諍い
不安を抱きながらも生きる彼ら。純の事で諍いを起こす茜と佑太。それを聞きながら純は…。
佑太は岳を乗せて末野のアパートへ向かっている。純の茜への気持ちを確かめる為、岳を引き合いに出した事をどこか楽しげに報告する。
「ていう事で、がっちゃんは今森下狙ってる事になってっから!」
「佑太、マジで勘弁してくれよ」
「いや、このままじゃダメだって!」
「放っておこうぜ?なぁ……」
佑太は純の茜への想いに気が付いていた。平静を装い、それをあからさまに否定する純の態度に苛立ちを感じたのだ。
「これから純君と会うんだぜ?俺どんな顔すればいいの?」
「そうだなぁ……「恋敵」って感じで良くない?」
「馬鹿じゃねーの?あー……もう……」
「フォローすっから!な!?純にもいい加減ハッピーになってもらおうぜ!」
「何か俺だとナマナマしいだろ……森下の事、昔好きだったし」
「だから良いんじゃん!純に本気出させようぜ!」
「嫌だなぁ。あーあ」
ダイニングの片隅、純はまるで何かを忘れ去ろうとしているようにポケットゲームのテトリスを一心不乱に操っていた。
見かねた良和が純に声を掛ける。
「純君、俺のオリジナルラーメン食べる?「グマイ」店の味再現したん。すっげー臭くて「グマイ」んよ」
「いや。いい」
「そう。なら、いいか。純君、なんか妖怪みたいだで。妖怪「ポケットテトリス」」
「妖怪?……そうかい」
「ははは。こりゃしょうもねぇや」
表情がまるで浮かばない純に、良和は乾いた笑い声を漏らす。画面に俯いたまま顔を伏せる純は、玄関のドアが開く音に顔を上げた。岳の姿を思い浮かべると自然と身体が硬くなり、唾を飲み込む。
しかし、そこへ現れたのは茜と千代だった。
茜がおみやげの袋を良和に渡しながら純を眺めて叫ぶ。
「うっわ!くらっ!そんな隅っこで何してんの!?」
「いや……うん。放っといてくれん?」
「病気になるよ!病気!あれ、他の暗い人達はまだ来てないの?」
靴を脱ぎながらそう訊ねる茜に良和が「もう来るよ」と答える。千代が靴を脱ぐと「がっちゃん別に暗くなくない?」と言うと、茜は絶叫した。
「はぁ!?「激くら」じゃん!」
「えー……そっかなぁ……?」
「あんな変態、絶対暗いから!」
「そう?この中だったら割と明るいと思うんだけどなぁ」
千代がダイニングに上がると片隅に座る純を見て「今日はまた一段とひどいね」と声を掛ける。良和は笑みを浮かべ、キッチンを指差して千代に話し掛ける。
「千代さん、千代さん。「グマイ」ラーメン食べる?」
「え?絶対要らない」
「何で誰も食べねぇん……グマイのになぁ……」
「だって何入ってるか分からないもん」
「ただのラーメンだよ」
「いや、怖いから遠慮しとくね」
「はぁ……残念……」
しばらくして佑太と岳、翔、猿渡が揃う。各自勝手に飲み始めたり談笑を始めたりしていたが純は一言も発さず、時折画面から目を外しては岳を眺める。
細身の金髪に少し彫りの深い顔。失くした眉毛。見飽きたはずのその横顔に、純は酷く緊張を覚えてしまう。
すると、岳が純を振り向いた。
一瞬目が合ったが純は目を伏せた。立てた膝の上に腕を乗せたまま、岳は純に話し掛ける。
「どうしたん?今日やけに暗いじゃん」
「あぁ……まぁ。うん……」
「何やってんの?ゲーム?」
「テトリス」
「ふーん……」
岳は顔を戻したが他の会話に混じる事なく、何か思案し始めた様子だった。岳は立ち上がると佑太の肩を軽く叩き、二人で和室へと消えて行く。
純は束の間の安堵を覚え、ポケットゲームを手離すと目を擦った。集中し過ぎたのか、視界がぼやける。
しかし、他の誰かの会話に混じる事なく純は再びゲームに目を落とした。
岳は襖を閉めると畳の上に座り、佑太と向き合った。
「佑太。純君ヤバくなってんじゃん。もうバラしてもいい?」
「いや……もうちょっと待とうぜ?」
「何でだよ」
「あいつに自分から「行く」って事を覚えさせないとさ、あいつは成長しねぇよ」
「だからってあんな状態で行けると思う?一回篭ったら純君はとことん篭るぞ。高校の時も、卒業してからも、本当酷かったんだぜ?」
「そりゃまぁ……知ってるけどさ。知ってるから変えてやりたいんじゃん」
「成長とか変えてやるとか……俺は別にそんなつもりないよ。そんな偉い人間でもないし、純君の事格下みたいに思った事もないよ」
「じゃあさ、現状どうなん?あいつはまた自分の世界に引き篭もろうとしてんじゃん。ここに居る奴らは皆それぞれ悩み抱えてると思うぜ?ホラ吹きの猿渡にしたってさ。それでも誰かと関わり合いながら変わろうとしてんじゃん」
「純君だって少しずつだけど変わっただろ?何でそれを見ようとしねぇんだよ。急がすなよ」
「このままだといくら時間があったって足りねぇ!遅過ぎんだよ!」
「早いか遅いか、それを決めるのは佑太なん?純君本人なんじゃねーの?」
「じゃあ敢えて言うよ。ハッキリ言わせてもらう。いつまでも立ち止まってんのはあいつだけだろ?違うん?がっちゃんだって分かってんだろ?なぁ!?だったら手を差し伸べるのが友達なんじゃねーの!?」
「デケェ声出すなよ。聞かれたらどうすんだよ」
「あ?聞かれたって構いやしねぇよ」
「この集まり……最初皆で「集まりたい」って言ったん誰だっけ?」
「…………がっちゃん……?」
「違うだろ。純君だろ」
「……あぁ……まぁ、そっか」
「変わっては来てるだろ?」
「そうだけど、なんかさぁ……苛々すんだよ。分かってるけどさ……」
「少しは純君を信じてやろうぜ。自分でどうにかする日が来るよ」
「俺は……どうだろ。想像出来ない……」
岳はそう言って溜息をつく佑太の肩を叩く。二人は和室を出てダイニングに戻ると新しいビールを開けた。ビールを一息に飲んだ佑太は立ち上がると純のポケットゲームを毟るように取り上げ、甲高い怒鳴り声を上げた。
「隅っこでこんなんばっかやってんだったら帰れよ!何の為にここに居るん!?」
「………………」
一同は佑太の行動に一瞬、静まり返る。ゲームを取り上げられた純は体育座りのまま、顔を膝の間に埋めている。岳は佑太の行動を咎めなかったが、茜が反射的に声を上げる。
「佑太!何してんの!?」
「何じゃねぇ!こいつが何してんだって話だろ?」
「いいじゃん!楽しみ方なんか人それぞれなんだからさ!」
「こんなもん家でも出来るだろ!こいつはただ一人でいる自分を見て欲しいだけなんだよ!」
「なんでそこまで言うの!?純君、気にする必要ないよ!」
二人のやり取りを見ばがら良和と千代は「あちゃー」と言いながら目を合わせる。翔は「まぁ……一理あるな」と呟くと猿渡が眺めているノートパソコンに横から手を伸ばし、そっと画面を閉じた。
「おまえら甘やかし過ぎなんだよ!特に森下がよ!」
佑太の言葉に純が思わず顔を上げる。甘やかされている?そう思うと純は胸の底に微かな怒りが芽生えたのを感じた。
茜は佑太を睨みながら言う。
「それ、どういう意味?」
「どうもこうもねぇ!」
「あんたが何も知らないだけじゃん!私は純君を甘やかしてなんかいないよ!」
「おまえが守るからこいつはいつまでもそのままでいいやって思っちまうんじゃねーの!?」
「いい加減な事言わないでよ!」
純は自分が原因で起こった諍いに耳を塞ぎたくなった。怒りは自分自身に対して湧き起こったものだと思うと、何か言わなければならないと焦りを感じ始める。
指が震えたが何とか喉を振り絞る。
「あのさ……もういいよ……」
微かなその声に、茜と佑太は黙り込む。佑太は肩をすくめ、座り直す。茜が溜息をつくと静かな怒声が響いた。
「良い訳ねーだろ」
岳は純を見据えながらそう言った。そしてそのまま純に近づく。純は後ずさりたい衝動に駆られたが背中に壁がある為に逃げ場が無かった。
「森下。皆に話したい事あったんじゃねーの?」
その言葉に茜は「そうそう!」と笑顔を取り戻す。
「実はさ、皆で海行きたいなぁって思って!賛成の人ー!」
「はーい!」
佑太が絶叫しながら手を上げると、その場は一気に盛り上がった。猿渡が「お……俺も……行ってもいいぜ」と呟くと千代が
「パソコン持って来たら海にブン投げるからね!」
と怒りを滲ませる。その怒りの圧力に負けた猿渡は「お……おう。持って行かないよ。約束する……」と素直に従っている。
まるで修学旅行の相談をするように、一同は行き先などを含めて楽しげに話し始めた。
岳は純の傍に座ったまま、その耳元に小さく語り掛ける。
「純君さ、海行くでしょ?」
「あぁ……なんか、皆で海とか絶対楽しいだろうね……行きたいな」
「佑太……さっきああ言ったけど気にすんなよ。昔っからあぁいう性格だしさ」
「まぁ。そうなんだけどさ……皆に悪いなぁって思ってさ……」
「だったら自分の言った事思い出してみ?「皆で仲良くやりたいだけ」って。そう言ったん誰?」
「ははは!俺だ!」
純は自虐をくすぐる岳の言葉に思わず笑い声を上げる。岳に対してとことん嫌な性格だ、と純は感じながらも笑ってしまう自分が居た。
「純君のお願い聞いてさ、佑太とヨッシーの間を取り持った俺の貸し、ちゃんと返してくれよ」
「あれって貸しになるんかい?」
「当たり前だろ!ふざけんなよ!すっげー利息溜まってるからな。俺の貸しの利息は闇金並だぜ」
「早々簡単には返せなそうだな……まぁ頑張ってみるよ」
「一生掛けて返せよ。まぁゲームすんのもいいけど、皆と話すのもここじゃないと出来ないでしょ」
「そうね……確かにそっか」
目の前に目を向けると茜が真っ青な顔で千代と何か言い合っている。
「海行くって私言い出しっぺだけど、考えてみたらこいつらに水着見せるって事じゃん!」
「茜!どうしよ!?佑太絶対変な事するでしょ!?」
佑太は千代を指差しながら叫ぶ。
「はぁ!?ふざけんなよ!するに決まってんじゃん!」
「最低!」
純はそのやり取りを眺めながら微笑み、足を崩しながら岳に言った。
「がっちゃん、何か飲み物あるかさ?」
「冷蔵庫に稲村ジュースがあったかな」
「サンガリアね。オッケー」
自分の目に見ない所で何が起きているのかは誰にも分からない。ただ、目に見えているものが一体何なのか。純はその夜、少なくとも自分の目に映る光景を少しでも理解する事に徹した。




