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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
152/183

想いは白と共に

千代への預かり物を受け取りに涼の家を訪れた茜。これ以上の策が無く、涼は茜を手に入れる為、ついに強硬手段に出る。しかし。

「お邪魔します」

「わざわざ来てくれてありがとう。上がって」

「はい」


 涼は先に廊下を歩き、リビングへと消える。その姿が見えなくなると、茜は玄関の鍵が掛かっていない事を確かめてから靴を脱いだ。

 間接照明だけが灯る薄暗いリビング。据え置かれた巨大なオーディオスピーカーからはピアノジャズのナンバーが流れていた。

 テーブルには赤ワインが置かれており、何故かグラスが二脚用意されていた。

 真っ黒いソファに深く腰掛け、涼は溜息をつく。


「一人でやっててもつまんなくてさ。どう?少し付き合ってよ」


 茜は外で待つ純を想い、首を横に振った。


「ううん。車だから」

「は?運転手のいる車じゃなくて?」


 皮肉めいた口調で涼がワインをグラスに注いでいく。しっかりと、二脚分。

 とりあえずの乾杯をして、茜は口を付けるとすぐにグラスをテーブルに戻した。

 横目でそれを見ていた涼は鼻から溜息を漏らす。


「こないだのショックが大きくてさ……俺が皆に迷惑掛けた気になっちゃってね。大人になると責任ばかり気にしちゃって、良くないな」

「芦野と知り合いだったんでしょ?すぐ言えば良かったじゃん」


 涼の考えとは真逆の茜の言葉に涼は唇を噛み締め、静かに言った。


「本当はさ……俺って弱いんだよ。脆いし。だからかな、皆が怖くて言えなかった。皆から指をさされるのが怖くてさ……。落ちてる時の純君の気持ち、実は俺って少し分かるんだ」


 茜の気を少しでも引こうと涼は純の話題を出した。しかし「少し分かるんだ」という事場に茜は苛立ちを隠さず、そのまま伝えた。


「少し?全然違うね。私が純を理解出来てないのに……何で涼さんに分かるの?分かる訳ないじゃん」

「強いね、茜ちゃんは。俺は……同じ男だからかな……男は皆一人じゃ何も出来やしないんだ。けど、弱さが集まると、途端に強くなる事もある。この前のようにね」

「そうだね。けど、皆の弱さが集まったからそうさせたんじゃなくて、千代の為に皆は一人一人怒ってたんだよ」

「そうかな?」

「そうでしょ。それに、皆が怖いなんて思ってる人はあそこには一人も居ないよ」

「じゃあ……俺だけひとりぼっちってかい?寂しいね」

「それより、千代に渡すものは?」

「冷たいなぁ、茜ちゃあん!今夜も俺は一人で飲むのかぁ!まぁ、一人でもハッピーになれれば、それで良いんだけどね。今日は……なれるかな」

「早くしてよ」

「そこの机の一番上の引き出しに白い封筒が入ってる」

「分かった」


 涼は内心焦っていた。なるべく、時間を稼ぎたかった。

 茜が飲んだひと口の中に溶け込んだ成分が効果を発揮するまでにはそれなりに時間が必要だった。

 引き出しを探る茜の背中をなぞるように涼は視線を這わせる。次に尻や足に這わせると、艶のあるミディアムヘアで視線は止まった。

 時間がくれば、後は自由に出来るはずだ。その髪に指を通し、肌を眺める自分を想像する。


「涼さん。白い封筒なんか無いんだけど?」

「おかしいな。あれぇ?あ、寝室だっけな。茜ちゃん、探すの手伝ってもらっていい?失くしたかもしれないな」

「私、ここにいるから取りに行って来て」

「何で?」

「いいから。早く行って」

「別に……良いけどさぁ。変な事なんかしないし、俺の事……そういう目で見るなよ」

「変に手伝って後で「何か無くなった」とか言われるの嫌なの。早くして」

「分かったよ。全く……信用ないなぁ」


 階段をゆっくりと上がり、涼はほくそ笑む。ここまでは思い描いた通りの展開だった。

 しばらくして戻れば、茜は眠りについているはずだ。

 起きた頃に優しい言葉を掛ければいい。そして「男の家で突然寝るだなんて不用心だ」と「大人らしい」決め台詞を吐けばそれで済む。

 何が起こっていたのかは、茜に悟られないようにすれば良いのだ。


 寝室のベッドで横になり、10分ほどやり過ごす。階下からは何の声も聞こえて来ない。

 早くも効き目が出たのだろうか?そう思いながら逸る気持ちを抑え切れなくなった涼は階段をゆっくり、と意識しながら下りて行く。

 宝箱を覗くような気持ちでリビングを静かに覗き込む。途端に、涼は目を丸くした。口がへの字に曲がり、三日月のような形になる。薄暗いリビングのソファに座って居たのは茜と純だった。


「な、なんで……純君」

「はは。どうも、運転手っす」


 そう言いながら純は車の鍵が付いたキーホルダーを指で回してみせた。

 やはり効き目が現れたのだろうか。茜が怠そうに純に凭れ掛かり、呟いた。


「で……千代に渡すものは?あったの……?」

「あの……あったよ!あった!」

「じゃあ頂戴……ねぇ、あのワイン……」


 茜が微かな意識の中で示唆した手掛かりを純はしっかりと掴むと、ワインの注がれたグラスに目を向けた。

 問題にされる前に、涼は慌てて二人に背中を向けた。


「上に忘れて来た。取ってくる」


 涼はワインの事には一切触れず、顔を真っ赤にさせると階段を駆け上がった。財布から数枚の万札を抜き出し、乱暴に茶封筒に入れる。階段を駆け下り、叩きつけるようにしてテーブルに置いた。


「あったよ、これだよ」

「芦野からだって……千代に渡しとく」

「あぁ、そうだよ。そう、先生からだよ。よろしく」


 純と茜は立ち上がると寄り添うようにして玄関へと向かう。間接照明が影を作り、壁が二人を映し出す。

 形だけでも見送ろうと涼は悔しさを顔に滲ませながら玄関へ向かう。


「森下……車行けるかい?」

「目の前でしょ……?大丈夫」

「じゃあ、これ。ちょっと先行っててくれん?」

「うん……分かった……」


 純は眠たげな茜に鍵を渡すと先に行かせた。玄関の扉が閉まり、涼と二人きりになる。純はB-BOYの象徴であるキャップを被り直すと、深く長い溜息をついた。怒りを通り越し、冷静ですらいられた。


「純君、どうしたの?帰りなよ。あと、人の家に勝手に入っちゃダメじゃない」

「あんたさ」


 遥か年下の純が吐き出した言葉の圧に、涼は怒る事を忘れてしまう。

 胸を思い切り叩かれたように、痛みが走った。何とか平静を取り繕おうと涼は腕組みし、真顔になる。


「あんたって……誰に向かって言ってるのか、分かってるかな?」

「あぁ。分かってんだけどさ。いいかな?」

「何が?」

「いいから聞きなよ」

「まぁ……いいじゃない。聞こうか」

「別に言いふらすつもりはないけどさ、やり方が汚な過ぎんじゃない?」

「何の事かな……」

「この前もそうだったんだけどさ。舐めてるっしょ?」

「舐めてる?何を?」

「俺らを」


 涼は急に強気になった純の言葉に何か返そうとしたが、茜にしようとした事の言い訳を浮かばせる事しか出来ずにいた。それを掻き消すかのように次々に浮かぶのは純に対しての罵りだった。

 こんなクソガキが。何の苦労も知らないクソガキが。目障りなだけで、自分の歩きたい道を常に邪魔するクソガキが。ガキが。ガキが。ガキが!


「舐めてるっていうのは……理解出来ない」

「もうしなくていいよ、別に」

「ずいぶん子供みたいな事言うねぇ。俺は、嫌われてるのかな?」

「そうだよ。俺以上にね」

「皆に嫌われてる……ってか?」

「あぁ、そうね」

「どう返せばいい?悲しいよぉ……でいいのかな?それで満足なら言ってやるから帰ってくれよ」

「いや。話は別にあるんさ」

「何だよ」

「あんた、さっき森下に何しようとした?」

「別に、何も」

「へぇ……そうなんだ。じゃあ、後でたっぷり笑ってやるよ」

「勝った気になってんじゃねーよ!クソガキがよぉ!!」


 涼は顔面をくしゃくしゃにしながら叫んだ。下駄箱の上にあったガラス時計の置物が砕け散る。怒りと羞恥心が限界を超え、ついに爆発したのだ。


「俺が茜ちゃんを欲しがって何が悪いんだよ!それがいけない事なのかよ!?」

「いつか言ってたよね?「正々堂々」だっけ?正々堂々……ねぇ」

「堂々とやってたよ!逃げ回ってんのはそっちじゃねーのかよ!?隠れてこそこそしやがってよ!」

「何を?」

「じゃあ何で茜ちゃんがテメーなんかと一緒にいんだよ!?おかしいだろ!?」

「別に何も?どこが逃げ回ってんのかさ、説明して欲しいくらいだね」

「だって、だって……俺はなぁ!社長だぞ!」

「あぁ、らしいね」

「テメーらみたいな負け組とは違うんだよ!」

「そうなんだ。凄いね」

「はぁ!?だって……おまえ……ふざけんなよ……ふざけんな!そもそもよぉ!おまえが茜ちゃんの事で俺に文句垂れるとか、そんな権利おまえにないだろ!?」


 感情を剥き出しにした涼の声は裏返った。純は笑いそうになりながらもはっきりと答える。


「権利かい?あるよ」

「何でだよ!じゃあガキの寝言ほざいてみろよ!全否定してやっからよ!」


 すると純は薄笑いをやめ、真顔になって伝えた。


「茜は、俺の大事な人なんさ」


 暗闇の中、白い息を伴いながら吐き出された想いが涼を打ちのめした。「いや……」「まぁ……」と茜への想いを言い淀んでいた純の気配は最早、微塵もそこには無かった。

 涼は純の前でついに何も言えなくなった。どんな手を打とうとも、茜が手に入らない事を思い知らされ、項垂れた。

 玄関が閉まる音がして、車が去っていく音が聞こえてくる。

 途端に無音になり、砕け散ったガラスの中から聞こえてくる秒針だけが彰の耳には届いていた。準備していたジャズナンバーのCDはとっくの昔に再生を終えていた。


 車の中で眠りについてしまった茜を起こさないように、純は慎重に道を選びながら山道を降りて行く。一旦家に立ち寄ると、部屋から毛布を持ち出して車に戻る。眠る茜に純はそっと毛布を掛けた。

 茜の家へと向かう道中、純の好きなヒップホップもラジオも流さないまま夜の静けさをなるべく車内に取り込もうと努めた。

 車は闇の中を進んで行き、やがて茜の家の前へと辿り着いた。何度か揺り起こしてはみたが茜はそれでも起きる気配を見せなかった。

 純は専売所に「風邪を引いた」と嘘をついて欠勤の連絡を入れた。車を少し離れたコンビニの駐車場に停め、エンジンを切った。

 何度か揺り起こしてみたがまるで起きる気配をみせない茜に、純は涼への怒りを何度も滲ませた。

 純が今、茜に対して最大限出来る事。それは茜を静かに眠らせておく事だった。


 朝焼けの光がフロントガラスを突き抜けて瞼を刺激した。首筋が鈍く痛んだが、茜はゆっくりと目を覚ます。

 目を開いた先の景色が一体何処なのか検討が付かなかったが、辺りを見渡すと家からそう遠くない場所だと気が付いた。


「あれ……これ」


 身体に掛けられていた毛布には見覚えがあった。それはいつか、純と二人で潜り込んだ時の毛布だった。布団の中はまるで秘密基地のようで、そこは完全に二人きりの世界だった事を思い出す。

 その時の景色を回想するかのように毛布に顔を埋め、横を向く。シートを倒し、口を半開きにして眠る純がそこに居た。その姿に思わず笑みを漏らす。


「純君、今日の夜ってバイトなの?」

「あぁ。いつも通り夜中から。まいっちゃうよ」


 夕べの会話を思い出すと、茜は途端に申し訳ない気持ちになった。しかし、抑えがたい喜びが湧き上がるのも感じていた。

 その喜びはどれにも似つかない、純との間にしか生まれない懐かしいものだった。


「ありがとう、純」


 純が寝ている隙に普段は掛けられない言葉を掛け、再び束の間の眠りに就いた。

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