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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
158/183

雪の日

ある雪の日、純は茜の送迎へと向かう。降りしきる雪が街を白く染め上げ、純はチェーンを巻く為に停車し…

 目を覚ますと屋根にはうっすらと雪が積もっていた。小さな雪の粒はこれから徐々に勢いを増して行く、とニュースは伝えていた。

 ブラインドを閉じて寒さに身体を震わせると携帯の着信音が鳴り響いた。


「もしもし?純君?」

「あぁ、おはよ」


 声の主は茜だった。純は顔を綻ばせて頬に手をやる。昨夜、剃り忘れたのだろう。毛がざらざらと皮膚を舐めた。


「もうお昼過ぎだよ?今起きたの?」

「あぁ。朝方まで働いてるからこれが通常営業なんさ。どうしたんだい?」

「雪降ってるからドライブでもしないかなぁと思って」

「ははは。迎えに来てって事ね。どこ?」

「千代ん家。電車動かなくなるかもって言ってるし。ね?千代」


 電話越しに千代が「そうだよ!早くしないと純君のお姫様が凍死しちゃうよ!」と叫んでいる。

 路面を見るとまだ雪は積もっていなかった。車にチェーンを積んでいる事を思い出すと純は軽く返事をした。


「分かった。今から行くよ」

「毎度すいません。じゃあ待ってるね」

「あぁ。無事着いたら褒めてよ」

「えぇ?調子乗らないの!でも本当気を付けて来てね」

「うん。まぁ……大丈夫っしょ」


 頬の剃り残しを落とし、車に乗り込む。雪の勢いは大して変わらなかったがしばらく止む気配は無かった。

 白く変わる街の景色を眺めながら、純はゆっくりと進んで行く。時折窓を開けて外の風を入れ込むと微かに冬の音と匂いがした。雪の日の特有の音と匂いだった。


 駐車場に着くとマフラーを巻いた茜が純の車に駆け寄った。


「純君マジで来てくれたんだね!大丈夫だった?」

「大丈夫よ。ゆっくり来たからさ。はい、これ」

「今日はこっち。この味が多分、定番だよね」

「俺はコーラの方が好きかなぁ」


 車に乗り込むといつも純から手渡される味の異なる二本のチュッパチャップス。純から言っていた

「どっちがいい?」

 その言葉が無くなった今が、二人の新しい繋がりの深さを示していた。


 車は高坂駅前を通り過ぎ、407号に向かって進んで行く。雪の中で学生達が傘を差してバスの到着を待っていた。


「うわぁ。学生さん達も大変だね。翔は電車だからあんな思いはしないのかな?」

「電車でも距離長いし翔君も大変だよね。今日なんか電車止まるんじゃないかな」

「翔の事だからどっかで切り上げて帰って来ると思うけど。そうそう、この前良和と翔のファッションチェックしたんだよね」


 楽しげに話す茜に、純も楽しげな声で返す。


「へぇ!どうだった?」

「平均30点でした」

「ははは。赤点は免れたんかい」

「ヨッシーが特にひどくって!羽根がいっぱいついたインディアンみたいな服持って来たりさぁ。だって、合コンにインディアンいないでしょ!?」

「ははは!でも確か、インディアンって嘘つかないんじゃない?」

「そのCMすっごい古いよね?人間である限りインディアンだって普通に嘘つくと思うけどな」

「まぁ、誰だって嘘はつくよね」


 純の何気ない言葉に茜は悪戯そうに微笑んだ。


「純君だって奈々ちゃんが好きだって嘘ついてたんでしょ?」

「ちょ、それはさ。言わんでくれるかい?嘘っていうか、仮面だよ。仮面」

「嘘じゃん。でもそう考えると純君って意外と嘘上手いよね」

「見抜けるほど見られてないからじゃない?」

「暗っ!もっとカッコイイ言い訳出来ないもんかなぁ」

「無理無理。恥ずかしくて頭おかしくなっちゃう」

「そういう所だけ素直なんだよねぇ。ねぇ……」

「うん?」

「雪やばくなってない?」

「本当だ……」


 東松山を抜けようとするが部分的に雪が本格的に降り出していたのだろう。道路にも雪が降り積もり始めていた。


「純君、これスタッドレス?」

「いや……ドノーマルなんさ」

「マジで!?ちょっと、ヤバイって!絶対事故るよ!」

「チェーンはあるんさ。裏使って帰った方がいいかな……うん、裏からゆっくり行けば大丈夫っしょ」

「心配だなぁ……帰れるかしら」

「多分……大丈夫っしょ」

「多分は大丈夫じゃないよ」


 速度の速い車と並走するのを諦め、純は道を変えた。普段は田畑が広がる景色は、どこまでも白い風景が続いていた。

 緩やかな速度で入っていると背後のトラックに煽られている事に純は気付き、焦りを滲ませた。


「俺が遅すぎるんかさ?」

「当たり前じゃん!自転車の方が多分速いよ」

「仕方ない……譲るか」


 ハザードを点けて道を譲り、車を路肩に寄せる。純は少し思い悩んだ挙句、車を降りた。

 バックドアを開けると茜が振り返り声を掛けた。


「え?どうすんの?」

「あぁ。チェーン巻いてみようと思ってさ」

「マジで?出来るの?」

「大丈夫なんじゃない?説明書あるから」


 そう言って笑いながら純はバックドアを閉めた。

 作業を始めて数分。幾台かの車が雪交じりの飛沫を上げながら純の横を通り過ぎて行った。作業は難航しているようですぐに戻る気配は無かった。

 茜は車を降りると雪で濡れ始めた説明書を片手にチェーンを巻こうとしている純の肩を叩いた。


「純君!ここじゃ轢かれるよ!」

「あぁ……あと少しだと思うんだけどさ。あぁ……わっかんねーなぁ」

「移動しようよ。チェーン巻いてて事故ったら意味ないじゃん」

「それもそうね。そうしよっか」


 鼻を啜りながら純は車に戻り、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 真っ白い中に、ミラのブレーキランプが浮かび上がる。自動販売機の小屋の側に車を停め、純は再び作業に戻った。

 降り続ける雪は次第に景色の中から音を遮断してしまった。聞こえてくるのは自分の息遣いと、車内から漏れるヒップホップのビートだけだった。

 かじかんだ手を温めようと息を掛けると、温かい物が首に触れた。作業に没頭していて気が付かなかったが、茜が自販機で飲み物を買っていたのだ。


「あったかいの飲みなよ」

「サンキュー。助かるわ」

「純君、本当不器用だよね」

「あぁ。昔っから手先がダメなんさ」


 雪と油で汚れた純の手先に目を向けながら、その必死さに茜は思わず笑みを零す。


「ゆっくりでいいよ。手伝えなくてごめんね」

「いやいや。車ん中でゆっくりしててよ。寒いからさ」

「飽きちゃったんだよ」

「そっか……手先が器用に生まれたかったよ。あぁ、これじゃダメなんか……」


 音の無い景色の中、茜は静かに呟いた。


「雪だなぁ……」


 その言葉が聞こえていて無視しているのか、それとも届いていないのか、純は背中を見せたまま作業に集中している。

 茜は足元の雪を踏みしめ、キュッと鳴らす。何度かそうして、次に雪を救い上げて手で丸めた。


「つめたぁい!」


 そう言って笑うと純の微かな笑い声が茜の耳に届いた。純が作業している間、茜もある作業を始めた。

 純がふと茜に目を向けると、背中を丸めて手を動かしていた。


「森下、外にいたら風邪引いちゃうよ」

「純君だってそうでしょ?私は私の「仕事」してるんだから、いいの」


 茜の意外な程に真剣な声に、純は頬を緩めた。


「そっちは残業になりそうかい?」

「そうですねぇ。まだ終わりそうにありません。新川さんの所はどうですか?」

「うちはもうてんてこまいで。いやぁ、先の見えない仕事してます」

「世の中厳しいですなぁ」

「働かないと食っていけないですからねぇ。きびしー!」


 二人の笑い声だけが景色にこだました。雪は降り続き、まるで色を剥がされたように街は完全な白に変わった。

 茜は肩に乗った雪を払い、立ち上がると車の屋根の上にそれを置いた。


「作業完了!ねぇ純君、見て!」


 純が目を向けると、そこにはふたつの小さな雪だるまが肩を揃えて並んでいた。

 小石と小枝で表情付けられた雪だるまは笑っていた。


「ははは!良い仕事ぶりだなぁ。上手く出来てるじゃん」

「まぁね。あー!冷たかったぁ」

「あ、そうだ」


 純が何か思い立って車に戻る。その手にはチュッパチャップスの棒。それを雪だるまの左右に二本、差し込んだ。

 嬉しそうに笑いながら純は言う。


「なんだか喜んでるみたいじゃない?」

「あはは、雪だるまがばんざいしてるみたい」


 そう言って微笑み合い、二人は視線を重ねる。目の前にある優しさや愛しさに、つい触れようとしてしまう。手を伸ばせばすぐにでも届きそうな距離に、届いていた距離に、歯痒さを覚え押し込める。

 喜びの奥から溢れ出そうになる涙に、理由も感情も名付ける事は出来なかった。

 しかし、それは降りしきる雪とは対照的に、暖かく、穏やかで愛しいものだった。

 純は笑顔のまま作業に戻り、茜は雪の中を歩き出す。

 優しく、穏やかな気持ちを抱いたまま涙を誤魔化すように雪の中を進んで行く。

 それに気付いた純が慌てて声を掛ける。


「森下ぁ!風邪引くって!」


 茜は何も答えず、雪を見上げる。真っ白い空からばら撒かれるように雪は降る。

 純の大きな声を聞きながら、茜は安心していた。純の気持ちにまた一つ、触れられた事に小さな涙と笑みを零す。純の声を敢えて、無視し続ける。

 雪を踏みしめる、というよりは蹴り飛ばしながら近寄る音がする。森下、と呼び続けている。しかし、茜は振り返らない。

 声が途切れ、背後で何かを躊躇っている気配がする。

 雪を踏み込む音がして、手が握られる。


「茜、戻ろうよ」

「いつもそうやって、呼んでくれたっていいのに」


 恥ずかしそうに笑みを浮べ、茜は一瞬だけ純の手を握り返すと、すぐに離した。


 四苦八苦しながらも作業を終え、純は無事に茜を送り届けた。夕方過ぎに雪は止み、街は雪化粧を溶かされるのを大人しく待ち続けているように静止していた。

 客の居ないコンビニに着き、車を降りると純は微笑んだ。

 腕こそ残っては居なかったものの、二つの雪だるまは屋根の上で仲良く並び続けていた。


「なぁ翔。こんな日に来る客ってどんな奴だと思う?」

「頭おかしいコンビニマニアか、強盗」

「あはは!そいつは大正解だわ」

「こんな店員もどうかしてると思うけどな」


「客が来ない」と愚痴を零しながら、岳と翔は店内の床に揃って寝そべっていた。やる事のない二人は暇を極限まで体言していたのだ。

 するとドアが開かれる音がして咄嗟に二人は立ち上がった。


「いらっしゃいませぇ!」


 蛮行を誤魔化すかのようにいつもより大きな声で挨拶をする。入り口に目を向けると純の姿があった。


「何だよ!おい翔!強盗じゃないのが来たぜ!」

「んだよ純君かよ!焦って損したわ。ゲームマニアも来るんだな」

「何の話だい?それより、今寝てなかった?」


 二人はかぶりを振る様子もなく、真顔で答える。


「純君、それは残像だわ」

「あぁ。俺とがっちゃん仕事早いからさ。よく言われるんだけど残像だ」

「まぁ……見てない事にしておくよ」


 岳は相好を崩し、中華まんの什器の前に立つ。


「純君、外寒かったろ?どうせ廃棄になるんだから好きなの食べていいよ」

「いや、大丈夫。暖かいからさ」

「は?だって雪だぜ?暖かい訳ないじゃん」

「いやぁ、なんていうか……暖かいんさ」

「おいおい……。翔!やっぱ頭おかしい客だったわ!」


 翔はパンを並べ替えながら笑う。


「だーかーらー、言ったろう?」


 その言葉に笑みを漏らす純に、岳も思わず微笑んだ。

 冬は抗う事を諦めたように、春を迎える準備を整え始める。

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