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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
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馳せる

台風が上陸した夜。強い雨風の中アパートでは鍋会が行われていた。一人部屋を離れた純はついに心が崩壊し掛ける。そこに現れた岳がたった一度きりの言葉を純に伝える。

 急速に発達した台風が関東を直撃するというニュースが朝から報じられていた。夜にアパートで鍋会を開く予定だったが、変更なく予定通り行うという連絡が良和から皆に入っていた。

 夕方を過ぎて集まった彼らだったが、徐々に強くなる風の気配には気付いていた。


「ごめんね。電車動かないみたい。不参加で」


 千代から不参加のメールを受信すると良和は「ありゃりゃ」と声を漏らし、洗濯物を取り込み始めた。台所ではパティシエの関口が器用に様々な食材を切り刻んでいた。その隣で純が包丁を使い、時間を掛けながら人参を「もみじ」の形に切っていた。見かねた関口が声を掛ける。


「純君。工作の授業じゃないんだから。パパッと、ね?パパッとやらないと」

「いやぁさ、完成させたいんさ。放っといていいよ」

「ううん、違うの。そこに居たら邪魔なの」

「あぁ……そうかい。ごめんごめん」


 翔と涼と佑太がダイニングを移動しながらテーブルの配置を変えている。


「もう真ん中にドン!でよくねぇ?」

「もう少し洒落た感じの方が良くない?斜めとか、いいじゃない!」

「純君はどうせ隅に座るだろうから省くとして、食材を取るのに効率の良い配置が良いと思うんだよ」

「じゃあ純に取りに行かせればよくね?」

「いや、ゲームし始めたら動かないでしょ」

「そうだった」


 やる事がない。と愚痴を零しながら岳と茜は早々に酒を飲み始めた。


「うちらやる事ないもんねぇ。飲むしかないね」

「ここじゃ飲む以外の才能発揮出来ないもんな」

「えー?他にあんじゃん」

「何よ?」

「人の悪口」


 そう言って声を揃えて笑い合う。

 風は夕方を過ぎると本格的に吹き始め、電線の揺れる音が聞こえ始めた。

 鍋が始まる頃になると稲村も加わった。騒がしい、いつもの夜だった。

 雨も強まり始め、外にはしばらく出られそうにもなく、酒を頼りに宴は続いた。純もその日は久しぶりにアルコールを口にした。

 純の隣で茜が「あー」と声を漏らした。


「飲んで平気なの?」

「あぁ。だってしばらく出られないだろうし。最悪泊まって行くから大丈夫だよ」

「無理に止めないけどさ……ほどほどにしなよ」

「うん。飲まなきゃやってられないもんでね」


 そう呟いた純の言葉を鼻で笑い、茜は純から目線を外した。


 先日アパートから茜の家まで送った道中で、交わした会話は両手で数え切れてしまうほどだった。

 上手く噛み合わない会話にわだかまりを覚えたが、結局解消出来ないまま家に着いてしまった。


「涼さんさ……なんか凄く怖いんだよね」

「どんな風に?」

「目付きがヤバイっていうのかなぁ。私やっぱ狙われてんのかな?」

「いいんじゃないの?……モテてさ」

「良くないよ。だって、怖いもん」

「いや、話してみないと分からないじゃない。がっちゃんが連れてきた人だし、社長だしさ。俺らとは世界が違う人だし」

「何なの?涼さん薦めてんの?」

「いやいや……なんていうか、社長だしさ……人間的には悪くはないんじゃないの?」

「社長だからって、人間なんて何考えてるか分からないでしょ」

「まぁ……俺は凄い人だと思うけどな。一生勝てないや。勝ち組じゃん」

「社長だからって凄いってのは違くない?」

「俺には社長なんて無理だからさ。凄いかなって思ってるけど」

「ふーん……」


 それきり茜は黙り込んでしまい会話は続かなかった。

 そんな事を思い出しながら、純は何気なく部屋中を見回す。


 いつもテンションの高い佑太。何をしようと、どこにいようとも、佑太は佑太だった。それは昔から。無駄な節介もあり、ムカつくと感じる事も多いが最近はムードメイカーとして皆に貢献しているようにも感じ取れる。佑太が居なかったらこのアパートの外で皆が遊ぶ機会もなかったかもしれない。

 良和とエロ話で盛り上がっている。

 人一倍寂しがりのようにも思える良和。常に自信のなさを嘆いているが、その素直さを時に羨ましく感じる事さえある。我が強く、予想外の行動をすることも多いが笑いを生みだす事も多い。

 良和がいなかったら今のこの集まりも、日常も、何も無かった事だろう。

 翔が常連客の真似をして岳を笑わせている。

「ふらんく、ふると……ひとつ」口をへの字に曲げ、白目を剥いて真似をしている。岳が手を叩いて大笑いしている。翔は「才能がない」と自分で言う事が多いが、その代わりに努力を積み重ねられる才能があると感じる。集まりのふとした時間の間に、勉強をしている姿を見掛けることも多い。冷静さを欠く機会の多いメンバーの中で、理論的に物事を把握し、説明出来るその存在は希少だ。

 岳が煙草を缶の中に投げ入れて叫んでいる。きっと中身が入っていたのだろう。

 いつも目の前にいるのに、遠退いたり近付いたりしている気がする。ここ何年か、上手く話せる時とそうでない時の波を自分に感じ、自然と気を遣うようになってしまった。

 関口を見るといつも和やかな気持ちになる。面倒見が良く、率先して掃除をしたり良和の身の回りの手伝いをする。皆にとって母のような存在だ。

 風が強くなってきたようだ。雨が横殴りに吹いている。

 涼が笑っている。どこか、嘘くさいと感じる。仕草も、声も、表情も。

 そして、茜。

 茜が近頃、遠く感じる。一番傍に感じていたのに。触れたら、弾かれたのか。それとも、弾いてしまったのか。

 いつか拒絶されるならいっその事、今すぐに思い切り拒絶して欲しい。そうでなければいつまでも光る微かな残り火だけを、きっと見詰め続けてしまう。

 今まで自分は、どんな風に人から受け入れられてきたのだろう。そもそも、ただ「居るだけ」の存在ではないのだろうか?

 自分などいなくなっても、ここに居る人達はきっと、今と変わらず笑い続けるだろう。

 置物のような存在だと、そう思われているのだろう。


 純は静かにダイニングから立ち上がると、暗い和室のベッドに横たわった。悲しくて、重たくて、冷たかった。


 台風が上空を通過し始め、風はピークに達していた。外からは何かが転がる音が次々に聞こえてくる。

 その音に負けじと嬌声を上げる彼らだったが、岳は外の様子が気になり和室へ向かった。

 暗い部屋の中、灯りもつけずに窓を開けようとすると激しい風が一瞬にして隙間から流れ込んでくる。


「はははは!すげぇ!」


 ビールを一息に飲んで前のめりになろうとすると、ベッドに横たわる純に気が付いた。

 肩を震わせながら泣いていた。

 岳に気付いていたのだろう、布団の中に顔を隠した純がくぐもった声で言う。


「がっちゃん……」

「あぁ」

「あのさ……」

「…………」

「皆さ……俺なんか居なくても良いって本当は思ってるんじゃない……?違うんかい……?」


 岳は窓辺にビール缶を置き、そっと和室の襖を閉めた。部屋には暗闇と、強い風の音、そして純のすすり泣く声だけが残った。


「俺さ……ずっとずっと嫌われてたんじゃないかな?高校の時だってさ……今だってさ……違うんかい?」

「んな事思ってたら呼ばねぇよ」

「人数合わせじゃないの……?」

「合コンじゃねーんだから」


 溜息混じりに呆れたように呟くと、横たわる純の傍に腰を下ろした。


「がっちゃんさ……」

「うん……?」

「この中でさ……もし俺の事、面倒見なきゃいけないんだったらさ……もう放っといていいからさ……」


 茜も岳も、もういい加減自分を拒絶し、手放して欲しい。好きだからこそ、大切に思うからこそ、純はこれ以上の負担を誰かに負わせたくなかった。

 負担を掛ける度に負い目が生まれ、それでも許してくれる彼らを見ては情けなく、惨めな気持ちにもなった。


 深く暗い闇の中、純はその光景を何度も思い描いた。

 岳が言う。

「おまえ、もう一生来なくていいよ。じゃあな」

 茜が言う。

「もう口も利きたくない。見たくもない。さようなら」

 いつかそう言われるならば、早々にとどめを刺して欲しかった。

 しかし、それらの純の持つ悲しみや孤独は岳の琴線に触れた。


「ふざけんなよ……」

「いや……昔から迷惑ばっか掛けちゃってるからさ……これ以上、負担掛けるのが嫌でさ……俺なんかさ……生きてて恥ずかしいんさ……」

「そんなもん百も承知だよ。良和だって佑太だってそうだろ」

「そうかもしれないけどさ……本当申し訳なくってさ……俺なんか……いなくていいのにさ」

「いなくていい?勝手な事言ってんじゃねーよ」


 岳は横たわる純の肩を掴み、静かに言った。どうしても、届けたい言葉があった。


「純君……一回しか言わないからちゃんと聞いて欲しいんだけど」

「あぁ……何だろ……」


 転校早々、蛍光灯の雨を純の頭上に降らせた。純からの誘いで初めて一緒に帰った。茜に思いが伝えられず、純に託した。進路に悩みながら通いつめた小さなレストランで食べたパンと味噌汁。迷いながら、共に願書を提出しにも行った。高校に入り、ホモだと噂され笑い合った。バイクに乗り始めた純が少し、大人に見えた夏。「キセルしてきた」とライブハウスで純は肩で息をしながら、笑っていた。

 高校三年生のある時期、忙しさにかまけて純の孤独から目を逸らした。

 純の初めての給料日、財布を握り締めながら「奢ろうと思ってたんにさ」と悔しがった純。


 喜びも後悔も振り返りながら、岳は呟くように純に告げた。


「俺にとって純君は、親友だよ」


 それは生涯、岳が口にした事のない類の言葉だった。ついに言ってしまった、という感情の方が大きく岳は途端に不安に陥る。しかし、いつかは伝えるべき言葉だったのだ。

 純の肩が大きく揺れ始め、すすり泣く声も徐々に大きくなる。鼻水を啜る音と共に、純は言った。


「ありがとう……」

「……おまえがいなくなったら、俺の親友がいなくなっちまうで」

「マジで……がっちゃん……ありがとう……」


 高校時代、純の孤独感をないがしろにしてはいけない、と痛感してから数年。まだ間に合うかもしれない、と過去を反芻しながら伝えた思いだった。

 ありがとう、という純の言葉が素直に嬉しかった。そうしてしばらく、岳は純の泣き声と激しい風の音を聞いていた。


 純の頭を叩くと、岳は笑いながら言った。


「分かり合えるぜ。同じ女好きになったんだから」


 布団の中から、くぐもった純の笑い声が聞こえて来た。岳もつられて笑った。

 部屋を出ると岳はダイニングへと戻った。

 佑太が眉間に皺を寄せて「また拗ねたんか?」と訊ねる。


「いやいや、違うよ。マジで具合い悪いだけよ。少し熱あるかもね」

「風邪かよ!だらしねぇ奴だなぁ!」

「風邪に気が付かないくらい楽しんでたって事だろ。まぁ、飲もうぜ」


 そうして朝まで騒ぎ通し、彼らは眠りについた。何度か寝たり起きたりしているうちに、誰も居なくなっている事に気が付き、岳は慌てて目を覚ました。

 ダイニングのテーブルの上に良和の書き置きと鍵が置かれていた。


「専門の下見行ってくる。ポストにいれといてヨシ」

「あぁ……」


 まるで台風が吹き込んだかのように荒れた部屋。転がる瓶や缶、雑誌。それらを少し片付けている間、洋間から何かが聞こえてくるのに気が付いた。

 扉を開くとゲームで遊んでいる純だった。


「がっちゃん、おはよう。っても……もう夕方だよ」

「マジか……寝過ぎたな」


 岳が腰を下ろすと純はすぐにゲームの電源を切った。


「あれ、もうやめんの?」

「いや……昨日の夜さ……」

「あぁ……」

「俺……これから先……ちょっと気を付けるわ」


 生まれたばかりの夕陽が窓から差し込み、洋間は鮮烈なオレンジ色に染められた。ソファに横並びに座ったが、テレビの電源は落とされたままだった。部屋のどこを探しても言葉はなく、静かな間が生まれる。

 すると突然、純が言った。


「俺も、思ってるからさ」

「え?」

「がっちゃん、親友だよ」

「ははは。ありがと」


 台風が過ぎたあくる日。眩いオレンジの夕方。

 つむぎ合わせる言葉の少なさに、二人は繋がりの強さを改めて感じていた。

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