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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
160/183

テニスコート

テニスコートに紀子と二人で現れた良和。付き合ってはないと否定する二人は、形を求めないのだと言う。

そんな中、純の体調は再び異変に襲われる。

 流行りの小麦色の肌、そしてウェーブの掛けられた茶髪のロング。

 健康的な容姿を持ち、大宮でアパレル店員として働いている「ギャル」の紀子は良和の薄暗い日常を一変させた。

 合コン中にすっかり意気投合し、帰り際に二人は良和の車中で話し込んでいた。

 紀子は良和が喋る度に、笑い声を上げていた。


「ねぇ、ヨッシーって何でそんな面白い訳?生まれつき?」

「別に面白くねぇで。ただの変態だし、全然普通じゃねぇし」

「あははは!変態なんだ!ウケるんだけど!」

「そうなん?なら良かった」

「良かったって安心してるし!全然良くないよ!ヨッシー、マジで面白いんだけど!」


 良和は上手い返しをしようとしたものの、何も思いつかずに頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。


「おぉ、まぁ、なんつーか……あ、ありがとう」

「何でそんなたどたどしいの!?誰かに責められてんの?あははは!」

「のんのん、今度さ、あれだ。あれ、デート、デートしよう」


 スマートさを感じさせない良和の誘い文句に、紀子は手を叩いて笑い声を上げる。


「あははは!何その誘い方!何かおじいちゃんとお出掛けするみたい!あー、面白い!別にいいよ」

「いいん?デート、本当にオッケー?」

「いいよ!楽しそうだし!全然オッケー!」

「マジで!いいの?」

「だから、本当に良いよ!」

「やったぁ!」


 良和が笑うと紀子は、けたけたと弾けたような笑い声を上げた。


 すぐに乾いてしまう甘い蜜を啜るように、二人は短期間で多くの時間を過ごすようになった。

 岳が週末に不在がちになり、末野に集まる機会が減った彼らの春は、それぞれが思いのままに過ごすうちにやって来た。

 山に囲まれたテニスコートの駐車場で、純が盛大にくしゃみをする。


「はっくしゅん!あー、うえー」

「んだよ!オッサンかよ!?」

「いやぁ、花粉症なんかな?涙とくしゃみが止まらないんさ」

「純、それは花粉症だろ」

「いや、長めの風邪って事もあるからね。最近何だか身体だるくてさ」

「また鬱みてぇになってんじゃねーの?」

「違うよ。そこまで思い詰める事なんかないし」

「ふーん……にしてもよぉ、風邪で涙出るか?お、ヨッシー来たぜ」

「本当?あー……あらま」


 純と佑太が目を向けた先で良和と紀子が揃って手を振っていた。紀子は良和の左腕に右腕を回していた。

 額に手を置きながら佑太が「アツイ!アツイ!」と囃し立てる。

 右手で二本のラケットを持ちながら、良和が「よう」と声を掛けた。肌に艶を感じる。


「ラケット二本持って来たで。これで皆でテニス出来るな」

「ちょっと待って、その前にさぁ。いつから付き合ってんの?」


 佑太の質問に良和と紀子は声を揃えて笑う。


「やだなぁ!仲良しだよ、仲良し。ね?ヨッシー!」

「うん、そうなんよ。限りなく黒に近いグレーで仲良しなん」

「えぇ!?なんつーか……付き合ってる風にしか見えなくね?なぁ、純?」

「俺も付き合ってるもんだとばっか思ってたけど、違うんかい?」


 その質問に二人はかぶりを振る。


「だって、付き合う!って形?とかって面倒じゃん。うちらは形にこだわらないの。ね?」


 微笑みながら、紀子は良和に同意を求める。純は同意を求めるその姿に、紀子の心の弱さのようなものを感じ取った。

 ラケットをふらふらさせながら良和が答える。


「うん。会いたい時に会う関係なん。だから浮気とかもねぇんよ。束縛とか、そういうのも何も無いし」


 誰よりも「繋がり」や形を強く求めがちな佑太は腑に落ちない表情で首を傾げた。


「へぇ……そういうのも、ありっちゃあり?なんか。でもさぁ……形決めないのって怖くねぇの?」

「逆だよ。形なんか作るから壊れるのが怖くなるん。形がなければ最初から壊れないじゃん」

「わかんねぇ!愛の形って言うじゃん!?まぁそれでいいなら良いんだけど……よろしくやってくれ!」


 ポケットティッシュで鼻をかみながら純が軽く頭を下げる。


「まぁ、よろしくどうぞ。あー、鼻水止まんね」

「純君やっぱカッコイイねぇ!イケメンだよねぇ!」

「そうかい?まぁ、どうも」

「いっつも純ばっかズリーよ!「まぁどうもぉ〜。あ!はなみぢゅ止まんなぁ〜い!」だって!」


 佑太の口調に純は苛立ち、ティッシュを足元に放り投げて舌打ちを漏らす。


「下手な真似やめてくれん?俺、そんな言い方してないし」

「純はいっつも女で良い思いばっかしてっからな!」

「は?別にしてねーし……」


 機嫌を損ねた純を無視した佑太は紀子に満面の笑みを向けた。


「なぁ、のんのんさぁ、俺は?イケてる?」

「えー?何か「野猿」みたい」

「全然嬉しくねぇ!もういいよ!で、今日はヨッシーがテニス教えてくれんの?」

「いや、テニス初めてするんよ。これが教えてくれるから大丈夫だよ」


 良和はそう言うと松岡修造のテニス本を佑太に手渡した。佑太と純は苦笑いを浮かべたが、漫画「テニスの王子様」の影響で彼らはその頃から"にわか"テニスを楽しむようになっていた。無論、経験者など誰も居なかった為に最初の頃はルールなども適当に決められていた。


 紀子と良和がボレーを練習しているのを眺めながら、純は茜との向き合い方をぼんやりと考えていた。会いたい時に会い、求め合う時に求め合う関係ではない事は自覚していた。

 欲望をすり減らしながら、尽きた頃に手放すような相手ではない。けど、それに名前を付けるなら何に価するのだろう?

 ぼんやりと茜の姿を思い浮かべていると、ふいに身体が重たくなるのを感じる。途端に脈が乱れ、息が荒くなった。

 熱があった訳では無かった為、風邪ではないだろうと思ってはいた。しかし、それは突然純の身体を襲った。

 動悸を鎮めようとする度に、痛みは無いが額に汗が滲むのを感じる。

 駆け寄った佑太が心配そうに顔を覗き込む。


「おい、純!大丈夫かよ!どうした?」

「いや……わからん……ちょっと息が……あれ……おかしいな……」

「救急車呼ぶか?」

「大丈夫……大丈夫……すまん。ちょっと放っといてくれんかな……」

「何かあったらすぐ言えよ?ここにいっからさ」

「あぁ……すまん……ね……」


 体調の激変は時間と共に嘘のように和らいで行ったが、純はその原因が何だったのか分からないままだった。

 ひとしきりテニス「遊び」をして家に帰り、ベッドに横たわると再び脈が不規則になるのを感じた。

 純には思い当たる節があり、諦めたように「分かったよ」とひとりごちて溜息をつくと、いきつけの病院の予約を入れる事にした。


「茜さんね、私は疎開のおかげで命拾いしたんだけど……いつになったらまた空襲が来るんだろうと思うと毎晩怖くてね……埼玉に戻って生活してるのがそれはそれはもう……怖くって……」


 このやり取りは何度目だろう。そう思う度、始めのうちこそは車椅子のハンドルを握る手に自然と力が篭った。

 しかし、今は定番のBGMを聴くような心地良さと余裕すら覚えるようになっている。

 そんな自分に、茜は僅かに微笑んだ。


「おばあちゃん、大丈夫だよ。戦争はもう終わって、今はとっても平和なの。だから怖がらなくて大丈夫なんだよ?私生まれてから一回も爆弾なんか見た事ないよ」

「そうなのかしらねぇ……爆弾は怖いのよ、落ちるとね、バーン!って、それはもう……。本当に無いなら、そうだといいんだけど……」

「日本は平和だもん。だから私、毎日笑ってるよ?」

「そういえばそうね……茜さんいつも明るく笑ってるもの」

「うん。だって毎日が楽しいから」

「それは……いい事だわ。私も嬉しい」


 窓の外では桜の蕾が姿を現し始めた。夜が寒い日は未だに続いてはいるが、昼間に吹く風は春らしい穏やかさを運んでくれる。

 車椅子をゆっくりと動かしていると、最近聴いた邦楽のヒップホップの事を急に思い出した。

 純にその事を話そうと思っていた事もついでに思い出すと、茜は勤務後に純に電話を掛けた。いつもはすぐに繋がるはずなのに、呼び出し音が延々に続いた。「寝てるのかな?」そう思っていると純からの折り返しの電話が鳴った。


「もしもし?寝てたんでしょ?」

「あぁ、はは。半分正解」

「昼寝でもしてたの?」

「いや……まぁ、うん。どうしたんだい?」


 言葉を一瞬濁した純に、茜は僅かに心がざらつく。


「どうしたっていうか……暇ならご飯でもどうかなって思ったんだけど。……忙しい?」

「いやぁ……実はさ」

「実は?何?」

「入院してるんさ」

「入院!?どうしたの?どこが悪いの?」


 急過ぎる純の知らせに茜は心が逸る。しかし、純は含み笑いをしながらゆっくりとした口調で答えた。


「いやいや、弁膜が調子悪くて。また検査入院したんさ。けど、明日退院するからさ」

「ちょっと……心配だよ。大丈夫なの?」

「なんか血と酸素が上手くくっ付かないみたいで。ちょっと苦しかったけどもう平気よ」

「大丈夫なら良いんだけど……お見舞い行こうか?」

「もう退院だからいいよ。帰ったらメシでも行こうよ」

「本当無理しないでよ?ビックリしたよ……」

「あぁ、ごめんよ。あれ、そういえば……おかしいな」

「何?」

「いやぁさ、がっちゃんに言っておいたんだけどな。少しの間、入院するから皆に伝えといてくれって」

「そうなの?本当、無責任……。純君、しっかり休んでね。退院しても無理しないでよ?」

「あぁ、大丈夫よ。ありがとう」

「何も知らなくてごめんね」

「いいんさ。すぐに退院するって分かってたからさ。検診来るから、じゃあ、また」

「うん。またね」


 電話を切ると茜は溜息をついて岳に電話を掛けた。岳は抑揚のない声で「はい」と電話に出た。


「がっちゃん?純君の入院、知ってたの?」

「あぁ……言うの忘れてた。ごめん」

「そういう大事な事はすぐに教えてよ。純君に聞いてビックリしたよ」

「誰にも聞かれなかったから……聞かれたら答えようと思ってたんだよ」

「そうなんだろうけどさぁ……友達なんだからさ」

「まぁ、そうね」

「どうしたん?疲れてんの?」

「純君、血と酸素が何とかって言ってただろ?」

「あぁ、言ってたけど……」


 茜の質問を無視した岳に茜は一瞬苛立ちを覚える。しかし、どこか覇気の無い声が茜への答えのような気がした。


「あれが原因で部屋の隅っこで蹲ったりする事もあったみたいだで」

「精神的にブラックになってた訳じゃなくて?」

「いや、それもあるだろけど。きっと「またなったらどうしよう」って考えてるうちに体調おかしくなったりしてたんじゃねーかな?昔から急に具合悪くする事あったし」

「ふーん……不便な身体だね」

「まぁあれだけ顔が良いんだから、それくらい付き物だろ」

「それは言えてる」

「ははっ」

「ちょっと、何、今の笑い?何か嫌味ったらしい」

「別に?いつも通りだよ」

「ならいいけどさ。純君が帰ってきたらまた皆で集まろうよ」

「あぁ、また……そうだね。分かった」

「よろしく」

「あいよ」


 電話を切った後、茜は岳はやはり疲れているのだろうと確信した。彼女の父親の手術は成功したらしいが、すぐに気が抜けるような状態ではないと純から聞かされていたのだ。

 夜になると風は冷たく、激しく吹き荒れた。

 茜は風が大地を滑る音を聞いている内に、ふとに頭に末野に集まる彼らの顔が浮かび上がった。すると、何故か懐かしい気持ちに包まれた。

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