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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
140/183

赤い月

佑太の指定した深谷市の外れにあるカラオケ屋で待ち合わせた彼ら。しかし、純はまたもやその場から突然居なくなってしまう。

純を探し回る茜が純に伝えた想いとは。

 ここ数週間ほぼ毎日来店しているスーツ姿の男は会計を済ませると、笑顔を浮かべながら岳に声を掛けた。


「猪名川君、下の名前は?」

「名前?岳です」


 男は無邪気とも思えるほど、突然明るい声になる。


「じゃあ、「がっちゃん」でいっかぁ!」

「あぁ、どうぞどうぞ。皆そう呼んでるし、喜んで」

「がっちゃんさ、ちょっとで良いんだけどうちでバイトしてみない?」

「バイト?」


 男は「涼」と名乗った。28歳にして不動産やイベント向けの機材レンタルなどを行う会社の社長なのだという。もっとも、寄居町で会社を立ち上げたのはここ最近の話で、基本的には父と二人で経営していて人手が足りない時に動けるバイトが欲しかったのだと言う。

 昼間の数時間であちこちに設置した土地の案内看板の撤収作業をしなければならず、急遽助けて欲しいとの事だった。

 それほど苦でもなさそうな内容と「報酬は必ず出す」という涼の真剣な眼差しに岳は気軽にアルバイトを承諾した。


 翌朝岳のバイト先で待ち合わせ、町内を中心に看板の撤去作業は順調に行われた。空のライトバンは二時間足らずで看板に埋め尽くされた。

 世間話をしているうちに涼は最近寄居に越して来た、という事を知った。


「仕事が不動産なだけに「この辺の事とか分からない」って言えないじゃない?だから俺も必死な訳よ」

「確かにそうですよね。タクシードライバーが道知らないって言えないのと一緒ですもんね」

「そうそう。もし友達とか居たら紹介してよ。どんな遊びしてるのか知りたいしさ。色々交流持ちたいんだよね」

「分かりました。集まりとかよく開いてるんで、今度誘いますよ」

「いいじゃないいいじゃなーい!待ってるよぉ」


「いいじゃない!」が口癖で、私用車はベンツ。常に皺一つない細身のスーツに身を包んでいる涼は何処かバブリーなイメージを岳に連想させたが、決して悪い人間ではなさそうだった。

 年上のいない集まりに一度くらい年上の人間を呼んでみても、きっと面白いだろうと思ったのだ。


 その夜。

 佑太が行きつけだという深谷の外れにあるカラオケ店、「青サン」で彼らは待ち合わせた。

 岳が佑太と電話しながら良和のナビをし、二度も同じ場所を通り過ぎてからようやくその店は見つかった。通りに並ぶ大きめのスナックだとばかり思っていた店が、青サンだったのだ。

 煙草臭い店内と、ボサボサ頭の男性店員。レジカウンター前に設けられた待合スペースのくすんだオレンジ色のソファに純と茜は腰掛け、彼らの到着を待っていた。

 防音が行き届いてないのか、時折壁が振動するのを感じる。黄色の室内照明に照らされた古めかしいビールのポスターを眺めながら茜が言った。


「がっちゃん達、遅いね」

「あぁ……迷ってんのかな?」

「わっかりにくいもんね、ここ」

「カラオケ屋ってか見た目はスナックみたいだもんね。外のネオンもギラギラしてるし」

「昭和くっさーい感じだよね」

「そういうのってさ、やっぱ女の子は嫌いなんかい?」

「いや?別に嫌いじゃないよ」


 茜は純に「やっぱ」と誰かと同じ括りにされた事に不満を漏らしそうになる。

 世間の女の好き嫌いより、茜は単純に自分の好き嫌いを純に知って欲しかった。


「純君さぁ」

「うん?」

「私は……別に怖くないからね?」

「このボロボロのカラオケ屋が?」

「違うよ。そんな話、今する訳ないでしょ。純君に対してって意味で言ってるの」

「あぁ……。俺が怖い?」

「私は怖くないよ」

「そっか」

「私はさ、別に逃げも隠れもしないからさ」

「あぁ。もしどっか行っちゃう時はさ、ちゃんと言ってくれよ」


 照れ臭さからか、純は冗談めいた口調で言った。そんな純に茜は苛立ちを覚える。


「ねぇ……信じてよ」

「まぁ……うん。俺、森下を怖がってるように感じるかな?」

「たまにね。怖がらなくて大丈夫だよ……」

「けどさ……」

「……何?」


 茜が瞬間的に純を睨み付けた途端、入口のドアが勢いよく開かれた。張り詰めそうになった空気を佑太の甲高い声が打ち壊した。


「おまったー!がっちゃん、ヨッシー!ただいま無事に到着しやしたー!歌うんべー!」

「無事じゃねぇよ!なぁヨッシー!?」

「本当。なんでこんな変な店知ってるん?」

「いいじゃん!着いたんだから!」

「ったく!こんな変なカラオケ屋待ち合わせ場所にしやがって!しかもボロいし!」

「まぁまぁ、いいじゃん!がっちゃんいっぱい歌っていいからさぁ!純、受付は?」


 足を組んでいた純が「いや」と声を漏らす。


「使えねぇー!おまえはとことん使えねぇ!待て、って言われて待ってる犬かよ!」

「あぁ、すまんね、すまん。悪かったよ。俺が悪ぃよ。俺は犬かい。ははっ」


 純が舌打ちしながら苛立ちを隠さずに言うと、茜がそっと純の袖を掴んだ。


「とりあえず受付済ませちゃおうよ。がっちゃん、来て」

「俺はぁ!?」

「佑太に任せたら飲まないのに飲み放題にさせられるでしょ!」

「飲まねぇの?」

「飲まないよ」

「んーだよ!つまんねぇ!」

「飲んだら誰が運転すんのよ?」

「そうだけどさぁ、朝まで居れば抜けんべよ」

「こんな所に朝まで!?それって拷問だよ。がっちゃん、コースどれにする?」


 岳と並んでコースを選ぶ茜を眺めながら純は頭を掻いた。

 余計な事を言ってしまったかもしれないな。

 そう思いながらも、素直な言葉を茜へ伝えられない自分への苛立ちを顔に滲ませた。


 岳がリモコンで「grapevine」と入力すると、空かさず佑太が別のリモコンを手渡した。

 画面には「スピッツ」の文字が浮かんでいる。


「先輩!お願いしやーす!」

「これ歌ったらな」

「あと、あれ歌ってくれよ!サニーサンキューズの、夏のコマンドーだっけ?」

「サニーデイサービスのサマーソルジャー?」

「それ!」

「全然違うじゃねーかよ!」

「お願いしやーす!」


 カラオケ屋では岳は誰かのリクエストに答えて歌を唄う事が多かった。喉を使い果たした岳は茜にマイクを渡す。

 aikoを歌う茜の声に合わせ、良和が泣き真似をしている。佑太が「せつねー!せつねー!」と声を張り上げ、岳は画面に目を映したまま聴き入っているようだった。

 純は「トイレ行ってくる」と言い残して席を立つと、部屋には戻らずそのまま外へ出て行ってしまった。

 マイクを置いて純の居ないソファを眺めると、茜は少しの寂しさと不安を覚えた。

 良和が「ダンバイン」のテーマソングを歌い、佑太が「24時間~」とキーの外れたGLAYを歌う。やがて「K DUB SHINE」の文字が浮かび、低音のビートが鳴り始める。茜と良和、佑太と岳はそれぞれ目を見合わせ、かぶりを振った。

 岳は空席のテーブルにマイクを置くと、突然笑い出した。


「いねぇダブシャインじゃん」

「またかよ!何なんアイツ!」

「すーぐいなくなっちゃうんねぇ。困った困った」


 茜は演奏停止ボタンを押し、純に電話を掛ける。呼び出し音は鳴るが電話に出る気配は無かった。

 肩を竦めながら茜は部屋を出て行く。

 佑太がマイクを持ち「ちきしょー!」と甲高い声で絶叫するとモニターがハウリングを起こした。


 期待はしていなかったが店内に純の姿はなかった。土地勘のない場所で純を探すのは容易ではなく、まるで「探すな」と言われているようで茜は気が滅入りそうになる。

 探さなければいいだけなのに、そうはいかなかった。しかし、あの日のように純を求めて探している訳ではない。茜には純に伝えるべきことがあった。

 店を出ると乾いた畑が闇の向こうまで続いていた。周辺に店らしい店はなく、兼業農家と思われる住宅が数件並んでいる。暗闇の中、茜は純の姿を探し続ける。

 純を探し歩いて20分。国道沿いに縁石に純は座り込んでいた。茜が近付いている事が分かっていても、純は振り返ることなく流れるテールランプを眺め続けていた。

 茜は純の隣に腰を下ろさず、立ったまま純を見下ろした。


「何でいなくなっちゃうの?」

「あぁ……ちょっと」

「ちょっと……何?」

「なんか、居づらくて」

「なんで……?」

「俺なんかが森下と居ちゃいけないんじゃないかなって」

「何それ……」


 純の言葉に、茜は悔しさの涙を滲ませる。堰き止めようとする程、抑えようとする意識は遠退いてしまう。


「俺さ……迷惑ばっか掛けてるよな。嫌っしょ?」

「迷惑って……私にだけじゃないでしょ。着信気付かなかった?」

「気付いてた」


 そう言っている間にも純の携帯のバイブレーションが鳴る。岳からの着信だった。

 トラックが横切り、茜の髪を揺らす。低い空の雲の切れ間から見えた赤い月。まるで覗かれているようだった。

 茜は悔しさを無理に押し込め、無心で告げた。


「私、もう探しに来ないからね」


 頭で理解するより先に、純の胸に痛みが走る。茜からあからさまな拒絶を告げられたと感じ、身体が一瞬にして硬直する。息をするだけで、精一杯になるしかなかった。


「…………」

「戻ろうよ」

「…………」

「ねぇ、立ってよ」

「うん」

「戻ろうよ」


「戻ろう」と言いながらも、茜の指すその場所がカラオケ屋ではない気がしていた。純は拗ねた子供のように返事をしたきり、立つ様子もなく沿道を眺めたままでいる。

 茜の胸を埋めていく悔しさや不甲斐なさは純へ向けたものでは無かった。頭では分かっていても、純を責め切れない自分を恥じた。

 思わず、泣き出しそうになる。大切にしていた宝物の欠片を手に取り、壊れてしまった事を嘆いている気分になった。

 いや、元々壊れていたのかもしれない。偶然にもあの日、形になった欠片達。その形を維持しようと願う度に、軋んだ部分は悲鳴を上げていた。その声に茜は、耳を塞いでいた。


 部屋のドアを開け、通路で電話を掛け続ける岳に佑太は叫んだ。


「がっちゃん!電話したってしゃーねーよ!」

「分かってるよ」


 岳は携帯電話を閉じ、口をへの字に曲げながらポケットに仕舞った。


「分かってんならほっとこうぜ。純が心配なん?」

「まぁ……うん。心配っていうか、大丈夫かな。あいつ」

「森下が探し行ってんだから、いい加減帰ってくるっしょ!」

「また森下頼みか。まぁ……いいけどさ」

「そーいう仲なんだから、しゃーねーよ!歌おうぜ!」

「分かった。佑太、ちょうどいいや。そこに居るならビール頼んでくれ」

「承りましたー!ビール入りやーす!」

「うぉっしゃー!歌うぞオラァ!」


 岳が勢い良くドアを閉めると立て付けが悪いのか、ドアはガタガタと揺れた。


 無言のまま歩く二人。互いに声を掛けられない間に、想いは巡り続けていた。

「探しに来ないからね」

 その言葉に純は肩を落としたが、何も上手く伝えられない自身の弱さに辟易としていた。


 夏の夜、二人で進むために放った強い言葉は夜を漕ぎ出した。嬌声という日常を抜け、二人きりで漕いでいるつもりだった。

 喜びに触れるたび、求め合い、満ちて行った。嬌声から離れ、ついに二人きりになった頃。その手が止まっている事に気が付いてしまった。


 かぶりを振って思いをなんとか打ち消し、茜を見るといつの間にか泣いていた。

 とても静かな涙だった。


「純君、ごめん」


 純は必死に茜を宥めようとしたが、その方法が上手く思い浮かばなかった。


「何が?急に……どうしたんさ?」

「ごめん」


 泣き濡れた声が純の不安を煽る。綱は目の前にあるのに、握れば滑り落ちてしまいそうだった。しかし、握らなければ消えてしまいそうだった。


「ごめんって……それは俺の方だって……」

「違う。全然、違うの。ごめん」

「泣くなよ。謝るのは俺の方だよ。また……探しに来てもらっちゃたし」

「私ね、強くないの。本当……だっさいくらい」

「そんな事、ないでしょ」

「ううん。違う。本当は怖かったから、だから探してたんだよ」

「でも、泣かなくて……大丈夫だって」

「違う!私、嘘つきなんだよ。純君に怖くないなんて言っちゃったけど、本当は……私はダッサイ自分を認めたくないだけなんだよ!だから……」

「もう、いいよ……。いいから」

「良くないよ!私はいっつも人に頼って、勝手に期待してばっかで……その癖何も言えなくて……嫌な部分なんか見ようとしないダサイ人間なんだよ!ダメだよ……こんなの……」

「大丈夫だって。大丈夫だから……もう、やめなよ」

「ねぇ……私が怖いの?ねぇ……私、本当は、本当は純にもっと……ごめん、勝手な事ばっか言ってさ……本当にごめん……」

「茜……やめろよ」


 泣きながら首を横に振り続ける茜を、純は咄嗟に力強く抱き締めた。

 自分を否定されるより、茜が茜自身を否定する光景の方が耐えられなかった。

 純の右手が茜の頭を抑え、広い肩幅が茜を隠す。泣き腫らした呼吸が、純の匂いに鎮められて行く。

 通り過ぎて行くワゴン車から「ひゅー!若いねぇ!」という声が漏れたが、聞こえないふりをした。

 涙の理由を深く理解する時間は無かった。ただ、純は泣き続ける茜を見知らぬ誰かの視界から隠し続けようとした。

 誰よりも近い場所に居るはずなのに、抱き締めているはずなのに、これ程までに「遠い」と感じた事は無かった。


 カラオケ部屋では岳がスピッツの「月へ帰る」を歌っている。

 切れ間に浮かんでいたはずの赤い月が、いつの間にか姿を現していた。

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