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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
156/183

周回遅れ

茜に謝りたいと言う涼。人と向き合う事を決して諦めない茜は涼の申し入れを受け…

 イタリアンレストランの一室で頭を下げ続ける涼に、茜は終始真顔を貫き通した。とりあえずの注文はしたものの、運ばれてきた料理に茜は手を付ける素振りすら見せなかった。


「本当、この通り」


 頭を下げる涼を睨みながら茜は水を口に運ぼうとする。涼の家のリビングで差し出されたワイングラスを無意識に連想し、一瞬顔を顰める。


「マジで何考えてんの。涼さんの存在そのものが本当に怖いんだけど」

「いや……今は本当に反省してるんで。許してくれとは言えない立場だけど……」


 二月の小雨のせいだろう。車内はひどく冷え込み、肌を震わせた。


「どうしても謝りたいんだって」


 茜はどこか不機嫌そうにそう言ったが、無理もなかった。涼の申し出に茜はすぐに首を縦に振らなかった。純に涼の意思を伝え、どうするかを茜は純に委ねた。

 ファミレスでほうれん草のバターソテーをつつきながら、純は頭を下げた涼の姿を思い浮かべていた。


「そんなに許して欲しいんかさ?許してもらえると思ってるんかな?」

「だとしたら、そもそも何であんな事すんの?って感じ。純君いなかったら私、襲われてたよね?」

「まぁ……そうだろうね。どうすっかな」

「純君の所には行ったんでしょ?」

「あぁ、来たね。ずっと頭下げてたけど、あの人は本心が分からんからさ」

「がっちゃんも全く……とんでもない人連れて来たもんだよ」

「ははは。それ言ったら稲村もそうだけど」

「変人の集まりだから仕方ないのかもしんないけど……涼さんは度が過ぎてるよね」

「許すも許さないもないだろうけど……話聞くだけ聞いてみるかい?俺も行くよ」

「本当?いいの?」

「あぁ。同席して欲しかったら言ってよ。送迎もするからさ」

「うん、よろしく頼んだわ。そういえばさ」

「何だい?」


 茜は何か思いついたように目を丸くした。茶色がかった大きな瞳に、純は思わず息を呑みそうになる。


「純君、バレンタイン貰った?」

「専売所のおばちゃんに一個。ははは」

「義理も義理だね。だけど、やったじゃん」

「ゼロよりマシかな?昔さ、森下にチョコ貰ったの覚えてる?」

「えぇ?私、あげたっけ?」


 眉を八の字にした茜に、純は自信満々に答える。


「ほら、黒板の前でちっちゃなベビーチョコばら撒いてたじゃん。俺とか佑太に「ほら、男共!拾え!」って」


 中学二年のバレンタインデー。茜は純達を黒板の前へ呼びつけてチョコをばら撒いて見せた。それが茜なりの彼らへ対しての「義理」チョコだった。


「あはは!マジ最低だね私!っていうかそんな事覚えてなくていいの!」

「ははは!あれにはビックリしたけどな。どんだけ偉そうなんだよってさ」

「だってさぁ、拾う方が悪いんじゃん」

「いやいや、食べ物粗末に出来ないんだよ」

「屁理屈言わない」

「まいったな。ははは。やっぱ森下は変わらんね」

「純君もだよ」


 笑い声が二人の暖かさに溶けて行き、やがて消えた頃に純は岳の部屋を訪れていた。


「で、どうしたん?」


 部屋に入るなりそう聞いて来る岳に、純は頭を掻いた。岳は遠慮が無い分、オブラートに包む事をしない。


「いやいや、いきなり聞かれると参ったな」

「だって俺に用事ある奴って大体何かあった時じゃん。気軽に遊び来たよって奴なんて誰も居ないからな」

「まぁズバリ相談なんだけどね。座っていいかい?」

「座っても別に死なないから座っていいよ」


 口調が軽々しく、そして尖っている。すぐに岳の機嫌が「良い」事に純は気付いた。


「涼さんの事さ、がっちゃんどう思う?」

「前にもそんな事聞いてきたよな。涼さんと何かあったんでしょ?」

「聞いたの?」

「いや。この前飲んだ時すげーベロベロになっててさ。純君ってかっこいいんかなぁだの何だの、言ってたから」

「そうかい。まぁあの人に褒められても嬉しくはないんだけどさ」

「あぁ。正直どこまで信用していいかは分からない。けど、存在としては面白い人だと思う」

「うん……そっか」


 相変わらず涼に対して肯定的な岳の態度に、純は話すのを思わず躊躇う。しかし、岳はギターを手にしながら歌うように言った。


「でも、飽きたら捨てたら良いんじゃない?別に幼馴染でも、親兄弟でもないんだし」


 純は岳の口ぶりに思わず噴出した。


「それはそれでひでーわ!がっちゃんやっぱ鬼だなぁ」

「いやいや!だって俺から頼んで来てもらった訳じゃないし!この辺の若い子達と知り合いたいって頼まれたんだよ?」

「あー、そっか。元々来てくれって頭下げた訳じゃないんか」

「当たり前じゃん。俺が頭下げるのは「殺して下さい」って言う時だけだよ」

「ははは!」

「だから……何があったかは別に詮索しないけど、好きなようにやったら良いんじゃない?他の人は知らないけど俺は涼さんが来なきゃ来ないで別に?って感じだし。気が向けば個人的に会うかするし」

「そっかそっか。今のでヒントもらった気がするわ。こっちから別にお願いしてないもんな」

「そうだよ。それより宇頭巻のファーストアルバム買ったんよ。あとね、三善善三も買った」

「おぉ!マジかい!いいねぇ!あの人昔ラッパ我リヤだったんだよね」

「えぇ!?マジで?」


 純と岳は朝方まで音楽談義に華を咲かせた。

 この数ヵ月後、純は岳と共にギターを鳴らす事になる。


 車から降りようとした茜は、真顔のまま純に告げた。


「一緒に来てもらおうと思ったけど、やっぱ私の問題に純君は巻き込めないわ」

「それは……どういう事?」

「関係ないって事じゃなくて……レストランだったら人もいるし安心だしさ。私は自分の事として、涼さんの事しっかり見極めるよ」

「あぁ、それなら……分かった」

「ねぇ、終わったらどっかご飯でも行こうよ」

「ははは、これからレストラン行くのにね」

「食事が目的じゃないからね」


 そう言って小さく笑う茜の姿に、純はひとしきり抑えていた感情が破裂しそうになる。それは茜へ対しての愛しさだった。

 しかし、互いに距離を保って接するようになり茜の弱さや強さを知るたびに、深まるのは愛しさとはまた違う想いだった。それは茜という人間そのものに対しての尊敬の念だった。

 弱さを知る人間だからこそ、茜は誰かと向き合おうとする事を止めようとはしない。

 それは、今も変わらずに。


 涼は薄い唇を噛み締めながら、茜に告げた。


「本当にあんな真似してしまって申し訳ない。もう、絶対にしません」

「良い大人が情けないよ。本当……」

「あの後、正直自分が情けなくなっちゃって……がっちゃん呼び出して思わず愚痴零したよ」

「何があったか言ったの?」

「いや。自分のダメさ加減を聞いてもらっただけさ」

「そう。別に言っても良かったのに。言う手間省けたから」

「いや……それは」

「そうやって自分の事ばっか守ろうとするから自分が情けなくなるんだよ」


 茜はそう言ってポシェットから煙草を取り出した。ぎこちない手つきで火を点けると、煙を浅く吸い込み吐き出した。


「あれ……煙草吸うんだ……」


 平静を装う涼に煙を吹き掛け、茜は冷たく言い放つ。


「一々言わなきゃいけないの?」

「いや……いいじゃない。別に」

「なら驚かないで。そういう認識が甘ちゃんなんだよ」

「こりゃ……参ったな。そうか……甘ちゃんね」

「涼さんが思う私と本当の私……絶対に違うと思う」

「そうかな?」

「そうだよ。それが分かってるからきっと強引にでも「しよう」としたんでしょ?」

「それは……情けないけど。そうかな」

「認めたね」


 そう言うと茜は火を点けたばかりの煙草を揉み消し、すぐに水を飲み込んだ。


「じゃあ」


 真顔のまま立ち上がった茜に涼は血相を変える。


「ちょっ……ここの料理それなりに値段するんだから食べていったら?」

「いらない」

「なら……せめて見送るよ」

「あのさ。一応言っておくけど、誰かに言いふらすとかダサい事はしない」

「あぁ……それはどうも……」


 相好を崩しかけた涼だったが、茜は見逃さなかった。


「けど、皆の前に来る時には自分の居場所はないもんだと思っておいて。わきまえる事に徹して」

「それは……努力する。もう変な事は絶対にしないよ」

「それだけ。よろしく」


 茜は涼と目も合わさずに歩き出す。薄暗い通路を抜け、扉を開くと後方から「ありがとうございました」という声が重なり、響いた。

 外は冷たい小雨が降っていた。駐車場の隅で小さなミラのヘッドライトが照らされ、茜は思わず微笑む。

 走り出したミラが茜の前へ辿り着く直前、茜は手首に冷たいものを感じて咄嗟に振り返る。そこにあったのは今にも泣き出しそうな涼の顔だった。


「ちょっと何すんのよ!離してよ!」

「手ぐらい良いだろ!」

「良い訳ないでしょ!馬鹿なんじゃないの!?」


 茜はすぐに涼の手を振り解き、ミラの助手席に乗り込んだ。それと入れ替わるようにして怒りを滲ませた表情の純が車を降りた。

 立ち尽くしたまま、涼が声を上げた。


「純君さぁ!」


 純も負けじと声を張る。


「あんたさぁ!まだ懲りないんかい!?」


 前へ出ようとする純に、涼は両手を拡げながら叫んだ。


「そんなに茜ちゃんが大事ならしっかり見といてやれよ!」

「今のは汚いんじゃない?」

「狡さは大人の特権だよ。だけど、俺はもうこんな真似しない!純君に分かって欲しかっただけだよ!」

「何を!?」

「純君の他に、こんなにも茜ちゃんを欲しがってる人間が居るって事をさ!」

「だったら……」

「だから、茜ちゃんをしっかり守ってやれよ!見てやれよ!」

「あんたに言われたくないけどね」

「茜ちゃんも聞いてるだろ!?聞いてくれよ!俺さぁ、いつか絶対茜ちゃんを物にしてみせるから!今度こそ正々堂々とさぁ!」


 車内の茜は正面を向いたまま、振り向こうともしなかった。ワイパーの動く音が、静かに雨を伝えていた。


「俺、純君に負けないからさ!頑張るからさぁ!」


 肩を雨に濡らしながら、涼と純は向き合う。純が鼻の下を擦り、小さく笑った。


「やっとスタート地点に立ったって訳かい?」

「純君に……俺は負けない」

「けど、俺は思ってるより速いよ」

「いつか俺の背中を見せてつけてやるよ」

「へぇ。周回遅れの?」


 そう言って純は涼に背中を向け、小さく片手を上げて車に乗り込んだ。

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