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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
148/183

破片

友利の口ぶりは未来を予想するかのようなものだった。岳がいつものようにコンビニでバイトをしていると、店内は突然の衝撃音に包まれ…。

 原宿を買い物ついでに歩き回った。人混みに疲れ、夕方になり静かな場所を散歩をしよう、と鬼子母神周辺を散策した。小さな電車に乗り込むと友利は「可愛い」と頬を緩ませた。その日は池袋で宿泊し、ベッドの薄闇の中で岳と友利は囁くように話をしていた。


「あそこ何だっけ?お墓いっぱいあった所」

「雑司が谷?」

「そうそう。覚え難い名前だよね」

「結構有名な人の墓もあるみたいよ。夏目漱石とかさ」

「へぇ……あんな所に眠ってるんだね。東京にしては静かでいいけど」

「そういや、友利は最近霊とか見るの?」

「うん。「あ、この人死んでる」って人、普通に見るよ。見た目普通の人と変わらないんだけど、死んでるって分かる。岳だって前に言ったの見えなかったでしょ?でも私は見えちゃうんだよね」


 半年前の日中の山手線。春の日差しを弾きながら、花吹雪を受けて電車は颯爽と進んでいた。すると、向かいの座席の隅を睨みながら友利が岳に訊ねた。


「ねぇ……向かいの右隅に座ってるサラリーマン見える?」

「え?」


 岳が見ると友利が指を差した場所は空席だった。すぐに「見てる」んだな、と気付く。


「いや」


 と岳が答えると「まただよ」と、友利は顔を両手で覆ったまま項垂れた。

 そんな事が何度と無くあった事を思い出す。


「見えるのってきっと大変だよな。きっと、相手に伝わらない歯痒さとか悔しさとか凄そうだし」

「そうだよ。あなたに言っても全然伝わらないし」

「霊感は全く無いんだよなぁ」


 友利は何も答えず、突然思い立ったように岳の額から鼻先を指で静かになぞり始めた。皮膚の細やかな色、質感を確かめるように顔を近づけ、凝視している。指先は次々へ移動する。岳は抵抗もしないまま、友利に身体を預けている。岳が唯一、触れられても身体が否定しない相手だった。なぞりながら、友利はとても静かに吐息混じりに呟く。


「目が好き。鼻が好き。唇が、好き」


 友利の親指が岳の唇をなぞると、岳がその指をつまむようにして止め、互いの唇を重ねる。しかし、友利の指は止まらない。嬉しそうにも、悲しそうにも見えるその顔に涙が滲む。


「耳が、首筋が……肩が好き」


 友利は白く細い腕を岳の身体に回す。言葉とは裏腹に身体全体が熱く、思わず汗を浮かばせそうになる。しかし、熱ほどに動きはないまま、友利は身体がここにある事を確かめるようにして岳を抱き締める。


「背中が、お腹が、足が……つま先も、小指の小さな爪の形も……好き」


 岳は愛しくて堪え切れない気持ちになり、思わず友利を抱き返す。薄闇の中、エタニティの残り香が広がった。友利の身体は力を込めると折れてしまいそうなほど、細く、頼りない。抱き締めたまま、岳は自分の身体の中へ友利を隠してしまいたくなる。


「髪も、声も……性格も……全部、好き」


 友利は涙交じりの声でそう呟くと、思いの他強い力で岳を抱き締めた。本気を出さないまでの力で解けそうな精一杯の友利の愛情に、頼りなさと愛しさを一層覚える。

 頬を寄せ、唇を寄せ、絡むことは無いまま、しばらく時間が過ぎた頃に友利が言った。


「人間だから、いつ何がどうなるか分からないけどさ」

「うん」

「生きてるうちに死なないで……それだけは……絶対」

「友利もだよ。絶対に死ぬなよ」

「言いたい事分かるかな……?本当、死なないでね……岳が死ぬなんて絶対嫌だ。何かね……すごく嫌な感じするんだよ」

「なら……気を付けるよ、マジで」

「何でだろ?凄く嫌な感じするんだよね……」

「気は張って生きてるつもりだけど……気を付けるよ」

「自分だけじゃないからね?周りもって事もあるから……本当は何もないのが一番だけど」

「友利を悲しませない事だけなら任せろ。大丈夫だよ」

「うん」


 その僅か数日後。岳は雑誌コーナーの返品処理をしていた。月一の総返品の日だった為、端から端まで古い雑誌を引き抜いては数と返品先を確認していた。女性誌コーナーを調べていた時だった。

 青柳はレジの入り口で端末を操作しながら何かぶつぶつと呟いている。聞いて欲しいのか、独り言なのか分からない言葉が店内を彷徨っている。


「あかん……これは……オーナーはん、やり過ぎちゃうかぁ?攻めるのもええですが保険が大事だって何故分からないのです?何故です?何故?何故なんだぜ?ふむ、先週はホットスナックの売り上げが……ほう」


 岳は青柳の声に舌打ちを漏らす。しかし、すぐに後で小言を山ほど言ってやろうとにやける。伝票を確認すると人気の無い青年誌をチェックし忘れていた事に気付き、ゆっくりと腰を上げた。立ち上がって二歩進んだその直後だった。

 激しい衝突音が突如空気を震わせ、粉々になった窓ガラスがスローモーションで目の前を飛んで行った。中学生ほどの少女が一人、少年誌コーナーで座り読みをしていた。岳は少女の身の危険を感じ、無意識のまま咄嗟に少女に覆い被さった。

 もうもうと上がる煙と共に、ゴムが焼けるような匂いがする。入り口を振り返ると、先ほどまで岳が座っていた場所に車のボンネットが見え、戦慄を覚えた。

 アクセルが踏まれっぱなしのセダンは入り口の骨組みに行く手を阻まれ、タイヤを空転させながら頭を左右に振っていた。

 一瞬頭が真っ白になったがすぐに状況を理解した岳は立ち上がり、少女に声を掛けた。

 操作ミスだろうか、車が正面から店に突っ込んで来たのだ。

 少女から離れ、岳は声を掛ける。


「大丈夫?怪我とかしてない?」

「あ……あの……は……はい」


 少女は震えながら必死に頷く。運転手はようやくアクセルから足を離したようで、車は動きを止めた。

 その様子を確認した岳はレジに立つ青柳に向かって叫んだ。


「お客さんは無事!警察!」


 岳に叫ばれた「チーフ」の青柳はレジの中で立ったまま、放心状態で目と口を丸くしている。そして、何か叫び始めた。


「ほ……ほぉー!ほぉー!ほぉー!」

「ほぉじゃねぇ!電話!早く!」

「ほほぉー!ほぉー!ほぉー!これはぁ!何です!?何なのですぅ!?ほぉー!」


 青柳はまるでトチ狂った鳩のように「ほぉー!」と連呼し続けている。岳はレジに立つ青柳を突き飛ばし、警察とオーナー宅に電話を掛けた。

 車から降りてきたのは70を越えていそうな老婆だった。ピンク色のカーディガンがひどく不釣合いで、皺だらけの顔は完全に精気を失っていた。怪我はなかったようで、ゆっくりと歩き出す。しかし、その手には何故か公共料金支払票が握られていた。


「あ……あぁ……あぁ!あぁー!あぁー!」


 老婆は「あぁー!」と叫びながらレジへ向かい、公共料金支払票を差し出す。


「あぁ……あー!あぁあぁ!」

「ほぉー!ほぉー!ほぉー!」


 警察への連絡やオーナーへの報告を岳が行う横で、青柳は我を忘れ、激しく震える手でその用紙をスキャンした。青柳に「臨機応変な対応」を望むのは絶望的だった。


「はぁっ!ほっ……ほぉ!か、会計は……ほぉ!4283円!でございます……」

「あぁ、あぁ、あぁー!あぁ!」


 老婆は青柳と同様、激しく震える手で財布から金を取り出し会計を済ませた。

 そのやり取りを眺めながらまるでパニック人間の地獄絵図だ、と岳は感じていた。

 それから15分後。警察や消防などが集まり、岳が警察に事情を話すその横で青柳は箒を片手にガラス片を掻き集めていた。

 オーナーが到着するとすぐ、検証を始めていた警察官達に深々と頭を下げた。状況を警察から聞かされ、それが済むと次に岳に声を掛けた。


「がっちゃん、怖い思いさせて本当申し訳ない!この通り!」


 深々と頭を下げるオーナーを見て、岳は首を横に振った。


「いや、オーナーが悪いんじゃないんすから」

「警察の手配も、説明も、皆してくれてありがとうね……本当、ごめんね」

「それより、あの馬鹿店員」

「あの馬鹿、事故の後どうしてた?」

「ボーッとレジに突っ立ったまま「ほーほー」って絶叫してましたよ」

「青柳の野郎……くそっ……」


 オーナーは一瞬にして顔を赤らめると、青柳の元へ駆け出した。青柳の足元にあった塵取りを蹴飛ばし、掻き集めたガラス片が飛び散る。その余りの勢いに検証を行っていた警察官達が振り返る。


「オーナー……お気持ちは分かりますが、何も塵取りに当たらんでも……」

「おまえ何も分かってねぇな!?」

「何がですぅ?いや……わしは懸命に対処したつもりなのですが……何か?」

「何かじゃねぇ!ふざけやがってこの野郎!裏来い!」

「あの……何です?あの、ひとつ言わせてもらえばワシは被害者なんですが」

「馬鹿野郎!いいから来い!」


 オーナーと青柳がバックヤードへ消えると担当の警察官が岳に声を掛けた。


「あのバイトの人、いくつなの?」

「40越したかなぁ?くらいですね」

「そりゃ、ヒデーな。何聞いても「何も……」しか言ってくれなくてさ」

「そうですか。まぁ使えない奴なんで」


 裏へと消えた二人だったが、オーナーの怒声は壁を突き破って入り口まで轟いていた。

 岳は友利の言っていた事が果たしてこの事だったのかどうかの確信は持てなかった。しかし、遠くに住む恋人に心の底から感謝をしていた。


 涼は男にある役割を与えた。毎夜、何人があのアパートへ出入りしているかメモをするように、と。一週間毎日続ければ、僅か数分の作業にも関わらず涼は男に週3万円払うと約束した。

 手渡された現金を手に男は上機嫌に微笑んでいる。涼は目を合わせないまま、細巻の煙草を吸いながら言った。


「来週も……頼めるかな?お願いしたいんだけど」

「もちろん。すっかりライフワークになりましたよ。ははっ」

「なら、良かった」

「毎度」


 男が踵を返すと涼は受け取ったメモを読まず、その場に丸めて捨てた。出入りの状況を調べるのが目的ではなかったのだ。


「鍋会第2弾」開催当日。アパートに一番乗りした純は良和からあるメモを手渡された。知らぬ間にこのメモが二つ折りの状態で投函されていたのだと言う。

 胡坐を掻きながらメモを眺めていた純がある事を思い出し、良和を見上げて言った。


「そういやドアノブの件って……何か関係あんのかな?」

「あぁ……あるかもしれん。夜になるとさ、外で人が動く気配がするんよ。怖くて見れないんだけどさ」

「マジかい?このメモさぁ、ヨッシーの事言ってるなら意味分からないし……不気味で仕方ないな」

「俺もさすがに怖いんよ。早く皆来てくれねーかな」


 純は再びメモに目を落とした。



 えいがにでもいったのかな?

 きざなせりふのひとつくらい

 そのきがなくてもいえるんだ。

 またみちがえたうつくしいき

 みをみたよ。


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