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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
120/183

海へ

真夏のある日。茜は彼氏と別れることになる。熱を出して買出しに行けなくなった岳の代わりに買出しに行った良和と猿渡が買って来たものとは。そして彼らは海へ向けて出発する。

 海へ行くことが決まった翌日。純はある想いを抱えながらその場所へと一人で足を運んだ。

 店へ入るとすぐ、カウンターに立つ中年女性に声を掛ける。


「あの……すいません」

「はい。一名様でよろしいでしょうか?」

「いや。違うんです。あの……瀧川さんは居ますか?」

「あぁ……」


 そう言うと女性は純に向かって丁寧に頭を下げた。


「申し訳ございません……。瀧川は今年の二月に辞めてしまいまして……」

「あ……そうなんですか……。すいませんでした」

「何か急ぎの用事だったなら……店長なら瀧川さんの番号分かるかしら……」

「あぁ、いえ。知り合いだったもので……結構です」


 純は抱えた想いを降ろせなかった事に唇を噛みながら店を出る。純をせせら笑うように昇る太陽がその背中に鈍い汗を滲ませると、純はシャツの胸元を開けて頼りない風を招き入れた。


 茜が深夜のクラブで踊っていると、一緒に来ていたはずの彼氏の姿がいつの間にか消えている事に気が付いた。騒音と薄暗い店内、人の群れ。

 辺りを幾ら見回してもその姿は見当たらない。

 外に出たのかと思い携帯を取り出そうとすると、その手を誰かに掴まれた。

 彼氏かと思い、微笑みながら顔を上げると見覚えのない男だった。


「可愛い笑顔じゃない!ねぇ、一人ぼっちなの?お兄さんと一緒に飲もうよ!」

「放っといて!」

「何カリカリしちゃってんのよぉ!笑った方が可愛いよ?ハッピーハッピー!」


 茜はその腕を振り払うとトイレへと駆け込んだ。

 人垣を掻き分け、トイレへと続く角を曲がるとそこに彼氏の姿があった。

 暗がりの中で金髪の女性と抱き合っている。

 茜は堪らず彼氏の肩を掴むと、振り返ったその顔を思い切り引っ叩いた。


「最低だよ!居ないから探してたのに!」


 彼氏は金髪の女を突き放すと頬を抑えながら茜に向き合う。


「……だよ。んなの」

「はぁ!?何!?聞こえないんだけど!」


 四つ打ちの騒音は彼氏の言葉を搔き消す。茜の耳元に唇を寄せ、彼氏が言った。


「あんなの遊びだよ。本気でも何でもないし、そんな怒るなよ」

「私がここにいるのに、そういう事平気でするんだ?信じらんない!」

「はぁ?なら言わせてもらうけどさ、おまえだって最近地元帰って遊んでんだろ?」

「皆ただの友達だから!幼馴染だし。やましいことなんか一個もない!」

「本当かなぁ?」

「何が言いたいの!?」


 彼氏は咳払いをすると、楽しげな顔で茜の耳元に話し掛けた。


「純って誰?」


 純という単語に茜は思わず身構えた。


「ドライブ楽しかった?教えてもらったカミナリ家族も良かったろ?」

「なんで知ってんの……」

「ヒップホップだったら俺でも分かるんだけどな」

「携帯見たの?」

「俺、彼氏だぜ?悪いかよ」

「最低……。マジ純君とは何でもないから!でも、あんたよりずっといい奴だよ!」

「あっ、そうですか」

「もう連絡して来ないで。バイバイ」

「何だよそれ!テメーふざけんなよ!おい!待てよ!」


 茜は人垣を押し退けながら出口へ向かうと、振り返る事なくそのままクラブを出た。

 言葉だけで追い掛けて来る様子のない彼氏に愛想を尽かすと、それまでの思い出よりも真っ先に純の事を思い浮かべた。


 翌日、介護施設での仕事を終えると茜はふと純が気になった。特に用事は無かったが、電話を掛けると純はすぐに出た。


「もしもし?どうしたんだい?」

「お疲れ」

「あぁ……お疲れ」

「純君、もう水着買った?」

「あぁ、この前佑太達と買いに行ったよ」

「どうせしまむらか何かでしょ?」

「違うよ!翔君が「何をするにも形から入った方が良い」って言うからさ。熊谷のスポーツなんとかっていうちゃんとした所で買って来たんだよ」

「へぇ。まぁ翔らしいけど感謝しなね。ダッサイ男と海なんか行きたくないから」

「じゃあブランド名がでっかくプリントされた水着とかなら満足かい?」

「それはダサイってよりも最低」

「ははは。水着だったらダサイとかカッコイイの前にさ、ヨッシーが裸で海入らないかどうかの心配した方がいいよ」

「あー……それは言えてるわ。そうだ、がっちゃん買出し行ってくれるんでしょ?」

「あー。何か高熱出して寝込んでるみたいで、買出し無理だって」

「弱っ!なんでいつもあんなに具合悪いの?がっちゃんって実は死んでんじゃない?」

「心臓止まってるかもしれんよね」

「え、じゃあ誰が買出し行くの?」

「ヨッシーと猿渡」

「えぇ!?絶対変なもんしか買わないでしょ!?ちょっとそれは止めさせてよ」

「いや、もうがっちゃんクーラーボックス渡しちゃったって」

「えー!マジで?嫌だなぁ……よりによってあの二人なの?」

「そうなっちゃったんだから仕方ないよ」

「はぁ……嫌な未来しか想像出来ない。ねぇ、純君今何してんの?」

「え?バイトまで暇してるからゲームしてたんさ」

「またゲーム?ねぇ、暇ならご飯でも食べ行かない?」

「あぁ、いいよ。迎え行こうか?」

「当たり前じゃん!」


 それから三十分後。見慣れたミラの助手席に乗り込むと純が「どっちがいい?」とシフトレバーを指差した。

 茜はオレンジ色を指差した。

 純と舐める二回目のチュッパチャップス。酸味の中にも柔らかな甘みが広がる不思議な味だった。


「純君さぁ、今度一緒にツタヤ行かない?現物見ながらオススメ紹介してよ。自分で借りるからさ」

「あぁ、いいよ。何なら今から行くかい?」

「ううん。いいや……。今ちょっと音楽聴く気分じゃないんだ。ヒップホップは特に」

「え?何故……?」


 茜は窓の外に目を向けると純の質問には答えず、違う質問を純に投げ掛けた。


「ねぇ、純君はヒップホップ好き?」

「そりゃまぁね。こんな格好してたら分かるっしょ」


 斜めに被ったキャップ。オーバーサイズのシャツにダボダボのパンツ。ティンバーランドの靴。

 茜は純を上から下まで眺めると思わず噴出した。


「純君に聞くだけヤボだったね」

「高校からずっとだもん。ヒップホップは好きだなぁ」

「その好きぃ!って気持ちさ、誰にも負けない?」

「まぁ、その変のニワカには負けないかな」

「じゃあまたいつか聴こっと。その時また教えてよ」

「え?まぁ、いつでもどうぞ」


 純には茜がヒップホップをしばらく聴かないと言った理由が分からなかった。しかし、いつかまた茜に好きなアーティストを紹介出来る楽しみが増えた事に気を緩めた。

 茜は純の「ニワカには負けないかな」という言葉に何故か安堵した。自分の最も弱くて触れられたくない部分を、僅かに救われた気持ちになった。


「がっちゃん!買って来た!ほら!見て!こんなにいっぱい!良かったんねぇ!」

「が、がっちゃんが飲むと思って、ほら!ぎゃははは!いっぺー買って来た!」


 口を開いたクーラーボックスの中はブラック珈琲で埋め尽くされていた。布団の上で半身を起こした岳は咳き込みながらその場に倒れ込んだ。二時間前に測った体温は39.6℃だった。


「……ふざけんなよ……マジで珈琲しか入ってねぇじゃんか。海に行くの俺一人じゃないんだからさぁ……」


 岳の言葉に猿渡は困惑した表情を浮かべる。岳に向けた一世一代の冗談のつもりだったのだろう。岳は笑う所かその場に倒れ込み本気で不機嫌そうな表情を浮かべている。

 良和は猿渡の隣でその行動をフォローする。


「がっちゃん、違うん!猿渡は「がっちゃんが喜ぶ」って思って珈琲選んだん!店の人に言って裏からも在庫持って来てもらったんだよ!」

「なんのつもりの冗談だよ……俺だけが行くんじゃねー……ってか熱下がらなかったら明日行かないからな……。珈琲持ってっておまえら海で佑太に怒られて来いよ」

「何で!?がっちゃん行かないの!?珈琲無駄じゃん!」

「珈琲の心配より……明日俺に行って欲しいならマジで帰ってくんねぇかな……」

「分かった。明日絶対治ってるから大丈夫だよ。気にしない方がいいで。猿、もう行こう。感染るで」

「本当……おまえらひでーな……」


 翌日深夜。岳は約束の時間いっぱいまで眠ると、不思議な程に具合が良くなっている事に自分自身で驚いた。熱はもう完全に平熱にまで戻っていた。

 茜と千代。佑太と純と岳。翔と良和と猿渡。

 8人は深夜、新潟へ向けて出発した。

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