月が笑う
「三人組」の登場にパニックに包まれるアパート。岳がその対応をする間、良和はさらなる別の危機に晒されていた。
玄関のドアを叩く音は鳴り止まず、アパートの中に残された者達はパニックに陥っていた。
家主である「良和」不在の中、稲村は洋間へと逃げ込んだ。
「おい!居るの分かってんだよ!出て来いよコラァ!」
誰かが思い切りドアを蹴飛ばし、微かに床が振動する。
純は茜達を和室の奥へ逃げるように誘導する。猿渡が「まだがっちゃん来ねぇん!?まだなん!?」と騒ぐ。
千代が「静かにしてよもう!」と苛立ち、猿渡を睨みながら言う。
「猿渡!男だったら何とかして来てよ!そのパソコンで戦って来てよ!」
「む……無理に決まってんだろ!い、いざとなったら俺は窓開けて飛び降りるぜ……ははは!」
「最低!本当最低!ねぇ、良和君達まだ戻って来ないの!?ヤバイよ茜……」
「もうすぐ来るから、千代ちゃん……大丈夫だよ!純君、がっちゃん何とかしてくれるかな?」
「大丈夫……がっちゃん来てくれたら何とかしてくれるよ。和室から出ないでちゃんと隠れてよう」
「分かった……早く来てくれないかな……」
「俺……稲村の所行ってくる」
「大丈夫?」
「鍵開けなきゃ大丈夫だよ」
純はドアを叩く音の響くダイニングを抜けると洋間へと滑り込むようにして移動した。
「稲村……大丈夫かい?」
「あぁ……純君。大丈夫……っていうか、本当ごめん。迷惑掛けちゃって……」
「大丈夫だよ。あと少し我慢すればがっちゃん来てくれるからさ。しかし……なんでこういう時に佑太は居ないんだろうね……」
佑太は日頃酒が入ると「何かあったら俺が守ってやっから!」と豪語していた。しかし、その佑太は仕事の為に運悪く不在だった。同じように酒が入ると「族に絡まれてようがボコボコにされようが俺は絶対助けてやる」と豪語していた岳だけが頼みの綱だった。都合よく彰でも現れてくれたら……と願ったが平日深夜にその望みが叶う可能性は限りなく低かった。
アパートに近づくにつれ、岳は猛烈な緊張の為に胃がキリキリと痛み出していた。震える手が止まらず、顔を殴られるのだけは何とか避けたいと交わし方をあれこれ考えていた。
ステージに立つ時とはまた違う緊張だったが「始まってしまえば後は終わるまで全力で」というライブのモットーを思い出すと覚悟を決めた。
末野陸橋を通り過ぎ、いよいよアパートへ近づくと見覚えのないシーマが駐車しているのが見えた。岳がポツリと呟く。
「あれ悪者の乗り物じゃん」
「悪魔の乗り物だよ!家壊す気満々じゃん!」
良和は車を停車させると真っ先に車を降りた。本当にアパートが壊されるのではないかと、気が気ではない様子だった。
車を降りる直前に岳が仲邑に言う。
「仲邑。稲村庇ってやれ」
「がっちゃんさん、分かりました!」
電気を消した和室で固まりながら良和達の到着を待っていた茜達は、駐車場に車が入ってくる音を聞くと和室の窓を全開にした。
岳が降りてくるのが見えると、安堵した茜と千代が大声を出す。
「がっちゃん!早く助けて!」
岳は片手だけ上げて反応すると良和と仲邑と共に階段を上がって行く。心臓が激しく波打つ。
階段を上がると見覚えのない柄の悪い三人組が良和達を睨んだ。
良和は手刀を切りながら「すいません」と言いながら鍵を開け、仲邑と共にアパートの中に入る。
一人取り残された岳は平静を装い煙草に火を点け、三人組と対峙する。すると、不思議なほど心が穏やかになっていくのを感じた。向き合ってしまえば意外な程冷静でいられたのは全身刺青だらけのバンドや、身体中穴だらけのメンバーが居るバンドと共に日々ステージに上がっていた影響が大きかった。
彼らに比べれば目の前に立つ坊主にサングラス、犬のマークのついたジャージ姿の男は酷くチープに思えた。
男が口を開く。
「おめぇ誰だよ」
過剰に反応せず、岳は丁寧なほどの自己紹介をする。
「稲村の地元の先輩の猪名川っていう者です。あなた達は何なんですか?」
「俺達は…………稲村と普段遊んでる仲間だけど……」
「で、何で来たの?」
「今日あいつと遊ぶ約束してたのに、聞いたらこっち居るって言うから」
「それで?」
「ムカついたんで……返してもらおうと思って来たんだけど」
「本人がこっちの方が楽しいって思ってるからこっちに来たんじゃないの?」
岳の言葉に三人組は顔を見合わせ「どうする?」と囁き合い始め、岳は急激に間が抜けた思いになる。
「あのさ……普段皆どこで遊んでんの?」
「深谷っす」
「へぇ……何だったら上がってく?」
「いや……今日は帰ります。次、遊ぼうって稲村に言っといて下さい」
「分かったよ」
そう言うと三人組はシーマに乗り込んで帰っていった。岳がアパートへ入ると何やら騒ぎが起きていた。
関口が「うわー!」と絶叫し、散乱した本を千代が拾い上げると「えぇー」と小さな悲鳴を上げた。
和室に逃げ込んだ彼女達は岳が三人組の対応をしている間、何気なく押入れを開けようとした。そこへ仲邑が現れ、咄嗟の判断でその前に立ち塞がった。
それを怪しんだ茜が仲邑を睨みつける。
「ちょっと!仲邑!どいて」
「いや、ここはプライベートなんで。すいません」
「仲邑の部屋じゃないでしょ?どいて!」
「いや、ちょっと!やめて下さい!ちょ……」
仲邑の制止を振り切った茜達が押入れを開けると、そこから無数のエロ本やビデオが転がり落ちて来た。
その音を聞くと良和は洋間の稲村を純に任せ、和室へと駆け足で向かう。
散乱した桃色や紫色の本やビデオを彼女達はしばらく無言で眺めていると、仲邑が申し訳なさそうに顔を歪ませて言った。
「ヨッシー……ごめん!守り切れなかった……」
良和はショックのあまり口をすぐに開くことはなかったが、その場にへたり込むように座ると彼女達に対して開き直ることにした。
「性癖ってのは仕方ねぇん。変わろうと思って変えられるもんでもねぇし……。もう俺のことどう見てくれても、好きにしてくれてもいいよ……」
千代が一冊の本を拾い上げ、ページを捲ると小さな悲鳴を上げながらも微笑んだ。
「良和君が変態だなんてさぁ……小学生の頃から知ってるから大丈夫だよ」
その言葉に良和は小さく頷く。関口が気持ちを切り替えるように明るい声で言う。
「そうそう!まぁほら、人それぞれだしね!大事だったらこんなしまい方しちゃダメだよ!ちゃんと片付けよ?ね?」
「うん……もうダメかと思った……。ありがとう」
「変態だって分かってるから!何があっても良和君は良和君だよ!しかし……こんなエロ本もあるもんなんだねぇ……凄いね」
関口は感心したような声を上げながら本を纏め出すと茜と千代もそれを手伝い始めた。隠すものの無くなった良和は毎回覚えていた僅かな緊張感から解放された事に安堵した。
洋間では岳が稲村と二人きりで話し込んでいた。
「俺さぁ……もうあいつらと遊ぶの止めるよ。約束する」
「まぁ誰と遊んでても別に構わないけど、自分に変な嘘つくのは止めろよ」
「うん……。俺さぁ、今日初めてがっちゃんってカッコイイなぁって思った。がっちゃんみたいになりてぇ。強くなりてぇ……」
「俺は……全然そんなんじゃないから止めた方がいいと思うで」
「いや……これから先……勉強させてもらうわ」
岳は首を傾げると「呑もう」と立ち上がった。いつものようにテーブルを囲んで酒盛りが始まると岳は緊張の疲れからか、その場を離れて和室に入り襖を閉めた。
隣のダイニングから聞こえてくる楽しげな会話や笑い声に温かな気持ちを覚える。
小さな頃にこういう声を沢山聞けていたのなら、自分に対してもっと色々な肯定が出来たんだろうか。そう思いながらベッドに横になると、少しの間目を閉じた。
襖を静かに開ける音がして岳が目を開ける。半身を起こして襖に目を向けると缶チューハイを手に持った千代が立っていた。
「ここにいたんだ」と言うと、そのまま岳の隣に腰を下ろす。
そして無言のまま二人でダイニングから漏れる声をしばらくの間、聞いていた。
後から来た矢所が「稲村イケメンになったぁ!」と叫んでいる。幾つかの「じゃあね」と言う声が聞こえると新聞配達のバイトに向かう純が出て行く気配して、また誰かの笑い声が響く。
岳はいつもの夜のいつもの声に気分を落ち着かせる。
すると、伏し目がちの千代が突然呟くように言った。
「私は……いつも気が付くとがっちゃんを探してしまう」
岳は言葉は漏らさず、静かに頷く。千代が真顔で問い掛ける。
「何でだろう?」
外の暗闇には湿った夏の月がぼんやりと浮かんでいた。
岳は千代の生い立ちを微かに思い出すと、子供に言い聞かせるように優しく呟いた。
「千代さんにとってのお父さんみたいなもんなんじゃないかな……俺は……多分」
その言葉に千代は「そうかもしれない」と小さく笑う。岳も同じようにして、小さく笑う。
千代は立ち上がると、自分を勇気付けるようにして微笑んだ。
「がっちゃん、皆の所行こ」
「あぁ。行くかぁ」
月が笑うと空が曇る。誰かの言葉だったのか、自分で作った言葉だったか、岳はそれが思い出せないままビールを飲む為に立ち上がった。




