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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
134/183

真昼の無実

茜と純は小さな逃避行の末、純の部屋へと辿り着いた。

理屈を放棄して、二人きりになった夜はすぐに迫る朝に抗う。


 繰り広げられた喧騒から切り取られたばかりの二人の夜は、それまでの喧騒とは何ら無縁のように静かで安らかだった。


 ついに抉じ開けられた蓋の下、沈められていた想いは勢い良く水面へと浮かび上がると眩い光に晒された。

 想いは水気を含んだまま、その色だけは年月を忘れたかのように褪せることなく輝いている。ずっとここに居たのだと、まるで世界に知らしめるように。


 客は二人の他に誰も居なかった。夜中のコンビニで買い物をする茜を、純は少し離れた場所から愛しい気持ちで眺めていた。何も持たずにアパートを出て来てしまった為、茜はすぐに必要なものを揃える。


「俺も買い物するから一緒に買うよ。金はいらんよ」

「え?いいの?へへ、ラッキー」


 買い物カゴに入った茜の買い物。それを眺めているだけで純は思わず嬉しくなる。今すぐにでも誰かにそっと自慢したくなる程だった。

 末野から純の家までさほど時間は掛からなかったが、その間に二人は意味もなく数回笑い合った。


 車を停めると忍び足で純の家の玄関を開け、純の後に茜が続く。レジ袋の擦れる音だけが玄関に響く。

 数年前、夜中に純の家を無断で訪れていたのは田代だった。

 そんな過去をふと思い出し、今の状況と比較して純は思わず噴出しそうになる。


 外で会っている訳ではなく、末野アパートでもなく、自分の部屋に茜が居る。

 それは再び会える事だけを願い続けた日々の、思いもしなかったその先の光景だった。


「着替え……皆オーバーサイズでさ、これしかないんだけど……」

「これって……あはは!マジかぁ」


 その夜、茜の身を包んだのは純が部屋着代わりにしていた中学校指定の緑ジャージだった。

 中学時代とは違い、肩まで伸びた髪を茶色く染め、大人の女性になった茜のジャージ姿に純は妙な照れ臭さを感じて笑う。


 二人は棚に並べられたCDを何枚か取り出し、小声で音楽の話をし始める。


「あ。これさ、昔貸したラルクのCD。覚えてる?」

「えぇ……っと借りたっけ?何となく覚えてる」

「俺らの間でラルク流行っててさ、佑太の後に森下に貸したんさ」

「嘘……佑太の後……!?最悪」

「ははは」

「純君、本当ヒップホップ好きなんだね。ジャパニーズでもゴリゴリなの多いね」

「日本語ラップでメッセージ性強いのが好きかな」

「へぇ……あ、K-DUB借りてってもいいかな?」

「あぁ、いいよ」


 二人は押し殺せない楽しさに、時計ばかりが気になってしまう。気付けば飛ぶように進んでいる針。終わる夜。そして、迫る朝。

 テレビを消して部屋の灯りを消すと、それきり部屋の中は星の瞬く音すら聞こえそうな程に静まり返った。

 躊躇う素振りに忘れたまま、二人はベッドの中に潜り込む。

 ベッドの中で純と茜は額を合わせる。

 温かいというよりは、熱い。それは互いの熱で額に汗で浮かばせる程に。

 逸る互いの脈拍を、必死に保つ理性で感じ始める。

 鼓動はついに決められたリズムを保つ事が出来ず、指揮者に従う事を放棄した後、その速度を増して行く。

 理性の信頼性を嘲笑うかの様に肌に触れる度、互いに微かな笑みを漏らす。

 感覚は額から始まり、唇を乗り越え、胸元を過ぎ、足へと下るとやがて爪先へ辿り着いた。そしてターンをして再び同じ場所を探り合う。

 そして何度も何度も、互いにとって心地の良い場所を求め、探し続ける。心と身体を意図的に剥がすと、次には無意識が再び心と身体が紡ぎ合う。髪の毛一本すらも、どんなに高価のある宝石よりも価値があるのだと思い知る。

 僅か数文字で表せる心情を、言葉にはせず呼吸と熱が時間を掛けながら伝えていく。

 刻まれていく感覚だけを頼りに、上がり続ける熱はやがて溶け合った場所に至り、逃げる。

 極端な動揺や焦りは無かった。それらに対しては深い安堵が純を守った。

 茜は純の前では素直でいられる事に気が付くと、何の不安も無く純の傍に居られる心地良さを改めて感じていた。


 絡め合う指を窓辺に向け、まじまじと眺める。朝焼けの光が、二人の指の間からオレンジを放つ。


「純君、手大きいよね。指が長いのかな?」

「森下は小さいよな。指の長さは……」

「そこ、あんま触れないでくれるかな?」

「いやいや……この手で竹刀振って、あれだけ強かったんだから……凄いよ」

「じゃあ純君は何で弱かったの?」

「俺は……矢所さんにもボコボコにされたくらいだったね」


 茜が純の人差し指を握る。長く、冷たくて、硬い。


「じゃあ……宝の持ち腐れってやつ?」

「気持ちの問題ってやつかな。長瀬君とかには絶対勝てないって……思っててさ」

「実際強かったから勝てる訳ないよ。気負い過ぎた?」

「そうかも」


 純はそう言いながら、甘えたい意思を伝える子供のように茜の首の下に顔を埋めた。

 茜は純の頭に鼻を寄せ、天井を横目で眺めたまま訪ねる。


「ねぇ」

「うん?」

「私の事さ……いつから?」

「中学の時から……ずーっと」

「え、嘘でしょ……?」


 茜が純の顔を覗くと目は閉じられたまま、微笑んでいた。


「だって、奈々ちゃんが好きだったんじゃないの?」

「恥ずかしいけど、あれは咄嗟に出た嘘っていうか、引っ込みつかなくなっちゃったんさ」

「何で?」

「がっちゃんが森下の事好きなの知ってたからさ。だから、ずっと言えなかった」

「そっか。だからって……本当……気付かなかった」

「はは……昔さ、良く電話したりさ、塾の帰りに一緒に話し込んだりしてたの覚えてるかい?」

「うん。いっぱい色んな事話してたよね」

「実はさ、ちょっとだけ「あれ、これって付き合ってるのかなぁ?」とか思ってた事もあったんさ」

「ちょっと、何それ。想像力豊か過ぎでしょ。でも……本当、名前の通り純だね」

「そうかな……?今思えば恥ずかしいけどさ。なんかさ、それで密かに……がっちゃんに勝った気になってたんさ」

「へぇ……純君でも勝ち負けとか意識するんだ?」

「いや……森下の事は……うん。でもさ、気付いたら俺だけ取り残されてたんかな。でも、もういいや」

「そうだよ。がっちゃんなんか元から他人に興味持たないんだから。第一、戦う相手じゃないでしょ」

「あのさ」

「何?」

「またさ……いつかみたいに長い話、たくさんしたいな。つまんない事でも笑えてさ、話した内容なんか全然覚えてないようなさ……」

「私達……いつもそうじゃん」

「また、してくれるかな?」

「当たり前でしょ」

「ありがとう」

「……もう眠い?」

「眠いけど……まだ寝たくない」

「私もだよ」


 そこから先の囁くような声での会話の全ては、微かに残った意識と睡魔の果てに溶けてしまった。

 やがて訪れた静かな寝息を共に抱き締めながら、二人はやがて眠りに落ちて行った。


 アパートの外で蝉がけたたましく鳴いている。


「周辺の蝉、全部殺してくる」と息巻いて飛び出ていった岳がものの数分で「暑い」と言いながらアパートへ戻ると、佑太が「あ」と目を丸くした。


「どうしたん?」

「翔にジョジョの5部の最後、聞きそびれた。イマイチ理解出来ねぇんだよなぁ。これって絵が悪いん?俺の頭が悪いん?」

「ちげーちげー、代わりに俺が解説してもいいで。つまり、時間がヒント」

「ヨッシーの解説はアバウト過ぎて伝わらねぇ!」

「ダメか。あー……話したいんだけどなぁ」


 良和と佑太と岳だけがアパートに残った。玄関を出て行く時に千代が


「茜帰ってきたらメールしてって言っといてね」


 と寂しげな表情を浮かべていたが、誰も返事はせず岳が軽く右手を上げただけだった。

 純のポケットゲームや茜のバッグは置かれたままになっている。

 岳が何気なくそれに目を向けていると、玄関が開く気配がして思わず溜息を漏らす。


「ただいま」

「ごめーん」


 ようやくアパートへ帰ってきた純と茜は、その首に何枚もの絆創膏を貼っていた。その姿に佑太と良和は驚嘆の声を上げたが、岳は呆れかえったように笑っている。


「いやぁさ。あの後、円良多湖にドライブ行ってさ。そのまま車の中で寝てたんだけど……」

「そうそう。起きたら虻が居て、ね?首めっちゃ刺されたんだよね。本当ビックリ!」


 純と茜の言い分を本気で心配した良和が「ムヒあるで!塗った方がいいで!」と急いで薬を差し出したが、二人は頑なにそれを断った。

 そんな二人を眺めながら、岳は友利と夏の日に二人揃ってタートルネックのシャツを着た事を思い出していた。


 佑太がベッドの上から「純、ちょっと来い」と言う。その表情に怒りが滲んでいるのが分かると良和は自然と目を逸らした。

 純が「何?」と佑太の前に立つと佑太は純の手首を引っ張り、耳元に呟く。


「森下いるからデケー声じゃ言わねぇ。昨日、あの後に車乗ったん?」

「え……あぁ……まぁ」

「おまえ酒飲んでただろ?」

「少しね」

「少し、じゃねぇ。テメェ一人だったら俺は何も言わねぇよ。けどな、大事な女乗っけてる時に飲酒は止めろ」

「分かったよ……それだけ?」


 分かったよ、ねぇ。ふーん。佑太は思わず笑いそうになる。


「それだけ?じゃねぇだろ。ったく気を付けろよ」

「はいはい」


 逃げるようにして佑太の側を離れた純は岳の笑みに気付く。申し訳なさが先走り、つい岳を無視してしまう。

 佑太が岳の隣に座ると首を縦に振りながら言った。


「先輩、クロです」

「だろうね。あんな都合の良い虻なんかいる訳ねーよ」

「都合の良い?虻に刺されたんじゃねーの?」


 佑太の疑問に岳はかぶりを振りながらも肯定の言葉を口にする。


「まぁね……。けど蜂じゃないのが救いだったね」

「だよなぁ。蜂だったらシャレにならねぇぜ」

「でも、腫れるだろうね」

「首が?」

「ううん、心が」

「はぁ?」

「まぁ、いいや。森下、千代さんにメールしてやれよ!」


 岳が声を掛けるとバッグを肩に掛けた茜が「あ、うん」と目を見ずに答える。

「またね」と短く言った茜は足早にアパートを出る。洋間の窓を開けた良和が黒いミニクーパーの後姿を見送っている。

 その後、岳は純が何を言っても気乗りしないような返事しかしない事で、夜に何があったかを理解した。その証拠に佑太や良和が話し掛けると、純はいつもと変わらず嬉しそうに言葉を返していた。それはいつも以上のようにも思えた。

 茜が帰ってからも何が起こったか結局問い質す事はなく、純は再び良和の作ったRPGゲームに夢中になり始めてその日は夕方に解散となった。


「純、がっちゃん乗せてく?どうする?」

「え!?あ、いや、ちょっと寄る所あってさ……」

「そっか……じゃあ俺乗っけてくわ。カラオケでも行くかな」

「あぁ……いいんじゃない?それじゃ」


 階段に目を向けると煙草の空き箱を潰しながら降りて来る岳が見えて、純は慌てて車に乗り込んだ。


 成人式後の同窓会。千鳥足になった岳は茜の隣に無理やり座ると、テーブルに置かれた誰かのビールを無断で飲み始めた。


「がっちゃん!それ私のだよ!」

「えぇ!?何だよ!まぁ……飲み放題だからまた頼めば良いだろ」

「まぁ、そっか。ていうかさぁ、せっかくこうやって集まったんだから定期的に集まり開こうよ」

「そうだねぇ、皆就職とかして離れ離れになるかもしれないしなぁ」

「でしょー?暗いのとか変態とかはがっちゃんに任せたからさ」

「ひっひ!あっし、日陰者でございます」


 ビールを一息に飲み込んだ岳は酔いに任せ、酒の肴になるだろうと思い立ち、ある事を笑いながら茜に話す。


「そういやさぁ、うちの兄貴がデートしてたって話だけどさ」

「あぁ、眼鏡?マジつまんなかったよ!」

「俺も中学校ん時さ、森下とデートしたかったなぁ……まさか兄貴が夢を奪うとは……」

「え?私とって事?何で?」


 茜が枝豆を食べながら表情に怪訝な色を滲ませた。岳は本気で忘れられたのかと感じ、言葉を出すのを思わず躊躇う。


「え……何でって……好きだったからじゃん。知ってるだろ?」

「え!?私の事?嘘でしょ?何か急に避けられ始めたのは覚えてるけど」

「はぁ!?え、ちょっと待って、純君から俺の代わりにコクられなかった?放課後さ」

「何それ?聞いた事もないよ。ちょっと、酔い過ぎなんじゃない?急アルとかマジやめてよ?」

「いや……まぁ覚えがないならいいや。とにかく、兄貴がごめん」

「本当だよ!」


 岳はその時、初めて純の本当の気持ちに気が付いたのだった。奈々ちゃんが好きだと言い続けていたのは自分に気を遣っていたからなのだろう。

 そして、あの日の代理告白。

 純の本当の気持ち、それが真実ならば全てに合点がいった。

 しかし、純が嘘をついていた事を責める気にはなれなかった。寧ろ純のすぐ傍に居て、気持ちに気付けなかった自分を、茜に直接想いを伝えなかった自分を岳は悔いた。

 純が真相を隠し続けているうちに友利と結ばれ、高校時代には純を置き去りにする事もあった。

 友人に気を遣わせる余り、それが対人関係に対する苦手意識を生んでしまったのだとしたら、その元凶は自分なのではないか?

 その免罪符として、純が茜と結ばれる事を岳は密かに願うようになった。それが身勝手で他力本願だと知っていながらも、そうする事しか出来なかった。


 帰りの車中、絆創膏を貼った首をネタに佑太と岳は笑い合う。


「佑太、あれは首だけ狙って刺す新種の虻だよ!ツブラタ虻!」

「ツブラタ虻おっかねぇ!あーははは!マジやべーよ!」

「あー……おもしれぇ……。でもさ、こうやってマジで二人をネタに出来る日が来るとはね」

「本当な。でもさ、がっちゃんマジで良かったの?」

「良かったよ。複雑っていうか……ちょっと寂しい気もするけど」

「森下が取られて?」

「……っていう解釈でもいいよ」

「素直……なんかなぁ?まぁ、とりあえず良かったわ」

「だね」


 ほんの少しの期待と寂しさを、岳は純に抱いていた。森下と結ばれたのだとしたら、その口から直接言い訳もせず、いかにも嬉しそうに話して欲しかったのだ。

 けど、それは我儘なのかもしれない。

 そう思いながら岳は新しい煙草に火を点けた。

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