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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
159/183

ピラミッド

深谷駅前で集合して飲み明かす彼らの宴に岳の姿は無かった。遅れてやって来ると言っていた岳は友利と居たのだが。

 たまには外で飲もう、と彼らは深谷駅前の居酒屋で談笑していた。話の中心となったのは「合コン」の結果発表だった。

 佑太が口を手で塞ぎながら、良和に何度も同じ事を訊ねている。


「なぁ……もう一回聞くけど……マジで?」

「だから、マジだって。ははは。今度のんのんとデート行くんよ」

「の、のんのん……って呼んでんのか……。で、翔が麻友ちゃんてコにフラれたって……マジで?普通逆じゃね?」


 三度目の質問に頷いていただけの翔はようやく口を開いた。


「いや、良和は頑張ったんだよ。でも……俺も全部出し切ったから悔いはねぇよ。自分の限界も知れたしな」


 翔の言葉に良和が興奮気味になる。


「翔、かっこよかったん!帰る寸前になって女の子の前にバッて立ってさ……。「メアド交換して下さい」って言ったんな?ドラマみてーだったで!」

「笑うなよ、兵が見ている」


 彼らにひとしきり笑いが起きると、翔は照れ臭そうに笑いながらグラスを傾けた。それはどこか晴れやかな表情にも見えた。

 合コンの直後、翔は岳と共にアルバイト終わりに同級生の武人の部屋を訪れていた。


 岳と武人が「海がきこえる」のDVDを観ている横で、翔は携帯電話を片手に楽しげに呟いた。


「今まで女とメールなんてした事ないけどよぉ、マジで楽しいなぁ!おやすみ、だって!へへへ、麻友ちゃん……もう寝ちまうのかぁ。俺も……おやすみ、と」

「翔、ずいぶんウキウキじゃん。気持ち悪ぃ」

「だってよぉ?麻友ちゃんだぜ?可愛いんだなぁ、これが」

「知るかよ」


 不満げに武人は呟くと、窓を開けてベランダからビールを取り出した。武人曰く、夜のベランダは「天然冷蔵庫」らしかった。

 岳が翔の様子を眺めながら楽しげに言う。


「そんなに好きならさ、もうコクっちまえよ」

「いやぁ、それはどうかなぁ?」


 翔はにやけながら携帯画面に「大好き」と打ち込むと、それを二人に向かって見せつける。


「こんなん作ってみたけど……なぁんてな!」


 そう言って照れながら笑う翔とはまるで対照的に、武人は無表情のまま強引に翔の手から携帯電話を奪い取った。ほんの一瞬の出来事だった。


「おい!返せよ!」

「ほらよ」


 そう言って武人は翔の手に携帯電話を戻すと、その画面には


「送信しました」


 の文字が無常にも浮んでいた。音を立てるように全身から血の気が引いていくのが分かった。

 途端に、顔を真っ青にした翔が目を丸くした。


「えぇ……えっ……えぇ!?」

「どうしたん?」


 煙草を吹かしながら、武人は何事も無かったかのように静かに微笑む。


「えっと……えぇ……?おまえ、送信ボタン押した?」

「あぁ、押した」

「押した!?え!?押したの!?」

「おう。押したよぉ」

「ふざけんなよ!えぇ!?マジかよ!ありえねぇ!」

「だってさぁ、どっかの誰かさんがあんまりうじうじしてっからさぁ。代わりにコクっといたぜ!」

「冗談でもありえねぇ!えー……?おい!マジかよ!もう送信済みになってるし、嘘だろぉ!?」

「ははは!おめでとう!さぁ、祝杯しようぜ!がっちゃん!飲もう!」

「あぁ!おめでとう!フラれるかもしんねーけど、やったじゃん!フラれるかもしんねーけど。ははは!」

「翔、羨ましいなぁ!フラれるかもしんねーけどさ。俺も早く彼女作りてぇよぉ!ははは!」


 笑い転げる二人を無視したまま、翔は激昂し続ける。メールのやり取りを楽しみながら関係性を築いていき、やがて食事をするようになり……そして……という翔の密かな楽しみと計画は武人の親指一つで一瞬にして崩壊した。


「武人!おまえマジふざけんなよ!何で送信してんだよ!」

「だってさぁ」

「おまえ馬鹿なんじゃねーの!?押したらヤベーとか思わなかったん!?」

「いやぁ、そのさぁ」

「何だよ!言えよ!」

「うん。思おうと思ったんだけど、思わなかったんだなぁ」

「んだよそれ!ふざけんなよ!」


 翔は憤怒した後、落ち込み、頭を抱え、そして数日間恋が破れる予感に苛まれた。

 あまり調子の良くなさそうな表情の翔にバイト中、岳が声を掛けた。


「そういや麻友ちゃんから連絡返って来たん?」

「いや……何の返事もねぇよ」

「そうか。まぁ……自爆って訳か」

「いや、自爆じゃねぇし!せめて誤爆って言ってくれよ!」

「あはは!悪い」


 数日間、翔は思い悩んだ。弁明しようにも妙に言い訳がましく感じ、流れに身を任せる事にした。そして、麻友からの返事はとうとう来なかった。意図していない急な告白は武人の仕業とはいえ、返事がない事が麻友からの返事なのだと翔は考えるようになった。そして、吹っ切れたかのように呟いた。


「まぁ……気に入られてれば何らかのアクションはあったはずだしさ。きっと遅かれ早かれって奴だったんだよ。今回は色々と良い勉強になったかな」

「おう。そういう前向きな考え方、良いと思うぜ」

「おまえさぁ、あんだけゲラゲラ笑ってた癖に良く言えるな?」

「あははは!」


 ほんの束の間に終わった恋ではあったが、何も収穫が無かった訳ではない事を翔は噛み締めていた。

 それはほんの少し、甘くて苦い味がした。


 顔を赤らめがらマドラーを回す稲村が「あれっすか」と呟く。


「あれ、合コンって……あともう一人は涼さんが行ったんすか?」


 再び集まりに来た涼は終始、盛り上げ役に徹していた。茜が敢えて涼を合コンに呼んだのも、本音を試す意味があった。


「そうに決まってるじゃなーい!俺はあくまでも盛り上げ役でしょー!」

「盛り上げ役ぅ?酔って麻友の大事な鏡ぶっ壊したんだよ。最低でしょ?」


 純の隣で茜は涼に目を向けずに言う。純はあまりに冷たい茜の口ぶりに笑った。


「わざとじゃないぜ?同じの買ってあげるって、約束したじゃない」

「そうやって近付く手なんじゃないの?無理だかんね」

「おいおい、それは心外だぜ?」

「麻友はあんたの事「バブル臭い」って言ってたよ。ウケる」


 彼らがどっと笑うと涼は眉間に手を置き、項垂れた。「ギロッポーン!ジュリアーナー!スシー、テンプーラー、アナル!」と良和が叫ぶ。

 合コンの翌日、岳は涼の家を訪れていた。純と茜と何かあったかもしれない、と思いながらも決して詮索はしなかった。


「がっちゃん、俺……皆と楽しむ事に徹するよ。約束する」

「前からそうなんじゃないんですか?」

「いや、改めてさ……。皆凄いなぁって思う瞬間あるよ。見習うべき事かもしれないな」

「俺達なんて馬鹿しかいないっすよ」

「そうだね……けどさぁ、馬鹿になるんじゃなくて本当馬鹿なんだもん。すげーよ。俺だって二十代だけどさ……全然違うんだなぁ」

「同じ二十代じゃないっすか。そんなに変わります?」

「変わる。きっと自然に忘れちまうんだよ。いつの間にか戻れない所まで来ちゃったんだなぁって思わされる」

「まぁ……なんていうか……あんま感傷に浸ると病気になりますよ」

「いいじゃない!馬鹿げた君らをもう少し、見させてくれよ」


 涼はいつか純に勝ってやろうと目論む傍ら、彼らの若さの中にある苛立ちや想いを感じていたいと願った。大人になってしまい、全てを都合で片付ける世界には無い彼らの生きる世界。決してそこへ踏み込めなくても、傍で見続けるだけで良いとさえ考えを改め始めていた。


 純はコーラを飲みながら茜にそっと呟く。顔は見ないまま、目さえも動かさないまま。


「森下。涼さん大丈夫?」

「まぁね。反省してるっぽいし……」

「俺が守るから。傍にいなよ」

「え?あぁ……うん」


 ふいに感じた純の男らしさに、茜は途端に気持ちの整理がつかなくなる。視線を落とした先にあるのは長い指先、甲に浮ぶ太い血管。それは正に純そのものだった。


 千代が「あのさぁ」と言うと静かにグラスを置いた。


「ねぇ、佑太。がっちゃん来るんでしょ?」

「え?あぁ、来るよ。多分、遅くなるだろうけど」

「ふーん。ならいいけどさ。色々忙しいのかな?」

「友利ちゃんの親父さんが癌?とかなんとか。今日は千葉から来るって言ってたぜ」

「そうなの?無理させてない?」

「せやねぇせやねぇ!来たいっていうから来るんだろ?大丈夫だって!」

「ならいいけどさ……」


 岳が改札前の時計を見上げる。友利はその日、溜息をつき続けていた。


「わざわざ来てくれて……ごめん」

「いや、心配だったからさ。会えて良かったよ」

「仕事の事も許してくれてありがとう……」

「こんな状態だかんな。仕方ねぇよ。俺も出来るだけ助けるからさ」

「あんたが居てくれて良かった。今はそれしか言えない」


 父の入院、手術。助かる見込みは半々。状況は日に日に家計を圧迫し、友利は水商売を始めようとしていた。

 精神的にも相当負担が掛かっているようで、丸一日一緒に居ても友利は食事を摂ろうとしなかった。

 言葉を紡げない分、岳は握られ続ける手を解こうとはしなかった。

 静かに抱き寄せ、額を合わせる。まるで熱を失くしてしまっている額に、歯痒さを覚える。


「岳、もう行っちゃうの?」

「もう……うん。そろそろかな」

「だって……終電までまだ30分くらいあるよ」


「まだ」30分。岳はその夜深谷駅で彼らと待ち合わせている事を友利に伝えていた。しかし、何よりも友利の傍に居たかった。予定の時間はとっくに過ぎ、終電ギリギリで向かおうかと考えていた。

 少しでも友利と過ごす時間を延ばそうとする反面、彼らの集まる場所へ向こうとする自分もいる。

 そんな焦りを察したのか、友利は岳から離れようとはしなかった。


「岳……ごめん。行ってもいいよ」


 そう力なく言った友利の言葉に、岳は反発するように強く抱き寄せる。


「嫌だ。ギリギリまで居る」

「どうせ離れなきゃいけないじゃん。私は大丈夫だからさ……」

「俺が大丈夫じゃない」

「私……友達なんて全然居ないしさ。岳達の事、たまに羨ましいなぁって思う」

「俺は……」

「聞いて。その人達が居なかったらきっと今の岳もいないのかもって思うと、私にとっても大事な人達なんだよ。純君とか、良和君とか……」

「でも……俺は友利が一番大事だよ」

「無理に順番なんて付けなくていいよ」

「それでも……俺は友利が何よりも大事だよ」

「分かってる。だからさ、これから色々負担掛けるかもしれないけど、なるべく自分で頑張るから。寂しいからとか、困った時だけ岳を頼ったり、そんな事したくない」

「ずっとそう考えててくれたの?」

「半分は……今決めた。だけど、大丈夫。だから行って来な」

「ごめん。本当に……」

「謝るな」


 意思の篭った声で友利はハッキリとそう言った。そして、微笑んだ。


「私の覚悟が無駄になるから。来週もまた会えるからさ。だから……行ってらっしゃい」

「分かった。ありがとう。行ってくるわ」

「うん。またね。行ってらっしゃい」

「あぁ」


 そう言って小さく手を振る友利の姿を、岳は最後まで眺める事が出来なかった。

 自分に対しての不甲斐なさや半端な事しか出来ない苛立ちは角を曲がった瞬間、階段の壁にぶつけられた。


 長い時間電車に揺られ、待ち合わせの居酒屋へ顔を出すと馴染みの面々が顔を綻ばせた。佑太が立ち上がって叫ぶ。


「おっせー!何してたんだよ!って、女と会ってたんだからナニかぁ!あははー!」

「してねーよ」


 そう短く呟き、座る。千代が「何頼む?」と聞き、隣に腰を下ろす。


「あぁ、悪い。ビール」

「がっちゃん疲れてるんじゃない?目に隈、出来てる」

「昔からだよ。今日は何の集まり?」

「外で飲もうの会、そして良和君と翔君の合コン報告会」

「そりゃ楽しそうだ」


 岳は気分が浮かないまま、駆け寄った良和と翔の話をぼんやりと聞き続けた。話のタイミングを見計らって愛想笑いを浮かべたが内容がまるで入って来なかった。そして、何よりも大事な友人に対して愛想笑いを浮かべた自分を恥じた。


 外へ出ると三月の夜の空気は春に包まれ始め、まどろんでいるように感じる。

 酔っ払った様子の涼が純と佑太に抱き締める様にしてしがみ付いている。欠伸を漏らすと茜が会計の相談ついでに岳に駆け寄る。


「がっちゃん、大丈夫だった?」

「え?あぁ。会計は合ってたよ」

「違うよ。無理して来たんじゃないの?」

「あぁ……まぁ顔出すだけ出そうと思ってたから」

「そっか。まぁまた皆で楽しい事しようよ!」

「そうだな。ありがと」

「馬鹿ばっかでしょ?見てみなよ」


 千代に「10万で練習させて!」とせがむ良和。絶叫しながら断る千代。「うちの息子、10万で何とかなりませんかねぇ?」と手揉みをする翔。涼の尻をつねる佑太。逃げ出す純。持ち主が誰か分からない車を「かっけぇ!ゴキブリみてぇだぜ!」と触り続けている稲村。

 そんな光景を眺めながら岳は思わず噴出す。そして、足を踏み出すと途端に叫んだ。


「すいません!この中に誰かピラミッド志望の者はいませんか!?現役のピラミッドが不足してるんです!早く!早く!」


 良和が「あの……私、中古のピラミッドなんですけどぉ……」とそれに乗る。「何のコントだよ!」と佑太が声を張り上げ、純が笑い出す。

 一瞬、浮かび上がる友利の力の無い笑みにふいに泣き出しそうになる。

 それでも、岳は「ピラミッド」と声を張り上げた。

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