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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
139/183

奏でる

茜と純は再び二人の夜を迎える。偶発的ではなく、自ら選んで迎えた夜に互いの思いは交錯する。

「おーっと!777円?」

「あ、はい。そうです」

「ちょっとちょっとー!いいじゃない、いいじゃなーい!」

「まぁ、そうですね。縁起良い数字で何よりで……」

「ついてるねぇ、のってるねぇ!いいじゃないのぉ!」


 やたらとテンションの高いそのスーツ姿の男に翔は思わず辟易しそうになる。まだ若そうにも見える。整ってはいるが少し面長な顔を眺め、翔は「ゼータガンダムに似てるな」と感じる。

 ゼータガンダムが出て行くと入れ替わりに純が入って来た。2ℓのペットボトルのお茶をカウンターに置きながら「がっちゃんは不在?」と訊ねる。


「あぁ。奴は今日「女」だってよ」

「友利ちゃんか。じゃあ今日は連絡取れないね」

「え?そうなん?」

「昔からだよ。一緒に居る時は用事がない限り連絡しても返って来ないんさ。時間が勿体ないって」

「おいおいおい、ずいぶん悲しい真似してくれるじゃんか」

「切り捨てるっていうか、割り切るっていうのかな?まぁ特に用事ないから良いんだけどさ」

「奴らしいっちゃらしいけどな。純君、今日は休み?」

「あぁ」

「そっか。じゃあアパート行くの?」

「いや、今日は家でゆっくりゲームでもするわ」

「おう、そっか。頑張って」

「ありがと」


 翔は純の操るゲーム画面を頭に思い浮かべたのは縦横無尽に飛び交う弾の中を繊細な操作で動き回る機体だった。

 純はエンジンが掛かったままの車に乗り込む。


「お待たせ」

「今日は青柳って気持ち悪い人、いたの?」

「奥に行ってるんかな?レジは翔君だったんさ」

「え?マジで?じゃあ早く行こうよ」

「あぁ、分かってる」


 茜は日勤終わりの直前になって、ふと純に会いたくなった。寂しさもあったが、彼のより深い部分までを知りたくなったのだ。

 感情に流されるままではなく、考えながら純と向き合いたかった。翌日は純も茜も予定が空いていた為、純も二人きりで会う事を喜んで受け入れた。

 二回目の玄関。静かな声で「お邪魔します」と言うと純が「邪魔じゃないよ」と小さく返す。その表情が綻んでいるのが分かり、茜は安堵した。

 急な階段を上がり、部屋に入った途端に広がった純の匂いに茜は居心地の良さを感じ始める。


「純君、今日はありがとうね」

「いや、俺の方こそ。会いたかったし」

「アパートでも、バーベキューでもさ、ずっと会ってるのにね。不思議だよね」

「本当。なんだか凄く久しぶりに会ってる気がする」


 互いの姿をまじまじと見詰め、二人は純がレンタルして来た「戦場のピアニスト」を鑑賞し始めた。

 バーベキューの時、岳が最近観て感銘を受けた作品だと言っていた。

 当時の状況を語るように、不穏で薄暗い映像が続く。やがてナチスが迫る色が濃くなり、主人公らが迫害を受けるシーンで茜は思わず顔を顰めた。


「ねぇ、純君。この映画面白い?」

「うん……ちょっと暗いかな」

「めちゃめちゃ暗いよね?ピアノの映画じゃないんだね」

「なんか……思ったのと違ったみたいだ」


 画面を眺めながら茜は純に「外、出ない?」と誘った。


 車は末野方面へと向かって進んで行く。国道沿いのオレンジ色の街灯が次々と頭上を過ぎると、アパートへ続く小道の前を通り過ぎた。


「今日……誰か行ってるのかな?」

「翔君とか、もしかしたらね。がっちゃんが居ないから大人数の集まりはないよね」

「特に聞いてないもんね。あ、がっちゃんはデートか」

「そうみたいよ。あの二人は長いもんなぁ」

「何年になるんだろ?」

「えっと……もう4年は経つかな」

「長っ!もう結婚しちゃえばいいのにね」

「しないんじゃない?……幸せが怖いって、そう言ってたよ」

「幸せが怖い、か。その気持ち、分からなくもないかなぁ」


 自分が与えられる分の幸せが、それが小さなものであっても、もしも茜に否定されたなら。

 そう考え、純の心に鋭い痛みが走った。窮屈で、狭くて、鋭利な痛みだった。

 車は山深い場所を通り抜け、円良田湖へと辿り着いた。

 夜の円良田湖に人影はなく、翌朝早くから釣りを楽しむであろう客が旅館に数人、宿泊してる程度だった。

 一台も停まっていない駐車場に車を停め、二人は車を降りて夜の円良田湖を眺めた。


「純君、虻に刺されてみる?」

「ははは!アリバイ作りに来たみたいだな」

「こんな所で虻に刺されたらソッコー逃げるよね。バレてただろうなぁ……」

「そうかな?まぁ何も言われてないけど」

「ふぅん……。散歩出来るみたいだし、ちょっと歩こうか」


 湖面を横目に二人は歩き始める。少し冷えた空気と、森から漂う乾いた木の匂いに秋を感じ取る。

 橋を渡り始めてすぐに茜は手を握られる感触を覚えた。

 純が茜の右手を握り、茜は握り返そうとしたが純はすぐに手放した。


「ごめん」

「え……いいのに」

「いやぁさ。俺がこんな事するのって変かなって……気持ち悪くない?」

「何で?」

「いや……」


 純は身を縮め、畏まっているように見えた。恐縮しているのだろうか?茜はそんな純の弱さに対し、そっと微笑んだ。


「純君が気持ち悪いだなんて。私そんな事思わないよ」


 そう言って茜は純の左手を握り、歩き出した。風が少し強く吹き始め、湖面を揺らしている。

 会いたいという気持ちに嘘は無かった。互いを受け入れ、そして交差したい感情を持て余しているはずだった。

 純を笑いながら受け入れた茜の右手に、自然と力が篭る。純が同じだけの強さで返して来る。

 言葉を紡ぐことなく、風の音を聴きながら夜の散歩道を歩く。

 隣にいるのに、手を繋いで歩いているのに、茜はその距離がズレ始めているように感じる。もっと強く、そして深く、受け入れてくれてもいいはずなのに、純はまるで後戻りしてしまったようにも見えた。

 純の手を強く握れば握るだけ、何故か寂しさが茜の胸の内から零れ始める。


「映画、つまんなかったね」

「二人で観るには暗すぎたかな」

「そうだね。もっと明るいのなら良かったのかな」

「うん。ミスったかな、はは……」


 二人の話す声だけが響く湖畔で、茜は頼りなく細い赤い糸を紡ごうとした。強い風に流され、糸は宙を舞う。何とか手繰り寄せ、結ぼうとする。不安定な糸を結ぶためには純の力が必要だった。

 一人で結ぼうとする細い糸は、風に流され続け、余りにも不安定過ぎた。

 純の持つ糸を探し、結ぼうとするがその手は動かないまま、風に晒されている。茜は何とか声を届けようと想いを伝えようとする。

 それは本当の、自分。

 愛されたいと言えず、甘えたい、とすら言う事の出来ない隠し続けて来た弱い自分。

 茜はふいに泣きそうになり、純を握る手を緩めるとゆっくりと解いた。


「ちょっと、ごめんね」

「あぁ……俺も、本当ごめんね」

「ううん、違うの。目にゴミが入ってさ」

「あぁ……そっか」


 古びた旅館が数軒立ち並んでいる。そのうち灯りがついているのはたった一軒だけだった。

 茜は風情よりも、物悲しさを感じた。

 純の少し前を歩きながら茜は背伸びをして、泣きそうになった顔を欠伸で誤魔化した。

 立ち止まった瞬間、純は突然茜を後ろから抱き締めた。

 手繰り寄せれば届くはずの赤い糸を、純は茜の手から強引に奪った。声もないまま、抱き締める力は徐々に強くなる。


「もう少し……優しくして……」

「あ……痛いよね……。つい」

「ううん……ごめんね」

「いや、謝らないでよ」

「そうだね」


 小さく笑いながら、茜は純の腕に顔を寄せる。腕に茜の頬を感じ取ると、純はその白い首元に鼻を寄せた。風が一瞬、強く吹く。自然の摂理を思い出したかのように、湖面に慌しく波紋が浮かんだ。

 純の手に奪われた糸が固く、強く結ばれて行く。抱き締める力が再び、増して行く。痛みを覚える。


「千切れちゃうよ」


 その言葉を押し殺しながら、茜は純に飲まれて行く。

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