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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
中学時代
14/183

千代

 放課後、文化活動部顧問の引田は部室に敷かれている畳の上で眠っていた。そこへ部員の高梨がティッシュで作った「こより」を持って近付いていく。

 部内で唯一、真面目に部活動に励む鳥本の目の前に置かれた碁盤を高梨は蹴飛ばすと「邪魔」と小声で囁いた。この部活で部活動らしき事を行うと「奇行」と見られてしまうが傾向があった。

 引田の鼾と共に揺れる白髪交じりの鼻毛を凝視し、高梨は「こより」を引田の鼻の穴に突っ込んだ。

 盛大なくしゃみが出るだろうと高梨は期待していたが、引田は眠ったまま何の反応も示さない。


「このジジイ!センサーがイカれてやがる!」


 高梨が八つ当たりで鼻に入れた「こより」を鳥本に投げつけた途端に「べぇっくしょん!」と引田が大きなくしゃみをした。それと同時に大きな屁を出した。

 高梨が「屁はいらない!」と怒鳴ったが引田は気にも留めず置いていた眼鏡を掛け、辺りを見回すと眼鏡を外し、再び眠りについた。


 岳は少しの時間潰しの為に部室に立ち寄った。散乱している雑誌からオカルト雑誌を選び、パイプ椅子に腰掛けた。


「がっちゃん。引田が死んだ」


 高梨が寝ている引田を指差すと、紙で作られた白い三角巾が引田の額に置かれていた。

 岳が笑いながら「南無ー」と手を合わせていると猿渡と田代和之たしろかずゆき、その他の文化活動部の連中が部室に揃って入って来た。

 三角巾が額に置かれた引田を見て、彼等は嬌声を上げ始めた。


「変なの連れて来ないでね?」


 岳は千代の言葉を思い出し、目の前の「変なの」と入れ替わるように静かに部室を出た。


 2年4組の教室へゆっくりとした足取りで向かう。廊下の向こうから英語の大河原が歩いてくるのが見えた。岳は緊張を覚えつつも目礼したが、大河原は岳に一瞥もくれなかった。

 しかし、大河原の表情も岳の目には緊張しているように見えた。


 教室に入ると、後方の席に退屈そうに座る千代が居た。


「遅かった?ごめん」

「ううん。大丈夫。がっちゃん、閉めて」


 余程聞かれたくない話なのだろうか。そう思いながら岳は教室の前と後ろの扉を静かに閉めた。


 岳が千代からやや離れた席に座ると、千代は立ち上がり、静かに岳の目の前に立った。

 膨らんだ胸元に目がいってしまい、岳は急いで視線を逸らした。

 外の部活動の「ファイ、オー」という掛け声と、金属バットがボールを弾く音だけが教室に響く。

 千代は薄い唇を小さく開いた。


「がっちゃん。お願いがあるの」

「……何だろ」


 岳が答えると千代は何も言わず、教室後方の壁に据え付けられた黒板に向かった。

 そこには学校行事の予定等が書かれていたが、千代は躊躇なく全てを消した。

 チョークを持つと1から5まで数字を書き、その横に男子生徒の名前を書いていった。

 3の横に「猪名川 岳」とあった。書き終えた千代は岳に振り返り、こう告げた。


「この1番が私の好きな人なの!」


 そこにはバスケット部で人気の男子生徒の名が書かれていた。

 岳は真面目な恋愛相談か、と思い姿勢を正した。


「その人が好きなんね」

「そう!でも私は接点がほとんど無い!もちろん話した事もないの。話そうなんて、とてもじゃないけど緊張して無理!いっつも見てるだけ」

「うん。そうか……」

「で!お願いがあるの」

「うん。出来ることなら何でも」

「私の代わりに告白して来て!お願い!」


 想像を遥かに超える千代の他力本願な願い事に、岳は驚愕した。


「えぇ!?自分で言わないの!?」

「言わない!だって無理だもん!だから頼んでるんじゃない!」

「振られたら……?責任感じるんだけど」

「頼んでるんだから振られたって責めないよ」

「じゃあ……良いよ」

「でも振られたらね、私この2番目の人に行くから大丈夫!」


 千代は立ち上がると黒板に書かれた数字の「2」を力強く叩いた。横に書かれていたのはサッカー部の男子だった。つまり、その数字は千代の好きな人の「順位」だった。


「千代さん、それって好きな人の順番って事?」

「そうだよ?」

「ていうか、好きな人に順番とかあんの!?」

「ほら出た!あのね、あるの!それに相手に保険掛けるなんて当たり前じゃん!」

「えぇー。何だかなぁ」

「一人を想って、想い続けて振られたら、私はそれこそ生きていけないと思う!」


 威風堂々、と言った様子で千代が力説するので岳は何も反論出来なかった。


「三番目はがっちゃんだから、二番目もダメだったら私と付き合って!」

「俺、そんな女嫌だよ!」

「何で!?願いが叶ったら私は一途です!魁皇の事だって私、ずーっと好きだもん!」

「それは相撲の話でしょ!?」

「違う!手が届かないから諦めているの!」

「えー……」


 すると千代は再び席に着いた。そして気が抜けたのか力なく笑った。


「分かってる。がっちゃんの好きな人は茜でしょ?」

「え……。まぁ、うん」

「こうやって私は今諦めたから、がっちゃんには振られてない事になったよね。ねぇ、なったでしょ?」

「え?そうなん?」

「なったの!なるもんはなるの!だから2番目に振られたとしても想うのは自由じゃない?」

「それ……好きって言わなくないか?」

「いいの!形なんかじゃないの!」


 支離滅裂なのか、理論的なのか分からない千代の力説に言い負かされた岳であったが、千代は何かに縋りたくて仕方ないのかもしれない、と感じていた。


「がっちゃんは何で告白しないの?」

「うーん。何でだろ……。怖いんかもね」

「そうやって逃げたって苦しむだけだよ。どんな手を使ってでも伝えないと!がっちゃん、一番の悪って「何も言わないこと」なんだよ」

「そう、なんかなぁ」

「そうだよ。絶対言わないより言ったほうが良い。自分で言わなくてもね。だからよろしくね!」

「うん……分かった」

「がっちゃんも頑張ってね」


 三番目に好きな人に一番目に好きな人へ想いを伝えさせる行為を「力強い」と感じながら、岳は早速その男子を掴まえて代理告白をした。

 返事は「名前は知ってるけど。ごめんって言っといて!」というものだった。

 明るく爽やかな返事だった為に岳は千代のセールスポイントを伝える間もなく「分かった」と引き下がった。

 千代にそれを伝えると俯きながら「分かった……」と答えた。やはりショックだったんだな、と思ったが翌日にはいつものように誰よりも大きな笑い声を教室に響かせていた。

 そんな千代を見ながら、岳もついに覚悟を決めた。


 放課後。岳は自転車置き場で佑太達に打ち明けた。


「俺、今から森下に告白するわ」


 一同が「えぇ!?」と驚き、茜がやって来るのを待った。

 矢所と茜が談笑しながら向かってくる。

 佑太が「ほら、がっちゃん!」と急かすが、岳は動けなかった。

 茜が目の前にいる。「あんたら、何してんの?」と声を掛けると佑太が「いや、別に?」と惚けた。


 いつも通りに別れの挨拶をし、先に裏門から出て行く茜と矢所を見送る。岳は茜の後姿を眺めながら「やっぱダメだ」と呟いた。

 岳は緊張と焦りの為に手が震えていた。胃がきりきりと痛んだ。今まさに打ち破ろうとする殻はあまりに分厚く、幾ら頑張った所で岳の力では割れる気配すら見せなかった。

 その隣で、純も緊張していた。

 岳がこのまま本当に想いを伝え、そしてそれがそのまま上手くいったとしたなら、茜に対し隠し続けて来た想いを埋める場所の検討さえつかなかった。

 心のどこかで岳を恨んでしまうのではないか、という思いが浮かぶのが怖かった。


 佑太が見守り、良和が「ほら、がっちゃん!行っちゃうで」と急かす。猿渡は事情を飲み込めてるのか分からない素振りでただ、笑っていた。


 蒸した空気が熱を運び、岳のこめかみに汗を浮き上がらせた。それが頬を伝い、そして首筋へと流れていく。

 荒い息を暑い空気の中に溶かすと、岳は通学用のヘルメットを持ったまま裏門を飛び出した。

 佑太達は顔を見合わせながら追い掛けた。


「森下!」


 茜と矢所が振り返った。突然呼び止めた岳に茜は戸惑いの表情を浮かべた。


「どうしたん?」


 そう言いながら茜は立ち止まり、岳は茜と視線を合わせた。

 ただ、思いを一言伝えればそれで済む話だった。「好きだ」その一言が今、胸の内から徐々に浮かび上がって来るのを岳は感じていた。

 この機会を失えば、それこそもう永久に伝えることは不可能だと思われた。

 後悔したくはない、という想いが岳の胸の内をゆっくりと抉じ開けていく。

 分厚い殻にヒビが入る。言葉が少しずつ、漏れ始める。


「一番の悪って「何も言わないこと」なんだよ」


 千代の言葉が頭に浮かんだ。自分で伝えなかったとは言え、千代は想いを伝えた答えをしっかりと受け止めていた。普段は明るい千代が俯いていた。しかし、次の日には再び笑っていた。


 岳は歯を食い縛り、浮かび上がる言葉が声になるのを待っていた。

 長い沈黙の間、茜も動かずに岳を眺めていた。


 傷ついてしまう事、そして仮に上手くいってしまう事、そのどちらでももう構わない、と思いながら岳は息を呑んだ。

 そして、流れる沈黙の空気を言葉が切り裂いた。


「茜!もう行こうよ!」


 その空気を切り裂いたのは岳に苛立った矢所だった。「用事ないなら呼ばないでよね!」と一人憤慨していた。


 茜は「じゃあね」と岳に伝え、矢所のいる場所へと踵を返した。

 思わぬ展開に岳はヘルメットをアスファルトに投げつけ、苛立ちを爆発させた。


 転がるヘルメットを純が拾う。佑太が岳に「ドンマイ」と声を掛け、良和と猿渡は大笑いしていた。

 情けなくて仕方なくなり、岳は怒りながらも笑った。


 目撃者多数の、前代未聞の告白失敗劇だった。

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