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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
18/183

背中の温もり

茜を想う事で悩み続ける純と岳。

ついに、純と岳は動き出す。

 放課後になり、部活動が始まった。恰幅の良い剣道部男子が胴着が臭いと喚いている。夏の湿って暑い空気は剣道部員にとっては天敵そのものだった。

 剣道場の外で男子部員達が素振りをしている。

 柔道場と隣り合わせになっている格技場の通路を、茜が足早に歩く。一年生の女子が捻挫した為、その時外していた顧問のいる職員室に行っていた帰りだった。

 柔道部の飯元が入り口で「よぉ」と声を掛けたが茜は「あぁ」とだけ言って剣道場へと入っていった。

 しかし、飯元は満足げな笑みを浮かべていた。


「挨拶が返って来たか……。がっちゃん。これで俺はまた、一歩リードしてしまったぞ……」


 飯元はそうひとりごちて、柔道場へと戻って行った。


 夕方とはいえ涼しくなる気配を見せない空気の中、部員達から噴出す汗は止まる事無く流れ続けている。素振りを繰り返す純を眺めていた長瀬が、純の真横に立った。そして、無言のまま純の脇を叩いた。


「純君、もっと脇締めなよ。竹刀、プラプラ持ってるとすぐに体勢崩すから」


 荒い息を吐きながら純は脇を締めて見せた。


「あぁ……だからかな、竹刀が振れるっていうか安定しないんさ……」

「これ、基本だから。まぁ、頑張って」

「あぁ……」


 まるで暑さを感じていないような素振りの長瀬は、そのまま悠然と剣道場へと消えて行った。純はその後も素振りをしながら、茜へこれから告げる事を考えていた。茜へ岳の想いを伝え、そして上手くいったとしたら、当然だが岳と茜は純の知らない時間を多く過ごす事になる。

 自分の好きな人と、自分の友人が。


 いつか電話越しに聞いた茜の声に、純は泣いた。生まれ育った土地を離れ、孤独だと思っていた生活の中で、唯一安心出来る瞬間がそこにはあった。

 たまに弱さを隠すように笑う茜に、この手で触れたいと願う事すらあった。

 放課後、岳と共に良和の声に誘われて教室を飛び出す瞬間、純はいつも無意識に振り返っていた。

 そして、茜が追い掛けて来る姿を見ると安堵と喜びが純の心を優しく包んだ。


 純が転校して来て間もない頃。掃除の時間に純は急な孤独感に苛まれた。

「俺は、どこに居れば良いんだろう」

 雑巾をかけながら、教室を眺め回した。見知らぬ大勢の誰もが皆、楽しそうな様子だった。猿渡や徳永の嬌声を聞きながら、自分が何処に居たら良いのか分からず、不安を覚えた。

 それは徐々に恐怖へと変わり、純の呼吸を蝕んだ。

 目の内側に突っ張るような感覚を覚え、雑巾がけをしていた手が止まった。

 呼吸が荒くなり、次第に指先が痺れ始める。

「誰も、俺を必要としていない。ここから逃げたい」

 そう感じる度に痺れは強くなり、頬が硬直するのを感じた。視界が揺らぎ始める。

 唯一、クラスメイトの中で話をしていた佑太に目を向けたが、箒をギター代わりにして遊んでいて純の異変に気付く様子はなかった。

 教室内に響く声や音が回り始める。千代の笑い声が肌に突き刺さる。

 頭皮までもが痺れ、その場に倒れ込みそうになる。

 その時、純の肩に誰かがそっと手を置いた。その身体は安堵の空気を運び、純はその空気の持つ香りに何故か懐かしさを感じた。


「純君?大丈夫?」

「あ……あぁ……」


 茜だった。茜は教室の隅へ純を連れて行くと、静かに純の背中を摩り始めた。


「大丈夫。大丈夫だよ……」

「ごめん……。俺……」

「大丈夫。私、ここにいるから。大丈夫だよ」


 純の呼吸は次第に落ち着きを取り戻した。俺は、独りじゃなかったんだ。純は冷たい孤独の中、茜の手から伝わる微かな温もりに縋るように、何度も何度もそれを背中に感じ取ろうとした。

 その時から、いつも純の心の中の何処かに必ず茜が存在していた。


 光る汗と共に竹刀が振り下ろされる。動悸が早くなる。頭に血が昇っているのか、それとも下がっているのか、それすらも分からなくなり、蝉の声が遠退いていく。

 茜が触れられない場所へ行ってしまえば、求める事を出来ない状況になったら、再び孤独を感じるのだろうか。


 しかし、岳を裏切るような真似はしたくない。普段あまり自分の本音や心情を吐き出す事のない岳が、自分の言葉を信頼してくれた。

 一体、どうすれば。どうしたら。いや、俺はどうしたいんだろう。俺は本当は、どうしたいんだ。

 俺は。


 岳は文化活動部の天井を眺めていた。落ち着きのない様子で何度も部室から出ては、廊下の水飲み場へ向かい水を飲んだ。酷く緊張していた。口数も極端に減っていた。

 高梨が「がっちゃん、具合、悪そう」と声を掛けたが岳は何も返さず、再び部室を抜け出した。

 顧問の引田が「病気か?」と高梨に声を掛けると、高梨は首を傾げながら「分かんない。落ち着きないから覚せい剤かも」と笑った。


 岳は純に全てを任せる事に申し訳なさを感じ始めていた。仮に上手くいったとしてもその後の事など毛頭考えてもいなかったが、振られてしまった場合に純が責任を感じてしまうのではないかと考え出した。

 それに、やはり自分の口で伝えないというのは祐太で言うところの「漢じゃねぇ」という奴なんじゃないか。


 岳は結果がどうであれ、純に責任を押し付けるような事だけはしたくなかった。しかし、それは純に責任を押し付けない自信がない事への現れでもあった。

 自分と同じ匂いのする茜を、岳は自分の力で守りたいと思っていた。茜の明るさが作られたものだとしても、その裏にある弱さを守りたかった。

 しかし、自分に守れるのだろうか?その問い掛けは何度も岳を悩ませた。せめて寄り添うだけなら、理解者でいるなら、友人でも構わない。よくある恋愛ごっこの輪の中に飛び込むなんて御免だ。目に見える明確な幸せなんて、きっといつか破綻する。ならば、こんな気持ち、吐き出してしまえ。全て吐き出して、後悔するならすれば良い。もう、茜を見守れるなら、形なんて何でも良い。


 覚悟を決めた岳は部室を後にし、階段を駆け下りた。


 格技場から茜と矢所が肩を並べて歩く姿を、校内へと向かう廊下の隅に居た純の目が捉えた。純の足は格技場へと踵を返した。

 茜が近付いて来る。純は息を飲む。


「がっちゃん、森下の事好きだって」


 純は意図的に、その言葉を真夏の暑い空気の中へ溶かした。

 茜が純に声を掛ける。


「あれ、どうしたん?」

「いや、忘れ物」

「また?本当忘れっぽいよね」

「ははは。じゃあ、また」

「明日も部活出なよー?じゃあね」

「あぁ」


 がっちゃん。ごめん。岳は茜が見えなくなった事を確認すると格技場の入り口に座り込んだ。

 けたたましい蝉の声は鳴り止む様子をまるで見せなかった。

 熱い風が汗を次々と生み出す。


 約束の反故。


 純は茜に岳の想いを伝えなかった。伝えてしまえば、微かな繋がりさえも終わってしまう気がした。

 自分がどうしたいか。ただ、茜を想い続けて居たかった。


 しかし、岳に何と伝えれば良いのだろう。純がそう悩み始めた矢先、靴音が遠くから鳴り響いてきた。


「純君!森下は!?」


 部室で待っているはずだった岳が、そこに居た。

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