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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
178/183

予兆

命と闘う純に、ある予兆が見られた。

それを感じ取る茜と岳。


そして、その日茜は夢を見た。

 茜は夜遅い時間になってから、ようやく病室を後にした。病院の規定などの取り決めは不明だったが、純の元を行ったり来たりする為の制約などは聞かされていなかった。だからこそ、気付けば夜も遅くなっている事をすっかり忘れてしまっていた。

 自分の足元をしっかりと確かめながら、茜は歩き出す。そうでもしなければ自分が今何処に居るのかも分からなくなってしまいそうな気がした。

 ICUに入院中の家族が使う為の待合室の扉の前で、ふと茜は足を止めた。ドアの隙間から誰かのすすり泣く声が漏れていた。

 それが純の父や母のものでは無い事に気が付き、つい隙間の奥を覗いてしまった。

 誰の姿もなくなった夜の病院。いつも気丈に振舞っていたはずの純の兄はそこで一人、泣いていた。

 茜は足音を立てないように、静かに歩き出す。そして、純の兄が皆の前で見せていた強さと優しさの為に、涙を流した。


 岳がレジを打っていると「がっちゃん!」と声を掛けられた。入口を見ると純の兄だった。


「ここでバイトしてんだよな!純のチャリ借りて来たよ!」

「あぁ、ありがとうございます」

「煙草くれる?48番ね」

「はい」


 48番を手に取ると、それは偶然にも純と同じマルボロメンソールだった。それが何故か微笑ましく感じ、岳は笑った。


「あいつと一緒っすね。偶然ですか?」

「え?何が?」

「煙草。純君マルメンなんですよ」

「あいつ煙草吸うの?家出てから分からなかったけど、そうなんだ。へぇ」

「ちょっとビックリしました」


 岳がそう伝えると、純の兄は小銭を出して微笑みながら言った。


「ははっ。兄弟だからさ!じゃあまたね!」

「あ、はい」


 兄弟か。良い兄貴を持ったな。そう思いながら、岳は純の兄の背中を見送った。

 同じ日にシフトに入っていた翔は地元の「顔」でもある先輩の水木に声を掛けられた。


「おい、翔。麻雀来ないんかよ?」

「いや……ちょっと今は……」

「悪い、知ってるよ。おまえの兄貴から聞いたんだけどさ。新川、大変なんだってな」

「水木さん、純君のこと知ってるんすか?」

「あぁ、昔バカ佑太がやった事で色々あってさ。実際、容態はどうなん?」

「面会には行ってるんすけど……正直……って感じです」

「そうなんか……知らない奴じゃねーから気になっててさ……。そういえば猪名川、あいつと仲良かったろ?」

「あぁ、めちゃくちゃ仲良いっすね」

「昨日ここ来たけど、あいつ何も言ってなくてさ。エロい女の話で盛り上がって帰っちまったけど、そういうの見せないのな」

「あぁ……確かにそうっすね。あんまり見せたがらないかもしれないです」

「そっか……おまえ、しっかりしろよな!あんま浮かない顔してっと青柳みたいになるぜ」

「じゃあ大丈夫っす!」


 バックヤードから端末をぶら下げた岳が現れる。何かの数を間違えたのだろうか、アイスクリームのコーナーの前で「あれぇ?」と声を立て、再びバックヤードへと消えた。傍目にはいつも通りに振舞っているようにも見えた。

 しかし、携帯電話に何かしらのアクションや店の電話が鳴る度に、肩をびくつかせて顔を真っ青にする岳の姿を翔は知っていた。

 それ故、翔はいつも通りのように岳に対して接していた。まるで、今日が先週までの続きのように。


 純が入院して5日目。夕方の湿った紫色が廊下の窓辺を染めていた。純を眺めていた茜が、半歩動くと小さくかぶりを振った。病室の中に、いつもと違う独特な匂いが混じっている。すると、病室の外から純の父が岳を手招きした。


「がっちゃん……純だけどな、近いかもしれないから……そのつもりで……」

「あの……分かりました……はい……」


 その日、面会に訪れていた同級生の榎本が岳の肩を叩いた。直感的に残された時間の短さに気付いたようだった。


「がっちゃん……」

「榎本君……ごめん」

「いや。今、辛いのはがっちゃんでしょ。分かってっからさ……」

「何も出来なくて……困っちまうよ」

「もし……そん時が来たら……俺いっぱい色んな人に声掛けっからさ。それくらいせめて、手伝わせてよ」

「うん……本当、頼むわ。ありがとう」

「何言ってんだよ。こういう時こそ、な?」


 そう言って岳を勇気付けるように笑った榎本に、岳は頭を下げた。

 病室に戻ると茜が岳に声を掛けた。事故以来、毎日のように狭い病室で顔を合わせているはずなのに、互いに喋る事自体が何故か久しぶりのように思えた。


「がっちゃん、ちょっといい?」

「あぁ……うん……」

「純君の肌、紫斑みたいなのが出来てた」


 嗅覚を通して身体で感じていた純の異変を言葉で聞いた瞬間、岳は息を呑んだまま押し黙ってしまった。


「…………」

「私、施設で働いてるからもうダメになりそうな人とか分かるんだよ……ねぇ、どうしよう」

「俺も……もしかしたらとは感じたけどさ……」

「そうだよね……でも……どうしたらいい?」

「最初から助かる見込みが無いのは分かってたじゃん。脳が快復不能なくらいにやられたって。だからさ、ちょっと考えみたんだよ。最後に色んな事をさ、純君は皆に思い出して欲しかったんじゃねーかって。会いたかったんじゃねーかって。だから、これだけ頑張ったんじゃねーのかな。だから」


 言葉を発しながら、岳は前触れなく突然涙を流し始めた。茜に語り掛けながらも、その言葉は自分に向けたものだというのは自分で分かっていた。茜は無言でかぶりを振り続ける。岳の言葉の続きが、嫌でも分かってしまった。聞きたくはなかった。

 涙混じりの声で一瞬咳き込むと、岳は乾いた声で続けた。


「俺らが決める事じゃないけど」

「知ってるよ。そんなの……知ってるよ」

「もう、眠らせてやろうぜ」


 茜の頭は途端に真っ白になった。純の命の向かう先は知っていた。しかし、認める事など出来なかった。今はこの現状を力いっぱい受け入れようとするだけで疲弊してしまい、先を考える力など残されてはいなかった。

 看護師の言葉を頼りに、茜や岳達は何度も何度も純にいつものように話し掛けた。残された温かさに、有り得ない期待をし始めていた。そして、語り掛ければ呼応するように動く指の動きに、一縷の望みを覚えてしまった。

 岳の割り切った様な発言に思わず苛立ちをぶつけそうになるが、それが元々起こっていた、受け入れなければならない現実だった。

 茜と同じように辛いはずの岳の目に、同じような悲しみが浮んでいる事に気付かされる。

 こんな時でも事態を収拾させようとする岳に、茜は器用さよりも不器用さを感じてしまう。しかし、それが皆の知っている岳でもあった。

 霞み続ける視界を何度も拭って、茜は駐車場へ向かう。「バーカ!」と怒鳴ってやりたい気持ちに駆られたが、それ以上に同じ痛みを感じる人が居るという微かな助けがその言葉を押し込めた。

 罵りの言葉は岳に向けたものではないのかも知れない。こうなってしまった切欠を作った加害者でもないのかもしれない。必死に闘っている純でもなく、それはきっと自分に向けられた言葉だった。


 茜はその夜、夢を見た。暖かい春の真夜中、茜は飛騨の合掌造りのような建物が並ぶ一角の中に居た。

 開け放たれた縁側から、夜にも関わらず外で遊ぶ子供達の姿が見えた。ふと空を見上げると、火の灯された和紙で造られた紙風船が幾つも空に打ち上がっているのに気が付いた。

 無数のオレンジが浮ぶ幻想的な光景に思わず立ち上がり、息を呑む。すると、背後から誰かが近寄ってくる気配がして振り返る。

 そこに居たのは書生のような格好をした純だった。

 純を近くに感じると、茜は「純!」と声を上げた。頭で考えるよりも先に喜びが溢れ出て、その身体に飛び付きたくなる。純はそれが分かっていたかのように「大丈夫だよ」と微笑む。茜の傍に立ち、外を指差す。


「準備に時間が掛かったんだけどさ。どうだろ?綺麗かな?」


 それが純が作った光景なんだと分かると、茜は純に微笑んだ。


「準備?これって純君が作ったの?凄く綺麗だよ!」

「マジかい?良かったぁ……。子供達も喜んでくれてるし、やった甲斐があったよ」

「ねぇ、純君。あのね、ううん。違うな。そう、あのね……」

「ははは。焦んなくても大丈夫だよ。まぁ、座ろうよ」

「純君、私さ……」

「もうちょっと、傍に居てくれない?」

「え?ずっとじゃないの?」

「俺はいつでもここに居るからさ。安心してよ」


 格好こそはB-BOYではなかったものの、見慣れたはずの純の笑顔も声もその全てが懐かしかった。茜が純に言葉を返そうとした矢先に夢は途切れ、真夜中に目が覚めた。夢を見ながら泣いていたようで、枕が濡れていた。

 夢の意味を何度も反芻しているうちに、朝方を迎えた。まどろみの中で答えの切欠を探っていると、携帯電話の着信音が部屋に鳴り響いた。途端に、電話を取ろうとする指が激しく震えた。

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