残された時間
ついにクビ宣告を受けた青柳。しかし、それを認めようとしない彼にオーナーは…
純は太一の本音を知り、彼にある物を手渡す
岳が休憩中に煙草を吸いに外へ出ていると、翔が買い物へ来た。
「おう、がっちゃん。青柳いんの?」
「あぁ。臭い息吐いてレジやってるよ」
「マジかよ……ちょっとがっちゃんレジやってくんない?」
「休憩中だから嫌だよ。自分で打てよ」
「おま……今日は客だぞ……」
店内に入り飲み物をレジへと運ぶ。青柳はレジを打つ様子も見せず、青白い顔を浮かべながら翔に声を掛けた。口角が不気味に釣り上がり、目元は視点が定まらず、無精髭が浮んでいた。
「ちょいちょい、おまえさん。学校の方はどないですか?」
「はぁ……まぁ。ボチボチですけど」
「ワシのように就職先で失敗したらあきませんよ!たははー!まぁ最も、ワシは「明治大学」を出ているので比べても仕方のない話かもしれませんが、世の中は罠だらけですから!たははー!」
「そうですね。で、さっさとレジ打ってもらっていいっすか?」
「ええですか?翔さんには分からんでしょうが世の中には大きな罠が三つあります。まず第一に、就職。これはセオリーで……」
レジを打つ様子を見せず、翔を無視した青柳は人差し指を立てて楽しげに話し始めた。翔は堪らず声を上げる。
「がっちゃーん!」
翔の怒鳴り声に気付いた岳は私服のまま無言でレジから青柳を追い出した。
「悪ぃ……」
「いや、いいけど。最近アイツ頭おかしくなってんだよ」
「元々狂ってるけどな。そもそもさ、何でアイツ辞めないの?」
「馬鹿なんだろ」
背後をそっと振り返ると、青柳は如何にも二人に気付いて欲しそうな様子で発注端末を眺め、大きな声で独り言を呟き出した
「これが先週のデータ……春という事もあり「うぐいすパン」の動向がええですな。ほほーう。若い方はこの時期どんなパンを求めるのでしょうか?若い方は。ふーむ」
翔は顔を顰め、店を出た。目が青柳に触れるだけで気分が悪かった。
その夜、バイトを終えた岳は事務室でオーナーと向き合っていた。
「オーナー……もういいんじゃないっすか?」
「あの馬鹿タレ?」
「えぇ。その馬鹿タレです」
岳は立ち上がって監視カメラのダイヤルを操作し始める。そして、昨日のある時間で手を止める。
「これ、見て下さい」
「これって……おいおい……何してんだよ!」
モニターにはドリンク棚を前後に激しく押し引きする青柳の姿が映し出されていた。オーナーの顔は見る見るうちに真っ赤になり、立ち上がるとバックヤードの扉を力任せに開いた。
「青柳ぃ!ちょっと来い!てめぇ!」
「はぁ……?何でしょうか?」
「おまえ店ぶっ壊す気か!?見てみろ!早く来い!」
そのまま裏へと連れて行かれ、しばらくすると顔面蒼白と言った様子で青柳がオーナーに連れられてバックヤードから出て来た。
「がっちゃん、悪いんだけどさぁ……今から言う事しっかり聞いててもらっていいかな?」
「あぁ、はい。良いですよ」
腕組するオーナーと岳に挟まれ、青柳は「何でしょう……?」と口を窄め、互いの顔を交互に眺めた。オーナーは腕組みを解き、伝えた。
「青柳さん。あんた、クビ」
すると、青柳は理解出来ない振りがしたいのか「ん?」「ん?」と人差し指を口の前に置き、何度も首を傾げて見せた。
「発注はがっちゃんも出来るし、そもそもあんた接客出来ないし大損ばっかさせるし……もううんざりなんだよ。辞めてくれ。な?」
「あの……辞めるとは……一体何を辞めるのでしょうか……?」
青柳がそう言うと、目を丸くしたオーナーと岳が目を合わせた。オーナーが唇を震わせながら言う。
「店を辞めてくれ。もう来ないでくれ。正直さ、あんたの顔見てるだけでも俺……イライラするんだよ」
「それとワシの仕事と……何の関係があるんでしょうか……?」
「その喋り方も何もかも嫌いなんだよ!!」
「これは……その友人が関西出身なもんでうつってしまって……」
「うるせぇな!!大人なら真面目に話しろよ!てめぇ幾つだよ!?おい!もう40とっくに越えてんだろが!やめねーなら今までの損害、賠償してもらうぞ!」
「そんな!ワシは辞められへんのです!オーナー……どうか……オーナーはんだけが!」
「うるせぇな気持ち悪ぃ!」
「いや、そんな!ダメです!アカンのです!どうか!どうか!」
オーナーの足にしがみつき、必死に懇願する青柳はパン売り場の前で土下座し始めた。
「そんなんしたって意味ないから!もう他人なんだから店には来ないでくれ。な?」
「それだけはどうか!改心しますさかい!改心します!改心しますからどうか!」
「まだ分からねぇのかてめぇは!がっちゃん……申し訳ないけどこの後こいつボコボコにしちゃうかもしれないから……帰ってもらっていいかな……?ごめんね」
岳は乾いた声で「分かりました……」と答え、すぐに店を出た。オーナーよりも青柳の執念めいた姿に恐ろしさを感じた。いっそ死んでくれたらいいのに、そう思いながら家路を急ぐ。
家に帰り食事を済ませると何となく気持ちが落ち着かなかった。あれからどうなったんだろう。
そう思うと居ても立ってもいられず、岳は家を飛び出した。
店が見える位置までに来る。暗闇の中で光る唯一の大きな灯りの中、何かが丸まっている姿が目に入る。
家に帰ってから一時間半は経っていたのにも関わらず、青柳は土下座し続けていた。
頭を下げたまま、微動だにしない。まるでそのままの体勢で死んでしまったのかと思える程だった。
青柳に底の知れない気持ち悪さを感じた岳は踵を返して家に帰り、今見た光景や経緯をありのまま翔にメールで伝えた。
春の夕方は優しげな光とは裏腹に、冬の名残を伝えるような冷たい風を街へと運んだ。
土埃と共に空が鳴る。
オレンジ色の眩いアスファルトが純の視覚を刺激する。
自動販売機でグレープジュースを買って部屋に戻ろうとすると、またもや塀に寄り掛かかる少年が目に付いた。
「やぁ」
純が声を掛けると太一は軽く頭を下げた。
「今日もしばらくここにいるんかい?」
「まぁ……うん」
「実は誰か待ってるんじゃないの?」
「え?いや、別に……」
「じゃあ何でここにいるんだい?」
「なんとなく……だよ」
「何か飲む?」
「じゃあ……コーラ……」
純はコーラを太一に手渡すと塀の前で横並びになり、腰を下ろす。
「深くは聞かないけどさ、何かあったなら話してくれよ」
「…………」
「まぁ……友達なんかの中じゃ俺は頼りないって思われてるんだけどさ。はは」
「あの、あのさぁ」
「何だい?」
「純兄ちゃんてさ、彼女いんの?」
思い浮かべた茜の笑顔を、繋ぎ止められない自信の無さを純は笑った。
「ははは。彼女、ってのは居ないかな」
「ふーん……モテないの?」
「多分、そうだね。太一は?いや、いる訳ねぇか」
「俺さ、待ってるんだ」
「誰を?」
太一は道路の向こうを眺めながら呟いた。
「紗奈。俺の好きな人」
「告白するのかい?」
「そのつもりだけど……学校じゃカッコ悪くて出来ないし。けど、もう時間ないし……」
「時間がない?どうしてだい?」
「紗奈ん家、リコンするらしくて。もうすぐ引っ越すんだって。お父さんがめちゃくちゃ怖い人で……家行けないから紗奈が通るの待ってるんだけどさ、いつも通らないし。けど、じっとしてると飽きる……」
「ははっ。飽きるのは仕方ないかな。ただ立って待ってるだけじゃさ」
「リコンとか、分からないけど、親が自己チューだと思う」
「離婚か……子供はいっつも親の都合で振り回されてばっかだよな。俺の友達でもいっぱいいるよ、親が離婚した人」
「マジ?引っ越した人とかいる?」
岳、良和、千代。そして、最後に茜の笑顔が浮かぶ。
「皆引っ越したり、引っ越して来たり。皆の場所に戻って来た人もいるよ」
「戻って来たんだ……すげぇ。でもなぁ」
そう言って太一は恥ずかしさを誤魔化すように、大げさに頭を抱える素振りを見せた。
「太一、まだここにいるんかい?」
「まぁ……もうちょい待ってみる……」
「ちょっと待ってな」
純は立ち上がって部屋に戻るとベースボールキャップの中から初めてヒップホップ専門店で買った帽子を手に取り、太一のいる場所へと戻った。
「これ、やるよ」
純が太一に手渡したのはヤンキースのベースボールキャップだった。途端に目を丸くし、太一ははしゃいでみせた。
「え?いいの?これ、メジャーリーグのヤツじゃん!純兄ちゃん、野球好きなの?俺、西武ファン」
「いやいや、俺はB-BOYだからさ。野球は苦手なんさ」
「なーんだ。でも、ありがとう。あれ、これ……デカくてぶかぶかだよ」
「ははは!まだ早かったかぁ。まぁ、大人になったら被りなよ」
「そうするよ。ありがとう、大事にする」
「お、話をしてたら親が離婚した人が来たよ。ほら」
二人が視線を向けた先にはギターバッグを背負った岳が歩いていた。
煙草を投げ捨て、片手を挙げた。
太一の目にハンチング帽の下の金髪がすぐに目に入った。
近付いた岳が純にギターを手渡す。部屋に置かれていたクラシックギターのチューニングと調整を岳に任せていたのだ。
手渡しながら岳は純に小言をぼやく。
「純君さぁ、ギター続けるならいい加減レフティ買えよ」
「いやぁ、右用で慣れちゃってっからさ。もう今更無理だよ」
「そう。で、この子は何処の隠し子よ。おい、名前は?」
太一は肩を強張らせながら「太一……」と答える。
岳は煙草に火を点け、笑った。
「太一か。勉強なんかしなくていいから女にモテてモテてモテまくる人生になれよ。受験に落ちても女は落とせ。以上!じゃ、帰るわ」
「あぁ、サンクス。弦代は?」
「いらねーよ。けど、次は金取るからな!」
「なら友情価格で頼むよ」
「ゆうじ用価格?なら、ボるぜ」
そう言って立ち去った岳が見えなくなるまで、太一は岳から目を離そうとしなかった。
「あの人……ロックンローラー……?」
「まぁ、そんな感じの人。全然怖くないよ」
「何か、すげー自己チューそう……」
太一の何処か感心したような口振りに純は手を叩いて笑い声を上げた。
「ははは!まぁ、そうだね。めっちゃくちゃ頑固だしね」
「親がリコンするとあぁなるの?紗奈……金髪になるのかな……」
「ならないでしょ。きっと大丈夫だよ」
茜を思いながらそう言った直後、純は茜に会いたくなった。
笑うと垂れ目がちになる二重や、小さな鼻が次々と浮かび、愛しくてたまらなくなる。
そして純は特に意味も無く、太一の頭を軽く叩いた。




