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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
16/183

プールサイド

 純は手で弄んでいたマーブルチョコを新しい物と入れ替えた。チョコのケースを回していた手は、もう止まっていた。

 岳は純の出した想定外の助け舟に乗ろうか乗るまいか考え始め、顎に手を置いたまま下を見つめていた。

 床に映った蛍光灯が酷く歪んでいるように見え、岳は「これをどうやったら絵で表現出来るのだろう」と、自らの思考から束の間逃げ出した。

 もしここで純の提案に乗っても、乗らずにいても、岳が茜に好意を寄せているというのは周知の事実だった。

 そして結果がどうであれ、早く伝えて抱えた気持ちに終止符を打たなければならないという焦りもあった。


 純は強い意志を秘めたような眼を岳に向けたままだった。


「がっちゃん。どうだろ?」


 岳の頭に、千代の言葉が過ぎった。


「一番の悪って「何も言わないこと」なんだよ」


 普段は明るく言いたいことは何でも言う千代も、恋する相手に秘めた思いを伝えることに悩んでいた。

 岳を通してその答えを知り、今まで見た事もない悲し気な表情を浮かべていた。しかし、千代は再びいつもの勢いを取り戻し、誰よりも大きな笑い声を明くる日には教室に響かせていた。

「どんな手段を使ってでも伝えるべき」という千代の考えが、純の出した助け舟に乗り込もうか躊躇っていた岳の足を一歩踏み出させた。

 純と目を合わすと、岳は静かに頷いてみせた。


「ありがとう……。純君、本当ありがとう」

「いやいや、こういう時は任せてくれよ」

「あぁ……」


 岳は純への申し訳なさと茜へ直接想いを伝える勇気のない自分の不甲斐なさを途端に感じ、その場で項垂れた。純が「そんな困った顔せんでよ」と笑ったので「そっか。すまん」と再び謝った。


 純は岳の気持ちを茜に伝えることで、自分自身が抱く茜への想いへ線を引こうと考えていた。目の前で告白をしようとした岳を見た瞬間、純の中で強い焦りと嫉妬の感情が生まれた。

 岳との友情の為に蓋を閉めたはずの感情が容易く露になってしまう事に恐怖を感じ、岳の代わりに茜に想いを伝える事で自分の中にある茜への想いを消し去ろうとした。

 二人がもし上手くいったなら、自分にはもう関係のない想いとして完全に蓋を閉じることが出来るかもしれない。

 純は本気でその可能性に懸けていた。


 蝉の鳴き声が窓を突き刺し、校舎に飛び込み始めて来た夏の日。プール脇を歩きながら岳を始めとする2年4組の男子生徒達はプールの授業へと向かっていた。

 佑太が塩素の匂いに鼻をひくつかせ、高梨が「精子くせぇ!」と声を上げる。徳永と谷郷がその言葉を聞き「そんな匂いすんの!?病気じゃないの?」と聞いている。

 猿渡が

「は、鼻近付けると、そ、そんな匂いする!ははは!」

 と笑うと谷郷は「サル気持ち悪ぃ!」と顔を激しく歪ませた。


 向かいのプールサイドで準備体操をしている女子達を盗み見て、男子達はどの女子の身体が好みか小声で囁き合っている。

 それに気付いた女子数名が男子達を指差しながら同じく小声で何か囁き合っていた。

 佑太が見学中の純に「奈々ちゃんいたらおっぱいドカーン!見れたのによぉ」と悔しげに声を掛ける。純は笑いながら「もしいたら勃って、立ってられない」と冗談で返した。

 高根澤というクラスメイトが立派な電波塔を持っている、と男子達が騒いでいる。プール入水前に手に軽く水を掬い、身体にかけるとあちこちから「つめてー!」という声が上がる。


 プール入水後は男子と女子に別れた区画内で自由にしてい良し、という授業だった為、岳は得意のつもりでいたクロールを始めた。しかし、どうやっても真っ直ぐに進めない岳を見てクラスメイトの男子達が笑い声を上げた。

 数名が岳にアドバイスするがそれでも上手く進めず、諦めきれずクロールを続けた岳が息継ぎの為に顔を上げると目の前に玲奈の姿があった。

 岳はコースアウトし、いつの間にか女子の区画内で泳いでいたのだった。

 水中から飛び出して来た岳に驚いた玲奈が声を上げた。


「はい!スケベ一名発見!」

「えー!がっちゃん!こんな大胆な事すんの!?」


 千代が玲奈より更に一段階大きな声を上げると、女子達が一斉に振り向いた。


「したくてしたんじゃない!したいけど!」


 岳がそう言い残し、男子区画に戻ると体育女子教諭の松沢が「本当下手だな。ビート板やろうか?」と岳に声を掛け、岳は顔を赤くするとそのままプールに沈んでいった。


 プールを眺めながら純は無心でいる事を試みた。いつかテレビで見た「座禅」の心構えに純は関心を寄せていた。部屋で見よう見まねでやってはみたものの、すぐに心に雑念が入ってしまう。

 何があっても何も感じない心を純は欲していた。痛みも、憎しみも、悲しみも自在に受け入れる事が出来たらどれ程生きていくのが楽になるのだろうと。

 転校してきて三ヶ月。もうじき一学期も終わろうとしている。その間に知った感情は転校先での孤独感と想いに蓋をし続ける辛さであった。しかし、新しい友人達と遊ぶ楽しさも同時に知った。

 悩みを考えれば考えるだけ、答えが遠くなっていくような焦りを純は抱いていた。

 純が座禅のように思考を停止しようと、半ば放心状態でプールを眺めているとワイシャツ越しに何か爪のようなものが肌に触れたのを感じた。

 そっと目を下ろすと右腕をカブトムシが這っていた。


「うわぁ!」


 純は思わず飛び上がり、腕を振り回しカブトムシを振り払った。

 高梨と猿渡がその姿を見て手を叩いて笑い声を上げている。高梨がカブトムシを拾い上げ、純に声を掛けた。


「これ、プールの上に浮かんでた。死んでなかったから、死んでるみたいな純君にくっつけた」

「びっくりしたぁ!慶ちゃん、驚かさんでくれよ」

「何見てたん?おっぱい?それとも、下?ケツ?」

「いやいや、何も考えまいとしてた。今ので失敗したんさ」

「ふーん。あ、死ねば考えなくて済むよ」

「まぁ、そうね」


 高梨の重たい冗談に軽く笑った純は、再び思考を止める事はしなかった。振り払ったカブトムシがグロテスクな腹を空に見せたまま、熱いプールサイドの上でもがいていた。

 佑太がそれを素早い動作で拾い上げる。「そーっ!れいっ!」とバレーサーブの掛け声と共に空に放る。ブゥンと羽音を立て、放り投げられたカブトムシは空をめがけてジグザグに飛んでいった。

 猿渡が「うぇ!カブトのションベン掛かった!」と叫びながらプールに飛び込む。猿渡と入れ替わるように岳がプールから上がってきた。


「夏だ」


 と、息の荒い岳が純に呟いた。純は微笑みながら「本当に」とだけ答えた。


 昼休みになるとプールで泳ぎ疲れた生徒達数人が蝉の声を子守唄に、机に突っ伏したまま昼寝をしていた。佑太が「体力ねぇなー」と誰に向かってでもなく声を掛けると、寝返りを打った岳が「うるせぇ」と眠たそうに呟いた。

 昼休みにも関わらず、妙に静まり返った2年4組に驚いた杉下 八恵が慎重な足取りで教室に入って来た。

 それに気付いた数人が扉に目を向けた。

 茜と目が合うと、杉下は無言のまま手招きした。

 茜と話していた矢所が「珍しいー」と静かに声を出したが、茜は何も言わず席を立った。


「茜、ちょっといい?」

「どしたん?」


 杉下は茜を引っ張るようにして移動教室などで通る、人気の少ない外通路へと連れ出した。

 外へと続く古い金属製の扉を開けると、蝉の声がけたたましく鳴り響いていた。


「茜。聞きたい事あるんだけど。いい?」

「え?何?」

「正直に答えてね……」


 杉下は覚悟を決めて茜を訪ねてきたようだった。そんな気配を感じ、茜はモヤのかかった朧げな不安を覚えた。


「え?本当、何?私、やましい事何もないよ?」


 額の汗を拭い、杉下が深呼吸をした。そして、茜の目を見据えて尋ねた。


「ねぇ。茜って純君のこと、好き?」


 夏を人の心に埋め込むように、蝉の声は鳴り響いていた。

 どこかのクラスの男子生徒の嬌声が遠くで上がる。


 杉下の目は茜に張り付いたまま、夏は進んで行った。

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