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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
133/183

星と落ちる

アパートへ戻った茜はどこか落ち着きが無く、純が居ない事に違和感を覚えた。苛立ちを隠さないまま、純を探す為に茜はアパートを飛び出たした。

 自動販売機の前で踵を返し裏山へと向かう純の背中を茜は見つめていた。

 背中はゆっくりと闇の向こうへと吸い込まれ、茜の唇に純の感覚だけが置き去りになった。


 アパートへ戻った茜の目に映る光景は、ほんの十分前と何ら変わらぬ姿を晒していた。

 見慣れた顔、転がる空き缶、紫煙と揺れる笑い声。

 ここに居れば自然と落ち着くはずなのに、茜は何故か親戚の家に一人きりで取り残されたような気分になって行く。

 慣れ切ったはずの空間の、一番大切なピースが見つからない。


 事情を何も知らない矢所がパライソの瓶の残りをグラスに注ぎながら茜に耳打ちした。

 その目に小狡いような色味を感じ、茜は思わず目を逸らす。


「ねぇ茜、さっき外で純君と何かあったんでしょ?でしょ?」

「ちょ……酒臭いなぁ、もう。何もないよ」

「じゃあ何で戻って来なかったのよ?」

「いや?ちょっと散歩してただけだけど……何?」


 瓶の中身を全て空けようとする矢所の手を茜が止める。しぶしぶ蓋を閉める矢所が茜の目を見ずに言う。


「えー?絶対何かあったんでしょ?顔に書いてあるもん」

「描いてるのは眉毛だけだよ。マジで何もないから」


 そう言いながら茜は缶チューハイを開けて一息に飲んだが、まるで戻って来る気配のない純が気に掛かる。

 純に電話して何処にいるのか確かめたくても、電話を掛ければすぐに矢所が好奇心を丸出しにするのが目に見え、茜は躊躇してしまう。

 酔った勢いでしつこく詮索してくる矢所が煩わしく感じ、返す言葉も自然と素っ気ないものになる。

 茜は目線を開かれた和室の入り口に移すと、千代が岳と良和相手に根の暗い話をしていた。


「私さぁ、人からどう見られているか凄く気にしちゃってさ、そんな事ばっか気にしているうちにね、たまに本当の自分が分からなくなる時があるんだよね。気にし過ぎて分かんなくなるんだよ?アホだよね」

「分からなくもないけどな。本当の自分ってのが一体何なんだかね。自分でも分かんねーや。だから俺は音楽やってるのかもしれないけど、音楽をやってる時が本当の俺だ!とは言い切れないな」


 良和は弄んでいた音の鳴る玩具のハンマーを手放すと、床に後ろ手をついて溜息をついた。

 佑太がそれを拾い上げ、意味も無く矢所の頭を叩く。「何すんだよ猿人間!」という矢所の叫びに茜は思わずチューハイを噴き出しそうになる。

 良和が目を擦りながら言う。


「あー……素の自分とか向き合ったら俺は怖くて仕方ねぇや。人を殺す自分だっているかもしれないし、何よりも誰よりも本当に俺は自信がねぇんよ。踏み出す事すら、怖い。だから俺はとことん女とヤレるようになりたいん。作り上げた自分でもそれは自分、て言えるようになりゃ……良いんだけどな」

「ヤレた所で私はその本質は変わらないと思う。きっとまた別の事が怖くなるんだよ。取り巻く環境より自分で自分を克服する事でしか変えられないんだよ、きっと」

「どうしたん?千代さん、今日ずいぶん暗いで」

「違うんだよ。私もヨッシーばりに本当は根暗なだけ。ここに居る人は私を否定しないもん……だから言えるだけだよ」

「美人なのに自信の無さを男で埋めないだけ大したもんだと思うで」

「こんな私が誰かと付き合うとか……考えられないよ。それに怖いんだよ、何だかね」


 佑太は耳をそばだてていたが敢えて聞かない振りをする。矢所に「バイト先から「もののけ姫」のDVDパクって来てよ」と頼み込み、ハンマーで頭を叩かれている。

 良和が千代を眺め、口元に手を置いた。


「美人なのになぁ……マジで千代さんとヤリてぇもん」

「ヨッシーは誰でも良いんでしょ?」

「そうなん。その通り」

「あのさぁ……いや、真剣に取り合ってしまってはダメよね……迂闊だったわ。がっちゃん、ヨッシーどうにかしてよ」

「分かった。熊谷脳外科連れてって脳味噌取り換えてもらうわ」

「医者が可哀想だよ」


 茜は落ち着かない視界をその横に移す。

 翔が佑太と関口を相手に漫画の話をしている。関口は感心がありそうに相槌を打ちながら何度も頷いていたが、佑太は話の途中で何度も「わからねぇ」と頭を振っていた。

 やはり、いつもの光景の中に誰かが居ない。それが茜をひどく落ち着かない気分にさせていた。

 それは当然、ノートパソコンを片手に部屋中をウロウロしている猿渡ではなかった。

 誰かに声を掛けられるのを待っているかのように、いつも部屋の片隅に座る彼が居ない。

 話し掛けられると笑みを零し、ポケットゲームを手放す彼がここにはおらず、代わりに床に置かれたままになっている緑色のポケットゲームが純の不在を色濃く感じさせた。


 茜はチューハイを飲むと、ふい立ち上がった。矢所が不安げな顔をしながらグラスをテーブルに置く。


「ちょっと、茜!どこ行くの?」

「え?まぁ……散歩、かな」

「純君探しに行くんでしょ?」

「いや、帰って来るでしょ。ただの散歩だよ」

「じゃあ私も行こうかな。最近太っちゃってさぁ」

「ヤドピーは太らないでしょ?酔い覚ましに行くだけだし、すぐ戻るから」

「え?ちょっと、茜!待ってよ!」


 矢所の制止を振り切った茜は玄関の扉を開いた。

 矢所のすぐ横で千代と関口は目を見合わせて微笑み、肩を竦めた。


 アパートの階段を下るスピードがいつもより速い。逸る気持ちがそうさせている事に気が付く。

 会おうと思えばいつだって会えるはずなのに、そして、呼べばいつだって来るはずなのに。

 トレードマークのキャップ帽。ブカブカのシャツ。高い鼻。少し厚い、唇。いつの間にか大きく、広くなった肩。「どっちがいい?」と差し出されるチュッパチャップス。何処か寂しそうで、自信なさげな笑顔。

 さっきまで触れていたはずの純そのものが、茜にとっては既に懐かしかった。


 会いたい。


 アパートを出て狭い曲がり角を左に曲がる。踏切を抜けて裏山へ続く道路を小走りで走る。

 サンダル履きの足裏に小石が挟まり、痛っ……と小さく叫ぶ。しかし、前へと進む足は止まらない。

 純の姿や温度を思い浮かべ、ふいに泣きそうになる。


 会いたい。


 茜は純を探す為に駆け足になる。携帯電話をアパートに置いて来たままだったが戻る気もせず、茜は夜の中で純だけを探し続けた。


 座ったり立ったりしていた矢所だったが、突然独り言のように「追い掛けて来るわ」と言うと、岳が矢所を睨んだ。


「止めろよ」

「だって……一人じゃ危ないし……」

「いいから座ってろよ。車あるんだし、その辺に純君だって居んだろ」


 誰にも邪魔させはしまいと、岳は矢所に鋭い目を向ける。言葉にはせずとも、誰もが同じ気持ちで居る事に気付いていた。


「でも……大丈夫かなぁ?純君じゃ頼りないっていうか……なんていうか……」

「あのさぁ……変な野次馬根性出してない?」

「えっ?私!?いや、別に!?いや、無いよ……」

「本当に?」

「あの……はい」


 関口が空いている場所を手で叩き、千代がチューハイを持ち上げて言う。


「矢所さん、座ろう?追い掛けたってしょうがないよ」

「まぁ……だよね。すいませんでした」


 矢所が座ると彼らは意図的に茜と純とは無縁の話をし始めた。まるで今日は最初から二人がいなかったかのような口ぶりで。

 良和の性癖について佑太が興味ありげに話を持ち出す。


「そういやさ、ヨッシーっていつから自分が「普通」の性癖じゃないって気付いたん?」

「小五」

「うっそぉ!マジかよ!小五!?」

「うん。小五でフランス書院の官能小説とか読んでた」

「じゃあ何、俺は何も気付かずに「ざみや」とか一緒に行ってた訳?」

「そうだよぉ」


 どっと一塊になった笑い声の隅で千代は時折不安げな表情を浮かばせていたが、テーブルに置かれたままの携帯電話や茜のバッグを纏め始めた。

 翔が他の荷物や床に置かれたままの雑誌と一緒にならないようにスペースを作る。


「あぁ、翔君……ありがと」

「戻って来ないかもしんねーけど」


 翔が笑いながら茜のバッグを指差すと千代が「だよね」と微笑んだ。

 きっと、今日は戻って来ないかもしれない。言葉にはせず、誰もがそう思っていた。


 山に抜ける坂の途中。虫の声だけが夜に響き、耳の傍を過ぎる蚊の羽音に純は苛立ちを隠せずにいる。

 ここにずっと居る訳にはいかないが、誰かが純の携帯を鳴らすことも無かった。


「皆、俺に呆れてるんかもしれないな」


 純はそう考えると、途端に寂しくなり始めた。皆のいる場所へ戻ろうかどうか考え始め、もと来た道を眺めると影がひとつ、揺れていた。

 その影が誰だか、純はすぐに気が付いた。胸が一瞬、高鳴る。強く目を閉じる。逃げ出そうかとも思ったが、その影の主と話したい欲が無意識に勝ってしまう。

 期待していたような、そうであって欲しくなかったような葛藤の果て、足音が近づいて来るのが分かると純は目を開き、微笑んだ。


「ずっとここに居たの?」

「やぁ」

「何が「やぁ」よ、全く」


 茜はそう言って、純の隣に腰を下ろした。走って来たのだろうか、肩で息をしているようにも見える。

 蒸した夜の風に混じる茜の匂いに、純は意識せずとも安堵を覚える。

 荷物も持たず、手ぶらで来た所を見ると連れ戻しに来たのかもしれない。一緒にアパートへ戻れば、待っているのはきっといくつもの騒がしい声、そして記者のような質問攻め。笑い声。

 純はそんな事を一瞬考えると、気恥ずかしい気持ちと後悔の念が再び沸いてくるのを感じる。

 昼寝から起きたばかりの猫のように茜が伸びをすると、そっと顔を純に近づけた。最近伸ばし始めた、という純のうっすらとした顎髭が目に飛び込んでくる。


「ねぇ」

「うん?何だろ」

「不審なB-BOYが徘徊してるって聞いて探しに来たんだけどさ」

「あぁ……無事発見かい?」

「うん」


 そう返事をしたきり、二人は黙り込んでしまう。空に浮かぶ星を眺めることなく、俯いたまま茜は片足を上げてサンダルを地面に落とした。

 コツン、と音が響くと茜がふいに純の脇腹を突く。


「ちょっ、ビックリしたぁ」

「純君。車の鍵、持ってる?」

「鍵?あるよ」

「どっか連れて行ってよ」


 楽しげな口調とは裏腹に、茜の表情は真剣なものだった。一文字に結ばれた唇を眺め、純は思わず目を逸らす。感触がまだ、あったままだった。


「連れて行くって……」

「どこでもいいよ。純君の部屋とか」

「ってか……ヤバいんじゃない?戻らないとさ……」


 茜は拗ねた子供のように目を逸らしながら呟く。


「別に……ヤバくないよ……」


 佑太や良和が「何処行ってたん?」と尋ね、岳が「話がある」と呼びつける光景がふと頭に思い浮かび、純はかぶりを振った。


「いや、ヤバいっしょ」

「だったら……勝手にいなくなんないでよ」

「いや、さっきさ……何か……ごめん……」

「ほら、また謝った!」


 純は何も言い返す事が出来ず、苦笑いを浮かべながら頭を掻く。茜が純のシャツの胸元を片手で掴む。それは決して怒りから来るものではなく、まるで何かに縋っている様に頼りなく、白い手だった。

 息を呑んだ純の気配を感じながらも、茜は言葉を漏らした。


「自分ばっか背負った気になった?」

「…………」

「勝手にあんな事しちゃったって?自分だけが悪いんだって、そう思った?」

「…………」

「まさかだけど、私が誰とでもあぁいう事するなんて思ってないよね?」

「それは……うん……」

「だったら勝手にいなくならないでよ」

「だってさ……森下が俺なんかの事……どうなんだろうって……」

「それが勝手だって言ってるんじゃん!自分がいなくなっても、私なんか一人にしといても大丈夫だろうって、そう思ったの!?」

「いや……そのさ……」

「だったら……私と一緒に居てくれたっていいじゃん……」


 突然の茜の叫び声は夜の闇の中でこだました。遠くでどこかの家の窓が開く音がする。


 眉間に皺を寄せながら良和の作ったゲームで遊んでいた佑太がその手を止め、窓を開けると暗闇を眺め始めた。しばらくして岳を振り返る。


「なぁ、森下の声しなかった?」

「えぇ?アンプで耳ぶっ壊れてるから分かんねーよ」

「がっちゃん、何か楽しそうだな」

「別に?俺に対して問題起こさなきゃ誰がどうなっても、何でもいいよ」

「出たぁ、ドライ」


 薄暗い街灯の明かりを跳ね返す茜の瞳は、赤く濡れていた。その声も、表情も、心の底からのものなのだと純はようやく理解した。


「……放課後さ、しょっちゅう教室まで俺を連れに来てたよね」

「うん。ちっとも部活に来なかったからね」

「試合の時もそうだったな」

「それでボコボコに負けてさ。本当ダサかった」

「はは……。実はさ……来てくれるんじゃないかなって……いつもそう思ってた」

「そう思ってるんだろうなって、私も思ってたよ」

「バレてたか」

「そうだね。何で純君を毎回探しに行ってたか、自分でも分からなかったけどね」

「いつか見つけてもらえるんじゃないかって……ずっとそう思っててさ。それは今でもそうなんかもしれないけど……」

「深い話なんか急に言われても分からないよ?でも、今日の私は純君に会いたくて純君を探しに来たんだよ」

「そうか……ありがとう、で良いんかな?……俺は……どうすれば良かったんかさ」

「もういいよ、いい。ねぇ、一緒に居たい」

「俺も……うん」

「昔はいっつも私が連れて行ったんだから。今度は純君の番だよ」

「分かった」


 二人は寄り添うようにして歩き出すと、声を殺しながらアパートの駐車場へと向かった。裏山近くの夜はあまりに静かで、そこには二人以外の何も無かった。

 アパートの横を通り過ぎると千代の笑い声と、良和が何か言っている声が漏れ聞こえて来る。

 岳が「ちげー!犬より絶対、掃除機にチンポだよ!」と叫んでいる。

 茜が「この人達、何の話してんの?」と首を傾げ、「さぁ」と答える純と笑う。

 いつもの夜からの逃避行。車に乗り込む直前、空に何かが光ったと思い二人が顔を上げると流れ星だった。見上げた瞬間には既に消え掛けていた。

 純は願い事が叶うなら、とは思わなかった。その必要が無くなったのだ。

 キーを回し、アクセルを踏むと景色はすぐに国道へと変わって行く。


 アパートでは純の座っていた場所に残されたポケットゲームと、部屋の片隅に置かれた茜のバッグが二人の不在を伝えていた。

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