ベッドの中
酒が苦手な純はその日、気分良くアルコールに手を出した。気分が悪くなり休んでいたベッドの中で、純は茜の温もりに再び出会う。
「いてぇ…いてぇ…あまりもいてぇ…」
青柳は岳に聞こえるようにそう独り言を呟きながら廃棄寸前のいくつもの弁当をスキャンし、会計ボタンを押す。
「今週はこれでもう3万オーバーです…。オーナーはん…どんな発注してはるんやろうか…。ワシは心配でなりませんよ。しかし、あまりにもいてぇ…」
岳は搬入されたヤングマガジンのグラビアを眺めながら吐き捨てるように言う。
「だったら買わなきゃいいじゃないですか」
「いや…オーナーに気付かれないように日々売り上げを立てるのがワシが出来る最大の貢献ですので」
「貢献ねぇ…奴隷じゃないんだから…」
青柳は常連客を何度も怒らせた事で先日ついにオーナーから呼び出され、ボロクソに説教されていた。
「あんた口も臭いし汚いしくどいし、せめて見た目だけでも何とかならないのかよ!?大事なお客さん何人も怒らせてさぁ!この店にとってあんたが一番のマイナスなんだよ!いい加減辞めてくんねぇかな!?がっちゃんもいるし、翔君だっているし、あんたなんか居なくても回るんだからさぁ!」
「オーナー…そんな殺生な…ワシにチャンスを下さい!お願いですから!」
「もう俺、あんたと話してるだけでもイライラしてくるんだよ!」
「すいまへん!改心しますさかい…許して下さい」
「本当にもう…せめてお客さんからクレーム来ない接客だけしてくれさえすればいいから!頼むよ!」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
一番のマイナス。そう言われた青柳は稼いだ金で廃棄弁当を買い取る事で、せめて店での居場所を確保しようとした。
別日に翔は岳と同じような目線で青柳を眺めていた。
「いてぇ…いてぇ…これはワシは本当は食べられへんのです…最近は廃棄弁当の食いすぎで胃もモタれてしまって…。あぁ…いてぇ…」
「あの…」
「はい?何でしょうか…?」
「何してんすか?」
「廃棄を買い取ってますが…何か?」
「そうですか…まぁ…勝手にどうぞ」
「弁当はオーナーに見つからんようにワシのバイクの横に置いておきますさかい。オーナーには言わんといて下さい」
「………」
岳と翔は青柳の話で盛り上がっていた。
「あいつ馬鹿だよ。あんな馬鹿初めて見たよ」
「何が「ワシは明治大学卒業です」だよな。明大の恥だろ」
「あの馬鹿のせいで一年本当無駄にしたわ。最大の汚点だぜ」
「「チーフ」って自分の名札にマジックで書く馬鹿いるかね?」
「いねぇいねぇ!あの店で最低時給で働いてんのあいつだけだろ。それが馬鹿の証拠じゃん」
「ちょっとー!」という茜の声と千代の「やぁだー!」という声が部屋に響く。風呂場の扉が開くとバスタオルを忘れた良和が裸のままダイニングを横切った。秘中の秘がバレ、何も恐れるものが無くなった良和はアパートの中では自由奔放を絵に描いたような行動を取るようになっていた。
純が「相変わらずデケェ」と良和の股間に目を移して笑う。
その日は週末とあって佑太や矢所を含めたいつものメンバーの他、彰の姿もあった。
酔った彰がおもちゃのハンマーを手に取る。
「季節外れのせっつぶん!美女はーうち!ブスはー外!」
そう言うと勢い良く矢所の頭をハンマーで叩く。「ピコッ!」という音と共に矢所の「何すんだよ!」という叫び声が部屋にこだまする。
彰は負けじと矢所を指差す。
「だってよぉ!ブスじゃねーかよ!鏡って知ってる?あれ、すげー便利だから使った方がいいで」
「ちょっとマジでムカつくんですけど!」
「あームカつけムカつけ!騒げ騒げ!」
茜が「ひどーい!」と言うが彰は気にする様子もなく「で、茜ちゃんいつヤラせてくれんの?」と絡む。皆はその様子を笑いながら眺めていたが純は思わず顔を顰めてしまう。
すると純がテーブルの上に目を向けて言った。
「がっちゃん、俺さ、今日飲んでみよっかな」
「えぇ?大丈夫かよ」
純は以前から酒が弱く、飲むと必ず具合を悪くしたり起きなくなったりする体質だった。
「今日は楽しいからいいかなぁって。何か甘いのないかい?」
岳は冷蔵庫を開けると純にコークハイの缶を手渡した。
「度数わかんねーけどコレでいいんじゃん?」
「おぉ、サンクス。あ、これ飲み易くて好きだわ」
純は飲んですぐに身体が浮くような感覚を覚えた。酔う事にあまり慣れていない純だったが明日の予定も特になかった為、飲める所まで飲んでみようと思い始めていた。
夜が更け始めた頃、良和と彰と佑太が口を揃えて言った。
「せーっの!女は!食い物でーす!」
そう言って大笑いする彼らに茜と千代は憤怒した。
茜が彰を指差して叫ぶ。
「女の子は食べ物じゃありませんから!ってか、食えねーし!」
「食いもんだよ!女は食えるって!」
茜の訴えに千代が加勢する。
「そんな考え方してたらモテなくなるよ!いい!?女だって人間なんだよ!?」
「ちげーよ!食いもんだよ!」
「馬鹿じゃないの!?私そんな男に身体預けるなんて絶対!死んでも!無理!」
「無理じゃねーから!マジだから!食えっから!」
「ふざけないでよね!もう本当この人達ヤダ!ねぇ茜!私達も言ってやろうよ!」
すると今度は茜と千代が口を揃えて言った。
「せーっの!女の子は食べ物じゃありませーん!」
すると彼らは立ち上がり「食い物だよ!」と反論する。茜は「男の子の世界って本当イヤ!」と耳を塞いだ。
純は最初のうちこそはそのやり取りを楽しげに眺めていたが、次第に景色が回り始めている事に気が付いた。少し頭を動かすだけでも風景が回り出す。
熱がどんどん頭に上がる感覚がして息が荒くなる。
身体の不調を誰にも悟られまいと嬌声の中を潜り抜けると一人和室に向かい、ベッドの中へと潜り込んだ。
茜は急な眠気を感じて少し横になろうと電気の消えた和室へ向かった。ベッドを見ると誰か入っているようにも見えたが構うことなく潜り込んだ。
するとやはり誰かがそこで眠っている事に気付く。茜が顔を覗き込むと辛そうに荒い息を吐いている純だった。
純の身に何かが起きてると思い、茜は一気に眠気を醒ました。
「ちょっと…純君!大丈夫!?」
純は何とか薄目を開けると、ベッドの上に四つん這いになり自分の顔を覗き込んでいるのが茜だと気が付いた。
何か声を掛けられていたのに気が付いたが、上手く反応が出来ない。
すると、茜は純が過呼吸気味になっていると思いその背中をゆっくりと摩り始めた。
「純君…大丈夫だからね。ゆっくり、息を吸って…吐いて。ゆっくり…」
「…した…森下…」
「ここに居るから大丈夫…大丈夫だよ」
純は背中を摩られながら中学校の頃、同じように教室の片隅で茜に背中を摩られた事を思い出していた。転校間もない頃、教室の中に自分の居場所が無いと感じた純は掃除の時間中に今と同じように過呼吸を起こして座り込んでしまった事があった。その時、真っ先に純に気付き純の背中に触れたのは茜だった。
皆に悟られまいと茜は静かに「大丈夫…」と純の耳元で語り掛け、背中を摩り続けた。
その日から純の中に茜が芽生えた。
柔らかく温かな熱は純の背中に憧憬を伝え続け、やがて純の中の想いを浮かび上がらせた。
半開きになった襖の向こうから騒がしい声が聞こえてくる。その声はすぐ近くなのに、まるで彼らとは無関係だと思える程にここは遠く、静かで、そして二人きりだった。
背中を摩り続ける茜は、その背中が大きくなっているを感じていた。中学生の頃に同じように背中を摩っていた事を思い出すと、純を守りたくなるような気持ちに駆られた。
酒交じりの純の呼吸も、音も、背中も、きっと乱雑に扱ってしまったらすぐに壊れてしまう。
このまま、少なくとも今だけは誰にも邪魔はされたくなかった。
茜はベッドの中に潜り込むと、静かに純の背中を摩り続けた。純の呼吸はやがて落ち着き始め、ゆっくりと息を吸う音が布団の中に漏れた。
純は目を瞑ったまま、背中を摩る茜の手首を肩越しに掴む。意外な程に力の篭ったその手に、茜は何故か抵抗する事が出来なかった。
純の熱が茜の手首に伝わる。それはまるで純の意思そのもののようで、茜は抗う事を忘れてしまう。
すると純は茜の胸に額を押し当て、大きく息を吸い込んだ。
「もう少し…このままで居てくれない…?」
純の言葉に茜は「いいよ…大丈夫だよ」と小さく答える。純の身体の熱が茜の身体全体へ伝わって来るのが分かる。二人の息が温度を上げる布団の中が、汗ばんだ首筋から放たれる熱が、互いを知らしめるようにそこにはあった。
岳と良和が「ザクとは違うのだよ!」と叫びながら襖の前を横切り、翔が「三倍のスピードで追いかけるぜ!」と過ぎて行く。洋間に向かったようだった。こちらに気付く様子が無い事に茜は安堵する。
これだけの人が集まる場所で、純は茜だけに伝える為にその声を振り絞る。
「森下…」
「うん…?」
「………」
「どうしたの…」
「もう少しだけ…」
「うん…」
ほんの僅かに抱き締め切れない二人の距離を、熱が埋めていく。
すると純が微かに笑いながら言った。
「こんなに落ち着くの…生まれて初めてだ。人の温もりってさ…こんなに安心するんだ…」
「…そんなの…言われたの初めてだよ…」
純のあまりに素直な言葉に茜は気恥ずかしさを覚えたが、純の息使いを布団の中で聞き続けていた。
あれほど頼りないと思っていた純と、何故かもっと触れ合いたいと茜は思い始めている事に気付く。近づき切れない距離に、純の自信の無さを感じるとそれは尚更茜の想いを強くさせた。
その時、勢い良く襖が開かれた。パシン!という音と共に影が浮かび上がる。
「あー!セックスしてるぅ!!であえであえー!」
突然の彰の掛け声に、アパートに居た者全員が一気に和室に雪崩れ込んだ。電気が点けられると、千代の「嘘ぉ!!」という絶叫が部屋に響く。茜と純は何も応えず布団の中に身を隠したままだったが、はしゃいだ彰と佑太がその上に覆い被さり腰を振り始める。
岳と翔はそれが純の方からの誘いだと思い込み、意外な程に大胆な行動に度肝を抜かしていた。
茜が「やめてよ!」と絶叫したがしばらくの間、そのどよめきは続いていた。




