても意思の強そうなその目に、茜はいつか見れなかった未来を時折思い描く。

 飛行機雲が青い空を横切っていく。風は穏やかで、次第に空気が夏に変わっていくのを感じる日が増えた。

 夫と息子の靴下が並ぶ光景に、茜はそっと微笑んだ。


 ベイシアのトイレに、彼らの声が響く。


「太一!まだかよ!」

「あー、もう少し経ったら出るよ。出るよ?出るよ、って言ってるぞ、そこのボーイyo」

「またラップかよ!なぁ!紗奈から既読つかねんだけど」

「あー、俺の方ついてっから大丈夫」

「んだよもう!」


 ヤンキース帽を被った太一はバーベキューへ向かう為、紗奈の待つ玉淀川原へと車を走らせた。隣の席の雄星が口を尖らせている。


「なぁ、今時B-BOYって古くね?」

「はぁ?B-BOYはファッションじゃねーし」

「ふーん……わかんね」

「俺の師匠がそう言ってたんだよ」

「師匠?誰だよ?」

「ぜってぇ言わねぇ!俺と紗奈の秘密」

「紗奈も知ってんの?なぁ、やっぱおまえらって付き合ってんの?」

「それもぜってぇ言わねぇ!」

「んだよ!本当おまえら不思議な関係だよなぁ」

「俺らが分かってればそれで良いんだよ。あ、ツバメだ」

「ツバメぇ?」

 停車中の車の前をツバメが横切った。その姿は自分の帰るべき場所を知っていて、自由に飛べる事を喜んでいるように見えた。

 川原ではいつかの彼らのような嬌声が響いていた。揺れるヤンキース帽の隣には、茶色の髪を伸ばし、すっかり背も伸びた紗奈の姿があった。


「おまえ、おいっ!ビール掛かったし!」

「いいじゃん!どうせユニクロでしょ?」

「ちげーよ!ユニクロじゃ買えないって!」

「どうでもいいよ!それより、また「おまえ」って言った!ダメじゃん!」

「うっせーなぁ……」

「太一の癖に生意気!」


 そう言って二人は笑い合った。紗奈のえくぼは変わらず、頬に浮んでいた。


 90年代前半のとある少年の夏休み。

 純は、祖父母宅のある埼玉県寄居町へ遊びに来ていた。

 藤岡に比べて少しは東京に近いはずのこの街だが、藤岡に比べてもこれと言った名物も名所も見当たらない。

 ここへ来て真っ先に目に付くのは乾き切った畑と、中途半端な広さの田んぼ。

 祖父母宅のすぐ側には名前が読み辛い小さな駅がある。

 純はその漢字を来るたびに覚え、そして帰るたびに忘れた。


男衾駅(おぶすまえき)」  


 純はその年も駅の名を確かめ、足早に隣接された小さな公園に足を踏み入れた。

 すると、純と同じ背丈ほどの少女が入口脇の大きな銀杏の木の下に一人で佇んでいた。

 気には止めたものの、純は話し掛ける事なく一人でブランコに飛び乗った。

 ブランコを漕ぎ始めると、シャツの隙間から風が入り込んで来る。それがとても心地良く、より振り幅を大きくしようと必死になって漕ぎ始めた。

 空が青い。

 高い空を目掛けた視線は一瞬だけ飛行機雲を捉え、下に振り下ろされると、女の子がゆったりとした足取りで笑いながら近寄って来るのが見えた。


 純は思わずブランコを漕ぐ力を弱めた。

 少女が歩きながら純に話し掛ける。


「すっごい漕いでるね!なんか、面白くて笑っちゃった。ねぇ、この辺の子じゃないよね?」


 ぷっくりした頬と、肌の白さが印象的な少女だった。

 純は颯爽とブランコを降り、その少女と向き合った。


「うん。群馬から遊びに来てるんさ」

「ふーん」

「この辺の子?ていうか、一人?」

「うん。家は近いんだけど、お母さんとお父さん喧嘩してて、家出してきたの」

「へぇ。うちは仲良いからそういう事ないよ」

「良いじゃん。本当はね、仲良しが一番なんだよ。ねぇ、一緒に遊ぼうよ。名前は?」

「俺?俺は、新川 純。おまえは?」

「おまえなんて、生意気!」

「なんだよ……。じゃあ、君は?」

「私?私はね」


 少女は柔和に微笑んだ。垂れ目がちの二重に、純は思わず目を奪われた。

 そして少女は、明るい声で名前を告げた。


「私、森下 茜!」


 茜の笑顔に純もつられ、二人は手を繋ぐとすぐに走り出した。高い空は、何処までも青く続いていた。


 きみのねむるまち 完

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