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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
123/183

どこまでも続く青

海岸付近を散歩する純達。そこで出会ったレトリバーを見て純は思わず…。

どこまでも続く青い景色と、穏やかな風の中で彼らは笑い合う。

 ビールを飲む為に荷物番を代わった岳に促され、純は翔と良和と海の家を出た。焼けた砂がビーチサンダルの間に入り込み、思わず跳ね上がる。

 波打ち際近くまで歩くと翔が楽しげな笑みを浮かべ、無我夢中で穴を掘り始めた。

 額に汗を浮かべ、穴を掘りながら翔は純に訊ねる。


「純君、埋めてもいい?」


 純はその行為が気に入り、二つ返事で首を縦に振る。子供のような無邪気な提案は純を心から楽しませた。

 海に入れない代わりに砂場に埋められるという体験が純にとっては唯一許された「海の経験」となるのだった。

 穴の中に寝そべり、次々と砂を掛けられていく。ただ埋もれるだけならそう重くはないと思ったが、翔は嬉しそうに掛けた砂を固め出した。良和も手伝い始め、首から下が完全に砂に埋もれる頃にはもう身動きひとつ出来なくなっていた。


「いやぁー!やってみたかったんだよ!夢を叶えてくれてありがとよ」

「いや、どういたしまして。ていうかさ、意外と息苦しいんだけど」

「あぁ!バッチリ固めたからな。じゃあ次は胸でも作るか」


 そう言うと翔と良和は嬉々とした表情で純の上に乳房を作り始める。駆け寄ってきた佑太と猿渡が「竿も!竿も!」とはしゃぎ出すと股間部分に巨大な竿を作られ、砂に埋もれたままの純の首から下は異形の姿と化していた。

 その姿に子供連れの家族が怪訝な目を向けたが、純はそれが面白くて自然と笑いが込み上げて来る。

 翔が腕組をしながら自身の「作品」を眺めていると佑太が「何か食おうぜ!」と言って彼らは純を置いてけぼりに海の家へと戻って行った。

 純の近くに座っていた若い女性の二人組が純を見かねて声を掛ける。


「あの……友達行っちゃったけど君、大丈夫なの……?凄い格好してるけど……」

「あぁ……気にしないで大丈夫です。いつもこうなんで」

「そうなんだ……凄いよね……良くそんな格好で寝そべっていられるね……」


 二人組が声を潜めて話し始めると純は少しの眠気に襲われた。波のリズムが心地よく、眠気を誘われたのだ。

 少しの間うたた寝をしていると「俺も埋めてくれよぉ!」とせがむ岳の声がした。

 佑太が「また来年!時間ないから、な!?」と岳を諭している。


「純、散歩行こうぜ!」


 佑太がそう言うと、翔と良和が純の砂を取り払い始める。身体が徐々に軽くなっていく感覚が妙に気持ちよく感じる。

 太陽は真上にあるはずなのに、何故か埼玉に居る時に感じる茹だるような暑さは微塵も感じなかった。

 砂を払って海の家へ戻り、簡易シャワーを浴びてから一同は海岸周辺を散歩し始めた。


 何処へ行くかは決めずに国道8号線方面へ坂を上がって行くと、大型犬を散歩する初老の男性に動物好きの良和が声を掛けた。


「散歩中すいません。レトリバーっすか?」

「うん。「ルナ」って言うんだよ」


 相好を崩した男性はサングラスを外すと立ち止まり、ルナの頭を撫でた。


「うわぁ、可愛いっすね」

「こんなに大きいんだけど、大人しいもんだよ」

「ルナ、おいで。可愛いねぇ、可愛い」


 昔、良和の家で飼っていたマーチという中型犬にルナは種類は違うが面影が似ていた。身体は大きくても頼りない程つぶらな瞳が見る者の胸を苦しくさせる。

 ルナの頭を撫でる良和と一緒に、今度は茜もルナに話し掛け始める。


「ルナ。怖くないよ?大丈夫、いい子だね。すっごく良い子」


 ルナは大人しく茜に頭を預け、尻尾を振っている。その光景を眺めながら純は何故か気恥ずかしい気持ちになっていた。まるで自分を眺めているような錯覚に陥ったのだ。

 岳に悟られないか隣を見ると、そこには口を開けたまま呆けた表情をする猿渡しか居なかった。

 大の犬嫌いの岳は遠くの縁石に腰を下ろしながら彼らを眺めていた。

 千代と翔、佑太も駆け寄ると彼らはルナを取り囲み頭を撫で始めた。沢山の人に囲まれてもルナは動じることなく、楽しげに尻尾を振り続けている。

 年の割りに筋肉質の男性は日に焼けた笑顔で言う。


「餌代も手も掛かるけどさ、大型犬は「相棒」って感じがするんだよ」

「へぇ。奥さんとルナ、どっちが「パートナー」って感じますか?」

「そりゃあ、ルナだね」


 翔の質問に照れ笑いで答える男性に、彼らは夏空の下に大きな笑い声を響かせた。

 ルナと別れた茜は良和の思わぬ優しさに感心した様子を見せていた。


「動物には優しいんだね。良い所あんじゃん。虐待とかしそうなのに」

「そりゃ偏見ってもんだぜ?虐待はあれだ、猿みたいな狂人が専門だから。俺はパターン違うんだよ」

「ふーん。変態って皆同じじゃないんだね。良和は心優しい変態って事か!」

「全然優しくないで。森下、俺……本当に自信も実力もないんよ」

「だから変態って事?」

「うん……だからさ……。今度10万でヤラせて」

「嫌だよ!やっぱりただの変態だわ!」

「ほらねぇ?分かったでしょ?」

「十分、分かった!」


 純はまるで兄妹のような二人のやり取りを少しの悔しさを滲ませながら眺めていた。幼少期から共に過ごして来た経験の差を感じ、自然と本音で話し合える関係性に思わず嫉妬しそうになる。

 しかし、すぐに羨ましさや微笑ましさがそれを上回る。


「まるで家族だな」


 そう考えると純は自分がその家族の一員なのか、ここがホームステイ先なのかを考え始める。

 分かっている事はただ一つ、一度溶け込んだ者には誰もが寛容だという事だ。


 なだらかな坂を駆け上がり、彼らは国道沿いから青々とした海を見渡す。どこまでも続く海の向こうに、まだ自分の知らない世界が広がっている。知らない誰かと、どこかと、繋がっている。

 海に想いを馳せる純と茜のすぐ横で、岳が良和を相手にスイッチを入れ始めた。


「この向こうは北朝鮮とかだろ?新潟っていうのは昔から工作員の玄関口とも言われてんだぜ?「竿竹屋」ってよく街ん中グルグル回ってんじゃん?あれって工作員が街の地図作る為の偽装工作なんだってよ」


 純はあまりにロマンが無く、嘘か本当かも分からない岳の話しに声を立てて笑う。友利と居る時も岳はこの調子なのだろうか?と思うと、そのあしらい方を知りたくなる。きっと毎回熱心に耳を傾けていたら4年間も一緒には居られないだろう。


「風、気持ち良いね」


 岳の「工作員の数ってのは」という言葉を切り裂いたのは純へ向けた茜の言葉だった。穏やかに微笑む茜の横顔を見ながら純は「そうだね」と呟き、続けた。


「海に来たんだなぁって思うよ。潮の音とか、あと、匂いとかも」

「埼玉じゃ絶対感じられないもんね。だからかな、私海すっごい好きなの」

「久しぶりだったけどやっぱり海は良いね。大きくてさ、なんか……優しいって思うな」

「お?中々に詩人ですな。そういう話だよ」

「何が?」

「女の子が喜ぶ話し」

「まだ言ってんのかい?まいっちゃうな」

「メタルなんとかってゲームの話しの1万倍マシだよ。ここに一緒に居るんだなって相手に思わせるのが大事だよ。一緒に来れた事に意味があるんだもん」

「そういう事ね……」


 遠くからだと凪いで見える海辺を眺めながら純は息を呑み、そして言った。


「また……来たいな」

「うん。また来年……皆で来ようね」

「皆でね……そうだね。また来年、ここに来よう」


 純は自分の遠まわしな言葉の弱さを潮の匂いを吸い込み、誤魔化した。大きな海の前では、どんな想いの言葉も小さく聞こえてしまうかもしれない。なら、きっと今の想いは飛び出た瞬間にすぐに消えてしまったのだろう。

 そう思い、純は少し笑った。


 夕暮れが差し迫り、帰りの準備をしていると良和の姿が何処にも見当たらなかった。

 駐車場は数え切れない程の人でごった返しており、すぐに見つけるのは容易では無いはずだった。

 しかし、良和はすぐに見つかった。

 駐車場の水飲み場で片方の足を高く上げ、丸出しにした陰部を水で洗い流していたのだ。

 行き交う人々が小さな悲鳴を上げながら良和の横を通り過ぎていく。

 良和を見つけた岳と佑太は、公共の水飲み場で堂々と陰部を洗い流す良和とその周りで怪訝な顔を浮かべる人達を見るや否や、手を叩いて大笑いした。

 岳が「ついに狂った!」と腹を抱えて笑っていると、良和が泣き出しそうな顔をしながら叫んだ。


「ちげーんだよ!金玉……クラゲに刺されたん!スゲー痛い……マジで痛い……」


 良和の悲痛な叫びも虚しく、佑太が良和の陰部を覗き込むと更に笑った。


「金玉が!金玉がヤベー!何かこういう喉の鳥いるよな!?あー!はっはっはー!」

「笑い事じゃねぇん!助けて!」

「無理!先、車行ってっから!あー!面白い!」

「どんどん痛くなってんだよ!あー……マジで痛い……」


「金玉刺された」と苦痛の表情を浮かべながら戻って来た良和に一同は笑いに包まれたが、車に戻ってもしばらくは痛みの為に唸っていた。

 元々体力の無い岳は車に乗り込んでから発進するまでの間に既に眠りに就いていたが、苦痛に喘ぐ良和以外のメンバーは海での出来事を楽しげに話し合っていた。


 国道8号線。純の目に映る青い景色は、目を閉じてもすぐに同じように浮かんだ。

 どこまでも青く、どこまでも続く青だった。

 それはいつか、空と繋がってしまいそうな気さえした。

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