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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
127/183

ドア

スン・シンの家での出来事の数日後。純と岳は茜からの指名を受けて末野アパートへ足を運ぶ。

 純と岳がスン・シンの家に佑太を置き去りにしたまま帰宅した翌昼。佑太からの電話を受けて良和は再び山深い場所まで車を走らせた。

 駐車場に到着すると車から降りることなく佑太の携帯電話を鳴らす。目の前にある山の方から「グエェ」と聞いた事も無いような生き物の鳴き声がした。


「佑太、着いたで」

「おー……マジで助かるわ。すぐ行くわ。おいスン・シン、じゃあな。もう泣くなよ」


 そう言う佑太の背後で理由は分からないがスン・シンの泣いているような声がした。

 しばらくしてから目の隈を作った佑太が玄関から姿を現し、良和はすぐにエンジンを掛けた。


 その十分前、岳は友利と池袋に居た。待ち合わせの西武デパート喫煙所で近況を報告し合い、朝方のスン・シンの出来事もありのまま友利に伝えていた。


「本当変な中国人でさ、気味が悪くなって純君と帰って来ちゃったよ」

「え?ちょっと待って。良和君が先帰って……あんたが純君と帰ったら……佑太君帰ってなくない?」

「そう。置き去りにしてきた」

「えぇ?大丈夫なの?生贄じゃないんだからさ」

「多分、大丈夫だと思うよ」

「そういう所、昔から冷めてるっていうか本当ドライだよね」

「そうかな?まぁ……なんていうか」


 岳が何かを言い掛けた途端、ポケットの携帯が鳴った。画面を見ると佑太からの着信だった。

 悪戯そうに笑いながら岳は画面を友利に見せると友利は「出てあげなよ」と促した。


「もしもし?」

「がっちゃん!どこ行ったんだよ!何でいねぇの!?」

「何でって……友利と居るから」

「え?友利ちゃん?どこいんの?家?」

「池袋」

「ブクロ!?」

「うん。そういう訳だから。じゃあ」

「待って!待って!ちょっとこれ聞いてくれよ!」

「何だよ……」


 岳がうんざりした表情を浮かべ、耳を澄ますとスン・シンの泣き声が聞こえて来る。

 佑太はスン・シンに携帯を近づけたのか、その声が一層大きくなる。岳は堪らず友利と目を合わし、携帯をハンズフリーのスピーカーモードに切り換えた。

 スン・シンの声が喫煙所に鳴り響く。


「岳さぁん!岳さん!私、岳さん会いたいよ!岳さんどこ!?ギター弾きたいですよ!会いたいですよ!岳さんと寝たかった!何で、岳さんいない!?」


 岳がその言葉に表情を曇らせたが友利は岳とは対照的に手を叩いて大笑いしている。


「ははは!あんた愛されてんじゃん!」


 スピーカーのスン・シンの声は日本語から中国語に変わり、泣き声も先ほどより大きくなった。

 岳は目を閉じながら携帯の通話終了ボタンを押した。


 佑太はいつの間にか電話が切られている事に気が付くとすぐに良和に電話を掛けた。スン・シンが「岳さん。岳さん!」と泣きながら佑太の足に縋り付いて来たのだ。

 良和に救われた佑太は車の中で大きく溜息をついてみせた。


「純は何かあると逃げっから仕方ねぇけどよぉ……がっちゃんまで逃げるなんてズリーよ」

「がっちゃん神経質だから嫌だって思ったらとことん嫌がるからねぇ」

「でもスン・シンには愛されてんだよな。足に絡みつかれてマジ気持ち悪かったぜ」

「えぇ!?マジ?そっか……スン・シンは「そっち」なのか……」

「あ、そうだ。確かめてみたらいいんじゃね?」

「よし、電話しよ」


 良和はそう言うとすぐにスン・シンに電話を掛けた。コールが鳴り始めてすぐにスン・シンが電話に出る。


「赤井さん、岳さんいないか!?」


 焦りが入り混じったようなスン・シンの声を宥めるように良和は優しく言葉を掛ける。


「おぉ、スン・シン。今いないけど大丈夫だよ、また会えるよ」

「また会える本当ですか!?次いつ!?今日?明日?」

「それは分からん。けど大丈夫だって」

「私、早く岳さん会いたいですよ」

「なぁ、スン・シンって男が好きなん?それとも女が好きなん?」

「私!?私の好きは、男でも、女でも、大丈夫!」

「あぁ……やっぱそっか。分かった」


「やっぱ」という良和の言葉に佑太は口を開き、目を丸くしている。「そっち」なのかという疑惑をあまりにもハッキリと肯定されてしまった為、それ以上何かに触れる事なく良和は電話を切った。


 時刻は昼近く。純は良和から借りた「中高年フリーター」というドキュメンタリー作品を見ながら遅い朝を迎えていた。

 目を閉じるとスン・シンがライターを手にし、虫を焼く姿が鮮明に蘇る。

 かぶりを振って携帯を確認すると良和からの「ビデオ、取り行く」というメール以外は何の連絡も来ていない事に落胆した。

 カーソルを少し弄ってみたが、近しい着信履歴やメール履歴の中に「茜」という文字は無かった。


 池袋サンシャインへ向かう通りは激しく混雑していた。岳と友利は手を繋いだまま、ゆっくりと歩行者天国を進んでいく。


「岳、東急ハンズ寄ってっていい?」

「あぁ。いいよ」

「何買うって訳じゃないんだけどインテリア見たくてさ。いつか私達が暮らすようになったらさ、インテリアは私が決めていい?」

「任せるけど……何となくソファはツートンがいいなぁ」

「いいねぇ。赤と白とか良いかも。自分が真っ白な癖に私、白が好きなんだよねぇ」

「夏でも絶対焼けないもんな」

「火傷みたいにはなるけどね」


 真夏の空の下にはあまりにも似つかわしくないほど、友利は白い肌をしていた。少しずつ将来に向けて具体的な話をしているうちに、岳は自然と幸せを受け入れる自分とそうではない自分との間で葛藤を覚えていた。

 屈託無く笑う友利の隣でいつか友利を不幸にしてしまうのではないのか、と岳は恐れていた。

 小さな頃にいつも見ていたがらんどうの家の中。誰も居ない食卓。たまに帰る父と、兄の怒声。泣き叫ぶ母の声。父から理由も無く突然つけられた背中の青い痣。

 家の中に居て心から笑った事などただの一度も無かった。

「今は笑わなければならない」

 その心の指示に従って岳は笑うようになった。日々危険を察知するセンサーのような物が機敏になり、岳はそれに合わせて心を動かすようになっていった。

 夢も、希望も、幸せも、無縁のものだった。


 友利と暮らすようになれば何かの間違いを犯してしまうのではないだろうか?

 自分をいつまでも信じられない自分の所為で、岳は友利に対していつも漠然とした申し訳なさを感じていた。

 握る手に力を込めると同じ力で返る返事を、今は信じるしかなかった。


 翌週、純と岳は絶対にアパートに来るように。と茜から連絡が入っていた。週末になり、純は岳を乗せてアパートへ車を走らせる。


「がっちゃん、これ誰だい?」

「ずっと聴かせたかったんだよ!これ「宇頭巻」ってバンド」


 ハードコアミクスチャーバンドの轟音とラップの掛け合いに純は「いいねぇ」と笑みを漏らす。


「あ!このサンプリングって映画の「うずまき」じゃん!すげー!」

「お、純君さすが!芸が細かいんだよね。ラッパ我リヤとフィーチャリングとかもしてるんよ」

「マジかい。今度貸してくれん?気になるわ」

「あぁ、いいよ。ちなみにさ、この曲のラッパー誰だか分かる?すげーカッコイイんだけど」

「あ!これ三善善三だよ!CDあるから貸そっか?」

「みよし、ぜんぞう?おぉ、マジか。助かるわ」

「こうやって聴くとミクスチャーも悪くねぇな。いいわ」

「でしょ?逆に俺もヒップホップいいなぁって思うもん」


 純と岳は音楽の話で盛り上がる。アパートが近づくと肝心の話題に切り換えた。


「純君さ、今日って何するか知ってる?」

「え?がっちゃん知らんの?」

「いや、俺は何も。純君は?」

「俺も知らないんさ。俺とがっちゃんは絶対来てっていうだけで」

「え……何かしたっけ?怒られるような事したっけかな……」

「いや……?海行った時も特に何もしてないよね?俺留守番だったし」

「佑太が千代さんのケツ触ったんは関係ないもんなぁ……」

「何か気が重いなぁ。あーあ」

「指名だぜ?ボコボコにされんかな?」

「玄関開けてマッチョが居たら覚悟決めるかい」

「そうだね。そうしよう」


 アパートの駐車場には佑太や翔の車が先に停まっていた。茜のミニクーパーを目にし、純は安堵と微かな胸の疼きを覚えた。

 階段を上がりながら耳にする誰かの笑い声に、思わず心が躍るのを感じる。

 怒られても笑えばいいか、純はそう考えながらアパートのドアを開けた。

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