家が壊される
突如計画された「顔は良いのにオタク」の稲村改造計画。稲村のホスト化を進めていたある日、良和が岳の元に「家が壊される!」とやって来て…。
それはまるで調教のような光景だった。時間を掛けてゆっくりとゆっくりと、しかし確実に稲村は変わっていった。
アニメイトを小脇に抱え、猿渡と時折「レイアース」などのアニメ話で盛り上がっていた青年に、茜と千代と関口は可能性を見出していた。
稲村に「こっち向いて」と茜が言う。
「やっぱそうだよ。全然イケてるじゃん」
「やっぱり私の思い過ごしじゃなかったよね?だよね?」
関口がそう言って周りに同意を求めると千代は大きく頷きながら言う。
「やっぱ服と……あと眉毛かなぁ……?絶対モテるようになるよね?」
「なるなる!間違いないって!」
「周りがイケてないからダメなんだよ!こんな変人の巣窟に居たら埋もれちゃうって!」
稲村は彼女達が一体何を話しているのか理解出来なかった。しかし、それからすぐに良和が「見せたいものがある」と洋間に呼び出した。例の特撮ヒーローものか、きわどいAVか、そのどちらかだろうと思いソファに腰を下ろすと画面に映し出されたのはホストクラブのドキュメント映像だった。
「見せたいのって……これって……」
「まぁまぁ。いいから見ようぜ」
佑太が入ってくると稲村の隣に腰を下ろし、稲村は良和と佑太に挟み込まれるような形になる。佑太が呑気な声で呟く。
「うわぁ、なんか懐かしいなぁ。下克上の世界だぜ」
「下克上……?」
積み上げられたシャンパンタワー。息の合ったコール。新人が先輩を追い抜く日。売り掛けの回収に追われるホストと、一晩で数百万手にするホスト。身体と鞄ひとつでの上京。繁華街。
稲村はそのドラマに心を次第に奪われていった。
「やっぱあいつはモテると思うぜ。ホストにさせてみっか」
「稲村改造計画!あいつはバケるぞぉ」
「人の人生なんだと思ってんだよ……面白いからやろう」
佑太、良和、岳は稲村を脱・オタク化させる計画を立てた。茜達と相談し合い、まず眉毛を整えさせて服装を変え、髪色を少し変えて爽やかな青年に仕立て上げるはずだった。
しかし、稲村は良和の「ホストはいいぞぉ。ホストはモテるぞぉ」と連日言われ続け、ビデオを繰り返し視聴させられるという洗脳教育により、日に日にホストチックな風貌へと変貌を遂げていった。
その為なのか、髪は金髪になり眉毛は剃り込まれ、岳「2号」といったような風貌になった稲村は煙草をすい始めるようになり、自然と周りの友人付き合いも変わって行った。
松村が彼女と作ったというコッペパンにハンバーグを挟み込んだ「パンバーガー」なる食べ物を持参した際、それを頬張りながら神妙な顔つきで言った。
45ℓのポリ袋に入れられた大量のパンバーガーが純のクッションと化しているのにも、気付かないまま。
「あのさぁ、稲村なんだけど……最近変わったと思わないか?」
「変わったんじゃなくて変えたん。オタクはモテないから、ホストにしようと思って」
「え!?ヨッシーが変えたのか!?人ってそうか……変えると変わるんだな……」
「だから変えたって言ってんじゃん」
「あぁ、そうだよな。それでさ、あいつ最近変な仲間とつるんでるって噂聞いたんだけど……誰か知ってるか?」
岳が半分まで何とか食べ切ったパンバーガーを睨みながら言う。
「変な仲間って……ここに居る奴以上に変なのいないと思うんだけど……」
松村が部屋の中を見渡すとペディキュアを剥がす茜と千代の頭上をパンバーガーが飛び交っていた。
翔が「このパンよく飛ぶぜ!」と言いながら猿渡とパンバーガーをボール代わりにして遊んでいる。千代が「こっち当てたら出禁にするからね」と猿渡を睨む。
岳はテーブルに置いたパンバーガーに意味もなく火の点いた煙草を線香のように立てると、純と共に大笑いし始める。
「食べ物で遊ぶなんて……俺には考えられないんだけど……遊んでるなぁ」
「少しは「量」ってもんを考えろよ!で、何だっけ?」
「そうだよな、ここに居る皆が大食いじゃないし、パンが食べられない可能性だってあるもんな……」
「問題は大量に持って来る方だと思うけど」
佑太の指摘に松村は頭を掻きながら話を戻した。
「そうそう、それでさ、稲村が最近「悪い奴」と付き合ってるって噂があるんだよ。誰か止めてやれないか?」
「少しは外の世界知った方がいいんじゃない?ここに居たら馬鹿になるだけだよ」
茜の言葉に千代が「そうそう」と頷き、矢所は「悪なの!?カッコよくない!?」と調子を上げる。アパートで会う以外に稲村と接点が殆どない純と岳は「アメリカの貧困層」の話で盛り上がり始めている。
佑太が「どんな連中なの?」と訊ねたが「悪そうな奴としか……」と松村が答えると「それじゃ悪いか分からねぇ!」とシビレを切らした。
深夜の国道140号を旧型のシーマが走る。漆黒のボディは街頭を滑らかに反射し、低く唸りながら走り続ける。
助手席の男が後ろを振り向きながら言う。
「稲村。俺らと遊んでた方が面白ぇだろ?なぁ?」
「うっす……そうっすね……」
「ゲーセンのよぉ、あのオタク達ビビッてたなぁ!ウケるぜ。今度から「ATM」って呼ぼうぜ。なぁ?」
「はぁ……そ、そうっすね」
「まさかおまえ、ビビこいてんじゃねーよな?」
「いや、自分は「男」っすから。先輩達についていきます」
「いきなり悪い遊びは教えねぇよ……おまえがよく遊ぶって言ってる末野だっけ?その場所教えてもらおっかなぁ。イケイケの女もいるんだろぉ?」
「え……いや……その」
「あぁ!?テメー末野と俺達どっちが大事なんだよ!」
「先輩達っす」
「よーし。じゃあ稲ちゃん……行こうか」
「はい……」
それから数日後の平日深夜だった。岳はバイト中に携帯電話が鳴り続けている事に気付いていたが、画面を見ると良和からだったので遊びの誘いだろうと思い無視し続けていた。
着信が止むと今度はメールで「家が壊される!」と連絡が入った。バイトが終わる直前になると店に血相を変えた良和と仲邑が訪れた。岳は雑誌の入ったビニールを破りながら間延びした声で訊ねた。
「どうしたん?おぉ、仲邑。さっき父ちゃん来たぞ」
「がっちゃんさん!それどころじゃないっす!今からアパート行きましょ!」
「はぁ!?なんでだよ。家帰って寝るよ」
すると良和がカウンターに手をついて叫んだ。
「違うん!助けてくれ!家がぶっ壊される!」
「意味わかんねぇ。こんな時間に重機が動くんか?」
「違う!稲村のほら、悪い友達。あれが来てる!」
「佑太は?」
「仕事でいねぇ!あと男は純君と稲村と猿渡しかいねぇ」
「カスばっかじゃん」
「残りは女達……だから助けて!早く!」
「…………分かったよ」
バイトを終えて車に乗り込んだ岳は道中で事情を聞いた。
「悪い連中」とつるんでいた稲村が末野とのダブルブッキングを起こしたが結局は末野を取った。それに腹を立てた連中がアパートに押し掛け「稲村を出せ」と迫っているのだという。
途中で「腹が痛い!」と言い出した仲邑の為にコンビニに寄ると良和は慌てだした。
「何なん!ウンコならアパートですりゃいいじゃん!早くしないと家壊されるって!」
「ヨッシーごめん!すぐ戻るから……マジで!」
「あー、もう!がっちゃん!」
「いや……いいから……。行かせてやれよ」
「よくねぇって!仲邑早くしろよー!もうめちゃくちゃ!」
「うん……そうだな……」
岳は慌て出す良和とは対照的に眉間に皺を寄せながら対策を思案し始めていた。相手が分からない状況の中で、今アパートはどうなっているのか。稲村本人はどうしたいのか。どう対峙すべきか。
手刀を切りながら戻って来た仲邑を乗せ、車はアパートへ向けて走り出した。




