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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
180/183

冷たくなった純と向き合う茜。

様々な想いを置き去りに、通夜が行われた。

 茜は仕事を終え、夕方過ぎになってから純の家を訪れた。

 失ってしまった大きなものを何とか受け入れようと端から少しずつ飲み込もうとするが、たちまち吐き出してしまう。

 生まれ育った場所に車が辿り着くと、茜の胸にたちまち緊張が走った。

 見慣れたはずの景色のどれを取っても、その片隅には純が隠れていた。


 通っていた塾の脇を通り過ぎる。英単語が中々覚えられず、講師に怒られて愚痴を零す純を思い出す。


「金払ってんのに怒られるのって変じゃない?学校も塾もさぁ」

「それは純君が覚えられないからでしょ?自分の都合の良い方に考えないの」

「だってコンビニだってお金払えばありがとうございましたって言われるじゃない?」

「うわっ、屁理屈!」


 寒空の下、塾の前の自動販売機の灯りを頼りに遅くまで話し込んだ。

 不思議と、寒かった記憶が無かった。


 純の家へ着くと、純のミラが駐車しているのが見えた。車を降りると思わず駆け寄り、貼りつくようにして車内を覗いた。

 見慣れたハンドルやスピードメーター。ペプシボトルのオマケで付いてきたアメコミの人形や、カセットテープの数々。

 まるでさっきまで純が運転していたかのような光景に茜はしばらくの間見入っていた。


 インターフォンを鳴らすと純の父が茜を出迎えた。目が潤んでいるのがすぐに分かった。静まり返った玄関の外、電車の走り出す音だけが響いていた。

 居間に入り、布団の上に横たわる純を目にする。病院の時と同じように、まるで眠っているようにしか見えなかった。人工呼吸器を外された口元は、僅かに微笑んでいるようにも見えた。

 純の髪の毛を撫で、肌に触れるとぞっとする程冷たかった。それが生きている人の温度ではない事を悟ると、必死に純の温かさを思い出そうとした。

 もう繋ぐ事の出来ない固い指を弄り、話す事はもう二度と出来ない純を目の前にして、茜はようやく純の死を実感した。

 頭ではもう何も考えられなくなっていた。悲しみよりも深く濃い感情が大きな口を開いて茜を襲うと、瞬きをする間に飲み込まれた。

 涙が溢れ出てすぐに、茜は純の上に崩れ落ちた。固く、冷たい身体だった。


「純君起きてよ!ねぇ!純君!何で起きてくれないの!?ねぇ!純君!」


 悲しみと怒りが混沌を運び、茜は叫び続けた。言葉を吐き終えると、純の上で泣き続けた。

 すぐ横に座る純の父が、呟いた。


「茜ちゃん、ありがとう……」


 茜がそっと目を向けると、純の父は泣いていた。隠す様子もなく、涙は次々に流れて行った。それに共鳴するように再び茜が泣き出すと、呼吸がおかしくなり視界が揺らいだ。過呼吸を起こし掛けていた。

 純の兄に促され、その場を離れて純の部屋に足を運んだ。純と隠れて朝を迎えた毛布も、CDラックも、純の匂いも、全てが変わらずそこにあった。


「茜ちゃん、大丈夫かい?」

「ごめんなさい……ちょっと苦しくなっちゃって……」

「純の部屋で悪いけど、少し休んでよ……」

「うん……」


 新調したと嬉しそうに言っていた紫色のギターが、主の帰りを待つように部屋の片隅に立て掛けられていた。

 純の兄が胡坐をかき、溜息を静かに漏らすと微笑んだ。


「情けない話しなんだけどさ、うちの家族って純の事あんまり分かってない所があってさ……」

「え?何でですか?」

「ほら、あいつ部屋にこもりがちだし、自分の言いたい事言えるタイプじゃないじゃない?」

「うん。すぐに自分の世界に引きこもっちゃうタイプだったね……」

「こっちから聞いてあげれば良かったんだけどさ、本当に言いたい事とか躊躇するっていうか……そうしてるうちにあんまり突っ込まない方がいいのかと思っちゃって。今更だけど……」

「純は本当、自分から何も言わないタイプだから……」

「でもさ、皆に会って純がどういう奴なのか分かったよ。めちゃくちゃ優しくてさ、いい奴だったんだな。本当……俺って馬鹿な兄貴だよ……何もしてやれなかった。ごめんな……本当にごめんな……」


 純の兄は胡坐を掻いた爪先を握りながら、泣き出した。すぐには止みそうにない長い雨のように、涙は流れ続けていた。


 翌日、純の父の呼び掛けによって茜達は純の家に集まった。遺族や納棺師と共に、純の周りに腰を下ろして最後の準備を手伝わせてもらえる事となったのだ。怪訝な表情を浮かべる親戚らしき者も中にはいたが、純の父はお構いなしで彼らを自分達と同じ「家族」として迎え入れた。

 純は化粧を施され、白装束とへ姿を変えて行く。何度堪えようと思っても、涙は次から次へと零れ落ちた。事故の後から昼や夜も泣き続けているのに、まるで枯れ果てないのが不思議で仕方なかった。

 棺を家から運び出す段になり岳達は純の納められた棺を斎場へ向かう車に乗せる為、家から運び出す。棺が思いの外、軽い事に驚かされた。

 外へ出るとアスファルトの照り返しがきつい夏の空が広がっていた。


 太一は純の家の前で思わず足を止めた。近隣の住民と思われる者達が、純の家の前で悲しげな顔を浮かべていた。


「若かったのにねぇ……」

「本当。いい子だったのに……事故だってね……」

「親御さん、悔しいだろうねぇ……」


 誰かが亡くなったのだろうか。強い焦燥と不安が太一の胸を掻き毟り、足は自然と純の家の玄関口の方へ向かって歩き出していた。

 それ程遠くはない距離で眺めた光景に、太一は全身の力が抜けるのを感じた。

 棺を担いでいた者の中に、岳の姿を見つけたのだ。人垣の中にはハンカチを何度も目元に当て、棺が運び出されるを見守る茜が居た。

 太一は全身の力を振り絞ると家に帰る為に踵を返し、一歩一歩小さく歩き出した。そして絡まり始めた頭が真っ白になり、やがて何も考えられなくなった。


 通夜の斎場へと向かう車の中で、岳は気丈に声を張り上げる。


「さぁ張った張った!何人来ると思う!?」


 佑太はハンドルを握りながら「30!」と叫ぶ。岳が「じゃあ俺は20!」と笑う。同級生や顔見知りが何人集まるか賭けているようだった。岳は煙草に火を点け、煙を吐きながら言う。


「高校の奴とか声掛ける暇も無かったし、まぁ佑太の言うように30人いたら良い方だな」

「しょうがねぇよな。来てくれただけありがてぇって思うしかねぇ」

「まぁね……」


 佑太の言い分に納得しつつ、最後に声を掛け切れ無かった者が多くいる事に岳は声を詰まらせた。

 夕方の空には雲が立ち込み始め、どんよりと空を鈍く漂っていた。信号待ちをしていると、先に斎場に向かっていた茜からメールが入った。


「早く!停められないかも」


 そのメールを眺め、岳は「はぁ?」と呟いた。


「佑太、停められないかもだって」

「嘘だろ?だってそんなに呼んでねぇよな?」

「頼まれはしたけどそれ所じゃなかったし……」

「ショックで幻覚でも見てんのかな?」

「かもしんねーな……」


 日頃から「俺、友達少ないからなぁ」とぼやいていた純を思い描きながら二人は小さな笑いを漏らしたが、車が斎場に近付いた途端に息を呑んだ。斎場に向かう車が列を成し、茜の言うように本当に停められない程に駐車場は人と車で溢れ返っていた。

 窓の外を眺めると、見慣れた中学時代の同級生の殆どの者の姿がそこにあった。岳に気付いて手を振る者もいた。

 佑太は誘導員の指示を待ちながら、外を眺めて呟いた。


「すげー……え?マジで何百人とか来てんじゃねーの?」

「だよな?あいつ、あの青い頭、誰だよ。知らねーぞ」

「高校の時の友達じゃね?」

「あんな奴知らねーよ。死んだ時だけ友達面すんなって言ってくるか」

「ははは!こんな時まで物騒だなぁ!純の通夜で喧嘩すんのも悪くねぇかもな!」


 二人は車を降りると、あちらこちらに出来上がったグループを見回した。中学時代の顔触れを見つけると、岳はすぐに挨拶に出た。

 佑太が会場の隅で煙草を吹かす田代に声を掛けようとすると、肩を掴まれた。小木と彰だった。


「お、お、おい!純君死んじまったんかよ!?じ、事故ったなんて聞いてねぇぞ!」

「小木、もういいべ?佑太に絡んだってしゃーねーよ」

「だ、だってよ!相手ぶっ殺さねーと気が済まねぇよ!」

「いいから。オメーは大人しく純君の事だけ考えてりゃいいんだよ。なぁ、佑太」

「うん?」

「がっちゃんは大丈夫なん?」

「あぁ……あれ」


 そう言って佑太が遠くに目配せをすると、通夜に訪れた者達に頭を下げる岳の姿が目に入った。

 彰は佑太の肩を叩くと、そのまま会場内に足を運んだ。


「佑太。がっちゃん助けてやれよ。先行くで」

「おぉ……分かった」


 佑太は岳の元へと走り出した。途切れて行く純の命に何も出来なかった分、せめて今、出来る事を精一杯する為に。

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